救い
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今回もまた、そんな人物のひとりを紹介しよう。
その者もまた、異界漂流者であった。
「だからマズイんだってば!」
ザックは必死に大人たちを説得していた。
森に入っていたら、何かの気配を感じた。何事かと原因を調査してその内容に戦慄した。
おびただしいゴブリンの集団。
この世界におけるゴブリンは強い魔物ではない。人間でいえば幼児くらいのサイズで力も強くないわけで、きちんと武器の扱いさえマスターしていれば、子供ですら倒す事ができる存在。
だが、本当にゴブリンが恐ろしいのは単体の強さではない。ネズミのようにガンガン増えるうえ、人間のように集団で行動しようとする事だ。自分たちが個体として弱い事を知っているから、集団で立ち向かおうとするのだ。
当然、ザックはそれを知らせに走った。
だけど。
全然、話を聞いてもらえない。
そもそもゴブリンの集団という点で「そんなものがこの近くにいるわけがない」と相手にせず。
さらにザックが一人で確認してきたというと鼻で笑い「本当にゴブリンの集団がいたなら、おまえが生きて帰ってこられるわけがない」と笑い。
しまいには「仕事の邪魔をするな」と怒られた。
どうして、信じてくれないのか?
「……」
いや、実のところザックはわかっていた。信じてもらえるわけがないと。
確かに、彼らの言葉は一部正しい。
本当に集落規模のゴブリンの集団がいたとして、そこに子供ひとりで調査にいって、生きて帰ってこれたらそれだけで奇跡だろう。まして、村の子供たちの中でも特別に優れているわけでもないザックがそれを言って、誰が信じてくれるというのか?
そして実際、ザックだって普通に調査にいって帰ってきたわけではない。彼には彼なりの、大人たちにいえない秘密があった。
だけど。
「……」
その秘密を告げる事はできない。そうザックは知っていた。
これはザックの身を守る唯一無二の武器であり。
そしてザックは、はやくに両親を亡くした彼を村の最下層として扱ってきた村人を、自分の立場を不利にしてまで明かす気にはなれなかった。
(ダメだこれは)
しばらくがんばっていたザックだったが、結局、最後にはそう結論した。
警告どころか、話すらも聞いてもらえない。
いや、それどころではないだろう。
もし、これでこの後、ザックの警告通りの事になったら?
そしてその後、しつこく警告を繰り返したザックの言葉を大人たちが思い出したら?
(……)
村の大人たちがザックの言葉を信用しないように、ザックもまた村の大人たちを信用していなかった。
警告通りにゴブリンたちが押し寄せてきたら?
大人たちは自分たちの間違いをたぶん、警告してきたザックに押し付ける可能性がある。「方法は知らないが、あいつがゴブリンたちを村に引き寄せたのだ」と。
残念だが、これは邪推ではない。
この村に両親のいない子はザックを含めて二名いるが、いつだって二人はそういう立場だった。村のものが何か問題を起こすとその罪を全部なすりつけられ、虐待されてきた。
だから。
(……もういい、いこう)
ザックが村を捨てる結論をしたのは、無理もない事だったろう。
やるだけの事はした。
この先は知らないし、自分は死にたくないと。
ひとりで逃げると決めたら、もうその後は早かった。
この村にザックの私有物はない。牢獄のような寝場所は確かにあるが、それは村の貸付けという形になっており、場所代はザックが一生、奴隷労働する事で支払う事にされている。
所詮、彼はこの村の一員ではなかったという事だ。
だが逃げるという事態になった今、何もないのは逆に気楽でもあった。
一応、なんの道具もないのも困るので、ナタと背負子を取りに行った。
それは薪集めの道具だった。
親もなく目立つスキルもなかったザックの仕事は薪集めであり、物心ついた時には薪集めをさせられていた。だからそれは仕事道具であり、ザックがそれを持っていても不審に思う者はいない。少なくとも村人には。
「ザック」
「ん?」
いや、ひとりだけいたようだ。
ザックの見た方には、がりがりに痩せこけ、ぼろのような服をまとった小さな女の子がいた。背負子をしょってナタを持ったザックをじっと見ている。
「なに?レニー」
「どこ、いくの?」
「山」
この装備なんだから当たり前だろと言わんばかりにザックは背負子を指差した。
だが。
「レニーも」
「……は?」
連れて行けと言っているらしい。
ちなみにレニーはザックと同じ親なし子の仲間だが、特に仲がいいわけではない。信用しているわけでもない。ザックの感覚的には一般の村人と大差ない。
ただしレニーには、他の村人と唯一違うところがあった。
それは。
「レニー、たべられるのイヤ。ザックといく」
「……」
そう。レニーはこの村でただひとり、ザックの言葉をそのまま信じる子だった。
ちなみにレニーだってザックと立場は変わらないわけで、それは村人を信じてない事も同じだった。女の子という事で村の女の中にはレニーを言葉巧みに家の子にしようという者もいたのだが、レニーは何かそんな女たちに不審なものを感じているようで近寄ろうとせず、そして、いつも汚い装いで暗い顔をしていた。
そんなレニーだが、数えるほどしかない会話の中で、ザックは気づいた事があった。
つまり。
「レニー、おれは山にいくんだぞ?あぞないぞ?」
「でも、むらはまずいんでしょ?ごぶりんがくるんでしょ?」
「……そうだ」
レニーはいつも通り、ザックの言葉を普通に信じてくれていた。
ザックはその事をかみしめると、少し嬉しいような、くすぐったいような顔をした。
「逃げても怖い思いをするかもしれないぞ。
おれはおれのやりかたで行く。むらの人とは違うぞ。このまま皆と一緒に殺された方が幸せかもしれないぞ」
「でも」
「ん?」
「でも、ザックとがいい」
「……そうか」
小さくて、がりがりで汚れていて、吹けば飛ぶような女の子。
だけど。
ここまでまっすぐに、他人に信頼を寄せられた事なんて……過去も今までも、ザックには一度もなかった。
だからザックは、
「……わかった。いこう」
「うん」
たったそれだけの会話を、万感の想いと共にして。
そして。
「いくぞレニー」
「うん」
そして、その小さな手をとったのだった。
いつものように背負子をかつぎ村を出ていくザック。
その後ろにレニーがついていくのに「おや?」と思う村人はいるにはいた。
だが、ザックもレニーも村人にとっては正直価値のない存在だった。
ザックは親もなく、力仕事をするにはまだ小さすぎるので働き手にもならない。村長の命令で薪集めをさせているのは知っているが、ザックのとってくる薪は全て村長宅のものになっているため、彼らはザックの集める薪が立派に大人のそれに近くなっている事も知らないので、年相応に食い扶持を稼いでいるのだな、くらいにしか思わなかった。
レニーに至っては、がりがりで病弱で、同じ年代の女の子のかわいらしさのかけらもない存在にしか見えてなかった。
まぁレニーの場合、もっと大きくなれば女たちが食わせて飾ってみて、よさげなら奴隷商に売り払うだろうし、売れないなら売れないなりに行先を決める……たとえば村同士の取引の時、相手側に取引材料として渡す等……なのだろうけども、今はまだ無理だろう。今のレニーは彼らにとり、ただの穀潰しにしか見えなかった。
そんなふたりが連れ立っているのを見ても、ああ、親のない子同士だし、仲がいいのかなと思っただけだった。
ザックはレニーの手をつないだまま、ずんずんと森の中に入っていく。
レニーは最初ちょっと怯えていたが、ザックがまるで村の中を歩くように落ち着いているので、しまいには安心してついていくようになった。ザックを本当に信頼しているようだった。
やがてふたりは、明らかに人道ではない、獣道のようなところに入り込んだ。
入り込むとき、ザックは言った。
「レニー、もしかしたら魔物が出るかもしれない。だけどおれが何も言わない限りレニーも気にするな、あぶなくないから」
「わかった」
もし第三者が聞いていたら、耳を疑うような内容だった。しかしレニーは信じた。
そうして二人は、人間の領域をどんどん離れていく。迷う事なく、まっすぐに。
やがて。
『よう坊主。やはり村を出てきたか』
『ああ』
獣道を抜けた先には、村人たちの知らない村があった。
そう。
確かにそこは村だった。家があり住人がいて、生活空間ができていた。
ただし。
そこの住人は全て人間でなくゴブリンだったが。
『仲間を連れてきたのか。しかしまだ小さいな』
『俺もガキだからな。悪い、世話になる』
『そりゃあかまわんが……けど、その子は大丈夫か?俺らと話できるか?』
『あー、それは』
わかるわけがない。ザックとそのゴブリンが話せているのは特殊なスキルによるもので、それはザックしか持たないはずだから。
だけど。
『ん?あー、でも大丈夫っぽいな』
『どういうことだ?』
『どういうも何も、そいつ、おまえと同じ素質もちじゃないか。おまえと違って発現してないがな』
『なんだって!?』
ザックは目を剥いた。
『俺と同じって……じゃあ、レニーも「モンスターハート」持ってるってのか?』
『おまえたちがなんて呼ぶかは知らないな。
ただ、そういうヤツは俺たちはわかる。感じるんだよ、こいつは敵ではないとね。おまえのように』
『……そうか』
『ま、ふたりとも村長とこでメシ食わせてもらえ。ガキが空きっ腹は女どもが騒ぐからな』
『うん、ありがとう』
『モンスターハート』
異種族間で意志疎通を可能とする特殊スキル。
ただ、魔物と意志疎通する事ができるというのは、実はこのスキルがもつ側面のひとつにすぎない。
そもそも、なぜモンスターハート持ちは魔物と戦わずにすむのか?容易に意志疎通ができるのか?
もともとモンスターハートもちの人間は、融和を武器として生き残るために生まれてきたと言える。長き年月に及ぶ種族同士の戦いの果て、無益な戦いを中和する存在として生み出された存在なのだ。
よく言えば、武力で他者を制圧するのでなく、融和で共に生き残ろうとする者たち。
悪くいえば人間の敵にまわり、異種族の中心となる触媒のような存在。
それがモンスターハートをもつ人間に共通する特色である。
ずっと前。
ザックにその能力がある事を発見したのは旅の老人だった。
そんな彼がザックに警告してくれた事。
『たとえ何があっても、君は自分の能力を今の人間たちに知られてはならない。それは君を滅ぼし、君の大切な人に災いをまき散らす可能性がある』
それは正しいとザックも同意した。
『ザック。この世にはいろんなスキルがあるのだが、普通の人々が絶対に受け入れてくれない能力ってのがあるのだよ。
ひとつは、これから起きる事や、ひとの考えている事を読み取るスキル。
ひとつは、闇魔法や獣魔法のように、魔物が使うものと言われているスキル。
そして最後が、モンスターハート……魔物と交流するスキルなのだよ』
老人自身もわずかにエルフの血が入っているという事で人間にないスキルをもち、そのために酷い目にあわされたという。
経験者の言葉は重かった。
そしてザックは、その通りに生きる道を選んだ。
「ザック」
「ん?」
「たべよう?」
「おう」
ゴブリン村の食堂に案内されたふたりは、女ゴブリンの作ってくれた食事を前にしていた。
考え事をしていたザックをよそに、既にレニーは食べる気まんまんだった。
出された食事は人間のそれとはだいぶ違っていて……見た目的にはかなりグロいものもあるのだが。
実はザックは、ここのゴブリン食堂で食事するのは二度目だった。しかしエキセントリックな、というか村の感覚からいってもゲテモノばかのりなので、食べるのに苦労したのを覚えている。
なのにレニーはそうでもないらしい。食べられるものだと理解した途端普通に食べている。
なんという順応力だろう。
「……すごいなおまえ」
「ん?なに?」
「いや、なんでもない。おれも食べるよ」
「うん」
村にいる時、おどおどした感じが今のレニーにはなくなっていた。
その理由がわからないザックは首をかしげたが元気なのは悪い事ではない。まぁいいかと食べ始めたのだった。
「……食は全ての基本なんだよ。しっかり食べないと」
「何か言ったか?」
「ん、何でもないよ?」
「?」
ザックにはレニーの言葉が聞こえていたが、何を言っているのか理解できなかった。
(もしかしてこいつ、かなり頭いいやつなんだろうか?弱っちく見せてたのも、身を守るためだったのか?)
自分が普通と少し違うことをザックは理解していたし、変わったスキルがあるのも同じ理由なんだろうなとザックは考えていた。だけど、その理由までは考えた事がなかった。
しかし。
(レニーは……こいつもしかして、何か知ってるのかな?)
この不思議な余裕はそのせいか?
無力な童女のはずのレニーが、実は何かすごいものであるかのようにザックには見えていた。
「ザック」
「ん?」
「おぎょうぎ悪い。食べる時は『いただきます』だよ」
「あ?なんだそりゃ?」
「おぎょうぎ悪い」
「……」
「ザック」
「……い、いただきます」
「うん!」
その晩、とある辺境でひとつの村が滅びた。
村は生存者のひとりもおらず、また近郊の村からも遠かった。そのため全滅しているとわかったのは一か月後、いつも村を訪れている交易商のひとりが今年の商いのために村を訪れた時だった。もちろん全滅しており、誰も残ってはいなかった。
村にいたはずの若い女の死体が残されていない事や周囲の状況から、犯人は最低でも村規模のゴブリンの集団であろうとされた。
知らせを受けた国の騎士団や冒険者たちが捜索に入ったが、それらしき集団は発見されなかった。
ただしゴブリン村と思われし広場の跡が森の奥にあり、追撃者たちは首をかしげた。ゴブリンは村を作ってたら最後、そこに最後までとどまる習性があり、一度作った村を移動するなどありえないと思われていたからだ。
その事件が、後にこの国を滅ぼした事件とどう結びつくかはよくわかっていない。
だが少なくとも。
この時代を境に、魔物使いと呼ばれる人間が魔物の領域に現れるようになり、彼らが混じっている魔物の集団は通常とは比較にならないほど厄介な相手となった。
これに対抗するため、とある迷い人が中心となって冒険者のためのギルドを設置。ならず者の代名詞だった冒険者を社会に欠かせぬ一員として編成していった。
今は昔の物語である。
(おわり)
ところで、どちらが異界漂流者だったのでしょうか?