やりこみゲーマーと狼
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異世界にわたっている。
だが彼らの全てが目立つ活躍をするわけではなく、むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数。
しかしそれでは物語としてウケが悪い。
そんなわけで、王道とされる主人公たちは、否応がなしに非常識な活躍をさせられている。
では、そんな主人公たちではない大多数の人々はどんな異世界生活をしているのだろう?
今日もそのひとりを紹介したい。
彼女の名は今もなお不明だが、異界漂流者だろうと言われている。
◇ ◇ ◇
困惑。
異世界に来たと気づいた時に思ったのは、それだった。
嬉しい。
病気で入退院を繰り返していた弱い自分でなく、健康で元気はつらつな体であった事が。
元気いっぱいに走れる喜びに沸き返っていたのだけど。
「うわ」
ただし、自然界もソレ相応にハードっぽい……何しろ魔物がいる。
「ははぁ、これは強くならないとダメっぽいね」
緑色の肌の化け物……たぶんゴブリンってやつかな……を倒して、体が何かモヤモヤしたものを吸収して。
よくわからないけど、がんがん敵を倒してさっきのモヤモヤをとりこむ事で強くなれるっぽい。
なるほど、私のやるべき事がわかった。
まずは強くならないと。
ここはゲームとは違う。
殴った手は痛かったし、ゴブリンは臭かった。
弱かったら死んでしまうんだ。
とりあえず……がっつり強くなって、魔物なんざ鼻にもひっかけないようにならないといけない。
頑張らないと。
リアルじゃ弱かった私だけど、長い時間をかけてゲームをやりこむのは得意だった。
心配した血や肉への拒絶反応だけど、最初にゴブリン、つまり人型の魔物を倒したのは良かったみたい。
非人類タイプを足がかりに、どんどん慣れていった。
気が進まないけど、早いうちに盗賊を倒して、人殺しの禁忌もとる事にする。
ここは平和な日本とは違うんだから。
見渡す限り、ひとの文明の気配もないような場所……たぶん命も安いだろう。平和ボケしてたら、あっというまに殺されるか奴隷にされてジ・エンド。
ああ、おなかがすいた。食べ物も探さないと。
よし、はじめよう。
野犬の群れに遭遇、撃退したら一匹ついてきてしまった。
なかなか賢くていい子だし、共に旅をする事にしたら、夜に裸の男の子に変身して驚いた。
ぎゃあああ、ちょっとぉぉ!
なまじイケメンなのが困りもの。
どうやら犬でも狼でもなく、人に化ける狼、あるいは狼に化ける人ってこと?
あーうん、言葉が通じないから全然わからない。
とりあえず狼に戻りなさい、見てらんないから!ハウス!
何とか通じたみたいで狼に戻ってくれた。
けど、何か親しげにスリスリされる。
うーん……これはいずれ押し切られる気がするなぁ。
だけど今日ではない。
そんな安い女のつもりはないぞ。
旅を続けながら、じわじわと意思疎通を試みた。
大変かと思ったけど、思ったよりずいぶんと楽だった。
簡単な意思疎通の魔術みたいなのがあって、それを足がかりに単語や名称の差異を埋めていくことで、意思疎通がどんどん可能になっていったからだ。
お互いの名前の交換。
彼は『灰色のルー』という名をもつ戦士らしい。
一族は新しい血を求めており、単独で戦える者から選ばれしオスが各地に散ったという。
そして人族と違う強そうなメス、つまり私に目をつけたのだという。
「一緒にいた子たちは?」
「旅の途中でケンカ売られた。勝ったらついてきた」
「……お友達じゃないのね?」
「ちがう」
そっか。
それにしても新しいメスを捕まえたら連れ帰るなり、新しい群れを作るなりは好きにしろという……なんかアバウトな話だなぁ。
「ていうか、私人間だよ?同族から探さないとダメじゃないの」
「ヌガ、ちがう。■■■、ヌガと違う」
彼らは人間のことをヌガというらしいが、私は人間ではないという。
なにそれ、だったら私は何者だっつーの。
「違うって言われてもねえ……見たこともないし。
だいいち、私は狼になれないんだから、ルーの同族のわけないよ?」
だけどルーは言う。
「■■■の中で、カーン、大きくなってる」
「カーン?」
「カーンは中身、正しきもの、正体、大人、完全なもの」
「……よくわからないんだけど?」
どうやら哲学的な抽象概念らしい。こんな即物的なコミュニケーションじゃ意味が伝わらないか。
「今にわかる」
ルーはにっこりと笑った。
私はその意味がわからなかったが……後日、知る事になった。
その日は晴れ渡っていた……私がこの世界にきた日のように。
強くなり続けた私はついに、ルーと組んで下位とはいえドラゴンを倒すことに成功した。
ありえないほど膨大な「もやもや」を一気にたくさん取り込んだ私は、ひっくりかえってしまった。
「ルー、ごめん」
「わかってる、守る。
それに、謝ることない、ルーはうれしい」
「え?」
「たぶん、これで■■■のカーン目覚める。ときがくる」
「???」
「だいじょうぶ、ねむって」
「う、うん」
言われるままに眠った。
目覚めると、私とルーの前には変な『人間』がいた。
ああ、なるほどこれがヌガか。
なるほど、たしかに『違う』わね。
彼らは金髪碧眼で、地球で言うところの白人に近い容姿だった。
だけど、似てるのはそこだけのように思えた。
以前の私にはわからなかったかもしれない。
けど、たしかに別の存在と感じた。
何か騎士団みたいなのを率いてきたそいつは、いきなり意味不明の言語で喚き散らした。
言葉が通じてないぞ。
それを知らせると、そいつと騎士たちは口々にバカにしたように笑った。
いくら言葉が違っても、バカにされているのはわかる。
なんだか知らないが、随分と失礼なやつらだ。
イラッときたので、とりあえず代表らしいそいつに威圧をかけたら、ぶざまに腰を抜かして小便した。
バカバカしい。いこう。
だけど、背を向けたら全員が剣を抜き、攻撃してきた。
ああ、これはもう殺すしかないわね。
敵対とみなして反撃を開始したんだけど。
「?」
なにこれ?
とても全員の相手なんかしてられないしも、適当なところでさっさと逃げるつもりだったけど、何か面白いように次々と倒れてしまう。
なんかこいつら、思ったよりずいぶんと弱い?
「こいつらが弱いんじゃなくて、■■■が強くなったんだよ」
「私?」
「あの翼ある蜥蜴をひとりで倒したんだよ?ヌガの戦士ごとき、鼻先でも殺せるでしょ」
「いや、さすがにそれは言い過ぎ」
犬や狼にとって鼻先は感覚器官だから、敏感なのだ。
その鼻先でも殺せるってことは、意訳すれば朝飯前とか、とても簡単って意味らしい。
そしてルーは私のそばに来て言うのだ。
「それより■■■、やってみてよ」
「え?やるって?」
「カーン。もう起こせるでしょ?」
「……」
「ごまかしてもダメ、カーンにはカーンがわかるからね」
「……わかったわよもう、あっちむいてて」
「なんで?ルーは見てる」
「だめ、あっち向いてて。でないと嫌いになるよ」
「しょうがないなあ」
しぶしぶ向こうを向いたルーを確認してから、服を全部脱ぎ捨てた。
そして。
私は自分の中にある、それを少しだけ起こした。
◆ ◆ ◆
ルーは「あっち向いてて」という彼女の言葉に従ったものの、それが始まった時点で目線を戻した。
約束を破る事になるが、これは重要なこと。
はじめてカーンを動かすというのは重大なことで、場合によっては同族の補助が必要だから。
「……」
ルーの眼の前にいる、黒目黒髪の全裸の少女。
むきだしの素肌に突然、大量の剛毛が微速度撮影のように生え始めた。
それは産毛がどうのというレベルではなく、今までの彼女とは違う生き物のソレだ。
さらに顔が、手足が、人間族のそれから狼族のそれに変わっていく。
獣人化現象だ。
立っていられなくなったようで、前のめりに倒れた。
だがそのまま、四つん這いのまま完全にヒトから獣へ──狼のそれに変貌していく。
「ふふ……やっぱりね」
ルーは今や確信をこめて叫んだ。
「やっぱりそうだった!
ははは、知ってた!ルーは知ってたぞ!」
ヌガに似にているがヌガと違う、同族のニオイのする変なやつを見たら注意せよ……それは彼らに伝わる伝説だった。
それは異郷で生まれ育った、同族のなりそこないだという。
彼らは同族のいない異郷で育ったがゆえにヌガの姿をし、カーンも赤子の時のままだという。
芽を育てるにはどうするのか?
これは簡単で、同族がそばについてやれば勝手に芽は目覚める。
その状態で狩りを教え、位階を上げさせれば芽は大きく育ち、やがて同族となる。
「……クゥ」
少女だったソレは完全に一匹のメス狼になり、そして倒れた。
無理もない、はじめて全身を変えたのだ。
ルーは愛しい狼のそばに座り、目覚めを待つことにした。
(起きたら、今度こそ番になるって了承させる。
そしたら里へ帰ろう。
絶対逃さないぞ)
◇ ◇ ◇
第九ミンダナ世界線における狼族についてはデータが少ない。
彼らは森に生きる高度知性体であり、特に当時は文書による記録を残していないからだ。
だが、十三期の狼族を束ねた最初の長、ルー・フェベラル・カーンについては、その妻であるセレ・フィメラル・カーンによる異世界語の手記があり、これにより判明している事がたくさんある。
ただ、今回はルーでなくその妻セレについて記したい。
異世界語の手記があること、そしてその内容からも、彼女が異世界人なのは確定している。
ただし、かつての名などは全くわかっていない。
わかっている事は、彼女の種族──チキュウ人が第九ミンダナ世界線に来ると、見た目は人族なのに狼族の因子を内包するらしいことだ。これは後年にも類似のケースがあり、人族が召喚したチキュウジン『マサオ』の勇者候補が、成長後に突如として行方不明になった事とも一致する。
マサオは元の世界の故郷で犬を飼っていたそうで、人族の城でも拾ってきた子犬を飼おうとしたという。
人族は狼族かもしれないと警戒したものの、赤子同然の捨て犬だったので、たとえ狼族でも問題ないとも考えた。問題があれば隷属させればよい。
マサオ当人の責任の元に飼う事を許したという。
結論から言うとこの犬は狼族であったが、そもそも赤子なので人族たちの心配はまったく無用だった。
だがこの犬がそばにいた事で、位階をあげたマサオが狼族に覚醒。
そもそも当時、チキュウ人が狼族の因子をもつ事も、狼族がそばにいるだけで因子が育つことも知られておらず、彼らはまったくの想定外をつかれてしまった事になる。
マサオは愛犬と共に人族の城から姿を消し、二度と戻らなかったという。




