捨て勇者
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が見知らぬ別の世界に渡っている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ、その多くは目立たぬようひっそりと生きていく、あるいは歴史の中に埋もれてしまうものだ。
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
その人もまた、異界漂流者であった。
◇ ◇ ◇
「はぁ、また捨て勇者か。何をやってるんだ人間族の連中は」
とある森の中。時間は深夜。
のんびりと静かな散歩を楽しんでいたひとりの男は、倒れている見慣れぬ服の若者を発見した。
ちなみに捨て勇者とは、こういう者のことである。
『捨て勇者』
異世界召喚で呼び寄せたものの、戦闘向きでないと思われる者を廃棄したもの。
多くはその場で殺されるのだが、多数召喚などの時は他の勇者候補への配慮から、その場で殺さず、隔離してから別の場所で始末する事も多い。
が、所持スキルや偶然・幸運などで、ごくまれに逃げて生き延びる者もいる。
どこの世界にも力のない者・不運な者はいるものだし、いちいち助けて回るほど男も悪趣味ではなかった。
当人が助けを求めていたり、生きようともがいていたら別だが。
「……」
むごい話ではあるが、仕方のないこと。
だいいち死体ではもうどうしようもない。
きびすを返そうとした男だったが、音もなくつきそっていた従者がつぶやいた。
「お館様」
「ん?」
「こいつ生きてます」
「……なんだと?」
てっきり死体だと思ったが。
「どういうことだ?わしでも生命を感じないが」
男は死の王と呼ばれる存在だった。
その本質はアンデッドであり、生命のきらめきには敏感に反応する。
だが従者は珍しく食い下がった。
「はい、おっしゃるように肉体は死亡状態ですが、まだ精神がしがみついているようで」
「なんだと?……ずいぶんと珍しい人間ではないか?」
「はい、私もそう思います」
生き汚いといえば生き汚いが、なんともたくましいものだ。
まぁ放置すればそのまま消えるか、あるいはゾンビに成り果てるだろうが。
「……」
だが興味をひかれた。
男は若者のそばに座り、手をかざして情報を読み始めた。
「ほほう、さすが、妙な事になるだけあって、変わった精神構造の持ち主よな」
小さい頃から多くの物語に触れて育ったのはいいが、そのまま妄想に取り憑かれているタイプか。
こんな人もいない場所で今まさに死のうとしているというのに、心残りが強すぎて死を拒んでいるようだ。
「ふふ……子供のように夢見がちのまま大人になったのか。
いくら夢を見ても現実には強いわけでも美しいわけでもない。
愚かといえば愚かの極みだが……しかし、その強すぎる妄想のおかげで今も死なずにいるのだとすれば、それはそれでひとつの能力だろうな」
たしかに面白い……これは従者が興味をひかれるわけだ。
こやつがもし生き延びて、本当に成長したらどうなるか?
ふふふ……もっと面白くなるかもしれぬな。
よろしい、これも何かの縁であろうよ。
「セルゲイ」
「はっ!」
「あまった素体があったな。若い娘のやつを出せ」
「はい、しかしよいのですか?」
「どういうことだ?」
「その者は──」
続けかけた従者の声を、男はさえぎった。
「どうせ蘇らせるのだ、こやつの夢を叶えてやろうではないか」
「夢、ですか?」
「夢見ていた理想の姿に変えてやろうではないか。
代金は──例の試験体を植え付ければよかろう」
「ああ、監視をつけて経過を観察なさるのですね?」
「うむ。この者は生き延びられる、我々は被験体を手に入れる。理想的だろう?」
一方的な搾取は好みではないし、この者も、ただ蘇生しただけでは生き延びられまい。
だから、テコ入れを行う。
従者が持ってきた、美しい少女のような人形を若者の隣に置き、男が何かつぶやく。
みるみる人形に生気がやどり、胸が微かに上下しはじめる。
さらに男は、懐から小さな瓶をとりだした。
その中には不気味なスライム状のものが充満し、ゆっくりとうごめいている。
男は迷わず蓋を開くと、少女の人形だったもの──今や生きている人間と全く変わらないが──の胸のところに落とした。
スライムは、べちゃりと少女の胸にはりつくと、その身体に溶け込みはじめた。
「あがっ!?」
カッと少女の目が開き、身体がビクビクッと痙攣する。
だが、しばらくもがいていたが、やがて力つきたようにクタッとのびてしまう。目も閉じてしまった。
「いかがですか?」
「うむ、どうやら無事に浸透を開始したようだな」
「……完全にスライムに乗っ取られる可能性は?」
「その場合、美しい娘の姿で徘徊し、ひとを食らうスライムの亜種ができるだろうな」
「可能性はあるのですか……とことん鬼畜ですな、お館様」
「わしがこの者の立場なら、何がなんでも生き延びるだろうよ。
スライムと融合したところで本来、生き汚くなるだけで強くはなれぬ。
だがこの試作品が正しく動けば──」
「楽しみでございますね」
「ああ」
◇ ◇ ◇
「──あぐ」
男たちが去ってからしばらくして、少女はゆっくりと目覚めた。
「い……生きてる……え?」
自分の両手を不思議そうに見た。
さらに身体を、なにこれと言わんばかりに首をかしげてみた。
そしてなぜか、ハッと何かに気づいた顔をして、そして無理やり立ち上がった。
見える身体に、触れる髪に、少女は顔色を変えた。
「……え?」
水音が耳に入り、そこまで走ろうとして、足をもつれさせて転倒。
そして、よろよろと起き上がり、今度はゆっくりと歩いていく。
「……誰?」
水面に映る顔に、少女はあっけにとられた顔をした。
「……とりあえず、生きてたのはうれしい、けど」
別人になっているとか、そんなのは後回し。
ここは森の中。
そして彼女は全裸で、何ももってない。
恥ずかしい?そういう問題ではない。
獣などが集まる場所で、身を守る鎧も攻撃する武器も持っていない。
さらに食料もない。
このままでは、死ぬ。
「!」
水面下に魚の姿が見えた。
見えたと思った瞬間、少女の右手がカタチを失い、ビュッとムチのように水面下に叩き込まれた。
……戻ってきた時、少女の手は巨大なナマズのような魚にめりこんでいた。
ナマズは間違いなく少女より大きいはずなのに、必死にもがいているのに逃げられる感じが全くしなかった。
「……おいしそう」
少女は目をうっとりさせると、なぜか腹にそのナマズっぽい魚を近づけた。
次の瞬間、少女の全身がパクンと縦に裂けて中が開いた。
その様子は巨大なラン科の花のようでもあり、また同時に、巨大化した生殖器のようでもある。あきらかに怪物でありおぞましいもののはずだが、同時に、何かおそろしく艶かしく、とてつもなく背徳的で、性的興奮と狂気でひとの頭を狂わせるような、そういう特有のおぞましさに満ちていた。
──めきり。
──ごきり。
──ぼりぼり、ごり。
──むしゃむしゃ。
────ごくん。
しばらくすると、そこにはナマズのつけていた泥に汚れた全裸の少女が、ひとりで立っていた。
なぜか目が爛々と輝いている。
『吸収完了。
習得スキル・水中呼吸、電気ショック、水中活動、聴力拡張、悪食、遊泳。
水かきとヒレがなく手足がある形態での遊泳スキル調整失敗。代用として変身スキル「人鯨」獲得』
「……」
少女は空を見上げた。
すでに空は夕方にかかっている。まもなく薄暗くなり始めるだろう。
周囲を見て、そして、たった今、ナマズをとらえた水の中を見た。
「……服もないし、仕方ない」
服は明日探すとして、全裸で野宿なんてイヤだ。
しかし代わりに、水中で休めそうな気がした。
少女は水に足を踏み込み、そのままズブズブと入っていく。
やがて水の中に完全に入ってしまうと、そのままポチャンと音をたてて潜っていってしまった。
あとにはただ、静かになった水辺の風景だけが残った。
◇ ◇ ◇
人魚族というと上半身が人、下半身がイルカの怪物とされるが、実はとある時代に唐突に現れた種族である。発生要因はナゾに包まれている。
この時代には人間族の国が異世界人の大量召喚を行っており、人魚族の元になった存在も異世界からもたらされた可能性が指摘されている。彼らは何割かは戦闘奴隷として国に使い潰されて死亡し、また、残りは通称『湖の怪物』を討伐に出て以降、行方不明となっている。
なお、人魚族の始祖ではないかと言われている存在『少女セイミ』は、人魚族のカタチはしているが実態は全く別のキメラ的な生命体らしい。生物学的にいうと彼女が人魚族を生み出すなどナンセンスであるが、今も数年ごとに生み出しているという未確認情報もあり、調査が待たれている。
また彼女こそ『湖の怪物』の正体という説もあるが、こちらはいわゆる都市伝説の域を出ていない。




