サーヨの伝説
それが、いわゆる異世界召喚だと最初に気づいたのは誰だったろうか?
「魔法陣!?」
「!?」
静かな授業中に響き渡ったその言葉に、広がる驚き。
そして次の瞬間、私たちは別の世界に誘拐されてしまっていた。
『わたしは女神イーシュといいます。
最初にごめんなさい。
古き約束を無視し、わたしの世界の人間たちが、あなた方を勝手に異世界から召喚してしまったようです。
今後、こういう事は二度とできないようにいたしますが。
直接干渉はできないので、すでに召喚された皆さんを元の世界に帰すことは、わたしにもできないのです』
ざわざわと、皆がざわめいた。
『せめて、世界の理の違いで死なないよう身体を作り変えます。
そして、それぞれの望む力を少し差し上げましょう。
その力を好きに使い、元気に生き延びてくださる事を願います』
……とまぁ、何かそんなことをのたまっていた。
クラスメイトたちは賛否両論みたいだった。
男子の多くは好印象、女神様が凄まじいばかりの美人のせいか、舞い上がってる人もいた。
女子は半信半疑という感じだったけど、帰れないと聞いて悩み、グループごとに固まりはじめた。
どうやら集団化して生き延びるつもりみたいだ。
もちろん、こっそり影で男子によりかかり自分だけは、みたいな子もいるようだった……顔だけは仲間のフリしてるけど。
女神様は、そんな生徒たちをひとりひとり手元に呼び寄せると、何かしていった。
生徒は一瞬光ったり、霧の中に隠れたりして……そして最後は消えていった。新たな世界に先に行ったという事らしい。
そして、最後に私の順番がやってきた。
『あなたはどの子のグループにも入ってなかったのね?』
女神様というのは遠慮もなにもないのか、どストレートに言ってきた。
だから、わたしもストレートに返した。
「ええ、ぼっちですから」
情けない話だけど事実だ。
女神は、そんな私を少し首をかしげて見ていた。
『それで、あなたはどんな能力が欲しいのかしら?』
「その前に、質問いいですか?」
『ええいいわ、もちろん』
「まず、行き先の世界がどんな所なのかわかりません。これだと、どんな能力を授けてもらえばいいのか判断がつかないんです。
ですので、世界についての説明がまず欲しいです」
『……なるほどそうね』
納得したように女神は頷いた。
『いいわ、教えましょう。では、どんな事が知りたいの?』
「それではですね」
行き先は緑豊かな世界らしい。
人間以外の種族もたくさんいて、人間は他の種族を奴隷化・支配する事を狙っている。わたしたちを召喚したのも、そのための一環らしい。
やっぱり。
女神様がフォローに入るだけあって、ろくでもない話だった。
わたしが選んだのは、わたし自身の能力強化でなく自然の力を借りるもの。
『戦いに有利な力はいらないのですか?』
「いりません」
不思議そうに女神様に言われたけど、わたしは答えた。
「帰れないんですよね?
だったら重要なのは、安全に逃げ延びて平和に暮らせる事だと思うんです。
で、落ち着いた先で生活圏を確保、自然の中か、信頼できる人たちの中で生活の基盤を組み立てようと思います。
ですが、わたしは現代日本以外の場所で生活するためのスキルがなく、能力も高いとは言えません。
だから、そうするために必要なスキルと能力が欲しいと考えます。
……すみません、わがままで。
このコンセプトで、おすすめとかありますか?」
『なるほど──そうね。
こちらの意思を無視して召喚されるんですものね。
あちらの思惑にはまらず、平和に生き延びたいのね?』
「はい」
『そういう事なら、わがままなんかじゃないわ』
「そうでしょうか?」
『ええ』
女神様はわたしの顔を見て、そしてスキル一覧を吟味するように見て、そして大きくうなずいた。
『だったら、たしかに目立つような戦闘スキルはいらないでしょうね。
でも具体的なところは──そうね、基本だけはおさえておくべきね』
「基本?」
『ええ基本よ。
あなたの故郷のような便利な乗り物が少ないから、足腰は頑強なほうがいいわね。
次に畑を脅かす害虫を退治したり、害獣を追い払うための能力。
農業や漁業といった一次産業で食べていくための各種、こまごまとしたスキルや知識も必要になるでしょう』
「なるほど……この世界の生き物をよく知りませんけど、自衛能力は足りるでしょうか?」
『そうね……そうだわ、ねえ、これは提案なのだけど』
女神様は少し考え、わたしに提案してきた。
『今までの条件を見ていて思ったのだけど、あなたには精霊との対話能力のほうがいいかもしれないわね。
本来、人間種族にはおすすめしないスキルだけど、貴女ならうまくやれそうだわ。
魔力を大きめに設定して、そして精霊とやりとりできるようにするの。
必要なことは、おそらくそれだけで満たされるわ』
「え、精霊?精霊とお話できるんですか?」
『ええ、普通の人間には無理ですけどね』
おお、なんてファンタジー!
魔物や猛獣などを警戒したり、畑の外に誘導したり。
あるいは雨をふらせてもらったり、発芽を早めたりできるんだって!
『精霊は世界の一部だから、精霊に通じるということは、あなたも世界の一部とみなされるってことよ。
だから、たとえば、畑を荒らさないでっていえば虫が食い荒らさなくなるし、毒虫にも刺されないし、毒蛇にも噛まれないわ……まぁ、びっくりさせちゃったら自衛反応で噛まれるのはどうしようもないけどね』
おお。
「なるほど、たしかに問題のほとんどが解決しますね……それって代償は何が必要ですか?」
『精霊にお仕事を頼むには、お駄賃としてあなたの魔力をあげるの。
でもそれ以上に、精霊は人格もつ無数の存在だから、まず彼らとコミュニケーションをとり、おつきあいできるという事が第一に求められるわね』
「え、日常から普通にお話できるんですか?」
『そこいらの精霊はともかく、大精霊クラスなら一緒にお茶もできるわよ?』
すごい。
「けど、どうして普通の人間には無理なんですか?」
『人間は、自分の都合で世界をいじり、改変しようとするからよ。
あなたは、そんなことしないでしょ?』
「いやぁ……それはちょっと自信ないかも」
『あらそう?
じゃああなた、お金儲けできるからって、森の木を精霊術で全部切り倒したり、海の魚を根こそぎ水揚げしたりする?』
「するわけないじゃないですか!そんなことしたらめちゃくちゃになって……あ」
反論しながら、その意味に気づいた。
『わかった?』
「なるほど、わかりました……そういう事をする人には与えられないスキルって事ですか。
けど、わたし、そんな善人じゃないですよ?さすがに買いかぶりかと」
『それを決めるのは、あなたじゃなく精霊たちよ。
その精霊たちが言うのよ、あなたなら問題ないって』
「……光栄です」
『うふふ』
女神様は、楽しそうに笑った。
『ふむ、これだけスキルと技術があれば安全に生き延びるには充分でしょう。
ひとつだけ注意をしておくわ。
精霊たちは人間のように融通がきかないから、そこだけは気をつけてね。
何も知らない子供に頼むように、なるべく具体的にね』
「わかりました……すみません、なんか面倒で」
『いいのよ。
それにむしろ「こういう事をしたいんです」と明確なビジョンがあるあなたは、こちらとしても力を与えやすいもの』
「……そういうものなんですか?」
『変な例だけど、逆ハーウハウハ生活したいって漠然と言われてスキル編成なんでできると思う?』
「想像もつかないです」
『そういうことよ』
なんぞそれ。
そんな要望出したやつがいるの。
しかも『逆』ハーってハーレムの逆だから、要望出したの女だよね?
何考えてんだか。
『それでもう一度確認するけど、本当に戦闘スキルはいらないの?
あなたの欲するスキルは、たしかにあなたの目的には有用だろうけど、神の力を酷使するような、世界の理を曲げるようなものは何一つないわ。
望むなら、今に加えてさらに戦闘スキルをあげていいのよ?
大切な人を守ったり、理不尽を跳ね返す力はほしくない?』
「そんなヒーローみたいな力は、正直ちょっと」
女神様の話に、わたしはきっぱり言った。
「なによりまず、安全と自分の生活を確保したいです。
かりに誰かを守るとして、今いただいた能力で一緒に逃げたり隠れたりはできますよね?」
『ええ、できるわ』
「だったらそれでいいです。
あ、そうだ。
わがままですみませんけど、こちらの世界の材料で軽食やお菓子を造る知識とスキルはほしいです」
『軽食やお菓子?ええ、できるけど?』
なぜだか理由を知りたそうな顔だったので、簡潔に説明した。
「精霊たちとお話できるんですよね?
コミュニケーションした相手とお茶したり、敵対してない動物たちと仲良く食事ができるといいなあって思うんですが……できますか?」
『ええ、もちろんできるけど……それが、わがままなの?』
「無理ですか?」
『いいえ逆よ』
「逆?」
『ええ……ええいいわ、そんな事でいいのなら、いくらでもできるようにしてあげる』
変わり者の選択だろうに、女神様はむしろ喜んだ。
『ふうん……。
安易に戦いに向かわず、慎ましく、地道かつ安全に自分の生活を謳歌する、ね。
うん、あなた気に入ったわ。わたしの使徒になりなさい』
「え?使徒?」
女神様からわたしにキラキラと何かが流れ、消えた。
「え、あの、使徒って?」
『私の名はイーシュ、獣と精霊、そして旅人を守る女神。
あなたはこれから精霊とつきあい、そして自分の場所をみつけて生活を組み立てたいと考えている、そうよね?』
「はい」
『あなたが求めた能力はね、ハッキリ言えば、私の使徒に求められる条件そのものなのよ。ほぼ全てがね。
それに考え方も好感がもてる。
だから私は、ここにあなたを私の使徒と認定、正式な加護を授けます』
「あの……あまり他人に注目されるようなスキルや称号は困るんですが」
『問題ないわ。私の使徒にれば、精霊に頼みごとする時もしやすくなるわよ?
それに、魔物や野生動物に襲われなくなるの。
しかも……使徒であると見分けられるのは、人族だとエルフくらいでしょう。
あなたには価値ある事なのではなくて?』
「あ、はい。それはすごく」
そうなのか。
女神様の下につけば、いろんなお得なメリットがついて、さらに敵にはバレないと?
いいとこずくめじゃないですか!
さすがに、一緒にお茶したり巣穴に泊めてもらうなんてファンタジー小説みたいな事はできないだろうけど、敵にならないだけでも嬉しい!
「……旅の神様っておっしゃいましたよね?」
『ええ』
「なんで旅の神様が、私たちのケアなんかなさってるんです?」
そういうと、なんか「何いってるのこの子?」みたいな不思議そうな顔をされた。
『そんなの、あなたたちが別の世界からの来訪者だからに決まってるでしょう。
意図に反した召喚だとしても、あなたたちはこの世界に訪れた大切な客人。
だったら、お迎えするのは当然のことだわ……そうでしょ?』
「あ、はい。たしかに」
なるほど。
『それでは。
貴女の進む道に安全と、そして幸いがありますように。
あ、この祝福は他の子たちには内緒よ?
あげるのは私の使徒だけ、つまりあなた以外の誰にもあげてないんですからね?』
「はい」
なぜか上機嫌の女神様に、わたしも思わず笑顔で返すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
ドーラ王国歴219年、異世界より戦士たちの召喚が行われた。
総員24名というその人数、ひとりひとりが女神の祝福を受けていた事でドーラ国は実験成功に大いに盛り上がった。
だがこの後、召喚魔法陣が動かなくなった。
また、聞き取り調査の結果、本来は25名が召喚されているはずという事が判明、ひとり逃げたと主張する騎士の証言を裏付ける結果となった。
魔法陣が動かなくなった原因は、旅の女神イーシュであろうと推定される。
もともと勝手に異世界から人をさらってくる召喚魔法陣をイーシュは嫌っていたが、大量召喚でついに直接介入に踏み切ったのだろう。
だがドーラ王国はそれらの調査結果を隠蔽、魔族による破壊と発表した。
次に、ひとりの行方がわからなかった件。
24名への聞き取り調査の結果『サヨコ・ミカミ』なる女性である事が判明した。
ただちにサヨコは、逃亡奴隷の名の元に指名手配された。
だが、これはうまくいかなかった。
城ではサヨコの名前を使って遠隔で隷属魔法をかけ、城へ帰還させる事まで試みたが、これすらもうまくいかなかった。
とはいえ、欠けたのはひとりだけ。
それに召喚直後では弱いし、おそらく生き延びられないだろう。
彼らはサヨコをあきらめ、賞金をかけておくだけにとどめる事とした。
この召喚を彼らは成功と考えたが、結論から言えばそれは失敗だったと言える。
なぜなら呼ばれた者たちは最終的に反旗を翻し、ドーラ王国を滅ぼす結果となったからだ。
たったひとりか数名程度のお人好しなら、おそらく彼らの自由にできたろう。
要するに、いらぬ欲をかいた事が破滅の原因となった。
結論から言えば、召喚により異能をたずさえた24人を、彼らは扱いきれなかった。
彼らを精神的に未熟な子供と見て、お互いに反目させつつ隷属という方針は最初こそうまくいった。
だが、いかに子供に見えても、彼らは高い教育を受け、合理的な思考のできる異世界人。
彼らはすぐに「互いに争わせる」真意に気づいた。
しかも、そのタイミングでドーラ側が隷属魔法の作動に踏み切ってしまったので、彼らの敵意がお互いでなく、ドーラ側に向いてしまった。
しかし、そうなっても彼らは「隷属させてしまえば大丈夫」と考えていた……それが破滅に至る、最後のトリガーであるとも知らずに。
王が気に入った女生徒に夜伽をさせようとした時、その事件は起きた。
隷属状態なので逆らえず、その女生徒は泣きながら王の寝室に現れた。
そして、ニヤけづらの王が女生徒に触れた途端、女生徒を中心に巨大なエネルギーが爆発した。
それは王が常時身につけていた全ての防御アイテムも貫通し、見事に彼を即死させたのである。
──オリジナルスキル『イヤボーンの法則』。
実にふざけた名前であるが、内容は「どんなピンチでも全身全霊で拒否した相手を爆死させ、全ての束縛やバッドステータスも強制的に解除される」という、とんでもない壊れスキルだった。
おかしな名前なのも当然で、それは女生徒のリクエストで女神が手ずから作成した、一種のネタスキル……しかも表面的には、この世界で恋人によく贈られる『フェーンの髪飾り』の効果によく似ていた。
ドーラ側は、戦闘スキルの一種と考えて危険視しなかったし、事実問題ないはずだった。
問題は、女神が自ら組み上げた設定である点、ここに尽きた。
すなわち。
この世界を統べる女神のひと柱が手ずから組み上げたオリジナルスキルが、人族国家の魔術師ごときの組んだ邪法ごときに影響されるわけもなかった。
そして事実、それは見事に国王に直撃した。
しかも、彼が身につけていた護身用の魔術品なども一切無視し、彼の肉体のみならず魂まで破壊しつくしたのである。
さらにこの瞬間、王の名の元にかかっていた全員の隷属魔法が、当人の死亡により解けた。
ドーマ側の計算違いは、さらに続く。
当初、彼ら異世界戦士たちは、虫も殺せないような未熟な子どもたちだった。
だが隷属後、他ならぬドーラ国の者たちが暴行と虐待を行っていた。
さらに無理やり身体を操って亜人殺しなどを繰り返させた結果、末端の婦女子に至るまで殺人の禁忌を奪われていた。
そして、そこいらの子供に至るまで彼らを道具扱いもしていた。
これらの全てが、彼らの心から「同じ人間だから」という気持ちを奪い去っていた。
怒りに燃える彼らにとり、もはやドーラ王国の者は、ただの思考するヒトガタのニンゲンモドキでしかない。
もはや憎しみすら抱かない。
狩ればアイテムや経験値をくれるモンスター。
ただし人語を介するため、他のあらゆるすべてに優先して狩り尽くすべき化物だと。
隷属が強いほどに。
そして虐待がひどいほどに。
彼らはこの世界の人間を組織的に狩り殺す、文字通りの狩人集団となったのである。
ドーラ王国は、一日のうちに王都にいる全ての王族と、主要貴族を全て殺された。
彼らが自ら育て上げた24名は、実に的確に王城のシステムを破壊し、要人や王族関係者を始末していった。
唯一彼らが感情的になったのは、執事・メイドたちを始末した時だった。その者たちは国の行き先にこそ関係ないが、彼らに直接冷や飯を食わせ、蔑み、騎士たちとグルになって戦闘力の低い者を嬲るなど日常茶飯事だったからだ。
この国の国家システムを破壊しつくす。
そうすれば、あとは放置するだけでいい。
それだけでドーラ王国は周辺の国に食い散らかされ、消え去る。
彼らはそう考えたのだった。
だが王国側にも一部、負けていない者たちがいた。
王国軍……厳密にはその一部……は、メンツにかけても彼らを殺そうとした。
多くは返り討ちになったが、それでもあの手この手で攻撃を繰り返した結果、さすがの異世界戦士たちも数と策に押され、ついには討伐されていった。
だが最後に勝利したはずの軍や騎士団も、生き残りはわずか数名にすぎなかった。
もはや王都は瓦礫の山。
勝利宣言が行われたものの、彼らにとっては敗北と変わらなかった。
以降、彼らの姿を見た者はいない。
異世界召喚技術を持っていたのはドーラ王国のみであった。
ドーラの壊滅を知った各国は、残された異世界人召喚技術を手に入れようと、復興と称してドーラに兵や人を送りこんだ。
だが、わずか二週間後に王都にたどり着いた先遣隊が遭遇したのは混乱中の国などではなく、一面にあふれかえる緑、緑、緑。
雪国で春が来て一気に緑が芽吹くように、凄まじい速さを維持したまま緑はぐんぐん広がっていく。
町が、街道が、ありとあらゆる場所が緑に覆われて、さらに奥の方には木々まではびこっていく。
調査隊のテントですら一晩たつとつる草に覆われているありさまで、しかも王都に近づくほどひどいという。
あきらかに、なにかの異変が起きていた。
中小の街道は、ドーラの異変から逃げ出す人々でいっぱい。
森はどんどん広がり、ついには深淵の魔境に見られるような魔物や動植物の報告まであがりだした。
これはもう、国境線どころの話ではない。
各国は討議の末、まずは引き上げ、防衛ラインの構築をする事となった。
そして約二年後。
かつてのドーラ王国は深い森の中に沈んでしまった。
かの国は二度目の、おそらく二度と戻れない死をむかえたのである。
■ ■ ■ ■
(長い時のあと。とある人間の学者による手記)
サヨコ・ミカミの研究はようやく始まったばかりだが、謎と新発見の海と呼ばれ、多くの研究者をひきつけてやまない。
もちろんだが現時点では、まったくわかっていない事も多い。
たとえばサヨコのスキル。
壊滅したドーラ王国を最後、森に飲み込ませたのは逃げたサヨコ・ミカミであるとされている。
だが、術の規模があまりにも巨大すぎる。
サヨコのスキル構成などは不明だが、これでは伝説の聖女に匹敵してしまう。
もちろん伝聞の途中で肥大化したものだと思うが、どこまで事実で、どこから虚構なのか?
何しろ、ドーラが森に飲まれた事そのものは間違いなく史実なのだ。
詳細は研究中となっている。
多くの亜人種族のように精霊を使役していたと言われている。
また女神の使徒であったともされている。
もちろん精霊だの女神の加護だのといった民間伝承を否定するものではないが、伝説や信仰はひとの心の中にあるもので、現実の国ひとつを森に沈めた原因とは無関係だろう。
我々は人族の長として、万物の霊長として、正しい考察をしなければならない。
そして、それがおそらく、今は少数派になってしまっている我々の未来にもつながると考える。
精霊というのはご存知のように、亜人たちの有名な土俗信仰である。
よくわからないスキルを説明するのによく使われる方便だが、もちろんそれだけで、あんな大きな力が発揮できるわけがないし、ましてや精霊などという信仰上の存在に物理的な力が振るえるわけもない。
信仰系の僧の例をとるまでもなくたしかに信仰は力ではあるものの、彼ら自称精霊使いの力は大きすぎる。その点だけいえば、眉唾としかいいようがない。
ただし、多人数で儀式魔法を行った可能性や、悪魔との契約を精霊と称している可能性もあるので、現時点では完全否定するべきではない。さらなる調査が待たれる。
また、ゴブリンやオーガたちまで従えた話となると、あまりに荒唐無稽すぎて意味がわからないが……これもなにかのスキルや技術で、人型の魔物の一部を隷属させていた可能性がある。
このあたりがもし解明されれば、我々は再び万物の上に君臨し、この世界はかつてのように豊かになるだろう。
こちらも、研究者の解析努力に多くの期待が寄せられている。
しかしわからないのは、ゴブリンたちの日記なんてものが記録にある点だ。
訓練すればゴブリンも人語を話せる事がわかっているが、文字を書く、ましてや日記を残す知能があるなど子供の妄想以下の戯言としかいいようがない。
しかも、それによると、彼らが平和理に共存していたという……誰かの創作小説にしても趣味が悪い。
当時の創作か?
それとも、平和理に共存してますよと、誰かに演出するために捏造されたものか?
サヨコ当人にしても、わざわざ面倒な手を使って利を捨て「平和的に解決」など、意味のわからない言動や行動が多く記録に残されているらしい。
なぜ、ここまでして「平和理に共存」が演出されているのか?
一種の狂人だったのか?
それとも誰かの壮大な創作物なのか?
このあたりは今もなお、薄気味悪い謎のベールに包まれているのである。




