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異界漂流者の物語  作者: hachikun
6/94

青空

 異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。

 だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。

 では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?

 今回もまた、そんな人物のひとりを紹介しよう。

 その人の名は、エレナ・フォン・マタミラン。

 貴族の名をもつ彼女もまた、異界漂流者であった。

 

 

 

 

  空はただ、晴れ渡っていた。

 風は穏やかで、たくさんの匂いがした。作られ、飾られた人間に都合のよい匂いばかりではなかったけど、それは命の、自由の匂いでもあった。

 旅の空。

 侯爵家の娘などに生まれてしまった私には、生涯得られないはずの、孤立無援という名の自由だった。

 

 

 自分の立場が、まるで『昔ネットで読んだ悪役令嬢』みたいだと気づいたのは、いつの事だったろう。

 ああそう。

 たぶん、それは学校に入った時だと思う。

 学校に通うのはそのほとんどが貴族なのだけど、わずかに平民出身の成績優秀者もいて。

 そんな者たちを見た取り巻きの子たちが、汚いものを見るように眉をしかめたのを見て、ひどい違和感と、そして謎の既視感を覚えて。

 だけど。

(ネット?悪役令嬢って?いえ、そもそも昔って?)

 ええ。

 たぶんあの瞬間が、全てのはじまりだったのだと思うのです。

 

 その後一か月ほどかけて、私はゆっくりと『前世』の記憶を蘇らせていった。

 まぁ……前世が何者か気づいた時には、本当に仰天したのだけれども。

 

 なんと、私の前世は殿方だったのだ。

 アウトドア(・・・・・)……野営(・・)をするのが趣味という男性で、だけど娘にだけは恵まれず、それだけを心残りに亡くなられた方らしい。

 

 よくわからない。

 魔物はびこる野山で野営するのが趣味とは、ずいぶんと変わった方のようだ。まぁ、記憶によるとかの地には、ごくまれにクマの類が出没するくらいで危険な魔物や野生動物も少ないようだから、そういう趣味も趣味としてありえるのかもだけど。

 それにしても。

 娘が欲しかったからって自分自身が女に転生してどうするんでしょう?まぁ、まさか『次は女に生まれたいです』なんてお祈りしながら床に入って亡くなったわけじゃあるまいし、そこは偶然なんでしょうけど。

 

 ところで。

 前世が男性だったのなら今の自分も変化するのではないかとお思いの方もおられるかもだけど、結論からいうと私自身は全く問題なかった。

 だって、そうでしょう?

 生まれる前の記憶なんて不思議なものだけど、それは単なる情報以上のものではなかった。

 異世界の、そして異性の記憶。見るもの聞くもの、考える事、それらすべてが、あまりにも違いすぎて接点が皆無に等しい。価値観も、世界観も、思考の流れも全く理解ができず、拾い上げる事ができたのは食べ物や生活用品みたいな客観的なデータと、あとは悲しい、嬉しいといった単純で情緒的なものだけだった。

 結局のところ、それは見知らぬ他人の記憶という事なのだろう。

 魂だけでなく人格も引き継いでいれば理解できたのだろうけど、記憶だけあってもね。

 

 ただ、きっとそれは幸せな事に違いない。

 記憶もちというのは結構いるらしいけど、過去が強すぎて人格が歪み、発狂したり、自分で自分の人生をめちゃめちゃにしてしまう者もいると聞く。だからこそ、過去のそれが自分と感じられないというのは幸いなのだ。

 だいたい私は貴族の娘だ。つまり政略結婚で殿方と結ばされるのは間違いないのだから、殿方だった意識なんてものが表に出てしまったら……想像するまでもなく、それは悲劇ですものね。

 

 記憶を得た事は隠し続けた。

 理由はいろいろあるけれど、最大の理由は、この国の貴族社会が記憶もちを歓迎していないという事もある。むしろ異物として侮蔑の対象になる可能性もあった。

 え、なんでそんな事になっているかって?

 むかし、王族に嫁いだ娘に記憶持ちがいたそうなのね。で、その娘は王妃様になってから記憶が蘇ったらしいんだけど、その後がいけなかった。調子に乗って旦那様である時の国王陛下を味方につけ、上から目線でネット小説ばりの変な内政改革を断行しまくったらしい。

 考えてほしい。上級貴族生まれで王妃教育をされて育ち、そのまま王城いりした国母様が、現場の事なんて知っているだろうか?そう、知るわけがない。

 乳幼児の死亡率が高いのは確かに悲しい事。だけど、だからって衛生面の改革をいきなり断行してしまったら、それだけで子供の数が一気に何倍にもなってしまい……今度は大量の餓死者を出した。大きな街には農村部から流れてきた孤児がストリートチルドレンとなって犯罪の温床になり、治安が年々みるみる悪化していったんだとか。

 しかも、当人たちは長期的視点なんて持ってないただの思いつきなわけで、自分たちが悪いとは全く考えもせず。

 当然のように国は大混乱になり、一時期は滅亡寸前にまで陥ったとか。

 結局、内政系の王族のひとりが中心になって王権簒奪を行い、国を滅ぼしかけた二人を排除、事を収めたのだとか。

 

 まぁ……そんな事件があったんじゃ、上流階級が記憶もちを忌避するのも無理ないわよね。

 

 そんなわけで、私は自分が記憶もちである事を内緒にしていた。家族にも、おつきの侍女たちにもだ。一番可愛がっているナナという侍女には気づかれたかもしれないけど、ナナは我が家でなく私個人の私兵に近い存在。おそらく他の者に言う事はないだろう。

 

 だけど、否応が無しに変わってしまった事もある。

 

 たとえば、使える魔法のバリエーションが増えた。

 赤い炎でなく、白や青や、そして無色の……鉄すらも溶解させる炎。

 風とわずかな異物をもって、神でしか作れないと言われる雷を生み出す方法。

 魔力総量が変わらないのは幸いだったけど、あの時は誤魔化すの苦労したわ。

 

 それともうひとつ。

 いや、本当に困ったのは、実はこっちなのだけれども。

 

 そう。私は焦がれてしまったのだ。

 

 記憶にあった過去の私。日本という国には貴族などおらず、そして生まれ持った身分という理由だけで一生が決められる事もなかった。

 もちろん、家庭環境や経済事情などの制限はあった。

 だけど、生まれながらにして末路までも決められたに等しいこの世界の人生に比べれば……それは、あまりにも華やかすぎた。

 自由な人生。

 明日にも死ぬかもしれない……だけども、蜻蛉(かげろう)の如く儚くとも、思うように生きられる人生。

 ああ。なんて甘美な響きなのでしょう!

 

 その憧れと渇望を、私は隠し続けた。外面的には常に気高き令嬢としてふるまい、貴族の娘として生き続けた。

 ですけれど、憧れや渇望というものは、押し込めると内側から人を(さいな)むもの。

 内側から精神的に参りそうになった私は、同じ異界の知識から一計を案じた。

 

 そう。ストレスがあるなら、適度に発散してしまいましょうと。

 

 貴族の女とはいえ、魔物も魔法もある異世界だ。望めば護身のための格闘術くらいは嗜みとして習わせてもらえる。

 また、ナナは侍女といっても特殊な立場にいる子で、護身用ではない、ひとを殺めたり無力化するための戦い方も熟知している。そんなナナの助けがあれば、冒険者レベルとはいわないけど、突然の大惨事も切り抜けて保護されるまで生き延びられるとか、その程度の技術は得られるだろう。

 そして、何よりも。

 生き抜くための技術を身に着けているのだという事実は……自由に生きたいという私の押し殺した気持ちには、わずかながらも慰めになるみたいだった。

 やりすぎると色々と問題が出るのはわかりきっていたので「心身の健康のために」といううたい文句を必ずつけたけどね。

 やがて気が付いた時には……。

 まるで野の娘のように健康的な、しかし貴族の令嬢という不思議な存在が生まれていた。

 

 

 婚約を告げられた時の事は、今もよく覚えている。

 未来への備えという内心の言い訳は、いろんな所に影響を与えていた。数年後にはもう、家庭教師の先生は誰もが「もう教える事はない」と複雑な顔をなさってらしたし、武術の先生も、騎士団に入るつもりですかと苦笑いしてくださる程度にはなれた。魔法の先生はちょっと違ったけど、この先生も「もし宮廷魔道士になりたいのでしたら、いつでもおっしゃってください」と言ってくださるようにはなっていた。

 まぁ、間違いなく全員がお世辞なのでしょうね。あとはせいぜい「ご令嬢としては」という頭書きを省略しているのか。

 まぁ、さらなる向上のための一里塚……ってこの用法で正しいのかしら……にはなりましたけれども。

 さて。

 文部両道といえば聞こえはいいけど、実のところ、殿方より優秀な成績を収めるというのは良し悪しでもある。かわいげがないとか生意気とか、そういう目線はどうしても生まれてしまうものね。

 それに、身体を鍛えれば体型も変化せざるをえないでしょう?

 この世界の補正なのか元々の体質なのか、見た目的にがらっと変わるような事は全然ないのだけど、よくよく見ると、ふわふわの皮下脂肪の下で筋肉がきっちりと割れているのがわかるというのが、その。

 うん。麗しの令嬢とはもう言えないでしょうね。

 明らかに同年代の子女が浮いているから、これはもう普通の貴族では貰い手がないかなと内心、申し訳なく思っていた。

 でも、告げられた婚約相手は当初の予定通り。王太子殿下ではないが一応、王位継承者に名を連ねる方だった。

 不思議に思ってお父様に伺ったところ、重要なのは家柄であり、当人が魅力的かどうかは二次的問題であると言われた。

「それに、おまえが魅力的ではないとは私は思わないがね。

 賢い女を好まない風潮があるのは確かにおまえの言う通り、しかしおまえは何より健康体だろう?貴族の女に求められる条件は何かね?」

「はい……嫡男を産む事です」

「おまえから生まれる男子なら、元気な子が生まれそうじゃないか?元気すぎて持て余すかもしれないが」

「あの、お父様、それはどういう意味でしょうか?」

 だ、そうである。

 マタミラン家ではもう次の世継ぎなどは全部決まっていて、政略目的の婚姻先も片付いている。では私はどうして生まれたかというと、要は想定外の妊娠だからだった。もう子供は無理だろうと言われていたお母様がまさかの懐妊で、では本当にこれを最後にと私を産んだらしい。

 兄弟姉妹がみんな歳が離れてしまっているため、自分でいうのも何だけど、私はずいぶんと甘やかされて育ったようである。昔は自覚がなかったのだけど、前世の記憶と照らし合わせると本当に露骨で、これはいけないと心を引き締めたものだ。

 話を戻そう。

 そんなこんなで婚約したわけだけど、お相手の王子様は自分より成績がよく、魔法がうまく、剣も得意な私を非常に嫌がった。さもありなんと私も思ったし、お父様にも「あまりにも殿下が嫌がるようでしたら、婚約の辞退も視野に入れて差し上げてくださいませ」とお願いしておいた。

 逆に「おまえはそれでいいのか?」と言われて意味がわからず、思わず「どういう意味でしょう?」と首をかしげた時は苦笑されたが。

 

 月日は過ぎて行く。

 

 大きくなるにつれ、家や国を巡る情勢の不穏さに気づかされた。

 そして私はナナを巻き込みつつ、本格的な鍛錬を続けていた。貴族子女の嗜みレベルでなく、市井の者として生き抜くための知識と力を。

 まぁ、それでも剣の方は「人並み」以上にはなれそうもなかったけども。残念ながら才能がないらしい。

 周囲には「いざという時、王都と領地の間を自力で移動できるようにするため」と説明したが、さすがに眉をしかめられた。でもその頃には屋敷勤めの下働きの者たちと独自のパイプも構築していて、庭師のルイが狩りに行く時にこっそり同行させてもらって手ほどきを受けたり、この世界の庶民生活や、その中で怪しまれない行動について学ぶ等、様々な部分に応用していった。

 間に合うだろうか?

 実は確信がないのだけど、私の記憶に間違いがないのなら、まもなくアレが始まるはずだった。で、それが始まると婚約者様は、おざなりでも私の相手をしていたのを完全に放り出し、そちらに熱中していく可能性が高かった。

 そちらの歴史を変えようとは思わない。

 だって、そちらに介入するという事は、この国の王権争いに完全に首を突っ込むという事だ。どちらかというと婚約破棄ウエルカムな方が望みなのに、どうしてわざわざ自分から死ににいかなくてはならないのか。

 高貴なる者の義務?

 それを言うなら、不毛な王権争いなんて一秒でも早く終わった方がいいだろう。

 そもそも婚約者様は王太子ではなくて序列も高くない。だから、そのままストレートに私が排除されてしまうのが一番いいのだ。むしろ下手にかき回して王権争いまで波乱が及んだ場合の方が、よほどおそろしい結果になりかねないのだから。

 そして、お父様には日ごろ、昔からきちんと言い続けているのだから……「殿下が望まれないのなら、婚約の辞退も視野にいれて差し上げてくださいませ」と、しっかりと。

 もちろん、お父様にはお父様の思惑がある。一方的に我が家が不利になるような事もできないだろう。

 だけど、いざという時には必ず味方になってくれると信じている。

 

 そして、その日はやってきた。

 

 まさに前世のネット小説ような無実の罪での糾弾。それに、安っぽいドラマ感溢れる婚約破棄宣言。

 ここで徹底的にやりこめるのは簡単だ。

 だけど私は殿下の「婚約破棄の意志」だけをきっちりと確認すると、たまたま(・・・・)同席していたお父様に確認した。

「恐れながら申し上げます、お父様。

 殿下はあのような冤罪を作り出してまで婚約破棄の意志を明確になさっております。色々と言いたいところはございますけれども、ここはまず殿下のお気持ちを汲み、婚約破棄の受理をなさっていただけないでしょうか?」

 意訳すれば「あとは我が家の利になるよう、よろしくお願いしますお父様」という事。

 そしてそれに対するお父様の返答は、

「うむ、問題発言に対する反証なども当然必要だが、まずはそれが重要であろう。ただちに殿下の意思表示を尊重し、婚約解消の手続きをとるとしよう」

「え、え?」

 どうやら、素で意味がわかっておられない殿下。

 あのですね、殿下。

 たとえどんな理由があろうとも、実の娘に対して公の場で冤罪で罵倒されまくったうえに婚約破棄なんて叫ばれて、それで怒らない父親なんているわけがないのですよ。そしてお父様は無能どころか、私の前世みたいなズル一切なしの本物の内政チート様なのですよ。

 せいぜいケツの毛まで毟られなさいな……って、コホン、まぁその、お下品でしたわ、すみません。

 

 

 さすがにネット小説じみた「ざまあ」は無理だった。

 婚約破棄は、正式にはマタミラン家側の辞退という形になった。しかも理由は「殿下が他の女性を妻にと望んだため」と、どストレートすぎるものになった。これは一見すると穏やかにも見えなくもないけれども、王家側が全面謝罪をしたと思って間違いない。少なくとも対外的にはそう受け取られる。

 だけど、こっちにも当然ながら痛みはあった。

 中でも決定的なのが、婚約破棄宣言の一幕の話が国中に広がった事だ。たとえ落ち度がなくとも、こうなったら傷物同様にみなされる。それに、どんな理由があれ、王族からじきじきに婚約破棄を食らった女に縁談話など、という問題もある。

 そこで私は……いかず後家な年代になる前に両親の前に出て、お願いしたのだ。

 そう。

『私を勘当してくださいませんか。無位無冠の冒険者として生きようと思います』と。

 

 

 

 馬車の上。見上げれば、あの日と同じ青空がある。

 最初は慣れなかった粗末な馬車の揺れも、慣れれば快適なものだった。最初は正直どうなる事かと思ったのだけど、数年たって生活のリズムがきちんとできてきてからは、さらに色々と馴染んでいった。

「……ですね」

「え、なに、ごめんなさい」

 思わず空を見ていて、隣にいるナナの話を聞き損ねてしまった。

「わたしの見込み違いでしたと申し上げたのです」

「見込み違い?」

「エレナ様の事です」

 クスクスとナナは笑う。

 今、ナナはもちろん侍女の恰好はしていない。革鎧をまとった堂々たる軽戦士だ。

 家を出た時、ナナはついてきたのだ。

「最初、エレナ様が冒険者になるとおっしゃった時には、時を見てお屋敷に連れ戻すつもりでおりました。お館様にも、いつ連れ戻してもよいと言われておりました」

「つまり……私にはこんな生活は無理だと考えていたのね?」

「はい」

 ナナは元々、事情があって私が拾い上げた子で、マタミラン家に仕えていたわけではない。ナナにしてみれば、侍女の仕事をしながら改めて剣や魔法を学び、力をつけてこの世界に戻ってきたようなものだろう。

 だけど。

 かつて挑戦して人生終わりかけた経験があるからこそ、私には無理だと考えていたようだ。

「ひとつ質問してもかまいませんか、エレナ様」

「なぁに?」

「エレナ様は不思議な知識をたくさんお持ちで、それは記憶もちだからと伺いましたけど……もしかしてそれは異世界の記憶なのでしょうか?」

「……」

 今、この馬車には同乗者はいない。御者の耳には聞こえていないだろう。

 だから私は、口に指をやりつつ、ウンと頷くだけで肯定する。

「そうですか。それで納得がいきました」

「納得?」

「ご結婚に最初から乗り気でなかった事です」

「あー、それはまぁ、そうね」

 国を滅ぼしかけた、かつての王妃が異世界の記憶もちだったのは有名な話だった。

「あー、一応言っておくけど、私は国のために出てきたわけじゃないのよ。これはあくまで個人的な事。お父様への手紙には書いてきたけどね」

「と、いいますと?」

「いやぁ、実はあの女も記憶もちなの。それも異世界の」

「え、そうなのですか?」

「ええ。まぁ、お父様たちがいるから大丈夫とは思うけどね」

 そういうと、私は苦笑いした。

 

「お客様ぁ、聞こえますかい?」

 そんな話をしていると、前から御者の大声が響いてきた。

「なあに?」

「そろそろ昼になりまさあ。この先で一時休憩にいたしますんで」

「あら、そうなの。ええいいわ!」

「へい、では」

 あら、こんな場所で休憩?

 ここは確かに景色はいい。とても眺めもいい場所だ。

 でも、それは逆にいうと……町も何もない、ただの峠道という事でもある。

 となりでピクッとナナが反応した。

「御者が何か合図を送っているようです」

「ええ、わかってる。進行方向に円形に布陣していて、休憩場所はその中心になるようね」

「まぁ」

 どうやら、とんだヒモつきだったらしい。

「いつも思いますけど、そのスキル凄いですよね」

「でも頼りすぎると危険よ。わかってるわね?」

「はい、もちろん」

 剣は人並み。これだけでは護身用くらいにしかならない。

 だからこそ、創意工夫した。

 エリアサーチ。周囲の魔素の揺らぎを使い、敵対者を探し出す一種の全天球レーダー魔法。前世で見た宇宙ものアニメをネタ元に作ったオリジナルで、この世界にある同様の魔法に比べて、魔力消費が非常に少ない。

 そう。常に発動し続けられるくらいに。

 この『エリアサーチ』の開発と『魔法かけっぱなし』行為が、結果として私の魔法の才能を押し上げる結果となった。

 すなわち鍛えに鍛えられた魔力に大きな余裕ができて、様々な創意工夫ができるようになったわけ。

 といっても、実は直接戦闘用の魔法は不得手で、むしろ生活魔法に類するものの方が多いのだけどね。レーダー魔法だって、元は台所や倉庫で使う虫対策用魔法を文字通りの魔改造したものだし。

 だけど、それが役に立つ。

 たとえば、虫くだしの魔法がある。地味な魔法で虫医者と呼ばれる寄生虫専門医くらいしか使わない地味なものだけど、これを改造して即効性をひきあげ、さらに攻撃魔法としてぶつけられるようにもした。

 これ、特に人間をはじめとする人型の相手に劇的だった。

 前世と違い、この世界の人間はそのほとんどが体内に寄生虫を飼っている。その寄生虫が一斉に暴れだしたらどうなるか。

 そう。

 まれに命に関わるようなショックを起こす者もいるが、大抵は激しい下痢を引き起こす。特にフルプレートの武人が食らったら悲劇である。

 え、はしたない?

 あーうん、ええ、すみません、はい。

 

 そんな話をしながらも、私たちは動かない。

 御者に見えないところでゆっくりと装備をはめ、体勢を整えているが。

 

 

 見上げた空は青い。

 危険をはらんだ空気の中、自由な旅は今日も続いていた……。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 エレナ嬢の名前は、彼女のいた国の正史には全く登場しない。該当する事件は、王子のひとりが平民の娘に恋慕して婚約者の貴族令嬢を一方的に婚約破棄したためその親が怒り、王家が謝罪したと記されるだけである。

 しかし、王家というものは国の顔であり、それが正式に謝罪という時点でかなりの非常事態だといえる。ゆえにこの事件は、意図的に小さく書かれたものであろうと思われる。つまり実際には、真正面からマタミラン家の顔を潰すような不名誉な事件だったのだろう。

 この事件に対する記述はあまり多くない。もともと王太子のような上位でなく、あくまで末席に近い王族の話でもあるからだ。

 だが、いくつかの記録は残されている。

 婚約破棄したエレナ嬢はやがて出奔し平民となった。戦闘技能をもつ元侍女とふたりで諸国を旅し、やがていくつかの魔道具と新魔法を開発。自分の子をなす事はなかったが、西方のイルナー国に孤児院を設立、多くの子供たちに囲まれる晩年を過ごしたという。

 一方、王子様を奪ったいわば「勝者」の女性については、実は名前も残っていない。これには理由があり、正式につきあいはじめてから、彼女が「自分は記憶もちであり、しかも異世界の進んだ知識があるので国政に寄与できる」と発言したからだ。

 彼らの国では過去の事情から記憶もち、特に異世界のそれは禁忌となっている。王妃のみならず、たとえ側室であっても存在してはならない事になっているのだが、彼女はおそらくそれを知らなかった。

 そこで王家側と王子の折衝の末、彼女は「いなかったこと」にされた。

 側室扱いで後宮に入れられるが正式の場に呼ばれる事はなく常に末席で、子供も生まれてすぐに取り上げられた。そのような扱いであったから他の離宮いりしている女たちからも非常に軽く見られ、嫌がらせが絶えなかった。寵愛を得ていたがゆえに正室にも疎まれ、特に二人目の妊娠中に『事故』で腹を蹴られて流してしまった事で身体を壊したのだろう。以降は子をなす事なく生涯、離宮の隅で名無しの女として孤独に過ごしたという。

 なお子供の方はというと、定期的に異世界の記憶を持っていないか精査され続けた。もちろんそんな記憶はもたなかったが、後に魔道士としての才覚が目覚めてからも王宮に入れる事に上層部が難色を示し、一介の魔道士として魔道士部隊に送り込まれた。

 その環境で彼はたくましく生き伸び、全属性の天才として名をなした。そればかりか浮き名と共にたくさんの子供を残し、しまいには彼の境遇を面白がった吟遊詩人により、あの有名なラブコメ劇『天才マギウスの日常』が作られ大ヒットとなったばかりか、この手のハーレム群像劇のテンプレにもなったのである。

 

 

 (おわり)


『『次は女に生まれたいです』なんてお祈りしながら床に入って亡くなった』


さすがにそれはやってないよね、という揶揄みたいなもんですね。

わかる人にしかわからないと思う、一種の謎かけですが。

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