私の彼女が変態的なことばかり言うので逆襲してみた
私の恋人は変態である。
頭おかしいんじゃないかって思わずにいられない発言を毎日のように浴びせてくる。顔を合わせれば呼吸よりも優先する勢いで近寄ってくるし、そもそも一緒に暮らしてるんだから逃げ道なんてない。
正直ウザいな、と思うこともある。だけど、そういった部分も含めて彼女らしいところでもあるし、何よりもそれ込みで好きになってしまったのだから始末が悪い。これが惚れた弱みってやつなんだろうか。
なんてことをグダグダと考えながら歩いていると、いつの間にか我が家の扉が目の前にあった。まるでワープしたみたいだと面食らったのが半分、残りの私は意識の外でポケットから取り出した鍵を差し込んでいる。
さてと。今日はどんな風に出迎えてくれるのかな。期待と興味、そしてほんの少しだけ薄ら寒さを添えた感情を渦巻いたまま、私は部屋の扉を開いた。
「ただいまー」
「おかえり! もう、帰り遅いから寂しかったよぉ。ねえねえ、ぎゅってしよ! ぎゅーって!」
広げられる両腕。暑苦しいテンションを浴びせられ、無造作だった私の心が安らぎを取り戻す。
やっぱり、この空気が一番好き。思わずこぼれてしまった微笑は、あのキラキラした瞳にどう映ってたのだろう。
疲れて帰ってきたというのに、留守番をしていたこの子は平常運転だった。即席で作り上げた冷たい目で深く溜息をついてみせるけど、まったく動じた様子はない。
今日もいつものように、愛しの恋人である千晴が奇妙で謎に満ちた言動を遠慮なしに繰り出してくる。
「髪の毛に顔が埋まっちゃうくらい強くしちゃっていいからね! そのまま芳醇な香りと繊細な髪の海に溺れてアップアップしたいなあ……花蓮ちゃんの髪の毛って、名前の通り可憐だもんね。うふぇへ」
「……はぁ。漢字が違うでしょうに」
またしても溜息が出てしまう。とても人様には見せられない千晴の蕩けた顔はもう慣れっこだ。
いつからこうなってしまったんだろう、と回顧するまでもなく昔から千晴はこうだった。
仲良くなってすぐ本性を表して、それは想いが通じ合っても変わらなかった。告白の瞬間は急に大人しくなって、あの時は今にない可愛さがあったのになあ……と記憶の彼方へそっと思いを馳せてみる。
「花蓮ちゃん、今日も可愛いなあ……いい匂いするし……そんなちょっと冷めたような目で見下ろされると、その……うへ、ふへへ」
そして突きつけられるこの現実。私がいなくて寂しかったとか言ってたのはなんだったのだろうか。どう見ても元気が臨界点突破して結構な無駄を出していると思うんだけど。
このテンションに付き合うと更に疲れそうなので、今のところはスルーさせてもらおう。いつもそうしてるし、それが私たちらしい日常だから。
「お腹すいた。ご飯できてる?」
「もっちろん! すぐにでも食べられるよ! あ、デザートはもちろん……あ、た、し」
「最近甘い物は控えてるからいいや。あとお腹壊しそうだし」
「あん、つーれーなーいー。でもそんなところも素敵だよっ!」
ドヤ顔交じりのウインクを披露して、千晴は夕食の準備をしてくれる。体全部を動かして喋るのは癖と言うよりも、それが普通になっているのだろう。見てるだけでうるさく感じることもあって、どうなんだろうとは思うけど。
ウザさ全力投球な生き方をしているのに、千晴は家事全般を得意分野としている。私たちの部屋にはいつだって埃一つ落ちていないし、料理の腕前も目を見張るものがある。
それに、直球だけど千晴は美人だと思う。さらさらのセミロングはもちろん、顔立ちだって整っているし、恋人というフィルターを抜きにしても魅力的だ。
身長は私の方が高いけど、体の出っ張りとくびれに関しては悔しいけど軍配が向こうに上がる。ああいうのはトランジスタグラマーって言うらしいけど、それがなんだか無駄にカッコよくて羨ましい。
それらに加えて手際もいい。典型的な完璧超人である千晴は同時に色々なことをするのも苦ではないらしく、てきぱきと食事の支度を完成させつつ変態的な言動を飛ばしてくる。
「ねえねえ、花蓮ちゃん。食べさせ合いする時ってさ、同じ箸を使うのと口移し、どっちがいいかな?」
「なんなのそのアホみたいな選択肢」
「だってぇ、食べさせ合いって恋人同士の一大イベントだよ? それに、そうした方が何倍もおいしくなると思わない?」
「別に思わないから普通に食べる」
「やぁん、花蓮ちゃぁん……」
「甘ったれた声出してもダメ。ほら、冷めちゃうから早く食べちゃおう」
「はぁい……」
明らかに気落ちした表情に、なんだか少しだけ罪悪感を抱く。何よ、そんな顔しなくたっていいじゃない。ヘラヘラしてた方が千晴っぽくて可愛いのにさ。
「ほら、隣……来るんでしょ。おいで」
「うんっ!」
千晴が私の横に腰を下ろす。肩が触れ合うほどの近さだから、千晴がどれだけ嬉しそうな顔をしているのかが丸わかりだ。
そうそう。千晴はそうやってキラキラと目を輝かせてくれてないと。コロコロ変わる表情も見てて楽しいから好きなんだけどね。
……こんな簡単に感情を表してくれるなら、もし私から迫ってみたらどんな反応を見せてくれるんだろう。いつものように千晴のペースになっちゃうのか、それとも。
それとも、ってなんだ。
てか、私は何を考えているのやら。そりゃ千晴ともっと仲良くなりたいって気持ちはあるけどさ、何をどうしたらいいのかわからないし。誰かと付き合うなんて初めてだし、手探りなのは仕方ないし、このドキドキを悟られたくないし。
冷たいかな、という自覚はある。でも、千晴みたいになれなんてのは無理な話だ。あれは特別だろうし、真似できる代物じゃないのは私でもわかる。
「花蓮ちゃん、どうしたの? 準備できたよ?」
「あ、ああ、うん。食べよっか」
「いっただっきまーす!」
どうしたらいいんだろうなあ、なんてことを考えつつ、私の口元へ食べ物を運んでくる千晴の箸から身を避け続けていた。
――――
食事中だけでなく、その後も千晴の暴走は止まらなかった。一体どこにそれを可能にするだけの燃料を搭載しているのだろうと疑問に思ってしまう。
「ふむ……」
「何よ、人の手なんかジロジロ見て」
「花蓮ちゃんの手、スベスベで真っ白だなあって」
「……ありがと」
「こんなに綺麗な手なんだから、きっと肌触りも最高なんだろうなあ……頬擦りして勢い余ってぺろぺろしたい……どんな味がするんだろう……あっ、指ちゅぱってのも捨てがたいよねぇ……」
「感謝の言葉を返せ」
とまあ、こんな感じで千晴は恒例の気持ち悪さ全開で精神衛生上よろしくない顔をして私に迫ってくるのだ。
「花蓮ちゃん……」
「何よ、そんな囁き声で」
「さっきチラっと見えたんだけど、花蓮ちゃんのうなじ……とってもセクシーだった」
「……コメントに困ること言うな」
「あっ、耳も柔らかそうでふにふにしたいって思ってるよ!」
「なんのフォローをしてるのよ」
「つんつんってして、パクリと食べちゃいたい! なんだかおいしそうな見た目だし、何より花蓮ちゃんの一部だし。きっといい香りもするよね……爽快で、それでいて深みのある、まるで危険な薬のような中毒性を持っている至高の芳香だよね、うふふっ」
「あんたの目の方がよっぽど危険なんだけど」
「そりゃもちろん、あたしはいつだって全力だから……って! 小刻みな動きで離れていかないでよー!」
この時は本能の部分で危機を感じた。千晴の声は興奮かなんなのか知らないけど上ずっていたし、瞳はギラギラとした輝きに満ちていた。
「んむぅ……」
「何よ、神妙な顔して俯いちゃって。その……少し言いすぎたかなって思わなくも、ないような、だけど……」
「花蓮ちゃんの太腿、撫でたい……」
「は?」
「膝枕されながら、心ゆくまで撫で回したい。それだけじゃなくて頬擦りもしたい。ストッキングやタイツありってのもデニールによって感触が違うから吟味の楽しみがあっていいんだけど、やっぱり生足に直で触れる方があたしはいいなあ」
「おい」
「あ、もちろん顔は花蓮ちゃんの方に向けるのがデフォね。お腹に顔を押し付けてハスハスってのはもう必須だもん。それに、こうやって腕を回してガッチリホールドするのもいいよね。でもそうしたら太腿を撫でられないかあ……どうしよう」
「ホントに、どうしたらいいんだこれ」
「でも、そのまま寝たら、きっといい夢見られるよねぇ……ぐふふ、イケナイ夢になっちゃうかも」
「……はあ」
こんな感じで、千晴はノンストップで走り続けていた。それに付き合わされる私の身にもなってもらいたい。
それが無理なら溜息くらいは見逃してほしいんだけど、千晴の鋭い観察眼から逃げられるはずもない。
「あれっ、花蓮ちゃんなんだかお疲れモード?」
「そりゃウンザリもするでしょうよ」
千晴は架空の尻尾を振る勢いで擦り寄ってくる。その様子も大概だけど、突っぱねられずに相手をしてしまう私も私だと思う。
「てかさ、千晴が飛び抜けておかしいだけでしょ。私が普通なの」
「あたしだって普通だよう。花蓮ちゃんへの愛が大きすぎるだけだもん」
「少しくらいセーブしたら? 今は省エネの時代なんだしちょうどいいでしょ」
「無理ですね! あたしは花蓮ちゃんへの愛に生きて愛に死ぬ決意で日々生きておりますので!」
「その言葉遣い滑ってるよ。寒い」
「寒いの? なら、あたしが温めてあげる! ほらほら、ぎゅーってしよ?」
「まだ諦めてなかったんだ……」
そういえば、今日は適当に相手をしているばかりでハグしてなかったっけ。だからって今ここで千晴の誘いに乗るのはなんだか癪だから放置するけど。
「あっ、もうこんな時間だ。花蓮ちゃん、そろそろお風呂入ろっか」
「そうだね。疲れたし一人でゆっくり湯船に浸かりたい気分」
「もちろん背中、流してあげるね! ご希望とあらば背中だけと言わずに、前も横も上も下も全部洗わせていただきますけども! いや、言われなくても洗いますけども! 花蓮ちゃんの柔肌を堪能しますけども!」
「あのね、耳元で騒がれると想像以上にうるさいってわかってる? あと私が一人でって言ったのをスルーすんな」
「当然スポンジを使うなんて邪道はナシ! この手で直接泡立ててヌルヌルさせてスリスリしてフニフニしてモミモミしちゃうんだから!」
「聞いてないし……自分のを洗ってれば?」
「ぶーぶー。けちー。いーじゃんかー」
そりゃ私だって千晴と入浴したくないわけじゃない。一緒に入りたいのは山々なんだけど、やっぱり照れや恥ずかしさが大きくて踏み出せずにいた。
好きな相手に裸を見せる意味を千晴はわかってこういうことを言ってくるのだろうか。あまり考えずに勢いで喋ってるような節は感じるんだけど、果たして真相はいかに。
「はっ、もしかしてこれが噂の放置プレイってやつなのでは……? やだ、ゾクゾクしちゃうかも……どうしよう」
より一層気持ち悪い顔になった千晴が、頬に手を当てながら体をクネクネさせている。気持ちそっぽを向いているのは流石に何か思うところがあったんだろうか。
まあ、どうでもいいけどね。そんなのこれからすることには一切関係ないし。
それじゃ、ひとつ思い知らせてやりますか。相手への愛が重いのはお前だけじゃないんだぞってことを。
「ひゃっ! か、花蓮ちゃん?」
「何よ、急に変な声出して」
「だ、だって……いきなり抱き付かれたらビックリするじゃん」
「なんで? こうしたかったんでしょ? 何度もおねだりしちゃうくらいに」
「……うん」
特別なことはしていない。ただ、お望み通りぎゅっと抱き締めてみただけだ。
小細工なんて一切せずに、ゆっくりと正面から迫って千晴の背中に腕を回した。逃げようと思えば十分に可能だったはずなのに、千晴は抵抗せず私の抱擁を受け入れてくれた。
「で、どうなの? やりたかったことが叶った感想は」
「んぅ……嬉しい」
さっきまでの威勢はどこへやら。甘えたような声で答え、すっかり借りてきた猫みたいになっている。いや、それ以上に大人しくなっていると言うべきか。なんだか全身が脱力してるみたいだし。
ともかく、これで主導権は私のものだ。今まで好き勝手やられたんだから、今度は私の番じゃないと不公平だ。
どちらが上とか下とかじゃない。私たちはあくまで対等な関係なんだから。恋人が要求してきたことには応じてあげないとね。
「千晴ってさ。いつもそうだけど、さっきも私に変なことばっかり言ってたよね。ほら、ぺろぺろしたいとかなんとか」
「あ、あれは……その」
「いいよ。やりたいなら、やってみればいいじゃない」
「……えっ?」
きょとん、とする千晴の顔色は珍しく、それでいて可愛らしい。こんな顔ができるなら、もっと他に隠している表情があるに違いない。
戸惑いに揺れる瞳を見ているだけで吸い込まれてしまいそう。いつもはバカみたいに陽気なくせして、こんな時は少し怯えた顔をしてみせるなんて。これをずるい以外になんて表現したらいいのやら。
憎らしい。そして、その何百倍も愛おしい。
「ほら、千晴の大好きな私のうなじと耳がそこにあるでしょ?」
強く抱き寄せて、耳元で囁く。千晴の眼前には私の左首筋が捧げられていることだろう。気持ち首を傾けて更なるお膳立てをしてあげる。
「ねえ……好きなようにしていいんだよ?」
「花蓮、ちゃん……」
声が掠れてる。まったく、そんなに動揺するなら最初から変なこと言うなっての。自分の発言に責任くらい持ちなさいよね。
でも、そんな文句は口にしない。千晴の背中に回していた手を後頭部へ滑らせ、臆病な恋人の後押しをするように優しく引き寄せた。
「……いいの?」
確認の言葉には頷きもせず、あてがった手にもこれ以上力を込めずに待つ。
私はここまでやったんだから、あとは千晴が好きにすればいい。踏み出しても、引いたとしても、どちらにしても私が千晴を嫌うなんてことはあり得ないんだから。
「んっ……花蓮、ちゃん……」
密着している私にしか聞こえないであろう小さな声をこぼし、ようやく千晴は私の首筋に顔を埋めてくれた。皮膚を撫でる熱い呼吸がくすぐったくて、体が歓喜に震えてしまう。
次はどんなことをしてくれるんだろう。あのくだらない要求の数々が、今ではどれも危険な輝きと誘惑に変わって私の思考を焼き焦がす。
千晴は首筋に鼻を押し付けるだけで何もしようとしない。溶けてしまいそうな吐息は感じるから、もしかすると芳醇な至高の匂いとやらを堪能しているのかもしれない。
特に変なことをされているわけでもないのに、これは結構な勢いで胸が高まる。変な汗とかかいてないかな、と気になったけど、それはすぐに情欲の熱に溶かされて燃え尽きていた。
私と千晴、どちらも一切の言葉を発さないまま時間は過ぎていく。聞こえるのは電灯がチリチリ鳴る音と、沈静という概念を失った互いの呼吸、そして触れ合った胸から伝わる鼓動の響きだけ。
どれくらいの時が経過したのか正確なところはわからないけど、不意にじれったいほどの緩慢な動きで千晴が首を動かした。今や一つの感覚器官と化した頸部に感じる吐息で、その軌跡が目で見るようにわかってしまう。
だから、唇が耳に触れてもそれほど驚きはしなかった。しかし甘い興奮は想像以上に壮絶で、まったく予想していなかったとしたら変な声が出ていたかもしれない。
多少は体が強張ってしまったが、千晴は気付いた様子もなく私の耳朶に口付けを続けている。その部分から生じた疼きは私の皮膚を容易に染め上げ、鮮やかな朱色の左耳を完成させる。
波及した余波が頬を貫通して右耳まで達し、その結果が火照りとなって私の自我を揺らした。なぜだか不安らしき感情が膨らみ、これ以上くっつきようがないのに千晴の体を強く抱き締める。こんなに近くにいるのに、離れてしまいそうな錯覚に惑わされるなんて変だ。
私の抱擁をどう受け止めたのかは知らないが、それを合図にしたかのように千晴が次の行動へ移った。わかっていたとはいえ、身構えて閉じてしまう瞼を制御することはできなかった。
そっと開かれた唇から漏れる吐息は、麻酔のように私の鼓膜へ浸透して微弱な電流を走らせる。増幅された疼きが具現化しそうになった頃、それらすべての感情を奪うように千晴の唇が耳朶を挟み込んだ。
瞬間、閉じられていた私の瞼が勢いよく開かれた。
だから何ができるってわけでもなく、行き場を失った幸福の奔流を噛み締めるように、ただ私は緩みつつある唇をモゴモゴとうねらせていた。どうせ千晴には見えていないんだし気にすることはない。
私に食らい付いた千晴の唇は、ためらいがちに細かな動きを見せている。軽く吸うような動作を何度か繰り返し、そのたびに荒い吐息を私の耳へ直接流し込んでくる。一体あとどれくらい私はこのもどかしさに耐えなければならないのだろう。
探るように震える唇が、徐々に上方へ進んでいくのを感じる。時折ほんの少しだけ掠めるように触れてくる弾力は、きっと千晴の舌先だ。その証拠に、通過した跡がいつまで経ってもジリジリと熱を持って疼いている。
どうにも落ち着かない私の視線は縦横無尽に泳いでいたが、それがふとある一点で停止した。斜め下に見える、千晴の首から肩にかけてのラインに目を奪われたのだ。まるで飲酒でもした後のように鮮烈な朱が散りばめられている。
私の左手は千晴の頭に置かれているので使えないが、右手は自由だ。それに気付いてから間を置かず、目が眩むような色をした誘惑が舞い降りる。
千晴がしたように、私もそこに触れてみたらどうなるのか。唇を寄せたら体を震わせてくれるだろうか。制御を失った妄想はどこまでも加速する。
自分では止められない思考が不意に中断されたのは、千晴が耳から唇を離したからだった。艶のある湿り気をたっぷり含んだ吐息が耳元に浴びせられる状況は変わらないが、敏感極まりない耳への直接的な刺激が途切れた影響は大きい。
少なくとも思考の流れを切り替えるには十分だった。望みを叶えて肩で息をする恋人の頭をそっと撫で、労いと感謝を言外に伝える。
耳を舐められても、まったく嫌悪感など抱かなかった。むしろプラスの感情が際限なく溢れて変な意味で困るくらいだ。
これなら他の希望も叶えてあげたって問題ない。それに、私だってこんな中途半端で終わってほしくない。
どこを見ているのかわからない目を細めている千晴から少しだけ体を離し、すぐ近くにあるベッドに腰掛ける。同時にスカートを瀬戸際まで捲り上げ、太腿をできるだけ露出させた。
今の私には恥じらいを抑え付けてでも、そうさせるだけの想いがあった。肌を重ね合わせる喜びを知ってしまった業は深い。
「千晴……膝枕、されたいって言ったよね?」
ポンポン、と自身の太腿を叩く。それは千晴への合図という意味だけではなく、私に対する鼓舞も兼ねていた。今からここに最愛の人が頭を乗せてくれるから、その心構えをしておくように。その決意を固めるための最終工程だ。
千晴は俯いたまま、私に手を引かれて近付いてくる。何度かチラリと見上げてくるのだが、視線が合うとすぐ目を伏せてしまう。そんなに恥ずかしがってたら、私が照れるわけにはいかなくなるじゃないか。ズルイよなあ、ホントに。
でも、そんなことを考えていると心に余裕が生まれてきた。普段の様子からは想像もできない千晴の姿を、慈愛の微笑みで見守ることだってできるくらいに。
そっと体を横たえた千晴が、やっと太腿に頭を乗せてくれる。繋いだ私の右手を強く握り締めながら、ちゃんと私の方に顔を向けてくれた。この期に及んでまだ俯いているのは少し往生際が悪いけど、あまり色々と求めても良くないだろう。
ひとまずよくできました、と言わんばかりに頭を撫でる。指に絡む髪の毛は天使の羽かと錯覚するほどに滑らかで、このまま永遠に触れていたくなるほどの拘束力を持っていた。もっと撫でろ、という無言の要求に私はいつまでも従っていく。
そうして左手を捧げたのなら、もう片方も同じようにするのが道理だろう。それが千晴の願いにも繋がっているのだから。
繋がれた右手を、千晴の手ごと彼女の口元へ持っていく。絡まった指を少しだけほどき、さっきまで私の耳を弄んでいた唇をつついてみた。そのあまりにも壮大な弾力と瑞々しさに、これからの行為を想像して視界が揺れる。
そして、私はゆっくりと言葉を紡ぎ出す。眼下に見える千晴の耳へ、直接滴り落とすように。
「私の手とか指、舐めたいんだよね?」
それ以上は必要なかった。言葉はもちろん、背中を押すような真似さえも。
触れた指先はすぐに捕らえられ、控えめな水音と共に唇と舌の洗礼を受けた。最初から舌を使ってくるなんて、少しは成長したみたいだね。それとも本当はもっと前から乗り気だったのかな。
恐る恐るといった様子で触れていた舌は、徐々にその勢力を増して大胆な動きを見せるようになった。狙われたのは人差し指。まるで指紋を削り取ろうとしているかのように、何度も指の腹を舐め上げている。
柔らかさの奥に潜むザラザラとした味蕾の感触が心地良い。指先は神経が集まっているというのは本当のようだ。そうでなければ、こんなに脳天を貫くほどの甘く危険な快楽を得ることはできないはずだ。
ただ舐めるだけでは足りなくなったのか、千晴は私の指を口内へと導いた。それも一本ではなく、人差し指と中指の二本をだ。驚きのあまり手を引きそうになるが、ガッチリと重ねられた千晴の手から逃れる術など存在しない。私はこのまま千晴が満足するまで待ち続けなければならないのだ。
千晴の口内は今まで経験したことのない熱気に満ちていた。遠慮なしに這い回る舌がその元凶であることは疑いようもない。千晴の領域に引き込まれたおかげで、舌は常に指へ密着した状態となっている。性的な部分に触れているわけでもないのに、私の中で激しく渦巻くこの背徳感は一体なんなのだろう。
確保した獲物をじっくりと味わう舌へ向けて、私からも行動を起こしてみる。
大それたことじゃない。ほんのちょっと押してみるだけだ。際限ない滑りのせいで、表面を撫でる結果になってしまったのは不可抗力。
それが功を奏した。私さえも予想していなかった動きに千晴が耐えられるはずもない。
喉の奥で切ない声を破裂させ、全身を面白いほど震わせたのだ。私の指を含んでなかったら可愛い声がしっかり聞こえたかもしれないけど、それは後の楽しみにしておこう。
これらの動作をしている間も、私の左手は千晴の頭を撫で続けていた。そこは私の支配から外れたように、規則的な動きを絶やさない。右手の指先に全神経を集中させていても変わらずにいるから、きっと千晴の髪が操り糸の役割をしているに違いない。
再度、千晴の舌が動く。甘美な悦楽を覚えてしまった私の指も止まらない。指と舌、二つの神経集合器官が絡み合い、唇の隙間から吐息交じりの水音が散らばっていく。
指先に千晴の存在を強く感じる。耳を舐められた時は敏感過ぎて意識が飛ばないよう耐えるのに必死だったが、今はまた違った恍惚に浸ることができる。
人差し指に舌が絡まれば、取り残された中指を舌の裏側へ潜り込ませる。特に刺激するまでもなく、ただ触れるだけで唾液が滲み出てくるのを感じる。軽く撫でてみると千晴の呼吸が余裕を失って乱れるからやめられない。なぜか私の口内にも唾液が溢れ、いくら飲み込んでも止まらない。
横目で時計を確認すると、まだ午後九時半を過ぎたところだった。いつからこんなことをしているかは覚えてないけど、夜がまだ長いことは確かだ。明日のことなんかどうでもいい。最後まで突き抜けるなら、それもまた一興ってやつだ。
千晴は一心不乱に私の指を舐めているし、私だってこの甘く痺れる温もりから離れたくない。下腹部に最も近い場所に千晴の頭があることを今更ながら意識してしまい、鼠蹊部がピリピリと微弱電流を浴びせられたように震える。
「ねえ……私の指、おいしい?」
自分でも何を言っているのかよくわからない。ただ勝手に言葉が出て、偶然にもそれが私の今一番教えてほしいことだったというだけだ。
千晴は舌の動きを止め、焦点の揺らぐ瞳を私に向ける。今まで見たこともないような、千晴の扇情的な表情。そんな愛おしい存在に見つめられ、決壊した感情のやり場がわからなくて指を動かす。自分でも名付けられない正体不明の衝動を千晴に知ってもらいたくて、潤いの源泉を何度も擦った。
すると、千晴が素早く何度も頷いた。一瞬だけ驚愕したような表情を見せたものの、すぐに目を閉じて無防備な顔を晒している。
私の行動を返答の催促だとでも思ったのだろうか。それとも、こうされるのがお気に入りになってしまったのか。私と同じように。
「あーあ……こんなに舐められちゃったら、指ベトベトになっちゃってるよねえ」
またしても私の口から勝手に言葉が飛び出していく。私の意志なんかどこを探しても見当たらない。膝枕をして指を舐められているなんていうある種異常な現状も、どこか別の世界で行われている幻想のようだ。
今の私は、それらを観察する第三者でしかない。既に何をどうこうできる段階は遥か後方に置いてきてしまったのだ。
「お風呂入って、体洗わないと」
次第に、私が何を言おうとしているのかがわかってきた。千晴の要求には続きがあったじゃないか。もう一つ、最後の舞台へと向かう戯言が。
「私の体……洗ってくれるよね? 背中だけじゃなく、前も上も下も全身を」
再度、千晴の舌が止まる。そっと瞼を開き、許しを請うような視線で見つめられた。自分で言い出したくせに、何を怯えているのやら。ちゃんと発言の責任を取ってもらわないと。
「隅々まで洗ってね。その手で、じっくりと。千晴の好きなようにしていいんだから」
二本の指で舌を挟み、千晴を頷かせる。素直に従う姿はこの世で他に勝る存在がないほどに美しい。
千晴が私の肌に直接触れてくれる。想像するだけで理性がどうにかなってしまいそうなのに、それがもうすぐ現実になるなんて。とても信じられないし、やっぱりこれは夢か幻なのかもしれない。
でも、だからなんだと言うのだろう。
私と千晴が結ばれる。そこだけを見れば何も問題ないじゃないか。千晴が突拍子もないことを言い出す。私はそれを受け入れる。考えてみれば単純極まりない。
つまり、形は違えど私たちは揃って変態だったわけだ。指を舐められて悦に入るなんて、千晴よりも危ない領域にいるのかもしれない。
自然と唇が緩む。それは目の前で本能のままに指を舐める千晴に向けた微笑か、それとも自分に対する苦笑なのか。
その答えは誰にもわからない。
確かなのは、私たちがこれから最果てまで堕ちていく未来図だけだ。