ただひとつの狼
顔を上げて周りを見渡せば、山頂に雪が降り積もった山脈。
そのゴツゴツとした岩の山肌が、まるで高い壁のようにそびえる。
厳しい雪の季節が終わり、暖かな木漏れ日が差し込む中、僕は水辺で喉を潤しながらそれを見上げた。
日の光を浴びた体毛はホカホカとして、じっとしていると思わずあくびがこぼれる。
この心地よい季節は、もう3度目。
僕は、生まれた頃の事は覚えていない。
母親のことも、どこで生まれたのかも。
ただ自我が芽生えた頃、僕を抱いていたのは人間のシュピだった。
僕が人間を見たのはシュピが初めて。
シュピはミルクを飲ませてくれる時、よく自分の話をしてくれる。
自分は人間のおじいちゃんだとか、もうずいぶん長く山小屋で一人で暮らしているとか。
はじめは僕も、シュピと同じ人間という存在だと思っていた。
けれど凍った水溜まりに映る姿を見せられて、その時初めてシュピと僕は違う存在なんだと気付いた。
全身はフサフサの毛に覆われて、大きな耳と突き出た口。お尻には尻尾まで生えている。
シュピが言うには、僕はオオカミという生き物らしい。
オオカミ……この山には、色んな見た目の生き物がいる。
木を駆け登るリスに、空を自由に舞う鳥。ピョンピョン跳ねる兎や、野原を走る鹿。
それを見てると、何故だかとてもお腹が空くのだけど。
他にも数えきれない程の生き物がいるのに、僕と同じオオカミという種族は、まだ一度も見たことがない。
(僕は……どこから来たんだろう)
水面を見つめ自分の姿を見るたびに、いつもそんな思いが頭を巡った。
<ピュー>
(この指笛は、シュピだ!)
指笛の音を辿って森を駆けると、木々の影からシュピが姿を見せる。
<ワン!>
嬉しい時や気持ちが昂ると、僕は堪らず吠える。
僕はシュピの言葉がわかるけれど、シュピには僕の声は通じない。
だけどどうしても気持ちを伝えたくて、いつもシュピに飛び付いてしまう。
「おーおー、やめなさい……せっかくの獲物を落としてしまうだろう? これ、ヤウル!」
<ワウ、ワンワン!>
名前を呼んでもらえると余計に嬉しくて、僕は立ち上がるようにシュピに飛びつく。
その拍子に、シュピは尻餅を付いてしまった。
「あいた! 全く、図体ばかり大きくなりおって……こっちは年寄りなんだから、少しは加減を」
お尻をはたき立ち上がるシュピは、大きな鳥を手にしている。
両足を握られ既に息絶えている鳥からは、食欲をそそる血の匂いがしていた。
「ふふ、まだ食べるんじゃないぞ? 帰ってから調理するんだから」
<クゥーン……>
滴る血をベロベロと舐めていたら、シュピはヒョイと鳥を上にあげてしまう。
ちょっと舐めていただけなのに。
◇
山小屋の暖炉には、パチパチと音を立てて薪が燃える。
ずいぶん暖かくなったけれど、日が沈むとまだ寒い。
暖炉の熱でお尻を温めながら、僕はこんがり焼かれた鶏肉にかぶりついた。
パリッとした皮からは肉汁があふれ出て、何度食べても最高だ。
もう少し冷めてたら、これ以上言うことはないけれど。
「ヤウル、あんまり急ぐんじゃない。まだ芯の方は熱いぞ?」
<ワフッ!?>
シュピの言葉通り中の肉はまだ熱々で、飛び出す肉汁に僕は慌てて口を離しベロを出した。
「はは! ほれ見たことか。誰も取らないから、ゆっくり冷ましながら食べなさい」
シュピは笑い声をあげて、自分の分をスプーンですくう。
なんでもシチューと言う料理で、野菜とお肉を煮込んだ物らしい。
僕はそのシチューより、お肉の方が嬉しいけれど。
シュピはよくそれを作って、毎日同じものを食べ続けていた。
そんなに美味しいのだろうか……僕も、一度くらいは食べてみたい。
「……なんだ? お前もこれが食べたいのか?」
<ワフ?>
「これはお前には味が濃いからな……そうか、今度薄味の物を作ってやってもいいな」
シュピはそう呟いて、何やら考え込んでしまった。
人間という存在は、シュピしか知らない。
そしてこの森にも、シュピ以外に人間はいない。
それは僕も同じで、僕とシュピはこの森でたった一人きりの存在だ。
だけど僕は、毎日楽しい。
シュピはとても優しくて、いつも僕のそばにいてくれる。
だから僕もずっと、いつまでもシュピのそばにいたい。
そう思っていた。
半年後、その時までは。
読んで頂きありがとうございます。
続きは今夜10時頃更新で、15日(日)も同じ時間に更新します。
4話完結の短編ですが、楽しんでいってください!
※他サイトに投稿していましたが鳴かず飛ばずで(笑)
修正を加えてこちらで再挑戦しました(^o^;)




