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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜の子シリーズ

誰も邪魔してはならぬ 前編

作者: そら

 今でも思い出すとぞっとする。


 人には必ず黒歴史があるというけれど、私の黒歴史はあれにつきると思う。


 もし恥ずかしさで穴を掘れるのならばどこまでも掘り続けられる勢いの黒歴史だ。


 あの頃の私はただの愚かで何も知らない甘えた子供だった。





 当時の我が家は酒の卸問屋を代々営んでおり、良くもなければ悪くもない商売をこつこつと祖父母と両親と三人の従業員で切り盛りしていた。


 食事の席では弟と妹がわいわいとしゃべりまくり、それを他の家族がもう少し静かに食べなさいとたしなめたりする、どこでもあるごく普通の家だった。


 私は思った事をすぐ口にできる性格でなく、私が何か話すより先に弟や妹が我先にと話すものだから、何せ自営業の我が家では、大人達は仕事で忙しく家族でゆっくり顔を合わせて団欒できるのは夕食時ぐらいしかないものだから、弟妹達は構ってほしくて毎回大変な騒ぎになっていた。


 大人達はお姉ちゃんの美恵子を見習って少しは静かにできないのかと笑って弟妹達に言うので、私は余計に静かにしあまり話しかけないように我慢していた。


 そう言ってもらえるのがとても誇らしく認められているようで嬉しかったから。





 そんな当たり前の日常が崩れたのは私が中学校に上がってすぐのことだった。


 ある日母が月末の仕事に追われ残業している父に、近所の方から貰ったおすそ分けを食べきれないしちょうどいいから持っていってあげようと事務所にいった。


 その母がそこで見たのは事務所のソファーで横になっている父、そして覆いかぶさるように父の上に女の人がのりあげ抱き合っている姿だった。


 その差し入れを二人に投げつけすぐ家にもどった母はひどく動揺していて、怒り、やがて泣きだした。


 私達には何で母が泣いてるのかわからなかったけれど、すぐに後を追うように帰ってきた父の言葉で理解した。


 当時の私にはあまり意味はわからなかったけど・・・。


 その父は母よりも顔色が悪く一生懸命母に何かを必死に言っていたけれど、母が更に泣きだすので、しまいには父も怒り出した。


「俺にもわけわかんねぇんだよ。事務の中原さんがちょうどこっちに来る用事があって、よかったら食べてくれって差し入れをくれて。そんで中原さんが温かい内にってコーヒー入れてくれて・・・。ありがたく差し入れの肉まん食って・・・。そんでそんでそれから眠くなって覚えてね~んだ。なんかあれっ?て目が覚めたらなんか中原さんがわけのわかんないこと言いながらしがみついているし、体も頭も重くって何なんだってワタワタしてたら、そこにお前の大声がして、何がなんだか・・・。どうなってんだよ、何なんだよいったい!わけわかんなくて泣きてぇのはこっちの方だよ!」


 そう言って父は頭をかきむしって床を見ながら怒鳴っていた。




 その後のことは私は知らない。


 子供の私達は祖母に寝ろと追いたてられるようにそこから追い出されたから。





 それからは夕食時どころか食卓に両親がそろう事はなくなった。


 どちらかがいればどちらかがいない、それが当たり前になっていった。


 弟妹達は祖母や両親に泣いてみたり、だだをこねたりいろいろやったけど、両親が顔を合わせるのはそれから2度となく、父はいつも仕事だと事務所にこもるようになり、なぜかあの事務の中原さんも堂々と一緒にいるようになった。


 母とたまに顔を合わせるとその事で二人は喧嘩になるけれど、父の「どうせお前は俺を信じやしねぇじゃねぇか!その通りにしてやったんだ。おめえに文句を言われる必要はねえよ!」


 その父の言葉に母は「私のせいにするなんて信じらんない!盗人たけだけしいってあんたのことだ!私は悪くないんだから、絶対別れないからね!出ていってなんてやらないから!」と、また大騒ぎになる。


 やがて母は外に働きに出るようになり、家事を一切しなくなった。


 私たちとも口をきかなくなった母はどんどん家にいる時間が減って寝る時間も削って仕事をかけもちしていた。


 その母が突然事務所で苜をつって死んだのは最初の騒動から八ヶ月くらいたった秋を迎える頃だった。


 父はあれだけ喧嘩していたのに葬式では男泣きに泣き「畜生、畜生、なんで、なんで、お前が死ななきゃいけねえんだ。悪いのは俺なのになんでだ、なんで死んじまうんだよ、どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ、俺をおいていくな、お前がいなくなるなんてダメだろ」とずっと大泣きして頭をかかえていた。


 けれどそんな父の姿に母が外に仕事に出る経緯を知っていた町の人たちは「あんな気立ての良い嫁さんがいて・・・」と、父に冷ややかな目を向け、自殺した母にはそれはそれはひどく同情的だった。


 母の死後、我が家は酒の注文もめっきり減り家の中は更におかしくなった。




 私は何も知らない、気がつかないふりで家事の手伝いや弟や妹の世話を自分なりに一生懸命していた。


 そうすればまるで昔に戻れるんじゃないかと、学校でも近所でもひそひそといまだ噂される両親の事を忘れるように。




 そんなある日の朝、食器の片づけを祖母とやっていたら、祖母が皿を床に落として割ってしまった。


 私が大丈夫?と祖母に声をかけ皿のかけらを拾おうとしたら、祖母はただぼっと立ったままで何かぶつぶつと言っていた。 


 私はどうしたんだろう?とは思ったけど登校時間もあるので慌ただしい気持ちで気にもせず、皿の割れたかけらを拾っていたが私の手の平をとつぜんの痛みがはしった。


 驚くことに祖母の細い足が私の手のひらを踏みつけていた。


 手の平を襲う痛みに私が何がおきたのかと恐る恐る祖母を見上げると、祖母は私をひどく歪んだ顔で睨み付けていて、私は手の痛みより、祖母のその表情に驚いた。


「お前って奴は、何て子なんだろう。良太や加奈子みたいに親を心配するでない。いつも!いつもそうだ!ご飯の時だって子供の癖に黙りこくって何を考えてるんだかわかりゃあしないし、あぁやだやだ!本当にやだ!私が何をしたっていうんだよ、えっ、言ってみな!何でこの私があんな目でまわりから見られなきゃいけないんだ、真面目に生きてきたんだよ、お天道様にだって胸をはれるくらいだ。それをそれを・・・」


 そう言って更に私の手の平を足で踏みつけながら私の髪をその細い手でこれでもかと引っ張りつかみあげ痛みに顔をゆがめる私を見て・・・笑った。


 手の平から伝わり少しずつ広がる血を眺めながら、その突然の暴挙に呆然とする私は髪を引っ張られて髪の毛がブチブチと切れる耳に伝わるその音に現実に戻った。


 その時の私は泣くことも声を出す事もできず、大好きな祖母のその行為にどうしていいのか途方にくれていた。


 弟妹たちのそれを見て泣く声がどこか遠くで感じられた。




 それからの祖母は私にだけ罵詈雑言を叫ぶようになり、逆らわない、逆らい方を知らない私にその細い体でどこにあるのかという力でもって突然暴力をふるうようになった。


 初めは止めようとしてくれた祖父もその怒りを代わりに自分に向けられる事が二度ほどあると、やがてそっとその場からいなくなるようになった。


 見なければ何もおきてないのだと言うように。


 弟達はそんな時に居合わせると祖父に連れられて同じように出て行く、下をじっと見つめながら。


 父もまた関心があるのは自分一人のみというように、子供達の誰にも目を向ける事もなく、祖母が怒鳴り声を上げ私を叩くその時でさえ、チラッと見ただけで本当に売るほどある酒を家で浴びるほど飲み続けるか、電話一つならぬ閑古鳥の鳴く事務所に同じように酒を持ち込みこもっているかだった。




 沈む船には誰も近づかなくなっていた。


 あの中原さんでさえ。


 食事も学校給食以外満足にとれなくなっていた私は心労も重なって徐々に痩せていったが、そこここに見えるあざにさえ教師も周囲の大人も同級生も誰一人どうしたのかと声をかけて聞いてくる事はなかった。


 暮らしぶりのきつい家というのはなるほど他の人間からはこうして見えなくなるのかと私は思った。





 `深夜ギシギシときしむ階段の音は機嫌の悪い祖母が眠る私を制裁にくる音だ。


 私はどんなに疲れて寝ていてもその音が耳に入るとすぐに飛び起きて裸足のまま2階の窓からそっと抜け出すことを覚えた。


 ここで逃げても逃げなくてもどうせ家に帰れば同じでやられる事は知っていても、やはり恐いものは怖くてどうしても逃げ出してしまう。


 その頃の私はきっと感覚が麻痺していて、この家から本当に逃げる事など思いもしなかった。


 良くテレビではSOSを発信しろみたいな事を言っているけれど、日常的に心でも体でも虐げられ続けると、それらは膜一つ隔てているような遠い世界に生きてるようで現実味がなく、できる事といえばただただじっと体を丸めるように心も丸めて感情を上手に死なせていくことしかできない。





 その悪夢のような毎日が終わったのは、いつものように窓からにげ出した私を祖母が珍しく追いかけてきて、まさか都会でもないこんな小さな町で、夜の七時にでもなれば家々も雨戸をしめ活動を停止するようなこんな町で、深夜に道をかけているものなどいるとは思わぬスピード違反の車に祖母がひかれたからだった。


 私はその大きな凄い音に後ろを振り返り携帯のわずかな灯りで電話する運転手がぼんやりシルエットで浮かぶのを遠目に見て、同じくそのそばにぐにゃりと横たわる見覚えのあるその頭を見た。


 その場をそっとそのまま離れ家に戻りながら、これからはゆっくり眠れる、私はただそう思った。






 祖母の保険金や賠償金やらが入った我が家では、居づらい町を出てすぐさま都会に引っ越しした。


 そこで私は普通の生活のありがたみを満喫し、少しずつ自分の心を解凍していった。


 何事もなかったようにふるまう祖父も父も弟も妹ももはや私の中で他人同様だった。


 弟妹達は母方のおば一家が女手がなくなったのだからと心配してくれて、どうせ近くにいるのならと同じ区内に引っ越ししてくれたのでそこにお互い行ったり来たりしていた。


 私は高校に通いながら、しっかりと現実を見据えて必死に勉強しバイトでせっせとお金をためていた。


 初めてのバイトはカットモデルで、それも通りすがりに店の前に貼ってあるのを見つけたもので、髪をずっと切る事を忘れていた私は髪をただで切ってもらえてラッキーだとしか思わずその店に躊躇なく入っていった。


 それが私の恩人ミユキさんとの出会いだった。


 その店の経営者兼技術者のミユキさんは、こんなふてぶてしい私を初めからなぜか気に入ってくれて、


「あんたって久々に見た見事なドラネコねぇ。今時こんな正統なドラ猫も珍しいわぁ。あんたは私が飼ってあげるわね」


 そう言って笑って言うのを、タダならい~やと聞き流し、ついでにバイト代も入るならと余計いいじゃんと、私は素直に猫が希望ならと「にゃあ」と鳴いてみせた。 


 やがて学校帰リはほとんどその店ですごすようになり、ミユキさんに髪や顔やら体やらをマッサージやらで弄りたおされたり、休みと言えばいろいろな所に連れ出され私はそれで場馴れというものを教えられた。


 しまいには必要な事だとピラティスはじめバレエに日本舞踊、ありとあらゆる私には理解できない習い事をバイトの一貫として時給なんぼで放り出され、気がつけば中学の時の私とは見た目だけなら月とスッボンな私がいた。



「付け焼き刃と思えば付け焼き刃で、きちんと見せられればそれはそれで全然ちがうものになるのよ。この私が命の次に大切なおゼニを出しているんだからね!あんたわかってんでしょうね、あんたは貪欲にドラネコらしく、全て食らいつきなさい、ボヤボヤしてんじゃないわよ。わかってんでしょ~ねぇ!」


 たまにそう言って私の髪をぐちゃぐちゃにかきまぜながら、目をほそめて私を見ていた彼女は私が高3の春の終わりに呆気なくガンで亡くなった。


 いつもいつも春はこうして私から大事なものを奪う、春なんて大嫌いだ。


 ミユキさん、本名高橋行雄さん享年63才は、この世の女より女らしい優しい人だった。


 店の入ってる小さなビルと貸金庫に入っていた沢山の貴金属と、深い愛情を私に残していなくなった。


 私は本当に甘やかされて、愛されて、それを突然無くして愚かにも放心していたんだと思う。


 私の心も体も、一人ただ行くあてを無くしてさまよっていて、気がつけばあれほど気をつけて教室でも孤立しないように上手に立ち回っていたのに、クラスメートたちを本来の私のきつさで寄せ付けなくなっていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] リアルに怖くて続きが気になります。 それにとても読みやすかったです。
2014/10/13 21:00 退会済み
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