おまじないの勇者
バレタインに、なんつー話を書いているのやら。
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
彼の名は雅章。彼もまた異界漂流者であり。
そして、まったくの無名だがひとつの偉業を遂げた人物でもあった。
◇ ◇ ◇
「マサ、あんたまたいつものやつ?」
「ん?ああそうだよ。言ったろ?趣味なんだ」
自称マサというその『勇者』は、実に変わった男と評判だった。
召喚されてすぐに首輪をはめられて制御されたのに、そのことを嘆くこともなく。魔族を殲滅せよという一方的な命令も「そうか」とろくに抵抗もせずに納得してしまった。
確かに王族に敬意どころか敬語すら使わないし、首輪を呪法で締め付けて仮死状態までうっちゃってもその態度を改める事は一切なかったのだけど、その飄々とした無抵抗な態度は、勇者という名の新しい奴隷をオモチャにしたい者たちを逆に気味悪がらせた。まぁ強さは本物だし討伐にも否定的ではなかったので、しまいには「乗り気なんだからさっさと派遣してしまえばよかろう」と、わずかな精鋭だけをお供に魔族領に向けて出発させたのである。
もちろんその精鋭も、いよいよまずいとなったらマサを捨てて逃げ帰る事になっていた。
魔族の討伐なんて仕事は異世界から召喚した奴隷がやるべき汚れ仕事であり、栄光あるこの世界の人間族がやる事ではない。それに実際、得体の知れない異世界族なんぞを自分らの神聖な城に泊めて人間の食事までさせてやったのだから、死ぬまで人間のために働くのが当たり前だと、王侯貴族はもちろん、国民の多くも考えていた。
まぁ、ごく一部に「異世界人も人間の一種だという話だし、こちらの会話を理解する知恵のある生き物を道具として使うのはいかがなものか」という者もいたが……彼らは異世界共生派というカルトであり、その考え方は一般的ではない。少なくともここ二千年ほどは、異世界人は人と名付けられてはいるけれど、ゴブリンやオーガの類であるというのが、少なくとも全人類の共通認識であるし、亜人種なぞ歩く家畜であるという彼らの認識は覆ることがなかった。
さて。
そんな異世界人マサであるが、ひとつ奇妙な習慣がある事が知られていた。
彼は異世界語の落書きのようなものを毎日必ず宿営地の地面に行い、それに魔力を込めるという事をしていた。
当人いわく、それは安全祈願のようなものだとか。
同行していた魔道士の見立ても『無害』だった。
文字数も非常に少ないし、それに光の文字なのですぐに消えてしまう。たとえ害のあるものだったとしても大したものではなく、良くて安全祈願、悪くても囚われの身のグチを昇華するストレス発散みたいなものだろうと結論づけていた。
ちなみに、内容を警戒して言葉巧みにマサに尋ねた者も複数いたが、幸運を祈る故郷のおまじないとの事だった。回答にもウソは見当たらなかった。
問題としては微かに魔力の痕跡が残される事だが、マサいわく「痕跡はゆっくり作動し続けて三年ほどで消える。幸せは一日では成就しないからね」と冗談ともつかないようなことを笑顔で言う。
王宮から派遣されてきた研究家も、悪意は感じないし一種のおまじないだろうということで、三年待ってそれでも消えない場合に問題視すればよいだろうとの事だった。過去には派手な落書きで悪態をつく反抗的な異世界人もおり、それに比べたらまったく問題ないに等しいとも。
ところで。
マサは足元をきちんと整えてから出陣するタイプのようで、魔族領に入る前に事実上、ほとんど世界の主要国を全部回った。そして行く先でトレーニングをかねて小さな魔物討伐を行い、本による知識でなく、一種一種きちんと見定めて経験にしていった。
それで魔物と戦うための準備を進めて……そしてその行先の全てで、やっぱり地面におまじないを続ける。
いつしか彼は、その小さな儀式をもって『小さなおまじないの勇者』と呼ばれるようになっていった。
一度そういうイメージができると、周囲もそれを当たり前と見るようになる。ああ、またやっているんだなと周囲の者も考えたし、時には場所をあけてくれたり手伝ってくれる者もしばしばいた。そして彼は曇りのない笑顔でお礼を言うと、毎日せっせとおまじないを続けた。
そして三年後、魔族領の某所でマサは戦死した。
不思議な習慣をもつ、心穏やかな異世界人が死んだ……とはいえ死は死であるし、全てはそれで終わるはずだった。次の召喚準備はできていたし、特に問題ともされなかった。
マサの死体から首輪も無事回収できた。首輪は製作可能だが魔物を大量に狩る化物につける枷であり、万が一を考えて高いコストをかけて作られていたから、再利用も簡単だった。
首を切り落として首輪を回収したあと、マサの死体はそのまま捨てられた。壊れた道具を後生大事に持ち帰る変人はいなかったし、魔族領なんて彼らにはゴミ捨て場と同じ。ゴミを捨てるのに躊躇もなかった。
関係者は「今回の勇者は扱いやすかったですねえ」と笑顔で感想を述べあった。
次の召喚は、三年後くらいだろうか?
ああ、久しぶりに家族の顔が見られる。娘は大きくなったかな。
今回の異世界人は男で面白みがないし遊べなかった、次は女はどうだろうか?
彼らは楽しげに話をしつつ帰っていった。
その背後に、さんざ利用してて投げ捨てたマサのボロボロの遺体を放置して。
だが次回の召喚は実現することがなかった。
それ以前に世界が狂い始めたからだった。
魔物、それもアンデッド類の出現率が上がりだしたのに最初に気づいたのは、果たして誰だったか。
この世界ではアンデッドは珍しくなかった。
宗教的な理由により死者は土葬で葬られる習慣があったが、墓場というのはしばしば陰の気を持つもので、年月を経た遺体や骨が動き出すことがあった。見た目がものすごいので怖がる者もいたが、下級聖職者でも簡単に土に返せるものだし、スケルトンなら腰骨を壊して動けなくしたうえ、どこの田舎司祭でも作れる聖水をふりかけ、朝日にさらせば停止していたので、田舎の村などでも余裕で対処できた。
唯一「今年は妙に多いな」とつぶやいた者はいたが。
そしてその、小さなつぶやきは現実になりはじめた。
その村は、少し前に葬式を出したばかりだった。
まだ腐りきっていない妻のゾンビを夫が倒した。遺体とはいえ愛する妻を手にかけてしまった男の悲しげな顔に、周囲も子どもたちも気をつかい、特に何も言わなかった。
妻のゾンビは朝日のあたる場所に固定した。朝になったら教会の司祭を起こし、聖水をかけてもらおうと。
だがその夜のうちに、男の家は全員死亡した。
つまり、妻に噛まれた男はそれを隠したばかりか、なんとわずか数時間後にゾンビ化。愛する妻の元に向かうと、その拘束を解除したのである。もう離れないと。
そして生前のおやすみの習慣にしたがい、寝ている子どもたちを次々と襲っていった。
状況に気づいた次女──おさななじみと結婚して隣家で寝ていた──が事態に気づき、青くなって知らせに走った。ただちに手勢が編成され、その一家は始末された。
明け方に叩き起こされ、聖水片手に現地に駆けつけた初老の司祭は、けげんな顔をした。
そんな馬鹿な。
たとえ妻のゾンビにひっそり噛まれていたとしても、ゾンビ化するためには死亡から時間がたたねばならない。こんな、ごく短い時間で死んだうえ、その場でゾンビ化するなどありえないと。
さらに、彼らを埋葬しようと墓場に向かったら、去年死んだ女と思われる者とともに見覚えのあるゾンビがいた。間違いなく、墓穴の数が多いからと先に墓に向かったはずの男だった。
その日、結局村は再葬儀をあきらめ、ゾンビたちを焼き捨てて浄化の儀式を行った。それはアンデッド化などで土葬できない場合の非常措置であったが、そうすれば二度と蘇らないからだった。
いったいどうしたんだろう。村人たちは首をかしげた。
そんな大人たちに混じってひとりの子供がいたが、彼女はとある場所を非常にこわがっていた。理由を尋ねた大人たちに彼女は言った。
「ゆうしゃのおまじないが、ピカッてなったの。そしたら、むくむくって」
それは以前、村に泊めた『おまじないの勇者』が何かやっていた跡。
まさか。
でも確かに、何か魔力陣のようなものが稼働している。
念のため、初老の司祭は小さな追儺式を行った。
それが効いたのかはわからないが、それ以降、村で死んだ者がいきなりアンデッド化する事はなくなった。
村などはいい。気づいたり対処できる者がいるからだ。
とある小さな商隊が、早朝のとんでもない時間に城塞都市に逃げてきた。番をしていた者が眉をしかめ、盗賊でも出たのかと聞いてみて、彼らの返答に驚いた。
「西の草原にも、ものすごい数のアンデッドが!」
「なんだと!?」
手勢を集めて調査に向かってみると、確かに凄まじい数のアンデッドが。
「しかし、なんでこんな場所にこんなアンデッドが」
そこは昔の戦場跡だった。
だけどそんな場所であろうと、一気にこんな数のアンデッドが発生するなどありえない事だった。
しかし現実には。
しかも。
「うわああっ!!」
「いかん逃げろ!すぐに知らせるんだ!」
集団の中には明らかに昔の戦士ではない、新鮮すぎる死者がたくさん混じっていた。
違う、これは何かが違う。
男たちは逃げながら──背後に仲間の悲鳴を聞きつつも、そう確信した。
アンデッドに傷つけられた者が死ぬと、アンデッド化することがある。
ゾンビのそれは有名だが、だがそれでも、さっき殺された者がすぐにゾンビ化なんてありえない。
いったい何が。
そういえば、と誰かがふと思い出した。
あの平原は以前、あの「おまじない勇者」を寝泊まりさせたのではなかったかと。
戦場跡を見た男は町よりそちらを望み、魔物の出る場所の方がいいと。
まさか。
まさか。
そのまさかであると、誰かが気づいた時にはもう遅かった。
世界はおびただしいアンデッドの「増殖する軍勢」に混乱状態に陥りつつあったのである。
一体のアンデッドなら、どうにでも始末できる。
しかし、それが何万、何十万、いやそれ以上の数だったら?
しかも世界の各地に、突発的に次々と発生したとしたら?
とある場所にある、地下深くの超古代の古城の中。
はるかな昔にそこにたどり着き、自らを怪物に変え、長い時間を使って研究を続ける老婆がそこにいた。
「悪意の仕掛けではない……確かに間違いじゃないねえ、ねえ?」
「わたしに言われても」
「ふうん、そうかね?」
「……」
老婆の横で、助手と思われる娘が眉をしかめた。
娘は美しい姿をしていたが、その目の色は異世界人によく見られる黒褐色だった。老婆が助手にしていることもあり、おそらくは老婆の被造物。長い時をともに往くのだろう。
「……使い魔の報告によると、どうやら、おまえさんを召喚した国は滅びたようだねえ、マーサ?」
「でしょうね。最も多くの陣を描いたのがあの国ですから」
娘は肩をすくめた。
「そんなことより」
「ん?」
「マーサと呼ばないでください。
それと。
もうあの国もないわけですし、隠れる必要ないですよね?わたしを男に戻してくださいませんか?」
「……おまえさん、ひとつ勘違いをしているようだね?」
娘の言葉に、老婆はためいきをついた。
「あたしゃ、死んだおまえさんの魂をとって、その女淫魔の肉体に埋め込んで蘇生させたんだ。戻すもなにも、今のおまえさんは女だよ?」
「な、なんでそんなこと!」
「そんな都合よく新鮮な肉体が余ってるわけないだろうに」
やれやれと老婆はためいきをついた。
「わざとです!絶対わざとですよね!」
「まぁ落ち着くがいい。
そもそも死ねばその者の人生は終わり、それが世の習いじゃし本来は正しいんじゃ。
つまり今のおまえさんの状況は、言うなればオマケ。そこに居るだけで儲けものって状態じゃないか。
異性になった?それがどうしたね?
そもそも魂に性別なんかないんだ。好きにしていいと言っているだろう?」
「……」
「さて、そういえば、おまえさんに会わせたい者がおるんじゃ。メイドじゃが」
「メイド?なんで?」
「おまえさん、助手としては有能じゃが女子力が全くないじゃろ?おまえさんの言うように女としての記憶がないんじゃから当然ではあるがの。
なので、そっちの専門家を二名ほど創ったんじゃよ」
「……そ、そうですか」
◇ ◇ ◇
無限に広がる多次元世界の中には、地球型の人類が淘汰され、亜人種混在の世界となった世界線も存在する。この老婆たちのいる世界、かりにメタアースと呼ぶが、そのメタアースもその傾向があったが、本来、滅亡はずっと未来の可能性にすぎなかった。
その破滅の未来を引き寄せ決定づけたのが、召喚勇者マサが使った「友愛の陣」。
確かにその陣は悪意のものではなかった。だから当時のチェックにも反応しなかった。
ただ唯一、彼らが理解しなかったのは。
マサの投げかけた「友愛」の対象が、この世界の生者ではなかったこと。
そう。
彼は時間をかけ、自分のように虐げられて無念に亡くなった人たちに対して「友愛」を投げかけたのだ。
一緒に戦おうと。
その陣は世界中に大量に彼の手でばらまかれて。
そして彼の死後に充填完了した陣が次々とドミノ倒しのように起動、全世界に、勇者謹製のアンデッド軍団の殺戮の嵐が吹き荒れる事になった。
狙いはただひとつ、身勝手な人間族を殺すこと。
マサの陣によって引き起こされた「大虐殺」は、人類を即座に滅亡させなかった。そして仕掛けたマサもまた、せいぜい国を潰すくらいで滅亡までは想定していなかった。
しかし人類種はこの災厄で、圧倒的マイノリティにまで衰退してしまった。何もかもなくした人類は、やがた単純明快な数の論理によって滅びていったのである。
なお。
マーサと呼ばれるサキュバスが元異世界人の召喚勇者であることは老婆の元を訪れた研究者の手記にある通りだが、証拠は一切ない。ただマーサ嬢の幸せそうな「第二の人生」を見た研究者は「みなに可愛がられて幸せそうでした」と結んでいる。
召喚勇者マサ、あるいはマーサ嬢についての記述は正式にはどこにもない。
だが今も各地で行われているエルフや森の民たちの祭りに登場する「地面に絵を描く青年」の原型はマサであるとされる。なぜなら青年が描いたとされる絵文字は元は異世界語とされているからだ。




