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第6章 敵性排除

「科学連合国軍直属・敵性要素即時排除部隊。通称――敵性排除エネミーエクスカッション


 黒衣の先頭に立つ人物が、一歩前に出た。

 年齢不詳の落ち着いた声が、会議室に響く。


「敵性排除・リーダー、西東三四。科学連合国にとっての敵性存在の選別と、その排除を担当する」


「敵性存在、ね」


 一条が目を細める。


「魔法同盟国か? SDSエスディーエスか? それとも――中立科学連携も含まれるのか」


「基準は単純です」


 西東は、わずかに口の端を上げた。


「科学連合国の生存可能性を下げる存在は、すべて敵性。魔法であろうと、第三の座標であろうと、――必要と判断すれば排除対象になります」


 会議室の空気が、わずかに冷えた。


「……気に入らんな」


 一条がぼそりと漏らす。


「だが、戦場では時に嫌われ役が必要だ」


 鷹司は、静かに頷いた。


「西東。最初の仕事は――SDSの帰り道だ」


「科学商工産業都市攻撃からの撤退経路、ですね」


 西東は、スクリーンに映る海図へ視線を移す。


「テル・アルスの部隊と中立科学連携が、街を守るために用意した退避ライン。その外側――誰も守らない海域に、網を張りましょう」


「最先端機械の投入を許可する」


 鷹司が指示を下す。


「SP-1・0、SA-1系、SA-2・0、スパイダー、そしてSMI群。必要なら――Eディスクもだ」


「了解しました」


 西東の声には、一片のためらいもなかった。

 外洋・SDS撤退ルート外縁。

 夜の海面すれすれを、黒い影が複数滑っていく。

 無人超音速ステルス爆撃機、SP-1・0――理工学都市製の超音速爆撃機だ。

 そのさらに上空を、四枚翼の大型機、四成翼が飛ぶ。

 貨物室には、クモ型パワードスーツ、SA-2・0、スパイダーが数機、脚を折りたたんだ状態で待機していた。


「全ユニット、起動チェック」


 敵性排除・副リーダーの桂昌院ちほが、コクピット内で低く告げる。


「SA-2・0、脚部アクチュエータ良好。超電磁砲ユニット、出力百二十%まで許容。弾薬ステータス――現在物象プレゼントマター搭載、理論上無限」


 モニターに、砲身内部の螺旋コイルが青白く光る。

 浜原優希奈の電子操作を再現した超電磁砲。本物をも上回る銃撃を「毎分五千発」叩き込める、蜘蛛の脚のような兵器。


「SE-1・2、Eディスク群、リンク良好。姿勢制御・刃角可変・自爆シーケンス、全系統スタンバイ」


 艦の甲板上では、直径七十センチの円盤が十数枚、チェーンソーの歯をかすかに震わせながら浮かび上がっていた。


「SMI群、出撃準備完了。チョウ型・クモ型・サソリ型・ハチ型――全種、遠隔接続安定」


 モニター越しに見えるのは、無数の虫型機械兵が格納ボックスから這い出す光景。

 海面ぎりぎりを這うクモ、空へ舞い上がるハチ、波間を飛ぶチョウ――科学の悪夢のような群れだった。


「目標は、SDSの撤退艦隊?」


 天璋院あゆみが、通信越しに確認する。


「いいえ。テル・アルスが正式に旗を付けた正規艦は外す」


 西東の声が返る。


「狙うのは――どちらの責任にもならない位置を走っている、半ば捨てられた補給艦と、臨時徴用艇」


「……グレーゾーン狙い、ってわけね」


「そう。中立科学連携も、魔法同盟国も、――ここまで手は回らない」


 SDS補給艦隊・第三群。


「なんだ、あれは……?」


 双眼鏡を構えた魔導師が、暗い海の向こうを見て震えた。

 光も音もないはずの夜空を、

 いくつもの黒い影が――空間だけを抉るように走り抜けている。

 次の瞬間、艦橋の横を、何かが超音速でかすめた。

 音が遅れてやってくる。

 衝撃波だけで外板がめり込み、窓ガラスが粉々に砕けた。


「無人機だ! マークが……科学連合国――!」


 叫び終える前に、甲板上にクモ型パワードスーツが落ちてきた。

 鋼鉄の胴体、八本の脚。

 前方に伸びた二本のノズルが、火花を散らし始める。


「――SA-2・0 スパイダー、対艦射撃開始」


 桂昌院の号令と同時に、超電磁砲が唸りを上げた。

 光速に近い速度で加速された金属弾が、雨どころか、滝のように艦体を叩く。

 一発一発が、浜原のレールガンを上回る威力。

 装甲は紙のように裂け、魔力障壁は、起動する間もなく貫かれていく。


「ひっ……ひるむな! 対空結界と――」


 魔導師の詠唱が、途中で途切れた。

 背後から、蜂の群れに似た小さな影が殺到してきたのだ。

 SMI。虫型機械兵。

 ハチ型の腹部からは、細いレーザーとマイクロミサイル。

 クモ型は、甲板に張り付き、足先のカッターで装甲を切り裂いていく。


「魔力障壁が、穴だらけ――!」


「詠唱を――ぎゃあああっ!!」


 悲鳴と爆発音が、夜の海に重なった。

 少し離れた上空。

 別の機体のコックピットから、その光景を見下ろしている者がいた。


「……やり過ぎだ」


 白衣に黒い腕章――独立治安維持部隊・WSホワイトサイエンスのリーダー、桒島美咲だ。


「中立科学連携との協定では、退避艦への無差別攻撃は原則禁止のはずよ」


 隣席の副官が、モニターを睨む。


「ですが――この海域は、協定の灰色ゾーンに指定されてます。国際科学都市と科学商工産業都市を守るために、手が回らない場所として放置されたラインです」


「だからって、虫で艦の中まで削り取る必要はないでしょうに」


 桒島は、軽く舌打ちした。


「敵性排除――やっぱり、あたしたちWSとは方向性が違いすぎる」


「どうされますか。介入すれば、敵性排除とも交戦の可能性が」


「ちょっと話をしてくる」


 彼女は、冷静に答えた。


「どうせ、あのクモは遠隔操作。操縦元さえ止めれば、虫たちも大人しくなるはず」


 四成翼・敵性排除指揮機。

 西東は、モニターの数値を淡々と眺めていた。

 撃沈マークが、ひとつ、またひとつ増えていく。


「補給艦三隻、徴用艇六隻――戦術的価値は低く、政治的価値も低い。これで、SDSの海上行動能力は、しばらく麻痺するでしょう」


「中立科学連携がまた何か言ってきそうですね」


 天璋院が、肩をすくめる。


「ためらいがどうとか、ただの船員がどうとか」


「彼らはそれを仕事にしている。我々は、その裏側を仕事にしているだけですよ」


 西東が答えた、その時だった。

 警告音が鳴り響く。


「何だ?」


「上空から、未承認の接近――識別信号、WS!」


 画面に、白衣姿の女が映し出された。

 機体の外に立つように見えるが、実際には多重シールド越しの映像だ。


「敵性排除の西東三四」


 桒島美咲が、薄く笑う。


「ここはWSの監視ブロックにも指定されてる。――うちのログを無視して撃ちまくるってのは、一応、内部規約違反なんだけど?」


「治安維持はWSの役目。敵性存在の排除は、我々の役目だ」


 西東は、眉ひとつ動かさない。


「SDSの補給艦は、科学商工産業都市を焼くための燃料を運んでいた。中立科学連携がどれほどためらいをばら撒こうと、燃料タンクは、ためらってはくれません」


「理屈は分かる」


 桒島は、軽く肩を竦めた。


「でも――あんたらが今壊してるのは、燃料タンクだけじゃない」


 艦内のカメラが、撃沈された艦の内部を映し出す。

 崩れた通路、吹き飛んだ居住区、血まみれの……ではなく、瓦礫の中で身動きの取れない船員たちの姿。


「補給艦の船員も、徴用艇の魔導師も、最大主教テル・アルスも――それから中立科学連携も、ギリギリで助けようとしていた側よ。あんたたちは、その努力ごと踏み潰してる」


「……だからこそ、我々が必要なのです」


 西東の声が、ほんの少しだけ冷たくなる。


「テル・アルス、中立科学連携、WS。――ブレーキ役が揃っているなら、なおさら、アクセル役が必要でしょう」


 桒島の笑みが消えた。


「それで、そのアクセルが第三の座標に向けられたら?」


 一瞬、沈黙。

 西東は、わずかに視線を逸らした。


「……第三の座標が、科学の生存可能性を下げると判断された場合。――その時は、敵性存在です」


「言うと思った」


 桒島は、息を吐く。


「ログは全部取らせてもらったわ。中立科学連携にも、魔法同盟国にも送ってあげる」


「脅しのつもりですか」


「いいえ。これは、戦争で何を選んだかのログ。いつか、あんた自身が第三の座標の証言室で見ることになる」


 それだけ告げると、桒島の機体はふっと姿を消した。

 苫原涼香の座標移動による転送だろう。

 第三の座標。

 灰色の壁に、新しいノイズが走った。

 SDS補給艦隊の撃沈ログと、敵性排除の通信記録。

 芳樹は、それを見て、額を押さえる。


「……駄目だこりゃぁ」


 思わず、いつもの口癖が漏れる。


「魔法側にはSDS。科学側には、敵性排除。ブレーキを踏む連中の隣には、必ず踏み抜こうとする連中がいるってわけだ」


「でも、ログはここに来る」


 リオが、小さな声で言う。


「テル様も、桒島さんも、自分たちの側の暴走を、こっちに繋いでくれてる。いつか、誰かに見られる前提で――それでもアクセルを踏むなら、それもまた証言です」


「第三の座標の仕事、増える一方だねぇ」


 リンが、ソファの背もたれ越しに伸びをする。


「魔法の過激派SDS。科学の過激派、敵性排除。どっちも、自分の大義のためなら全部燃やせるタイプ」


「それでも、どこかでためらってくれれば――」


 リオは、ノートをぎゅっと抱きしめた。


「そのためらいだけは、ここで拾えるから」


 科学と魔法、それぞれの陣営に、新たな「極端」が立ち上がる。

 第三次世界大戦の火は、ますます複雑な形を取りながら、燃え広がっていく。

 その中で、第三の座標だけが、ブレーキとアクセルの両方のログを抱えたまま、静かに次の「証言」を待っていた。

 第三の座標に届いたログの一覧が、灰色の壁一面に流れていた。

 SDS補給艦隊の沈没記録。

 敵性排除の作戦会話。

 そして、WSによる抗議の通信。


「……本当に、科学側にもSDSみたいなのがいたんですね」


 リオが、スクリーンを見上げながらぽつりと言う。


「名前は違うけど、やってることは似てるわね」


 リンが腕を組んで頷いた。


「自分たちの正しさのためなら、誰が死んでも構わないっていうタイプ」


「ただし、こっちは科学の生存可能性って言い方をしてる」


 芳樹は、胸元の端末に軽く指を当てながら、ため息をついた。


「敵性排除――科学連合国軍直属の敵性要素即時排除部隊。いまのところは、まだ正式には実験運用中のはずなんだけどな」


「中立科学連携としては、どうするの?」


 リンが、からかうように訊ねる。


「科学側の過激派とどう向き合うか、テル様にはもう渡したんでしょ?」


「ああ。テル様の端末にも、敵性排除のログは全部飛んでる」


 芳樹は、額に手をやった。


「魔法側にSDS、科学側に敵性排除。どっちも、ブレーキを踏んでる奴の横でアクセル全開にする係だ。――第三の座標としては、どっちのログも証言の予告状として保存するしかない」


「予告状?」


 リオが首をかしげる。


「そのうち、あの人たちもここに座ってもらうって意味よ」


 リンがニッと笑った。


「SDSの指揮官も、敵性排除の指揮官も。あの時、どうしてああしたんですかって聞く席が、もうここにできちゃってるから」


 科学都市・SGHQ地下・戦略ブロック。

 ホログラムの会議卓を挟んで、三つの立場が向き合っていた。

 科学連合国軍上層部――鷹司正文と一条実雄。

 治安維持側代表――桒島美咲率いるWS。

 そして、敵性要素即時排除部隊――敵性排除の西東三四。


「まず、事実確認からいきましょうか」


 桒島が、端末を軽くタップする。

 天井に、敵性排除作戦のログが浮かび上がった。


「科学商工産業都市攻撃から撤退するSDSの補給艦隊に対し、貴方たちはSP-1・0無人爆撃機と、SA-2・0スパイダー、さらにSMIとEディスク群まで投入した」


 映像の中で、超音速の影が海上を切り裂き、蜘蛛型スーツが超電磁砲を滝のように撃ち続ける様子が、無音で再生される。


「結果、補給艦三隻、徴用艇六隻が撃沈。戦術的には成功。――でもね、戦略的には燃やしたくなかった場所をまた増やしただけよ」


「燃やしたくなかった場所?」


 一条が眉をひそめる。


「SGHQとして、あの海域は灰色ゾーンだと認識している」


「そう、灰色」


 桒島が即座に返す。


「国際科学都市と科学商工産業都市を守るために、中立科学連携と魔法側が手を回しきれない場所として、――あえてグレーにしたライン。でも、そこを何をしてもいい場所とは誰も言ってない」


「敵性排除の任務は、誰も手を出しきれない部分に手を出すことです」


 西東が、静かな声で口を開いた。


「SDSの補給艦を放置すれば、次の攻撃に使われる。国際科学都市も、科学商工産業都市も、いずれまた狙われるでしょう」


「その議論、第三の座標とSDSの指揮官の前でやる?」


 桒島の瞳が細くなる。


「ここはSGHQの会議室。内輪の理屈で正しかったってうなずいてもらうための場所じゃないのよ」


 鷹司が、軽く咳払いをした。


「……桒島。敵性排除は、あくまで科学連合国の兵器運用担当だ。WSの任務は、科学連合国の内側をこれ以上汚さないための掃除だろう」


「ええ」


 桒島はあっさり頷く。


「だから、汚れを増やしすぎてる部隊には文句を言いに来たの」


「汚れ、ですか」


 西東が、ほんのわずかに視線を細めた。


「我々は、中立科学連携がためらいと呼ぶものを、戦略リスクと定義しています。――科学の生存可能性を下げる要因は、例外なく排除対象だ」


「じゃあ、質問」


 桒島が、指で空中のログを突く。


「あなたたちの言う生存可能性のモデル。あれ、何で計算してる?」


「SSコンピューター1・0です」


 西東が答える。


「国際科学都市本部のSSC-1・0が、敵味方の兵力、兵站、経済、外交、世論までを含めた総合シミュレーションを行い――」


「そこに、第三の座標の存在は入ってる?」


 桒島の問いに、一瞬だけ沈黙が落ちた。


「……現行モデルでは、定量化が難しいため、第三の座標は外部ノイズとして扱っています」


「はい、アウト」


 桒島は、ため息をついた。


「その時点で、科学の生存可能性って言葉は、あなたたちのモデルの中での生存率に過ぎない。第三の座標も、魔法側の変化も、――未来都市で生まれつつある第四の何かも、全部誤差として捨ててる計算よ」


「誤差を切り捨てなければ、モデルは動かない」


 西東は、静かに返す。


「中立科学連携も、テル・アルスも、誤差の中で奇跡を起こしている。だが、我々は誤差では動けない。――動いた瞬間、それは科学ではなくなる」


「だから、敵性排除なわけか」


 一条がぽつりと言った。


「誤差を切り捨てた正しい未来のためなら、何をどこまで燃やしても構わない部隊」


 鷹司は、深く息を吐く。


「西東。お前のやり方が、完全に間違っているとは思わん。だが――今の世界は、誤差に振り回される時代だ。第三の座標がある限り、科学連合国は、科学だけでは完結しない」


「では、敵性排除をどうされますか」


 西東の声は、少しも揺れていない。


「解体なさいますか」


「今はまだ、解体はせん」


 鷹司は、きっぱりと言った。


「だが、第三の座標を敵性として扱う命令は出さない。少なくとも、第三次世界大戦が終わるまではな」


 一条が苦笑する。


「つまり――あいつらを本気で敵に回す余裕はないってことだ」


 会議のあと。

 敵性排除の作戦ブロックに戻った西東は、静かな廊下を一人歩いていた。

 壁面には、先ほど撃沈したSDS艦隊の推定戦力減少率グラフが表示されている。


 (第三の座標……誤差、か)


 頭の片隅で、桒島の言葉が引っかかっている。

 ログは全部こっちに来る。

 いつか、あんた自身が証言室で見ることになる。

 証言室。灰色の部屋。

 そこに座る自分自身の姿を、想像しかけて――彼女は、その思考を切り捨てた。


 (誤差だ)


 呟くように思う。


 (戦争が終わり、敵性排除が役目を終えたとき――そのときになってから、記録とやらに向き合えばいい)


 彼女は、今はまだアクセルの役を降りるつもりはなかった。

 第三の座標・観測室。

 淡い光のスクリーンに、科学都市と魔法同盟国と、その間を行き来する電磁眼鏡の通信ログ、SOT-1・0海電車の運行データが流れていく。


「……なんか、世界が第三の座標のまわりを回り始めてる感じがしますね」


 リオが、椅子の上で膝を抱えながら呟く。


「回ってるっていうか、勝手に記録が集まる場所になりつつあるって感じかな」


 芳樹が苦笑した。


「科学の過激派、魔法の過激派、ブレーキ役、アクセル役。その全部が、どこかでここに繋がってるって自覚し始めてる」


「第三の座標を焼きに来る連中も」


 リンが、ソファに寝転がったまま言う。


「でも、その前に――」


 彼女は、天井を指さした。


「ここに連れてきて、どうしてあの時ああしたのかを聞く席が、少しずつ埋まり始めてる」


 リオは、ノートを胸に抱きしめた。


「……増えていきますね、聞かなきゃいけない人たち」


「増えるだろうな」


 芳樹の心臓が、小さく抗議の拍動を打つ。


「科学と魔法の両側に、戦争を終わらせられるかもしれない人と、戦争を終わらせたくない人がいる。どっちも、いつかここに来る」


 第三次世界大戦は、まだ終わらない。

 だが、終戦後に残るはずの記録と証言だけは、既に第三の座標の中で、静かに積み上がり始めていた。

 その中には――いずれ解体されるはずの敵性排除の軌跡も、きっと含まれることになるのだろう。

 それが、戦争のあとに生きる誰かの「判断材料」になると信じながら。

 国際科学都市と科学商工産業都市のあいだ――中立地帯のはずの研究区域は、夜でも白く輝いていた。

 だが、その光を、闇に沈めようとしている者たちが二つの方向から迫っていた。

 学園都市地下、正式な図面には存在しないフロア。

 厚いモニターの光に照らされて、少女の瞳が細く笑った。


「標的の魔力反応、確認。……やっぱり来たじゃないですか、SDS」


 西東三四。

 敵性排除と呼ばれる、科学至上主義過激派組織の頂点に立つ少女は、椅子の背にもたれながら指先で卓上のホログラムを弾いた。

 立体地図上で、幾つもの赤い点が研究区域に向かって移動している。


「三四様、科学連合国軍理事会には報告を?」


 桂昌院ちほが問う。冷静な副官の声は、抑えた怒りを隠しきれてはいない。


「報告したら、また交渉の余地を探れでしょ? ――いいえ、これは私たちの仕事です」


 西東は、薄く笑ってモニターを切り替えた。そこには、蜘蛛型パワードスーツ、SA-2・0 スパイダーの待機データが並ぶ。


「科学を燃やしに来た連中は、科学で焼き返してあげないと。敵性を排除する――それが、私たちの存在理由ですから」


 桂昌院は短く息を吐き、隣の少女に視線を送る。


「狭間玲奈。実動部隊の指揮を任せるわ。……怖いなら、今のうちに降りなさい」


「冗談ですよ、副リーダー」


 灰色の髪をひとつに結んだ狭間が、胸に手を当てた。


「家族をSDSに殺されたのは、私だけじゃない。あれからずっと、この日のために能力を磨いてきたんです。――行かせてください」


 西東が満足げにうなずく。


衝撃波操作ソニックバーストのデータはすでにSSコンピューター1・0に登録済み。予測演算も問題なし」


「好きなだけ撃ちなさい。ただし忘れないで、玲奈。科学連合国の名誉を守るんじゃない。科学そのものを守るのが、敵性排除よ」


「了解しました、三四様」


 同じころ、研究区域上空。

 薄い雲の切れ間から、ローブ姿の影が次々と落下してくる。

 魔力を編んだ円陣が足元に現れ、彼らの着地を柔らかく受け止めた。


「ここが、科学商工産業都市の研究区域……」


 低い女の声が夜気を震わせる。

 イザベル・ロシュフォール。

 SDS現場指揮官にして、魔術教会の実働部隊を束ねる魔女。


「目標は三つ。一、研究データの焼却。二、補助回線からSSコンピューター1・0へのアクセスを破壊。三、科学者を可能な限り沈黙させること」


 部下の若い魔術師が喉を鳴らした。


「……本当に、全員殺す必要が?」


「科学を根絶やしにするのなら、芽も根も残さないことね」


 イザベルは振り返り、彼の胸元を指先で突いた。


「あなたの弟を解放したのは誰? 魔術教会よ。科学連合国は、彼を実験体の番号でしか呼ばなかった」


 青年は唇を噛み、うなずいた。


「――了解。炎属性部隊、展開準備!」


 緑の魔方陣が地上に浮かび上がる。科学の光に、魔法の紋が重なった瞬間――。

 空気が、弾けた。

 音が遅れてやってくるほどの衝撃。

 目に見えない圧力の波が、魔術師たちの防御結界を波紋のように揺らした。


「なっ……!?」


 イザベルが顔を上げると、夜のビル風景の上に、金属の蜘蛛が這い出てくる。

 八本の脚でビルの壁面を駆け降りるスパイダーが、ノズルをこちらへ向けた。


「科学側の……兵器?」


 通信が敵性排除本部に繋がる。


「こちら狭間、第一小隊。SDSの突入部隊を視認。――排除を開始する」


 狭間はスパイダーのコクピットで深く息を吸った。

 指先のスイッチを押すと、脚部の発振子が唸り、空気が白く歪む。


「衝撃波操作――散弾モード」


 見えない砲弾が地面を叩き、魔法陣を刻みかけていた魔術師たちがまとめて吹き飛ぶ。

 結界が砕け、炎属性の詠唱が途中で悲鳴に変わった。


「くっ……! 風障壁!」


 イザベルが杖を振ると、風の大渦が巻き起こり、次の衝撃波を逸らした。

 その背後で、別の魔術師が低く唱える。


「火よ、塔となれ――紅蓮の柱!」


 ビルの谷間から、炎の柱が立ち上がる。

 スパイダーの装甲を焼き、金属を軋ませた。


「警告、装甲温度上昇。だけど――」


 狭間は笑った。

 彼女の背後には、科学都市製の冷却システムと、現在物象で補強された弾薬供給装置が静かに唸っている。


「科学は、そう簡単に燃えない」


 レールガンの仮想照準が、空間上に浮かぶ。

 スパイダーのノズルが光り、浜原優希奈の超電磁砲を忠実に模倣した弾丸が、炎柱の根元へと撃ち込まれた。

 炎が弾け飛び、魔術師たちが転がる。


「退くぞ、イザベル! この兵器、聞いてた話と違う!」


「退却は許されていないわ」


 イザベルの瞳に、狂気にも似た光が宿る。


「魔法は信仰。科学は異端。あの蜘蛛を、この手で焼き落としたとき――弟の魂も、少しは報われる」


 彼女は自分の手の甲を切り裂き、流れた血で空中に魔法陣を描いた。


「契約の炎よ、我が血を喰らい、科学の塔を呑み込め――血煙契約ブラッドパクト・焦熱陣!」


 赤黒い炎が、蜘蛛の周囲の空間そのものを灼き始める。

 狭間の視界に警告が雪崩れ込んだ。


「空間温度、限界値突破……っ」


 彼女は奥歯を噛み、超能力の演算を叩き込む。


「だったら、そっちごと吹き飛ばす! ――中心をずらした衝撃波球オフセット・バースト!」


 衝撃波の球が、炎の中心を外して膨張し、燃え盛る魔方陣だけを打ち砕いた。

 血の炎が霧散し、イザベルの膝が折れる。

 その瞬間、両陣営の通信回線に、ほぼ同時に怒声が飛び込んだ。


「敵性排除、勝手な作戦行動はやめろ! これは科学連合国軍の管轄だ!」


「SDS第七小隊、撤退しろ! 魔術教会の総攻撃は、まだ――!」


 狭間は息を荒げながら、上空の人工衛星から降り注ぐ通信ノイズを聞いていた。

 イザベルもまた、耳元の魔法通信に顔を歪める。

 科学と魔法。

 どちらの本隊も、過激派たちを制御しきれない。

 それでも彼女たちは、引き金から、杖から、手を離そうとはしなかった。


「――私たちがやらなきゃ、誰がやるのよ」


「――ここで退いたら、誰が死んだことになる?」


 二人の呟きが、同じ夜風に溶けていく。

 闇の研究区域で、科学と魔法の影の戦争が、静かに、しかし確実に第三次世界大戦の引き金へと近づいていった。


 学園都市地下、敵性排除専用フロア。

 補給艦撃沈作戦のログが消えたあとも、モニターの明かりだけが静かに点っていた。

 狭間は、簡易ベッドに腰を掛けたまま、まだわずかに震える手を見下ろしている。


 (……あれだけ撃っても、まだ足りない気がするのは、何なんだろう)


 そこへ、軽いノックとともに扉が開いた。


「けっこう派手にやったじゃない、玲奈」


 入ってきた桂昌院ちほの後ろから、ひょいと顔を出した少女がいる。

 艶のある黒髪をゆるく巻き、上質なジャケットの胸には、いくつもの巨大企業のロゴが小さく輝いていた。


「初めまして、になるのかな。狭間玲奈ちゃん」


「……誰?」


千億万徳美つくいとくみ。敵性排除の構成員、副リーダー」


 千億万は、軽くウインクして自分の胸元を指差した。


「ついでに、この部隊の主なスポンサーでもある。世界の億万長者リストの上のほう、千億万グループって名前、見たことあるでしょ?」


 狭間は思わず眉をひそめる。


「……ニュースで。軍需産業と、SSコンピューターまわりの設備投資元」


「そう、それそれ」


 千億万は悪びれもせず笑った。


「家計も個人資産も億単位。そのうえ、金属生成メタルメイクでレアメタルや触媒金属まで自前で出せるから、敵性排除の装備更新、ほとんど私の財布と能力から出てるのよ」


 桂昌院がため息をつく。


「要するに、自分の金と金属で副リーダーの椅子を買った女って自分で言ってるのよ、この子は」


「誤解を招く言い方やめてくれる?」


 千億万は肩をすくめた。


「金で椅子を買ったんじゃないわ。科学を守るための戦場を、自分の財産と金属生成で組み立ててるだけ。SP-1・0の機体骨格も、SA-2・0のフレーム合金も、SMIの微細金属も――全部、うちの自家製錬金工場製よ」


 桂昌院は苦笑し、狭間に視線を向ける。


「まあ、そういうわけで、千億万徳美。敵性排除の財布&工廠担当副リーダー。覚えておきなさい」


 千億万は、狭間の前に立つと手を差し出した。


「よろしくね、玲奈。あなたの衝撃波操作には投資した価値がありそうだった」


 狭間は、一瞬ためらってから、その手を握る。


「……投資、ね。SDSを殺すのに、いくら出してるんですか」


「今のところ、兆までは行ってないからセーフってことにしてる」


 千億万は、悪びれもなく言った。


「でも、それで科学の都市が一つ守れるなら、安い買い物でしょ?――それに、あっちも弟や家族の命で支払わせてきたんだから」


 狭間の胸に、かすかな痛みが走る。

 彼女もまた、家族をSDSに奪われた一人だった。

 魔法同盟国・地下聖堂。

 SDSの紋章を刻んだ机の上に、燃えるような赤の地図が広がっていた。

 イザベル・ロシュフォールは、かすかな舌打ちとともに、その一角を指で叩く。


「――ここ。千億万グループの金融中枢データセンターと、その下の金属保管層」


 補給艦撃沈の報告と、敵性排除の装備出所の分析が、魔術教会から回ってきていた。


「敵性排除の副リーダー、千億万徳美。超能力金属生成でレアメタルを無尽蔵に作り出す、世界屈指の資産家の娘」


 若い魔術師が、苦々しく顔をしかめる。


「つまり、あの蜘蛛や虫たちを動かしているのは、科学の塔だけじゃなくて、金属と金の塔ってことですか」


「科学も金属も、異端の祭壇よ」


 イザベルは、静かに笑った。


「敵性排除が前線を焼き、千億万家が後ろから燃料と金属を注ぐ。――なら、どちらか一方を断つだけでは足りない」


 彼女は、地図の上に血で細い円を描いた。


「次の標的は、兵士のいない金属の城。そこを燃やしたとき、科学連合国はどう動くかしらね」


 数日後――学園都市近郊・海上データセンター島。

 海電車、SOT-1・0と海底ケーブルでのみ繋がる、千億万グループの金融データ中枢と、

 その直下にある金属備蓄庫。

 夜の霧を裂いて、SDSの小型艇が静かに接近していた。


「結界感知、ゼロ。魔法対策は甘いですね」


 若手の魔術師が、ほくそ笑む。


「科学は科学で、自分たちの数字と金属の塔を守るのに精一杯なんでしょう」


「だからこそ、狙い目なのよ」


 イザベルが、小さく呟く。


「ここを焼けば、敵性排除は兵器を維持できなくなる。戦場に流れる金と金属を止めるのも、立派な魔女の戦い方よ」


 彼女が詠唱を始めようとした、その時。

 足元の床が、かすかに鳴った。

 コツン、という音のあと――

 魔術師のブーツの裏に、銀色の薄い板がぴたりと張りつく。


「……今の、何?」


「靴底に、何か――」


 指先で触れようとした瞬間、銀板がナイフのように伸びて、空間を裂いた。

 慌てて飛び退った魔術師の足元に、水銀のしずくが散る。


「金属反応……!?」


 イザベルが顔を上げると、霧の上――データセンター島の上空に、黒い影が二つ、音もなく降りてくる。

 一つは、蜘蛛型パワードスーツ、SA-2・0。

 もう一つは、人影だけ。


「敵性排除、実動二ユニット。識別パターン――狭間玲奈と、千億万徳美」


 魔術師の声に、イザベルの口元が歪む。


「……本人が来たのね、金属と金の塔の令嬢が」


 夜空から降り立ちながら、千億万は明るい声を上げた。


「はじめまして、魔女さんたち。千億万徳美です」


 彼女の足元に、細い銀の糸のようなラインが広がっていく。

 それは、島の床一面に事前に埋め込まれていた金属ネットワーク――千億万が自ら金属生成で仕込んだ地盤だった。


「千の億と万の徳って書いて、千億万。――名前負けしないくらいの資産と金属は持ってるつもり」


 隣でスパイダーが脚を構え、狭間の声が響く。


「敵性排除・実動要員、狭間玲奈。この島への不正接近者は――排除対象です」


「排除、ね」


 イザベルは杖を握りしめた。


「科学の金属庫と金庫番。いいわ、異端審問にはちょうどいい敵」


 彼女は自分の手の甲を裂き、血で空中に陣を描こうとする――が。


「ストップ」


 千億万の指先が、軽く鳴った。

 その瞬間、地面から銀色の針が林のように突き出して、

 描きかけの血の軌跡をすくい取るように包み込んだ。


「……血が、床に落ちない?」


 イザベルの手のひらから零れた血は、床に触れる前に細かな水銀球に絡め取られ、銀の小皿に吸い込まれていく。


「あなたの血は、ここでは魔力の燃料でしょ?」


 千億万は、楽しげに笑った。


「ごめんなさい、その燃料配管、全部うちの金属で事前にジャックしてあるの。血が床に触れる前に、水銀と銀の微細ネットで回収されて、契約の陣まで届かないようにね」


 銀糸ネットが地面を走り、魔方陣の起点になりそうな位置を片っ端から塞いでいく。

 千億万の金属生成で生成された銀と水銀は、血の鉄分や魔力の流れに反応して、形を変え続けていた。


「この島の決済ルールはこうなってるの。魔術教会の血払いも、SDSの炎の燃料も――ぜんぶ一回、私の金属の口座を通ってからじゃないと流れない」


「金で、魔法まで管理するつもり?」


「管理してるのは、血と金属の流れよ。科学も魔法も、結局はエネルギーと物質の管理。――だったら、地盤の持ち主がいてもいいでしょう?」


「徳美、長話してる暇はない」


 狭間の冷静な声が割り込む。


「SDSが本気出す前に、足を止める」


「分かってるわよ」


 千億万は一歩下がり、狭間に視線を向けた。


「ここは私が地盤と金属を押さえる。あなたは、魔法そのものを止める役」


「了解」


 刹那――衝撃波が走った。

 狭間の衝撃波操作が、イザベル隊の足元の石畳をえぐり、

 詠唱に入ろうとしていた魔術師たちをまとめて吹き飛ばす。


「風障壁、展開――!」


 若手の魔術師が風の壁を立ち上げるが、その風はすぐに乱される。

 千億万の銀の柱が、風の流路を人工的に変え、渦を崩してしまうのだ。


「その風、いい材料ね」


 千億万は、銀の壁を立てながら微笑んだ。


「水分を含んだ風は、電解すれば金属の溶媒にもなる。――この島の空気も、私の金属生成の一部よ」


 狭間の散弾モードが、その隙を逃さない。

 オフセット・バーストが魔術陣だけを狙い撃ち、

 SDS側は「直接殺されずに」戦闘能力だけを奪われていく。


「……ふざけるな」


 イザベルが歯を食いしばる。


「科学は、人の命も数字にする。今度は血と魔力まで、金属ネットワークの支配下に置くつもり?」


「支配したいのは、戦場で暴走する支払いだけ」


 千億万は、珍しく真面目な声で言った。


「敵性排除に出資してるのは、科学連合国の栄光じゃない。――狭間玲奈みたいに、巻き込まれたくなかった人たちがこれ以上増えない未来のためよ」


 狭間は一瞬だけ目を見開き、それから前を向いた。


「……だからって、やり過ぎれば、あんたもSDSと同じになる」


「分かってるわよ」


 千億万は、肩をすくめる。


「だから副リーダー止まり。ブレーキ係の桂昌院と、アクセル踏み抜き係の西東のあいだで、――私は予算と地盤の管理係」


 その言葉に、イザベルが皮肉に笑った。


「いいわ。科学の塔と金属の塔、その両方を守っているつもりなら――いずれ、その塔ごと燃やしてあげる」


 そう言いながらも、彼女は退却の合図を出す。

 血の契約は封じられ、広域殲滅は使えない。

 ここで無理をすれば、魔術教会側の立場も危うくなる――

 それくらいの計算ができないほど、イザベルも愚かではなかった。

 霧の中に消えていく小型艇を見送りながら、狭間は深く息を吐いた。


「……逃がしていいんですか」


「今のログは全部、第三の座標に行ったわよ」


 千億万が答える。


「SDSも、敵性排除も。どこまで何をやったか全部、あの灰色の部屋に積まれていく」


「そのうち、私たちも座らされるんでしょうね」


 狭間の言葉に、千億万は小さく笑った。


「その時困らないように、――今の戦い方、ちゃんと黒字にしておきましょ」


 科学の過激派と、魔法の過激派。

 敵性排除とSDSの対立は、戦場だけでなく、金属と信仰のレベルでも、少しずつ形をはっきりさせていくのだった。

 第三の座標。

 色も時間も薄められた灰色の空間に、またひとつ新しい「線」が刻まれていく。

 学園都市近郊、海上データセンター島での小さな戦闘。

 敵性排除とSDSが、互いの「塔」の喉元を狙い合い、そして引き際を見極めた痕跡。


「……やっぱり、あいつら、止まる気ゼロだな」


 虚空に浮かぶログを見上げながら、佐藤芳樹がぼそりと呟いた。

 彼の口癖めいた一言が、この灰色の部屋にも沁み込んでいる。


「駄目だこりゃぁ。科学側も魔法側も、便利な狂犬を手放せない」


 隣で、リン・トレールが腕を組んだまま、黙って映像を追っていた。

 銀色の糸に絡め取られる血、砕かれる魔法陣。

 金属生成の少女が、さも当然のように「戦場の地盤」を買い占めていく。


「……あの千億万徳美って子」


 リンがぽつりと言う。


「科学の味方っていうより、自分のルールを敷きたいだけに見える」


「それでも、今の科学連合国からすれば必要な才能なんだろ」


 芳樹は、別のログに視線を滑らせる。

 魔術教会地下聖堂でのイザベルの報告、科学連合国軍監視査委員会が敵性排除の行動を精査し始めた記録。


「問題はさ」


 彼は、第三の座標の床を軽く蹴った。


「このまま狂犬同士に噛み合わせ続けるだけで、三回目の世界大戦なんか乗り切れるのか、って話だ」


 リンは答えなかった。

 ただ、灰色の空間に流れ込む無数の「もしも」を見つめ続けた。

 科学連合国軍監視査委員会・会議室。

 分厚い防音扉の向こうで、穏やかな怒りが静かに渦巻いていた。


「――確認しておこう」


 長机の上席で、桒原がゆっくりと言葉を選ぶ。

 科学連合国軍監視査委員会委員長。表情は柔らかいが、その目は決して笑っていない。


「敵性排除は、正式な命令を経ずに、学園都市近郊の民間金融データセンターを戦場に変えた。そこには確かに千億万グループの軍事関連データもあったが――同時に、一般市民の資産情報も含まれていた」


 西東三四は黙って腕を組み、壁の一点を見ている。

 その横で、桂昌院ちほが小さく息を吐いた。


「桒原委員長、敵性排除の責任者として、弁明を」


「弁明、ですか」


 桂昌院は椅子から身を乗り出した。


「まず前提として、SDSが本気でそこを焼く気だったことは、魔法側のログや魔術教会の動きからも明らかです。あの島を守らなければ、科学連合国の金融インフラは麻痺し、戦争どころか、国内の生活基盤そのものが崩壊していた可能性すらある」


「それは否定しない」


 桒原は頷いた。


「だが――問題は誰がどう守ったかだ」


 視線が、もう一人に向く。

 千億万。

 制服じみたジャケットに、場違いなほど余裕の笑みを浮かべている。


「敵性排除の副リーダー、千億万徳美君」


「はーい」


「君は、敵性排除に個人的資産と金属生成能力を投じて、SP-1・0やSA-2・0など、最新鋭兵器の実戦配備を支えている。それ自体は、軍としても恩恵を受けているが――」


 桒原の目が細くなる。


「今回の海上データセンター防衛は、国家防衛と私有財産の防衛が限りなく重なっていた。君個人の判断と利害が、敵性排除全体の戦略に影響を与えたと言える」


「……つまり、身内の金庫を守るのに軍を使ったって言いたいわけですね?」


 千億万は肩をすくめた。


「だったら正直に言いますよ。あの島は、千億万家の金庫であると同時に、科学連合国の弾薬庫です。私有と公共の境界線なんて、とっくに溶けてます」


「問題は、その事実を誰がどう管理するかだ」


 桒原の声は、あくまで静かだ。


「君の財産と能力に頼りすぎれば、科学連合国の戦争はひとつの家の財布に縛られる。それは、将来的に大きな歪みを生む」


 そこへ、西東が初めて口を開いた。


「桒原委員長」


「なんだね、西東君」


「敵性排除は、科学文明の生存可能性を最大化するために組まれた部隊です。私有財産だろうが公共施設だろうが、科学社会の継続に必須なものは、すべて防衛対象に含まれる」


「それは存じている」


「ならば、今回の千億万家の行動は正だ」


 西東は、淡々と言い切った。


「SDSは、科学そのものを根絶やしにすることを目的とした組織。彼らがあの島を落としていれば、戦場はもっと無様な形で拡大していた」


 数秒の沈黙ののち、桒原は小さく息を吐く。


「……だからこそ、監視査委員会が存在するのだよ、西東君。君の正しさが、いつ科学連合国を焼き尽くす火種に変わるか――我々は、それを見張る役目を負っている」


 千億万は、そのやりとりを横目に見ながら、椅子の上で足を組み替えた。


 (監視と、正しさと、戦争の財布。……この三つが、いつまで同じテーブルに座っていられるか、ね)


 魔術教会・地上本部 大聖堂会議室。

 高い天井に、重たい沈黙が垂れ込めていた。


「――SDSによる金融中枢への奇襲」


 テル・アルスが、報告書を静かに閉じる。

 魔法同盟国の象徴たる彼の声には、怒りよりも疲労がにじんでいた。


「イザベル・ロシュフォール」


「はい」


 前に進み出た魔女は、膝を折れと言われればいつでも折れる覚悟を固めている。

 しかし、その目にはまだ炎が宿っていた。


「君は、SDSの先頭に立って行動した。標的は敵性排除の資金源であり、同時に多数の一般市民の資産でもあった。その結果、敵性排除との直接交戦を招き――失敗した」


「……はい」


 イザベルは歯を食いしばる。


「ですが、テル様。あの金属と金の塔を放置すれば、科学連合国は永遠に戦争を続けられる。我々の信仰も、街も、人も、少しずつ削られていくのです」


「だからといって、無関係な市民の生活を人質に取るような真似は――」


 側近の魔術師が、思わず声を荒げかけたところを、テルが手で制した。


「SDSは、科学根絶を目的として作られた組織だ。その思想と手段が、我々魔法同盟国の名にそぐわない場面も増えている」


「……ですから、テル様は我々を飼い殺しにしたいと?」


 イザベルの声は低い。


「前線では血を流させ、都合の悪い手段はすべてSDSのせいにする。それで、あなた方の清い魔法は守られる」


 会議室の空気が、一瞬で凍りつく。

 それは、明確な挑発だった。

 テルは、それでも穏やかに目を細めた。


「私は、魔法を清いものだと考えたことはないよ、イザベル」


「……え?」


「魔法も科学も、ただの力だ。それをどう使うかを決めるのは、いつだって人間側の都合だ」


 テルは、静かに立ち上がった。


「だからこそ――我々は、力に名前を付け、組織に箱を用意する。魔術教会、魔法同盟国、SDS……箱を分けることで、少しでも犠牲を整理しようとしているに過ぎない」


 イザベルの拳が震える。


「では、私は――」


「君は、SDSの現場指揮官だ」


 テルははっきりと言った。


「その役目を否定するつもりはない。だが、魔法同盟国全体が君たちと同じ手段を取るわけではない、というだけだ」


 それは、明確な線引きだった。

 SDSは必要だが、全面的には肯定しない――という残酷な宣言。


「……承知しました、テル様」


 イザベルは頭を垂れる。

 納得ではない。

 ただ、今この場でできる唯一の退き方を選んだだけだ。


 (なら、せめて――)


 彼女の胸の奥で、別の炎がぷつぷつと燃え始めていた。


 (せめて、科学の狂犬を噛み殺す役だけは、譲らない)


 第三の座標。

 魔術教会の会議室のログが、ゆっくりと消えていく。

 代わりに、科学連合国軍監視査委員会の議事録が浮かび上がる。


「どっちも、両方とも必要な火だと思ってるのに」


 リンが、ぽつりと言った。


「科学は敵性排除を手放せない。魔法はSDSを切り捨てきれない。でも、どっちの上層部も、いつか暴発するって予感してる」


「だから、こっちにログが流れてくる」


 芳樹は、薄く笑う。


「第三の座標は、過去の責任を積む場所だ。科学も魔法も、いざとなったらここに全部押しつけるつもりなんだろうさ。――あの時、こうする他になかったってね」


「……じゃあ、俺たちは?」


 リンの問いに、芳樹は少しだけ真面目な顔をした。


「俺たちは、それでも別の線を引けるかもしれないっていう可能性だよ」


 まだ、誰も選んでいない未来の線。

 敵性排除とSDSの血で描かれた現在の線の、その少し外側にあるかもしれない細い道。


「第三次世界大戦は、まだ始まったばかりだ」


 芳樹はログを閉じた。


「――ここから先、どこまで狂犬を使って、どこで手放すか。科学も魔法も、その覚悟が試される」


 灰色の空間に、静かな緊張が満ちていく。

 物語は、まだまだ続いていくのだった。


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