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第5章 証言室の光と影

「ここが、証言室?」


 リオが、おそるおそる中に足を踏み入れた。


「ああ。現在物象プレゼントマターで音と映像だけつないでる」


 芳樹は、指を鳴らして机の上に小さなホログラムを浮かべた。

 そこには、WSの尋問室の映像。

 椅子に座る初老の男と、その背後に立つ桒島美咲の姿が映っている。


「こっちからは見えるけど、向こうからは何か別の観察室にしか見えない。声も、必要な分だけ中継する」


「つまり、ここは……」


 リンが、椅子の背にもたれて腕を組んだ。


「科学の戦犯候補と、被害者側が向き合う場所。でも、お互いが直接手を出さないように、一枚壁を挟んだ部屋ってわけね」


「暴力で終わらせたら、意味がないからな」


 芳樹は、自嘲ぎみに笑う。


「ぶん殴りたいなら、戦場の方でいくらでも機会はあるし」


「本当に、殴らないんですか」


 リオの声が、小さく揺れた。


「あの人たちがやったこと、ニュースで数字になっただけじゃなくて、私たち一人一人の体に、ちゃんと傷が残ってるのに」


「殴りたいのは、俺も同じだ」


 芳樹は、真っ直ぐにリオを見る。


「でも、殴ったあとに残るのは、すっきりした気分と、何も分からないまま死んだ加害者だけだ。――それじゃ、科学も魔法も、同じことを繰り返す」


 少し間をおいて、言葉を継ぐ。


「だから、ここでは全部しゃべらせる。何を考えて、誰の命令で、どこまでを仕事だと言い訳できると思ってるのか。その上で、赦すか赦さないかを決めるのは――」


 彼は、リオの胸元をそっと指さした。


「お前たちだ」


 リオは、ぎゅっとノートを抱きしめた。


「……怖いです」


「怖くていい」


 リンが、隣の椅子を引き寄せる。


「怖がりながら座ってる方が、本当の被害者だって証拠よ。勇ましく罵倒するだけの連中より、よっぽど重い」


 第三の座標の床が、静かに光った。


 証言室が、外の世界の一室と接続される。


 WS尋問室。


「対象、第七研究区画・元主任研究員、コードN‐71。本日以降、第三の座標・証言室への中継を開始する」


 桒島美咲が、淡々と告げる。


「第三の座標……あの噂は、本当だったのかね」


 男は、疲れきった目で天井を見上げた。


「世界の外に、誰の国にも属さない裁きの場がある、とかいうお伽噺だ」


「お伽噺じゃないわよ」


 桒島は、わざとらしく肩をすくめる。


「安心しなさい。あんたをいきなり吊るし上げるつもりはない。――聞きたいって言ってる子がいるだけ」


「……子?」


 男の眉がかすかに動いた、その瞬間。

 壁の一部が、微かな光を帯びた。

 向こう側には、灰色の部屋。

 机を挟んで座る三人の影が、ぼんやりと浮かび上がる。


「これより、CURRENT FAMILY - phase 2、第一回証言を開始する」


 芳樹の声が、中継用スピーカーから静かに響いた。


科学連合国かがくれんごうこく軍・独立治安維持部隊・WSホワイトサイエンス立会いのもと、元・魔女狩り計画実験研究員N‐71に対する、経緯聴取を行う」


「……中立科学連携ちゅうりつかがくれんけいのリーダー、佐藤芳樹、か」


 男は、ゆっくりと視線を上げた。


「噂は聞いている。君と、その親類たちが、中立協定を作ったと」


「噂が歩くのは止められない」


 ホログラム越しに、芳樹が肩をすくめる。


「でも今日の主役は、俺じゃない。――ここにいる、この子だ」


 そう言って、少し身を引くと、

 灰色の部屋の中央に座る少女の姿が、はっきりと見えた。

 茶色の髪。細い肩。

 膝の上でノートを握りしめた手が、小さく震えている。


「あなたは……」


 男の喉が、ごくりと鳴った。


「見覚えは?」


 桒島が、横から静かに問いかける。


「第七研究区画の資料室で、何度か視界に入っているはずよ。あなたたちが成功例候補と呼んでいた子のひとり」


 男の顔色が、目に見えて変わった。


「まさか……トレール……?」


 リオは、深く息を吸い込んだ。


「リオ・トレール。――元・魔女実験施設収容者です」


 声は震えていたが、はっきりと聞こえた。


「今日は、あなたに聞きたいことがあります」


 第三の座標・証言室。

 灰色の空間に、心臓の鼓動の音だけが響いているようだった。


「まず、一つ目」


 リオは、ノートの一ページを開き、そこに書いてある質問を読む。


「魔女狩り計画実験で、どうして私たちは数として扱われたんですか。ニュースでは十万人処刑って言ってました。でも、あなたたちの資料には、成功例〇名とか、失敗例××名とか、そういう書き方しかされてなかった」


 男は、しばらく黙っていた。

 やがて、彼は口を開く。


「……科学だと思っていたからだ」


 その言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰める。


「魔女という概念を再現し、裁判と処刑のプロセスを再現し、歴史的データと照合し、人間社会における恐怖と秩序のメカニズムを解析する。――我々は、それを実験と呼んだ」


「十万人を?」


 リオの声が、少しだけ強くなる。


「十万人を、実験って呼んだんですか」


「君たちは、サンプルだった」


 男の声は震えてはいなかった。

 しかし、その顔には、うっすらと疲れが滲んでいる。


「私は、机の上の数字とグラフしか見ていなかった。何人目の処刑で、群衆の反応が変わるかどの種類の尋問で、魔女と認定されやすくなるか君たちの顔を、まともに見ることはなかった」


「見ようとしなかったんでしょう」


 リンが、静かに口を挟む。


「見たら、実験って言い訳できなくなるから」


 男は、閉じかけていた目を、ゆっくりと開いた。


「……そうかもしれない」


 小さな声だった。


「魔法は、我々にとって未知の力だった。それを恐れた人々が、中世に魔女狩りを行ったように、我々は、科学の名のもとに同じことを繰り返した。――違いは、それを再現実験と言い換えたことだけだ」


「それ、反省してますか」


 リオの質問は、あまりにもまっすぐだった。


「それとも、仕方なかったって言いたいですか」


 尋問室側で、桒島がわずかに息を呑む。

 軍法会議でなら、こんな問いは飛んでこない。

 でもここは、第三の座標。

 被害者が、加害者に直接投げてもいい場所として作られた部屋だ。


「……反省という言葉が、どこまで届くのかは分からない」


 男は、椅子の背にもたれた。


「君たちを数字として扱ったことを、今となっては悔いている。だが、あの時、私は確かに科学者だと思っていた。歴史の再現によって、人類社会の暗部を照らし出す。その成果は、将来の平和に役立つと信じていた」


「平和のために、十万人?」


 リオの指先が震える。

 ノートの端を、ぐしゃりと握りしめる。


「私の友達も、みんな、平和のための数字にされたってことですか」


「……そうだと、言えるほど強くはない。私は、そこまで覚悟を持っていたわけじゃない」


 男は、自嘲するように笑った。


「本当のところは、出世と研究費と、論文と、名誉のためだったのだろう」


 その言葉は、誰よりも自分自身に向けられた刃だった。

 第三の座標側で、芳樹が目を閉じる。


 (こういう自分で自分を殴るタイプが、一番厄介なんだよな)


 加害者であり、同時に自分を裁こうとする人間。

 その懺悔が本物かどうかを判断するのは、容易ではない。


「リオ」


 小さな声で呼びかける。


「一旦、休憩挟むか?」


「……いいえ」


 リオは、首を振った。

 涙は出ていない。

 ただ、目の奥が熱い。


「まだ、聞きたいことがあるんです」


 ノートの別のページをめくり、

 震える指で次の質問を追う。


「二つ目。――どうして、やめようって誰も言わなかったんですか」


 尋問室の空気が、さらに重くなった。

 WSの隊員たちも、中継越しにそれを感じ取る。


「上が命じたから、ですか。科学連合国軍が、お金を出したからですか。それとも、魔女や魔法使いたちが敵だから、ですか」


「……全部だろうな」


 男は、ゆっくりと答えた。


「誰か一人のせいにすれば、楽だ。だが、実際には、軍も、政治家も、科学者も、少しずつ肩を押し合っていた。自分だけが止めても、何も変わらないそう思えば、誰も手を挙げない」


「じゃあ、私が聞きます」


 リオは、ノートを閉じた。

 そして、まっすぐに壁の向こうを見据える。


「――あなたは、今なら止められますか。もし、また同じ計画が動き出したら、今度はやめろって言えますか」


 長い沈黙。

 やがて、男は小さく頷いた。


「……今なら、言える。科学の名のもとに、人を数字にするなと」


「その言葉、録画したわよ」


 桒島が、冷徹なプロフェッショナルの声で言う。


「第三の座標の証言データとして、科学連合国軍のアーカイブにも、魔法同盟国まほうどうめいこくとの協議資料にも提出される。――あんたの今さらの反省が、次に同じことをしようとした誰かの首を締めるようにね」


 男は、力なく笑った。


「それなら、少しは……救いになるかもしれんな」


 第三の座標・証言室。

 中継がいったん切られ、灰色の部屋に静寂が戻る。


「……どうだった」


 芳樹が、そっと尋ねる。


「分かりません」


 リオは、正直に言った。


「本当に反省してるのか、ただそう言うしかないと思ってるのか、私には、まだ分かりません。でも――少なくとも、平和のためだったって嘘はつかなかった」


「それだけでも、十分だ」


 リンが、ゆっくり頷く。


「本当の地獄ってのはね、全部、正義のためでしたって顔で笑える奴らの集まりよ」


「……まだ、続けられそうか」


 芳樹の問いに、リオは少し考えてから答えた。


「今日は、ここまでにします。でも、また呼んでください。まだ、聞いてないことが、いっぱいあるから」


「了解」


 芳樹は、椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。


「フェーズ2・第一回証言、終了。――心臓、まだ動いてるしな」


「駄目だこりゃぁ。自分の鼓動を作戦の指標にするリーダーとか、聞いたことないよ」


 芳美が、呆れたように笑いながらも、兄の腕を支える。

 第三次世界大戦は、外側で燃え続けている。

 魔法と科学の砲撃は止まらない。

 それでも、その中心で――

 十万人の数字にされた命のための、小さな証言がひとつ積み上がった。

 科学でも魔法でもない第三の座標で、

 世界はほんの少しだけ、自分の罪と向き合う準備を始めていた。

 第三の座標での第一回証言が終わってから、まだ一日も経っていなかった。

 けれど、世界は待ってくれない。

 独立治安維持部隊・WS地下施設。

 モニタールームの薄暗がりの中で、桒島美咲は一人、さきほどの記録映像を巻き戻していた。

 灰色の部屋。

 震える少女の声。

 初老の研究者の、乾いた懺悔。


「……第三の座標、ね」


 カップに入った冷めたコーヒーをひと口あおる。


「軍法会議よりタチが悪いわ。本当に被害者の目を見て喋れなんて、普通の法廷じゃ要求されないもの」


 背後から、若い隊員が躊躇いがちに声をかける。


「桒島隊長。第三の座標との連携、どう思われますか」


「どう、って?」


「科学連合国にとって、です。……あそこに罪を預けることが、本当に得になるのかどうか」


 桒島は、視線を画面から外さないまま答える。


「得か損かで言えば、どっちでもあるわ」


「どっちでも……?」


「次に誰かが魔女実験みたいな真似をしようとしたら、今回の証言がまるごと首に巻き付く縄になる。科学者だろうが軍人だろうが、お前、N‐71と同じこと言ってるぞって突き付けられるのよ」


 そこでようやく、彼女は振り向いた。


「――それを損だと思うなら、そいつは最初からこの世界大戦に関わるべきじゃない」


 隊員は、少しだけ目を見開いた。

 桒島の言葉は冷たいが、その奥にあるものはよく知っている。

 WSは、科学の汚れを掃除する部隊だ。

 本当は、あってはならない組織。

 でも、なければもっと大きな汚れが広がる。


「第三の座標は、汚れを捨てるゴミ箱じゃない」


 桒島は、画面を指先で叩いた。


「ゴミ箱の中身を永久保存して、次に同じことをやろうとした手を叩き折る装置よ。――それが分かってて付き合うなら、科学連合国にとっても、悪くない相棒だわ」


 魔法同盟国・断崖上の会議室。

 テル・アルスのもとにも、証言室の第一報が届いていた。

 魔導書のような端末に、中立科学連携からの要約が表示される。


「……十万人の処刑を、再現実験と呼んだ、か」


 テルは、唇の端で小さく笑った。


「正直だな。正直すぎて、呆れるほどだ」


「最大主教」


 側近の魔導師が慎重に問う。


「この第三の座標による証言作戦、我々はどこまで関わるべきでしょうか。科学側の罪を暴いてくれるのは、我々にとって有利な材料にもなりますが――」


「科学の罪だけで終わると思うか」


 テルの声が、その言葉を遮った。


「彼らは、いずれ魔法側にも同じことをする。魔女を英雄に仕立て上げた者たち、魔力を兵器として使い潰した者たち、科学を根絶するためと称して街を焼こうとしている者たち。――彼らもまた、第三の座標に呼ばれる日が来るだろう」


 側近は息を呑む。


「最大主教は、それでも構わないと?」


「構わない、とは言わない」


 テルは、窓の外の荒れた海を見下ろした。


「だが、必要だとは思っている。我々は、魔法は正義であるという物語を、自分自身のために語り続けてきた。第三次世界大戦の中で、それを一度は疑う場があってもいい」


SDSエスディーエスは、激しく反発するでしょう」


「放っておいても彼らは反発する。魔法同盟国が科学と手を結んだと叫びながら、どこかの街を燃やしに行くさ」


 テルの瞳が、冷たく光る。


「ならばせめて、魔法を信じているからこそ許せない暴力を、我々の側からも示す必要がある」


 第三の座標。

 証言室とは別の一角で、リオはノートを机に広げていた。

 隣ではリンが紅茶をすすり、その向かいで春香と夏香がソファに寝転がっている。


「……次は、誰が来るんでしょう」


 リオがぽつりと呟く。


「WSからのリストを見る限り、まだまだ話を聞きたい人は山ほどいるわ」


 リンが答える。


「でも、あんたが全部背負う必要はない。今日は一人、明日は一人。聞きたいって思えたタイミングでいいのよ」


「それにね」


 ソファから、春香がひょいと顔を出した。


「証言を聞くのは、リオちゃんだけの仕事じゃないんだよ」


「そうそう」


 夏香も、リモコンを弄びながら続ける。


「私たちは戦場の速度担当。お兄ちゃんは戦線の線引き担当。奈保美さんは魔法と科学のズレ担当。証言室は、世界が自分のことを説明する場所ってだけで、そこからどう線を引き直すかは、みんなの仕事」


「……みんなでやってる、って思っていいんですか」


「もちろん」


 リンが、リオの頭をぐしゃっと撫でた。


「一人で世界大戦の罪と向き合うなんて、そんなバカな役目、うちの家系に独占させないわよ」


 リオは、くすぐったそうに笑った。


「じゃあ、私も仕事を続けます」


 そう言って、ノートの別ページを開く。

 そこには、さっきまでの質問とは違う種の言葉が並んでいた。


「これは?」


 リンが覗き込む。


「未来の質問です」


 リオは、ペンを握り直した。


「科学側の人たちだけじゃなくて、いつか、魔法側の人たちにも聞いてみたいこと。どうして、私たちを英雄にしたがるのか。どうして、魔力が強いってだけで、普通に生きちゃいけないって言うのか」


 リンは、ふと視線を逸らした。


「……耳が痛いわね」


「テル様にも、いつか聞いてみるといい」


 部屋の入口から、芳樹の声が飛び込んできた。


「魔法を守るための戦争と、魔法を象徴にするための戦争は違うって、あの人はちゃんと分けてるみたいだから」


「芳樹さん」


 リオが顔を上げる。


「心臓は、大丈夫ですか」


「質問の順番がおかしいな」


 芳樹は苦笑しながら、自分の胸を軽く叩いた。


「とりあえず、フェーズ2の一回目を終えた程度なら、駄目だこりゃぁの手前だ」


「それ、全然安心できないんですけど」


 芳美が後ろからツッコミを入れる。


「でもまあ、このくらいで止まる心臓なら、最初から第三の座標なんてやってないでしょ」


 科学都市・外縁の共同研究区画。

 夜。

 国際科学都市と科学都市の中間に位置するそのエリアには、

 各国からの研究者と学生が混ざり合っていた。


「ここが、次の火種候補か」


 高台の影から、SDS指揮官の女が街を見下ろしていた。

 国際科学都市ほどの象徴性はない。

 だが、科学と中立、時に魔法側の研究者までが集うこの街は、

 ある意味では「未来の芽」が詰まった場所だった。


「焼けば、科学も中立も魔法も、同じ穴のムジナだと示せる。――建前上は、ね」


 彼女は、自分の口から出た言葉に、

 小さな違和感を覚える。


 (本当に、それでいいの?)


 国際科学都市の夜景が、脳裏に蘇る。

 塔の周りに重なって見えた「ただの街」。

 その違和感を、まだ完全には消しきれていない。


「指揮官」


 副官が控えめに声をかける。


「最大主教本営から、再通達が来ております。国際科学都市を完全な標的とする攻撃は禁止――共同声明の準備も進んでいるようです」


「知ってる」


 女は、短く答えた。


「だから、そこは狙わない。あそこは今や、魔法も科学も手を出したくない窓になった」


 副官がわずかに眉をひそめる。


「指揮官は、本当にそれでよろしいのですか。我々の掲げた科学根絶の理想からは、後退に見えますが」


「理想は、現実にぶつけて磨くものよ」


 女は、街の灯りを睨みつける。


「全部を焼き払う覚悟がないわけじゃない。でも――どこを残すかを考えずに放火しても、それはただの火事でしかない」


 彼女の言葉には、以前よりも明確な逡巡と、

 それでもなお揺るがない怒りが混ざっていた。


「次の標的は、ここじゃない」


 女は、指先で別の地点を指した。


「科学都市のさらに奥。魔女実験の後処理をしていると言われている、黒塗りだらけの研究棟群――」


 そこは、WSですら容易には近づけない、科学の墓場だった。


「本当に燃やすべき場所は、まだ別にある」


 未来都市・第零会議室。

 SDSの動きが、微弱な魔力ログとして捕捉されたのは、その数時間後だった。


「……黒い尾を引いて、科学都市の奥へ向かってる」


 春香が、虚数空間ボードを覗き込みながら言う。


「国際科学都市じゃない。共同研究区画でもない。もっと、見られたくない何かが眠ってる方へ」


「WSの管轄ギリギリのライン、か」


 西園寺が、データを拡大する。


「魔女実験の残骸、廃棄されたはずの処刑演算装置、誰も認めたがらない過去の研究室。そこを火事にして、全部灰にしようとしてる」


「……それだけ聞くと、正論にも聞こえるな」


 芳樹が、椅子に座ったまま天井を仰いだ。


「燃やしてしまった方が、誰も見なくて済む。そう思ってる科学者も、魔法使いも、山ほどいる」


「でも、あそこを燃やされたら――」


 芳美が、モニターの一角を指さす。


「第三の座標が集めようとしてる証言も、全部、灰になるよ」


 そこには、黒塗りだらけのファイルのリストが表示されていた。

 N‐71のような元研究員たちの証言と組み合わせることで、

 ようやく歴史として浮かび上がるはずの断片たち。


「駄目だこりゃぁ……」


 芳樹は、ゆっくりと体を起こした。


「焼くべきなのは、建物でもデータでもなくて、同じことをもう一度やろうとする理屈の方だ。そこを取り違えた火事は、止める」


「行くのね」


 リンが、何も訊ねずに言った。


「第三の座標のリーダーとして?それとも――」


「佐藤芳樹として」


 彼の答えは、少しだけ早かった。


「科学の家で育って、魔法の街を焼いて、第三の座標で妹たちを守ろうとしてる、一人の人間として。――罪を燃料にする連中の火事場には、心臓が許す限り、顔を出す」


 胸の奥で、また心臓が抗議の鼓動を打つ。

 それでも、彼は歩き出した。

 科学でも魔法でもない第三の座標から、

 再び世界へと線を伸ばす。

 第三次世界大戦の炎は、なおも勢いを増している。

 だが、その炎の中で、


「どこを燃やし、どこを残すか」を巡る


 新しい戦いが、静かに始まろうとしていた。

 アメリカ・ワシントン近郊――ポトマック河畔に築かれた巨大な人工島が、夜の海に浮かんでいた。

 そこが、国際科学都市。センター・ミラーが理事長を務める、科学連合国の「世界向けの顔」だった。

 その国際科学都市と、はるか彼方の科学都市とを結ぶ海上ルートの途中に、もうひとつの人工島群がある。

 工場の灯りと研究棟の窓が、夜空に格子模様を描く――

 科学商工産業都市。

 各国企業の研究所と工場、そして中立圏からも人材が集まる、「戦場の外側」に見える街。

 外洋上――SDS旗艦・艦橋。


「目標、科学商工産業都市・第三区研究区域。国際科学都市と科学都市の中間に位置する中立寄りの科学区画です」


 副官が、魔力で描いた立体地図を指し示す。

 工業用ドックと研究棟群、それに挟まれるようにして、小さな住宅区と商業区が点在していた。


「国際科学都市ほどの象徴性はない。でも、何でもアリの場所よ」


 指揮官の女は、仮面の奥で目を細めた。


「科学連合国名義の工場、中立圏のベンチャー研究所、魔法理論を科学風に計算し直している連中――全部まとめて、科学の商工業という名前でごまかしている」


「そこを焼けば、どう見えるか」


 副官が問う。


「科学の心臓部ではない。科学の手と口が麻痺する。――戦争の燃料と兵器の流れが、滞るわ」


 女の口元に、かすかな笑いが浮かぶ。


「国際科学都市は、最大主教と元帥の紳士協定の影に隠れた。なら、その周辺を支えている街を折ればいい。科学商工産業都市――あの光を、黒い煙に変える」


 胸の奥のためらいは、まだ完全には消えていない。

 国際科学都市を見たときに芽生えた「ここはただの街だ」という感覚が、薄く残っている。

 だが彼女は、その違和感を押し込めた。


「第三の座標がどれだけためらいをばら撒こうと、火を点けるかどうか決めるのは、私たちだ」


 未来都市・第零会議室。


「来たわね、科学商工産業都市」


 西園寺奈保美が、戦況ホログラムの一角を拡大する。

 国際科学都市から科学都市へと伸びる海上ルート。その中間に、工場の灯りが密集した島影があった。


「ここ、正式名称は科学商工産業都市。企業の研究所と工場が集まってて、国際科学都市の裏ロジスティクスみたいな場所」


「戦場にしたくない街、第二号か」


 佐藤芳樹は、ホログラムを覗き込みながら眉をひそめた。


「ここが燃えたら、科学連合国の供給網が止まるってだけじゃない。科学で飯を食ってる一般人の生活が、丸ごと吹き飛ぶ」


「つまり、数字に置き換えられるタイプの地獄になる」


 神宮寺が、ぼそりと呟く。


「死亡者数、失業者数、経済損失額――報告書の中でだけ、きれいに並ぶタイプ」


「駄目だこりゃぁ……」


 芳樹は、ゆっくり背もたれに体を預けた。


魔法教育教会まほうきょういくきょうかいと違って、ここには象徴になりうる塔も、看板もない。だからこそ、燃やしてもニュースで一行で済ませられる街なんだよな」


「だからSDSは、そこを選んだ」


 西園寺が、指でSDS艦隊の軌跡をなぞる。


「科学根絶を掲げながら、世界のニュースで大見出しにはならない場所。――でも、確実に世界の流れを変える場所」


「で、中立科学連携としては?」


 浜原優希奈が、頬杖をついて訊ねる。


「また皿広げるの?科学都市、国際科学都市に続いて、三枚目のベクトル皿よ?」


「心臓が文句言ってる」


 芳樹が、自分の胸をちょんと指でつついた。


「……けど、数字にされる地獄をもう一丁増やすのは、正直、見過ごしたくない」


「だったら、今回は皿だけじゃ足りないわね」


 西園寺が、別の層のホログラムを立ち上げる。


「科学商工産業都市には、WSの出張拠点がある。汚れた研究の監視と企業テロ対策用の、半ば秘密支部」


「桒島さんのところか」


「ええ。彼女たちに現場の避難と封鎖を任せる。こっちは、――SDSを止めに来た魔法側との橋を繋ぐわ」


「リンか」


 芳樹の視線が、自然と第三の座標の方向へ向いた。

 第三の座標。

 白い空間の中に、またひとつ新しい扉が現れていた。

 扉の向こう側には、科学商工産業都市の夜景。工場と研究棟の灯りが揺れている。


「……次は、あそこ?」


 リオが、扉越しの光を見つめる。


「そう。国際科学都市と科学都市の中間にある、働いてる人たちの街」


 リンが答える。


「戦場っていうより、生活の延長線上に科学がある場所ね」


「SDSが、そこを……」


「燃やそうとしてる」


 背後から、芳樹の声が重なる。


「だから、今回は三本柱で行く。一つ、現在物象のベクトル皿で、まとめて焼却だけは避ける。二つ、WSに避難と証拠保全を任せて、ここを燃やしたら世界にどう見えるかってログを全部残す。三つ――」


 彼は、リンを見た。


「魔法同盟国側から、戦場にしたくない街だって声をちゃんと上げる。テル様の名前を借りてでも」


「喜んで殴りに行くわ、うちのバカども」


 リンは、虹色の瞳を細くする。


「科学を根絶するためなんて言い訳で、働いてるだけの人たちの街を焼こうとしてる連中。魔法の名を汚すバカは、魔法側から殴るのが筋でしょ」


「……じゃあ、私も」


 リオが、おずおずと手を挙げる。


「え?」


 ふたりが同時に振り向く。


「いえ、その……前みたいに、ここは象徴じゃないって、科学商工産業都市にも、これはただの街だって式を送れないかなって」


 少し照れたように笑いながら、

 リオはノートを胸に抱きしめる。


「工場で働いてる人とか、夜勤明けでコンビニ寄ってる人とか、そういう人たちの顔が、SDSの人たちの頭にも、ちゃんと浮かぶように」


 芳樹は、一拍置いてから笑った。


「いいね、それ」


「第三の座標産、ためらいの魔法第二段階ね」


 リンも、楽しげに頷く。


「科学の街、国際科学都市、科学商工産業都市。どこもただの街だってことを、戦場に向かって何度でも叩き込んでやろう」


 科学商工産業都市・第三区研究区域。

 夜空の高みで、黒い魔力の火種が膨れ上がっていた。

 SDSの魔法陣が、工場群の真上にゆっくりと広がる。


「第一波、落下開始」


 旗艦からの指示が飛ぶ。


 ――その瞬間、


 空の色が、ごくわずかに「滑った」。

 国際科学都市のときと同じ、

 目に見えないベクトルの皿。

 そこに、第三の座標から伸びたためらいの式が絡みつく。


 (ここは、ただの街だ)


 工場のラインを止めないように働く人たちの鼓動。

 子どもを寝かしつけたあとで明日の弁当を考えている誰かの溜息。

 夜勤明けに、早朝のバスを待つ人のまぶたの重さ。


 ――そういう、名もなき生活の気配を、


 魔法は本来、敏感に拾うはずだった。


「……っ」


 SDS指揮官の女は、杖を握る手に力を込めた。

 視界の端で、工場群の上に「ただの街」の像が重なる。

 国際科学都市のときと同じ、嫌な感覚が胸を刺す。


 (また、これ……)


「指揮官!」


 副官が叫ぶ。


「魔力弾頭、出力がわずかに揺らいでいます!」


「構うな、続行――」


 言い切る前に、

 海の向こうから、違う色の光が伸びてきた。

 科学でも魔法でもない、

 第三の座標からの線。

 そして――

 断崖上の会議室から飛び出した、

 テル・アルス直属の魔導師部隊の光。


「魔法同盟国正規軍、前に出る!」


 リンの声が、風を切った。


「――うちのバカどもの火事場は、うちが止める!」


 科学商工産業都市の夜空で、

 科学と魔法と第三の座標が、ふたたび交差し始めていた。

 科学商工産業都市の夜空が、一瞬、昼のように明るくなった。

 黒いSDSの魔法陣から放たれた火種と、

 第三の座標から滑り込んだベクトル皿、

 そしてテル直属部隊の魔法障壁が、

 同じ一点でぶつかり合う。


「圧、強い……!」


 リンの隣で、魔導師の一人が歯を食いしばった。

 海上に展開した魔法陣の輪は、幾重もの光の板となって、落下する弾頭の勢いを削いでいく。


「踏ん張りなさい。――魔法同盟国は、この街を完全な標的としないって、自分たちで宣言したんでしょう?」


 リンの声に、部隊の魔導師たちが一斉に魔力を押し上げた。

 彼女の虹色の瞳の奥で、第三の座標の白がかすかに反射する。

 同じ頃、科学商工産業都市・第三区地上。

 研究棟の非常階段を駆け下りながら、白衣の青年が息を切らしていた。


「避難誘導はどうなってる! ??」


「WSの連中が先頭切って地下シェルター開けてる!上は任せろ、走れ!ってさ!」


 背後で爆音が響くたびに、窓ガラスがびりびりと震える。

 だが、まだ火の手は見えない。

 頭上のどこかで、見えない皿と障壁が働いているのだと理解する。


 (上で何が起きてるか分からないけど――少なくとも、全部まとめて焼くつもりじゃない火の落ち方だ)


 青年は、胸の奥にわずかな安堵を覚えながら、地下へ続く扉を押し開けた。

 外洋上・SDS旗艦。


「第一波、減衰。爆心、高度が予想より三百メートル上がっています!」


 副官の報告に、指揮官の女は舌打ちした。


「第三の座標の皿と、テル・アルスの障壁――二重か」


 彼女は、遠くに浮かぶ光の輪を睨みつける。

 国際科学都市のときと同じ、嫌な滑り方だ。


 (また、あの違和感……)


 胸の奥に、工場の灯りがちらつく。

 夜勤明けの労働者、子どもを抱いた親、コンビニのレジに立つアルバイト――

 魔法陣の下にいるのは、戦争屋だけじゃない。


「指揮官、第二波の準備を――」


「待って」


 女は、無意識のうちにそう言っていた。

 副官の目がわずかに見開かれる。


「ここを焼けば、確かに科学商工産業は麻痺する。でも――」


 言葉が、喉で止まる。

 脳裏に、第三の座標の白い空間がよぎった気がした。

 見たこともないはずの場所なのに。


 (違う。これは、多分――ためらいの魔法とやらのせいだ)


 自分で自分の思考を冷笑しながらも、

 それでも完全には振り切れない。


 ――その一瞬の遅れを。


 別の誰かが見逃すはずがなかった。

 未来都市・第零会議室。


「今、揺れた!」


 春香が、虚数空間ボードのグラフを叩く。


「SDS主任術者の出力が、一瞬だけ落ちた。国際科学都市のときと同じパターン」


「リオの式、二回目も入ったわね」


 西園寺が、満足げに頷く。


「今なら、こっちから上書きできる」


「じゃ、やるか」


 芳樹は、深く息を吸い込んだ。


「――現在物象。科学商工産業都市・第三区上空、爆心座標、外海方向へ五度ずらす」


 世界の向きが、ほんのわずかに傾いた。

 落下軌道の線が、地図上で外側へカーブする。

 胸の奥で心臓が悲鳴を上げるが、

 まだ、動いている。


 (駄目だこりゃぁ。三枚目の皿は、本当に限界ギリギリだな)


 額に浮かんだ汗を、袖で乱暴に拭う。


「春香、夏香。補正入れて」


「了解!」


「世界の速度、三%減速!」


 双子の声が重なった。

 弾頭が、街の上を通過する瞬間だけ、

 時間がわずかに粘る。

 その粘りが、爆炎を海上へ押し出した。

 科学商工産業都市・沖合。

 巨大な火の花が、暗い海の上で咲いた。

 衝撃波が白波を立てるが、陸地までは届かない。

 工場群の窓から、それを見上げる者たちの顔は、

 恐怖と、安堵と、理解不能の入り混じった表情で固まっていた。


「……今の、当たってたよな、絶対」


「奇跡、ってやつ?」


「奇跡にしちゃ、回数が多すぎる」


 誰かが、ぽつりと漏らした。

 国際科学都市、魔法教育教会、科学都市上空――

 そして今、科学商工産業都市。

 ギリギリで外れる攻撃が、世界各地で続いている。


 (何かが、世界のどこかでためらっている)


 その感覚だけが、確かなものとして残った。

 SDS旗艦・艦橋。

 火の花が、海上空域で散ったのを見届けて、

 指揮官の女は深く息を吐いた。


「……撤退」


 その一言に、艦橋の空気が揺れる。


「指揮官!? まだ――」


「まだ撃てる、でしょ? って顔ね」


 女は、副官の言葉を遮って笑った。

 仮面の奥で、瞳が鋭く光る。


「確かに撃てる。でも、撃てるから撃つを続けた先には、多分、何も残らない。少なくとも――私たちが守りたいはずのものは、ね」


 副官は言葉を失う。


「最大主教は、国際科学都市を外した。中立科学連携は、ただの街にためらいを仕込んでくる。それでもなお、全部焼けって言い切れるほど、私はもう、単純じゃない」


 自嘲気味な笑いが、艦橋に落ちる。


「……SDSは、ここで一旦、科学商工産業都市殲滅作戦から手を引く」


「それは、方針の転換を意味しますか」


「意味するとも。――次は、科学の罪の中心を狙う。第三の座標が集めようとしている証言ごと、ね」


 女の視線の先に、

 白く何もない空間のイメージが浮かび上がる。

 中立科学連携。第三の座標。人のためらいを武器にする場所。


「そこを焼けたら――世界大戦の形は、本当に変わる」


 そう言いながらも、胸の奥に小さなざわめきがある。


 (……本当に、焼けるの? 私は)


 その問いに、今はまだ答えられなかった。

 第三の座標。

 科学商工産業都市の火柱が、白い空間の壁の向こうで小さく再現されていた。

 街は燃えていない。

 工場も、研究棟も、少なくとも今夜は無事だ。


「ふぅ……」


 リオが、大きく息を吐く。

 ノートの端には、また新しい式が書き込まれていた。


「ただの街だって思ってもらうの、けっこう大変ですね」


「でも、効いてた」


 リンが、妹の頭を軽く小突く。


「SDSの弾頭、あからさまに嫌そうに逸れてたもの」


「ねえ、お兄ちゃん」


 芳美が、兄の肩にタオルを乗せながら言う。


「第三の座標ってさ、どんどん人のためらいを集めてる気がしない?」


「そりゃあな」


 芳樹は、弱々しく笑った。


「ここは、どっちの陣営にも完全には乗れない連中の集まりだ。ためらいと迷いのデパートみたいな場所になるのは、ある意味、当然だろ」


「駄目だこりゃぁ。戦略会議でそんなこと言うリーダー、他にいないよ」


 春香と夏香が、ソファの上で転がりながら笑う。


「でも、ためらいが武器になるなら」


「世界大戦のど真ん中でも、まだ人間でいられる」


 第三次世界大戦は、なお続いている。

 科学と魔法は、あちこちで互いを撃ち合っている。

 けれどその合間合間に――。 ギリギリで外れる砲撃と、燃えないまま朝を迎える街が、少しずつ増え始めていた。

 科学でも、魔法でも、まだ名前のついていない第三の力が、戦争の形を、静かに書き換えつつあった。

 科学商工産業都市の夜が、かろうじて「ただの夜」で終わったそのころ。

 荒れた外洋を望む断崖の上では、別の火の手が上がろうとしていた。

 魔法同盟国・大議事堂。

 半円形の広間に、魔法陣を刻んだ石柱が並び、各国・各派の代表たちが席を埋めていた。

 中央の壇上には、最大主教テル・アルス。

 その背後の巨大な窓の向こうには、灰色の海と雷雲がうごめいている。


「――報告は以上です」


 書記役の魔導師が巻物を閉じると、広間にざわめきが広がった。

 国際科学都市への攻撃未遂。

 科学都市上空の防衛線。

 そして、科学商工産業都市での「不発に終わった殲滅作戦」。

 どの記録にも、第三の座標と中立科学連携の影が差していた。


「最大主教」


 老人の魔導師が立ち上がる。銀糸の刺繍を施した長衣、長く手入れされた杖。

 古参の一派を率いる、いわば保守本流だ。


「貴殿は、事実上――科学連合国および中立科学連携と協調し、SDSの作戦を妨害したことになる。これは、魔法同盟国の大義に反するのではないか」


 大義。

 それは、「科学による魔女弾圧と実験を二度と許さない」という旗印だ。

 テルは、穏やかな声音で答えた。


「大義、か。では問おう。科学商工産業都市を丸ごと焼けば、そこに勤める魔法技師や、弟子たちも灰になるが――それでも魔法の大義に適うと、諸君は胸を張れるか」


「しかし、あの街は科学のための――」


「科学だけの街ではない」


 テルの声が、少しだけ鋭くなる。


「我々は、魔法理論を世界に広げるため、あの都市に多くの弟子を送り出している。魔力と科学を重ね合わせる研究も、国際科学都市ではなく商工産業都市の裏側で行われているのだ」


 議員席の何人かが、唇を噛む。


「それでもなお、大義の名の下に焼けと言うなら、私は最大主教として、諸君を魔法の敵と見なさざるを得ない」


 静かな宣言だった。

 だが、その場にいた誰もが、そこに含まれた重さを理解した。


「――SDSは、その敵に含まれるのですか?」


 別の席から声が上がる。若い女魔導師。

 リンドウの紋章を胸に付けた、新興派閥の代表だった。


「彼らは、科学に家族を奪われた魔女たちの集まりです。科学根絶という極端な手段を掲げてはいるが、出発点は我らと同じ、二度と同じ悲劇を繰り返さないという祈りのはず」


 テルは、短く瞼を閉じた。


「それは否定せん。だが――」


 彼は、壇上の魔法陣に指先で短い記号を書き込む。

 空中に、第三の座標から送られてきた簡易ログが浮かび上がった。

 国際科学都市。科学商工産業都市。

 その上空で、ギリギリ外れていくSDSの弾頭軌跡。


「これは、科学側の奇跡ではない。中立科学連携によるベクトル操作と、第三の座標からのためらいの魔法の産物だ」


 ざわめきがさらに強くなる。


「魔法同盟国は、国際科学都市を完全な標的としないと宣言した。それにもかかわらず、SDSはそこを焼こうとした。我々が家と認めた場所を燃やそうとする者を、私は――どれほど過去を同情したとしても、味方とは呼べない」


 若い女魔導師は、言葉を失った。


「……最大主教。では、SDSを討つおつもりですか」


「討つ、とは言わん」


 テルは、首を振る。


「彼らは、我々の外にいるのではない。家の中で暴れている子どものようなものだ。殴り倒せば静かになるかもしれないが、それでは、何も学ばない」


「では、どうされるおつもりで?」


 問いに、テルは静かに答えた。


「――鏡を見せる。科学側の罪を第三の座標で洗い出しているように、魔法側の罪もまた、鏡に映す。魔法の名を借りて、誰を傷つけたのかを」


 その瞬間、広間の空気が凍った。


「最大主教、聞き捨てなりません」


 保守派の老人が、杖を強く鳴らす。


「それは、魔女動乱の火種になりかねない。我々自身の歴史を暴き立てれば、魔法同盟国の正統性が揺らぐ危険が――」


「既に揺らいでいる」


 テルの声は静かだが、絶対だった。


「子どもたちを象徴にしない戦争を選ぶ、と決めたときから、我々は古い正統性の一部を手放した。――ならば、新しい柱を立てるしかないだろう」


「新しい柱……?」


「魔法は、魔法自身の暴力とも向き合うという柱だ」


 テルは、遠く海の彼方を見やる。


「科学だけが裁かれる世界は、いずれ魔法の驕りを生む。第三の座標の証言室は、科学の罪だけでなく、魔法の罪もまた映す器になるだろう。我々は、それを恐れながらも、必要としている」


 会議の後。

 断崖上の静かな廊下で、リンは壁にもたれて待っていた。

 やがて扉が開き、テルが一人で出てくる。


「お疲れ様です、テル様」


「聞いていたか」


「丸聞こえでした」


 リンは、どこか苦笑いを含んだ顔で答えた。


「家の中で暴れている子どもとか、魔法の驕りとか。あまり評議会で言う言葉じゃないですよ」


「言わねばならん時もある」


 テルは、窓の外を一瞥する。

 荒れた海と、その向こうの見えない第三の座標を。


「……お前の方は、どうだ。SDSの現場を見て、何を感じた」


「正直、ムカつきました」


 リンは、即答した。


「科学を根絶するためって言いながら、国際科学都市も、科学商工産業都市も、――そこにいるただの人を何人燃やすことになるか、全然考えてない」


 拳を握る手が、わずかに震えている。


「でも同時に、あの人たちの中に、私と同じ怒りがあるのも分かる」


「同じ、か」


「科学に家族を奪われた、っていう点では」


 リンは、目を伏せた。


「私は、科学都市の初期実験で家族を失った側です。テル様に拾われなかったら、SDSみたいに全部燃やせって言ってたかもしれない」


「お前は、そうならなかった」


「テル様が、魔法のための戦争と魔法を象徴にするための戦争を分けてくれたからです」


 リンは、顔を上げる。


「だから、私はテル様側に立ちます。科学とも、第三の座標とも、必要なら手を組む。――そのことで、魔法の家を守れるなら」


 テルは、しばらく黙ってリンを見つめていた。

 やがて、ふっと目を細める。


「ならば、お前に頼みたいことがある」


「何でも」


「第三の座標の証言室に、魔法側の最初の証言者を連れて行け」


 リンは、思わず瞬きをした。


「……最初、ですか?」


「ああ。科学側の元研究者だけでなく、魔法を守るためと言いながら街を焼いた魔導師たちも、いつかあの場所に座らねばならない」


 テルは、静かに言う。


「だが、最初に呼ぶのは――SDSではない」


「じゃあ、誰を」


 テルは、自分の胸に手を置いた。


「かつて、魔法教育教会を要塞化して子どもたちを前線に立たせろと主張した、最大主教補佐のひとり。――今は、私の直轄部隊の顧問として隠れている男だ」


 リンの目が、鋭く細くなる。


「そんな人、まだ生かしてたんですか」


「罪を隠すためではない」


 テルの声には、わずかな苦さが滲んだ。


「いつか、あの場所に座らせるためだ。魔法の歴史が、子どもを盾にしない方向へ進んだことを、本人の口から言わせるために」


「……分かりました」


 リンは、深く息を吸った。


「その最初の証言、私が第三の座標まで連れていきます」


「頼む」


 テルは踵を返し、歩き出す前にふと立ち止まった。


「リン」


「はい」


「お前は、科学と第三の座標の両方に足をかけている。そのせいで、裏切り者と呼ぶ者も出てくるだろう」


「もう言われてますよ」


 リンは、肩をすくめた。


「科学の犬中立の手先テル様の鎖付き――だいたい一通り」


「それでもなお、その道を選ぶか」


「選びます」


 答えは、少しも迷っていなかった。


「だって――」


 リンは、第三の座標の方向を、窓越しに指さした。


「あっちには、私の妹がいるから」


 テルは、短く笑った。


「ならば、私は最大主教として、その裏切り者を全力で庇おう」


 その言葉は、魔法政治のど真ん中で、

 一本の線を引く宣言でもあった。

 第三の座標・証言室の灰色の壁に、新しい扉の影が滲み始めていた。

 そこから先は、科学の罪だけではなく、魔法の罪もまた、映されることになる。

 リンとテルが選んだ道は、魔法同盟国の中に新たな亀裂を生みつつも、同時に、第三次世界大戦の先にある、魔法が魔法自身を疑う時代への扉を、静かに開き始めていた。

 第三の座標・灰色の証言室。

 壁の一部に滲んでいた影が、ゆっくりと扉の形をとる。

 金属でも木でもない、概念だけでできた扉。その向こうに、別の部屋の空気が揺れていた。


「――来たわよ」


 リンが一歩前に出る。

 扉の向こう側にいる男が、わずかに息を呑む気配が伝わってくる。


「魔法教育教会を要塞化し、子どもを前線に立たせろって言った人……ですよね」


 リオが小さく確認すると、リンはこくりと頷いた。


「昔の最大主教補佐の一人。名前は……今はコードで呼ぶわ。M‐1」


 扉が、音もなく開いた。

 長いローブをまとった男が、第三の座標側に半歩だけ足を踏み入れる。

 髪には白いものが混じり、杖は持っていない。

 魔力の圧はあるのに、どこかしぼんだ灯火のような印象だった。


「……ここが、噂の第三の座標か」


 男は、灰色の部屋を見渡す。

 向こう側――魔法同盟国から見れば、ここは「最大主教の極秘観測室」としか説明されていないはずだった。


「ようこそ。――どこにも属さない、言い訳だけでは帰れない場所へ」


 机の向こうから、佐藤芳樹がいつもの調子で手を挙げた。


「中立科学連携の佐藤です。今日は、魔法側の最初の証言者として来ていただきました」


「……あのテル・アルスが、そこまでしたと?」


 M‐1は、わずかに目を細めた。


「最大主教は、己の陣営の汚れまで、科学側と同じ鏡に映す気なのか」


「そういう話、さっきご本人から聞いてきましたよ」


 リンが、壁際にもたれながら口を挟む。


「家の中で暴れてる大人も、いつかは鏡の前に立てって」


 M‐1の視線が、リンに向く。

 その目に、一瞬だけ昔の権威の色が宿った。


「……リンドウ家の娘か。テル派の鎖付きが、私をここへ連れてきたと」


「はい、鎖付きで結構です」


 リンは肩をすくめる。


「鎖の先に繋がってるのが、私の妹と、魔法教育教会の子たちなら、ね」


 証言室の空気が、静かに締まる。

 芳樹は、机の上に設置した中継装置に手を添えた。

 魔法同盟国本営にも、科学連合国の監査室にも、この場の記録は暗号化されて送られている。


「では、CURRENT FAMILY – phase 二――魔法側第一証言を始めます」


 そう告げて、彼はリオに視線を向けた。


「質問、準備できてるか」


「……はい」


 リオは、膝の上のノートをぎゅっと握った。


「M‐1さん」


 真正面から、名前ではなくコードで呼ぶ。


「あなたは昔、魔法教育教会を要塞にして、子どもたちを前線に立たせろと言ったと聞いています。――どうして、そんなことを言ったんですか」


 真正面からの一問。

 M‐1は、かすかに息を吸い込む。


「……魔法の未来を、守るためだと思っていた」


 ありきたりな答え。だが、その声は乾いていた。


「科学連合国は、魔女を材料にし、魔法教育教会を実験場に変えようとしていた。ならば、こちらも要塞に変えるべきだと。盾にするにせよ、矛にするにせよ――子どもたちの魔力は、戦場に必要だと」


「戦場に、必要」


 リオの指が、ノートの端を押し込むように強くなる。


「子どもたちの魔力は、必要だったんですか。守るべきものじゃなくて」


「……あの時、私は、そう考えていた」


 M‐1は、視線を逸らさないまま言った。


「大人たちだけで戦線を維持するには、魔法は足りなかった。魔力を持つ者は、皆資源だったのだ」


「テル様は、反対したんですよね」


 リンが、壁から離れて机に近づく。


「魔法教育教会を砦にするな。子どもは象徴にも兵器にもするなって」


「あいつは、理想主義者だ」


 M‐1の口元に、かすかな皮肉が浮かぶ。


「私は、現実主義者だった。――少なくとも、そのつもりでいた」


「今は?」


 リオが問う。


「今のあなたは、自分を何主義者だと思っていますか」


 M‐1は、しばらく黙ってから答えた。


「……逃避主義者だろうな」


 意外な言葉だった。


「私は、戦場の最前線からは退いた。テル・アルスの直轄部隊の顧問として、安全な部屋から戦況だけを眺めてきた。過去に自分が提案した戦略が、どれほどの地獄を生みかけたかを知りながら、もう自分の時代ではないと、目を逸らしてきた」


 リンの眉が、わずかに動く。

 そこにあるのは、軽蔑ではなく――似た傷を知る者の表情だった。


「……テル様は、あなたを殺さなかった」


 彼女は静かに言った。


「その代わり、ここに連れてこいと言った。科学側が、自分たちの罪を証言させているように、魔法側も、同じ鏡を見なきゃいけないって」


「最大主教は、自分の側の権威を削ろうとしている」


 M‐1は、苦笑する。


「魔法が絶対の正義でないと知りながら、それでも魔法を掲げ続けるために」


 同じ頃。

 魔法同盟国・大議事堂近くの別館――

 非公開の会合室では、別の魔導師たちの声が飛び交っていた。


「――最大主教は、狂ったのではないか」


「科学も魔法も同じ鏡に映すなど、魔法の権威を自ら捨てる行為だ」


「だが、テル・アルスの人気は高い。魔法教育教会の子どもたちを前線に出さなかったことで、子どもの味方として祭り上げられている」


「第三の座標などという得体の知れぬ場所に、我らの歴史を預けるなど――」


 その中で、若い魔導師が一人、黙って話を聞いていた。

 リンドウ家の紋章をつけた、別の血筋の青年だ。


 (……リンは、あっち側に立った)


 科学と手を組み、最大主教の決断を支持し、第三の座標に出入りする裏切り者。

 そう呼ぶ声が、同じ派閥の中からですら聞こえている。


「もし、この流れが続けば――いずれSDSに近い若者たちは、テルよりも過激派に肩入れするようになるぞ」


「魔法同盟国は、二つに割れる」


「第三次世界大戦の最中に、内乱の火種を持つ気か」


 青年は、拳を握りしめた。


 (それでも――)


 ふと、リンの言葉が頭をよぎる。

 科学の犬でも、中立の手先でもいい。

 妹を守る鎖になれるなら第三の座標の灰色の部屋で、リオと向かい合っていた姉の背中。

 それは、政治の議論とは別の次元で、あまりにもまっすぐだった。


 (俺たちは……。本当に、魔法を信じてるか?)


 心の奥で、誰にも聞こえない問いが生まれる。


 (自分たちの正しさだけを守ろうとしてないか?子どもたちや、ただの街の暮らしよりも)


 そのためらいは、まだ言葉にならない。だが、確かに魔法同盟国の内部にも、第三の座標が撒いた揺らぎが染み込み始めていた。

 第三の座標・証言室に戻る。


「――では、質問を変えます」


 しばらく科学・魔法両方の観点から質疑が続いた後、

 リオは、ノートの最後のページをめくった。


「M‐1さん。もし、今この瞬間に、魔法教育教会を要塞にせよ、子どもたちを前線に出せという案が、別の誰かから出されたとしたら――あなたは、何と言いますか」


 男は、目を閉じた。

 魔法教育教会の白い校舎。

 パリ郊外の林に囲まれたグラウンド。

 かつて自分が砦の壁として使おうとした場所。


「……今なら、こう言うだろう」


 ゆっくりと目を開き、彼は、第三の座標の壁に向かって言葉を刻む。


「子どもたちは、未来の魔法を担う者だ。だが今は、戦場ではなく教室に立たせろ。彼らが学ぶ場所を要塞にした瞬間、魔法は、自分で自分の首を絞めると」


 リンが、わずかに息を吐いた。

 テルが、この言葉を待っていた理由が分かる。


「その言葉、録画した」


 芳樹が、端末に指を滑らせる。


「魔法同盟国のアーカイブにも、科学連合国との協議資料にも送る。――かつて子どもを盾にしようとした魔導師自身が、それを否定したという証拠として」


 M‐1は、力なく笑った。


「第三の座標とは、つくづく残酷な場所だな」


「そうですか?」


 リオが、真剣な目で首をかしげる。


「私は、やっと誰かが言ってくれたって、思いました」


 その一言に、

 M‐1の目がかすかに揺れた。

 証言が終わり、中継が切れたあと。

 リンは、灰色の部屋の片隅に座り込んだ。

 背中を壁にもたせ、天井を見上げる。


「……正直言うとね」


 隣に腰を下ろした芳樹が、からかうように言う。


「テル様のお願い、断るかと思ってたよ。自分の陣営の黒歴史担当をここに連れてくる役なんて」


「ちょっと迷いましたけどね」


 リンは、苦笑した。


「でも、あの人がここに来なかったら、テル様の中で、あの言葉は永遠に頭の中の理屈のままだったでしょ。かつての仲間の口から出る必要があったんです」


「魔法政治、めんどくさいなぁ」


「そっちも大概でしょ、中立科学連携」


 軽口の中に、疲労と安堵が混ざる。

 第三の座標は、またひとつ「魔法側の証言」を飲み込んだ。

 それは同時に、魔法同盟国内の対立を顕在化させる火種でもある。

 それでも――

 テルとリンは。

 魔法が魔法自身を疑う、道を選んだ。

 それは、第四の勢力――まだ姿を現していない何かと向き合うための、小さくも決定的な一歩になるのだと、第三の座標の誰もが、はっきりとは知らないまま、何となく感じ始めていた。

 第三の座標で、魔法側の「最初の証言」が終わったころ。

 地球の反対側、科学都市地下のSGHQでは、別種の火種が生まれつつあった。

 科学連合国軍・総合戦略会議室。

 厚い防爆ガラス越しに、夜の科学都市が俯瞰できる。


「……結果として、国際科学都市も、科学商工産業都市も燃えずに済んだ。だがその裏で、魔法側と第三の座標に借りを作ったのも事実だ」


 鷹司正文元帥の低い声が響く。

 壁一面の大型スクリーンには、SDS艦隊が撤退していく衛星映像が映っていた。


「最大主教テル・アルスの部隊。そして――中立科学連携」


 一条実雄が、指先で画面を叩く。


「ためらいの魔法だの、世界の速度を落とすだの、綺麗事を重ねた結果、敵の主力は一隻も沈んでいない。――次は、どこを焼かれるか分からんぞ」


「分かっていて、なおブレーキを踏む連中がいる。それはそれで必要だ」


 鷹司は、窓の外の闇を見下ろした。


「だが同時に、ブレーキを踏まない部隊も必要だろう。中立科学連携やWSが救えない場面が、第三次世界大戦には山ほどある」


「……出すのか、あれを」


 一条の視線が、会議室の片隅に立つ黒衣の一団へ向く。

 白衣でも軍服でもない、黒いコート。

 胸には、さりげなく刻まれた小さな紋章――「E」の文字。


「紹介しよう」


 鷹司が頷く。


「科学連合国軍直属・敵性要素即時排除部隊。通称――敵性排除エネミーエクスカッション


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