続・とある異界漂流者の話(正行編)
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
ここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
彼の名は、正行。異界漂流者である。
◇ ◇ ◇
「マサユキさん。ギルドマスターから呼び出しがかかってます」
その呼び出しは唐突にやってきた。
「呼び出し?理由は何かな?」
「ギルドマスターにうかがってください。私にはちょっと」
「そうですか。ではギルド規約に基いて呼び出し拒否します」
「……は?」
あまりにも予想外の答えだったせいだろう。しばらくポカーンとした受付嬢だったが、やがて正行の言葉の意味に気づき、顔色を変えた。
「あの、マサユキさん?ギルドマスターの呼び出しを断るなんて」
「そっちこそギルド規約を確認してほしい。理由なき突然の呼び出しはギルドマスターであってもやってはならない事で、たとえ新米のなりたて冒険者でも呼び出し拒否できるとあるよね?ギルド規約四十七番の四項、理由なき突然の招聘の拒否について」
「え?そんな文面」
「あるの。ほら、確認して確認」
「え?え?……!?」
パラパラと紙の音がしたと思ったら、受付嬢の目が大きく開かれた。
「ね?あるでしょう?」
「は、はい……確かに」
ちなみにその規約は、貴族や国家権力がギルドに圧力をかけてきた場合のセーフティーネットのひとつでもある。ギルドとしては「こういう規約があって強制できないのです」と理論武装して時間を稼ぎつつ、圧力の対象である貴重な人材、つまり冒険者を保護する対応をとるためのもの。
本来、冒険者ギルドはその性格上、特定国家の権力に左右されない。かりに圧力をかけた場合、最悪の場合はギルドがその国から撤退してしまう事もありうる。
もし冒険者ギルドがなくなったら?
この世界には警察や機動隊にあたる治安機構がない。騎士団はどこにでもあるが、彼らは国家対国家、人間対人間に特化していてモンスターの脅威、さらに日常の色々な問題解決は冒険者に頼りっきりのところが多いのである。彼らは冒険者をならず者、食い詰め者と蔑んでいるが、実際には冒険者がいなくなったら最後、騎士団では安全な市民生活を維持できない。何が起こるかなんて言うまでもない。
だが、それでも馬鹿はいるもの。
そして……。
「すみませんマサユキさん、この規約の事はわかりました。ですがすみません、ギルドマスターのところに行っていただけますか?」
「規約読んだよね?理由を提示してくれ受付さん、でなければ応じない」
「非常事態なんです。この通りですから!お願いします!」
ぺこぺこと頭を下げる受付嬢。周りの者も、正行と受付嬢を不審げに見ている。
ただし、今の正行と受付嬢の会話を聞いていた面々は、ギルドマスターの呼び出しとやらに正行が応じない理由にはピンと来ていた。いや、最初は首をかしげたのだが、正行はソロ中心ながら大変用心深く、シーフ業などで助っ人依頼すると大変いい仕事をしてくれる事が知られていたからだ。
マサユキがここまで拒否するからには、たぶん、ろくでもない面倒事に違いない。
そう考えたフロアー内のベテランたちは、聞き耳をたてつつも知らん顔を決め込んだようだ。
で、その正行の反応なのだが。
「俺の故郷に昔いた最高権力者の言葉なんだけどさ。法律っていうのはどんな事があっても絶対に破ってはならないんだって。なぜなら、どんな理由があれど破ってしまったという前例ができたら最後、その法はもう有名無実になってしまうからなんだよね。知ってた?」
「!?」
受付嬢の顔が、明らかに青ざめた。
「その顔はどうやら、知っててやっているようだね。
という事はつまり、みっちゃんたち受付さんもお仲間って事か……。いやぁ、さすがに今回という今回は俺もびっくりだわ」
「あ、あの!」
「いいや、それよりみっちゃん仕事してくんない?俺のギルド口座からお金おろして欲しいんだけど?」
「……それは、その」
「そうか。やっぱりね」
正行はフウ、とためいきをついた。
そして、大きな声で言った。
「いやぁ、参ったなぁ。まさかギルドが俺の預金を貴族に横流しするなんてさ」
「!?」
当たり前だが、その言葉はギルドホールにいた全ての冒険者が聞いていた。まさかという顔をしていた。
「ま、まままマサユキさん!それは!」
「知ってるよ。流した先はローレル子爵だよね?実態は横流しでなく依頼の強制なのもね。子爵が圧力かけてきて、どうしても仕事せざるをえないようにするのが目的だよね?
うん。言っちゃなんだけど、お粗末だね色々と。
だって、時間のかかる依頼を全く請けられないようにしたり、ずいぶんと露骨な工作もしてるし」
「おいおい、証拠もなしにそんな事言われたら困るね。ギルドを脅すつもりなのかい?」
奥の方から、初老のギルドマスターが悠然と歩いてきた。
「そうかい?じゃあ聞くけど、ギルドの規約ではギルドと無関係な特定国家の王侯貴族を、重要人物扱いでギルドマスター区画で接待するのは違法だよね?
なのにさ、今まさに、ギルドマスターの部屋にローレル子爵がいるの、ここから感知できるんだけど?」
「は?感知?」
「ははは、どうやってるかまでは教えてやらないよ。そりゃこっちの商売上の秘密なんでね。
で、答えは?ここのギルド支部が今まさに、この国の貴族と癒着しているわけなんだけど、この事についての申し開きはあるの?」
「……」
ギルドホールはこの時、しーんと静まり返っていた。
実のところ、最近のギルドの評判は下降線だったし、貴族と癒着しているという噂も事実、流れていた。
それに、正行が武闘派ではないにせよベテランであり、数々の危険な依頼を縁の下で支えてきた事も現場の冒険者たちは知っていたし、同時に、思い込みでモノを言うような軽薄な男でない事も知れ渡っていた。
そんな男の暴露発言である。あまりにも説得力がありすぎた。
「すまないが、何を言っているのかわからないよ。
だけど、その暴言は見過ごすわけにはいかないな。今なら穏便に済ませてあげてもいいから、とにかく奥においでよ。でないとギルドマスター命令違反のうえにギルドに対する誹謗中傷のかどで、厳罰に処す事になるよ?もちろん、君の大切な預金だって全額没収だし」
「なるほどねえ……」
ふんふんと正行はギルドマスターの言葉を聞いていたが、
「断る」
そうきっぱりと言ってのけると、さらに続けた。
「今の発言を、ギルドマスター権限の濫用および登録者に対する強迫行為と判断した。俺、マサユキは本日この瞬間より、この事を前提に行動する事をここに宣言する。
なお、一応だが警告しておくよ。
自分たちをこれ以上不利にしたくなければ、せめて預金くらいは元に戻しておく事をおすすめするよ。なんだかんだで世話にもなったからね、忠告したよ。じゃ、以上。ばいばい」
そう言って肩をすくめると、正行はスタスタと歩き去っていく。
「おいマサユキ君、おい!待ち給え!」
だがマサユキは止まらない。なぜか他の冒険者たちに向けて苦笑いするかのようにちょっと微笑むと、そのまま去っていった。
そして、
「……さて、ぼちぼち行くかな」
「んだなー、おまえ今日どうする?」
「そうだな……」
冒険者たちは聞かなかった事にしたのか、それぞれの日常に戻り始めたように見える。
ギルドマスターは受付の前に立つと、小声で受付嬢に話しかけた。
「彼、隠し預金とかないよね?」
「はい。安全のために最低限のお金以外は常に預金されてます」
「最後の預金は?」
「先月末です。それ以降の稼ぎは食事や装備の新調で消えたとおっしゃってました」
「そんじゃ一文無し同然じゃないか。ふむ……泊まってる宿は、カササギ亭だっけ?」
「はい、そう伺ってます」
「よし。すぐに人を差し向けよう。女将に言って宿代全部押収するんだ。荷物もね」
「……そこまでするんですか?」
「ミーネ、彼を甘く見ちゃいけないよ。ああいう用心深い人物なら別に預金を持っていても不思議はない。だから、すぐに押さえないとね」
「わかりました」
ミーネと呼ばれた受付嬢は、少し悲しげな顔で頷いた。
実は彼女、正行にかなり好意的な人物でもあった。ローレル子爵とその配下は確かにおそろしく、支部長の判断も仕方ないと頭ではわかっているものの、あの用心深くも心優しい、冒険者らしからぬ穏やかな男が権力に振り回され、足蹴にされるのは悲しい事だった。できる事なら、止めたかった。
それに……なんとなくだが、彼女は思っていた。
(たぶんマサユキさんの事だから……しっかり逃げ延びそうな気がするのよね)
たぶん、もう彼とは会えない。
男として特別な感情があるわけではなかったが、マサユキと話すのが楽しみだった彼女は、それだけが寂しかった。
一時間後、正行の宿に押しかけた者たちは驚く事になった。
正行はとっくに宿を引き払っていた。仕事で昼から出るというのは冒険者にはよくある事であり、女将も別に不審に思ってもいなかった。そして依頼の中身を話せない事もよくある事であり、本人も慌てた風もなかった。普通に仕事に出かける、いつもの時と同じだったという。
彼らは街中の宿を探しまわったが、どこにも正行の姿はなく、噂もなかった。乗合馬車はちょうど出払っていて、あの直後に正行が乗れるような便もなかった。
しかも同時刻、ギルド支部の方にギルド総本部から通達が来た。
その中身はというと、
「マサユキの預金額を元の額に戻せ?応じない場合……貴支部の背信行為が正式なものとなるだって!?」
ギルドマスターは驚き、通信の魔道具で本部への回線を開いた。
「グランドマスターを。は?緊急指示に従った事が確認されていないので取次できない?ふざけるな!いいからグランド・マスターにつなげ!あ、こら!」
「どうされました?」
「門前払いしやがった。まず指示に従わない限りはつなぐ必要ないと言われております、とかぬかしやがった」
「……ギルドマスター。その通りにしたほうがいいんじゃ」
「馬鹿な事を言うな!」
ふるふるとギルドマスターは首をふった。
「こうなれば別の口を当たる。くそ、受付の分際でふざけるな畜生!」
「……」
受付の分際で、というところで女は眉をしかめた。あたりまえだ、部署が違うとはいえ、彼女もその受付嬢なのだから。
ギルドマスターはそんな女の雰囲気にも気づかず、ドスドスと歩き去っていった。
「……ねえねえ」
「ん?」
「こっちこっち」
受付嬢たちも、何やら独自に動き出したようだ。
既にロビーにも冒険者の姿はなく。
何かが起きようとしていた。
結論からいうと、ギルドマスター氏や問題の子爵は、少し正行を甘く見過ぎていた。
異界漂流者は大抵、いくつかの異能をもつ。正行の異能は地味なものだったが、地球の各種センサーにも匹敵する優れた探知能力があったし、また、一瞬の戦闘力は大したことないが、非常にタフで長時間の不眠不休の移動にも耐える身体と、それを有効利用する頭脳があった。
そうして活動範囲を広げ、いろんなところに伝手を作っていた。
正行は、自分が異世界人であるという事を誰よりも認識していた。つまりこの世界では天涯孤独なわけで、だからこそ交友範囲を広げた。好ましいと思えば多少の損でも気にせず仲良くしたし、時にはそうした人のために骨を折る事もあった。ギルド関係ではプロの認識があるので厳しい正行だったが、そういう場ではお人好しの元来の顔がのぞくもので、正行を好ましいと思う友人知人は、むしろギルドと関係ない部分に多かった。
今回の件が明らかになってきた時点で、正行はそうした友人を頼る選択肢をとった。
実際、ギルド内部で誰が信じられるのか、正行にもわからなかったからだ。
だから外部の人間を頼った。
その者は中央の貴族だったが、若い頃に無茶して冒険者していた時代があり、貴族としては珍しく冒険者に好意的だった。彼は正行の話をきいて非常に胸を痛め、冒険者ギルド総本部に渡りをつけてくれた。そして彼の立会の元、正行、グランドマスターの間で情報がとりまとめられ、そして連絡用の魔道具が渡された。
そして、今回の事態となったのである。
「やれやれだね。お疲れ様、マサユキくん」
「すみませんでした。わざわざ」
「いや、それはこっちのセリフだね。
冒険者ギルドが設立された最大の目的は、今回のようなトラブルから冒険者を守るためだったはず。なのに、支部長自ら愚かな貴族の片棒をかつぎ、当人の意思に反して個人の冒険者を無理やり貴族の私兵にしようとして、さらに脅迫のために経済封鎖までするとは。
本当にすまない。心から謝罪するよ」
「ご丁寧にありがとうございます。俺の方こそ、心からの感謝を」
「いやぁ、いいねえマサユキくん。ところで今後はどこで仕事するんだい?王都でやる気はないかい?」
「王都はちょっと。俺はマーカス地方にいきたいんですけど、グランド・マスターのおすすめってあります?」
「マーカスか!そりゃまた珍しい。うん、いいんじゃないかな?僕もオススメするよ」
「そうなんですか?ちなみに理由を聞いていいです?」
「マーカスは組織的に風通しがいいそうなんだよ。種族混在の地だし、マサユキ君なら気にいるかもしれないね」
「はい、俺もそう思ったんでマーカスにしようかと思ったんですが……他の理由もありますよね?」
「ばれたか。いやぁ、実は僕の実家はマーカスでね?何かの時には役に立てると思うよ?」
「……」
「いやいや。ギルドにいっぱい貢献してくれてるベテランを、こんな馬鹿な事で失うわけにはいかない、そういう意味だからね?
何か問題があったら、いつでも言ってきてくれよ?頼むよ?」
「……了解です」
◇ ◇ ◇
問題の支部はその後、ほとんどの人員が入れ替えとなった。ギルドマスターはクビになった。
それだけではない。ベテランを中心に大量の冒険者が転出してしまい、内部的にも大変な事になった。
なお、正行と仲の良かった受付嬢はその後、正行を追いかけてマーカス支部に移っていった。強く本人が望んだためだが、一説にはグランド・マスター関係が動いたともされるが、事実関係は不明。
ただ、噂によるとその後、正行とその受付嬢が仲良くお茶している場面がよく目撃されだしたようである。