月夜の人狼
<ワン! ワフワフ!>
じゃれついて飛びかかると、そのオオカミも同じように僕に飛びつき、時々軽く噛みついてくる。
(誰だお前は! この山の者じゃないな!?)
(僕はヤウル! 君と同じオオカミなんだ!)
(お前、人間臭いな……こんなに匂いが染み付くほど人間の近くにいたやつが、我らと同じわけがあるか!)
(本当だよ! だってシュピが言ったんだ……それに、シュピは悪いやつじゃない! とっても優しい人間なんだよ)
(バカなやつ……まぁいい。どうするかはボスが決めることだ)
(ボス?)
(そうだ。ここを訪れた者は、必ずボスに会わなければならない……付いてこい)
斑のオオカミはそう言って、岩穴に入るよう誘う。
噛みつかれた足の傷を舐めながら、僕はソワソワと斑の後を追った。
岩穴の中は見た目より広く、僕が歩みを進める度、潜んでいたオオカミ達の冷たい視線が刺さる。
彼らの事はわからないけど、歓迎されていない事だけは確かだった。
(ボス……怪しい者が)
斑は静かな口調で言うと、体を低くしてボスに頭を下げる。
暗闇の中目を凝らすと、闇に溶け込むように真っ黒なオオカミが座っていた。
(お前……何者だ)
腹の底に響くみたいな低い唸り声。
その圧倒的な威圧感に、体は固まり声すら出なくなった。
(ふん、怯んで言葉も出んか……言葉を変えよう、何をしにここへ来たのだ)
ボスは起き上がり僕に歩み寄り、変わらず冷静な言葉をかける。
(……ぼ、僕は、ずっとシュピと一緒に暮らしてて……同じ、オオカミの仲間を知らないんだ。だからシュピは、同じオオカミの居場所を探してくれて、そこで暮らせって)
話していると、何故だか涙で視界が滲む。
(愚かなヤツよ……人間を信じ、ここに捨てられたか)
(ち、違うよ! シュピは、そんなこと)
そうか、自分が捨てられたって思ったから……涙が出たんだ。
ボスの言葉で、僕は自分の気持ちに気付いた。
でも、シュピは絶対にそんな人間じゃない。それだけは、どうしても信じていたいんだ。
(ならば何故、そのシュピとやらはお前と共に生きることを諦めたのだ?)
(シュピは……もうおじいちゃんだから、先の事を考えて、僕が一人になるのが心配、だから)
(それを無責任というのではないか? やはり、お前は捨てられたのだよ)
抑揚の無い声で淡々と突きつけられ、僕はついカッと吠えた。
(ち、違うって言ってるだろ!?)
(お前! ボスになんて口を!)
斑は飛びかかって僕の首筋に噛みついてきたけど、ボスの一声でその動きをピタリと止めた。
(やめろ! 下がっていろブロチー……お前、名は何と言う?)
ブロチーは血の滴る牙をゆっくりと離し、僕を睨んだまま距離を取る。
(……ヤウル)
呼吸を整え体を起こし、僕はボスを睨んだまま呟いた。
(ヤウル、今一度考えろ。自分の在るべき場所がどこなのか……その答えが出るまで、この〈wolf pack〉にお前の居場所はない)
(ブロチー、ヤウルを外へ)
(はい)
ブロチーは鼻先で僕を前に押し出して進める。
僕は穴の外へ追い出され、ブロチーは威嚇するように唸り声を上げた。
(二度と此処に戻ってくるな……どこで野垂れ死のうと、我らの知ったところではない)
(でも……ボスは考えろって)
(お前がボスの名を口にするな! いいか、我らは希少種。素性の知れぬものを向かえてやる義理などないんだ)
ブロチーの瞳は、強い拒絶の意思が滲んでいた。
此処に、僕の居場所はない。
この短い時間で、それがハッキリとわかった。
(わかった……話を聞いてくれて、ありがとう)
それだけ伝え、僕は山の奥へと駆けた。
◇
辺りはすっかり暗くなり、森の中からは知らない生き物たちの鳴き声や気配がする。
痛い……冷たい……怖い……寂しい……
そんな暗い感情に押し潰されそうだった。
僕は何も考えなくていいように、ただひたすら高く、明るい場所を目指した。
幸い、今日は満月。
雲のない夜空に月明かりは眩く輝き、高い岩山を照らす。
僕は夢中でそこを目指した。
ごつごつとした段差を駆け上がると、一際月が近く、真ん丸に見える。
(綺麗だ……)
空に向かって遠吠えをすると、よく知らない動物の返事が遠くから聞こえる。
何度も何度も、僕は繰り返し吠え続ける。
そのうち楽しいのか、悲しいのかわからなくなって、気がつけば生ぬるい涙が流れていた。
僕の、在るべき場所はどこ?
自分と同じ仲間なのに、ここに僕の居場所はない。
(やっぱり……僕はシュピと一緒にいたいよ)
それが、僕の答えだ。
もうそれしか考えられない。
そうだ! 帰ろう……シュピのもとに。
そう決意を固め、僕はまた森の中を駆け回る。
けれど現実は、もう後戻りの出来ない事になっていたんだ。
◇
(……嘘)
シュピの車があった場所に戻ると、そこにはもう何も無かった。
――お前は捨てられたのだよ。
ボスの暗い声が、再び僕の頭に甦る。
嘘だと思いたかったけれど、シュピの匂いはここで途切れていた。
今はただ車の油の匂いが残っているだけ。それはもう、シュピがここにいないことを示していた。
それから僕は、また山の奥へ戻った。
何も宛は無いけれど、月の見える高い岩山で、毎晩毎晩遠吠えを続けた。
晴れた日も風が強い日も、雨や雪の日も……
ただ月を見つめている時だけは、不思議と心が安らいだから。
<アウ……アウォー……ン>
声はだんだん出なくなってきて、日に日に喉もカラカラに乾く。
シュピは……今頃どうしているんだろう。
ちゃんとご飯を食べて、暖かくして眠っているかな?
夜中に咳き込んで苦しそうな時もあったけど、今日は大丈夫かな?
僕はこのまま、誰にも気付かれずに死ぬのかな……
自らの死が頭にちらつき始めた頃、僕はよく夢を見るようになった。
人間になって、シュピと一緒に暮らす夢。
一緒に木の実を取りに行ったり、シチューってやつを一緒に食べたり。
そんな夢の中でだけは、とても幸せな気持ちになれた。
(僕も……人間がいいよ……シュピと同じ、人間になりたい……)
思えば、その日も綺麗な満月だった。
泣き疲れて眠った僕は、突然凍えるような寒さを感じて目を開ける。
「ああう、ん? わぉお?」
今までと違う声。それに、ツルツルの皮膚。
自分の体をベタベタと触ると、それはシュピとよく似た形……人間の姿だった。
「おぉぉ!?」
どういうこと!?
信じられない! 僕が、人間に!?
足踏みしたり跳ねたりしながら、これが夢じゃないことを確かめていく。
痛みも感じる。きっと、夢じゃない!
嬉しい! これでシュピと一緒にいられる!
ただ、頭には大きな耳と、お尻からは大きな尻尾は生えたままだ。
けれどそんな事は、きっと大した問題じゃない。
早く、早くシュピに会いに行かなきゃ!
慣れないまま4足で走っていると、自然と上体は上に向き、後ろ足だけで駆け回れた。
不思議なことに、オオカミだった頃よりも早く動ける。
「あう! わうあう!」
(待っててね、シュピ!)
岩山から飛び跳ねると、手で触れそうなほど近くに、綺麗な満月が輝いていた。
◇
そう言えば……
そろそろアイツの命日じゃないか。
けれどもう、花の一つも供えてやることも出来そうにない。
全くもって情けない、どうしようもない老体だ。
もう何日、飲まず食わずの日々が続いただろう。
ベッドから起き上がる気力もない。
夢と現実もわからなくなった頃、私は確かに、ヤウルの遠吠えを聞いたんだ。
「お前は……オオカミとして生きているか? ヤウル……」




