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第2章 開戦と理工学都市防衛線

 第三次世界大戦開戦の公文が発令されたのは、科学連合国軍総司令部の地下で、重い沈黙が落ちていた瞬間だった。

 円卓の最上席に座るのは、全軍元帥・鷹司正文。鋭い眼光でホログラム地図を見据え、低く言う。


「――作戦番号S‐01を発動する。理工学都市前面、防衛線を死守せよ。ここを抜かれれば、未来都市も終わりだ」


 その隣で、佐藤芳樹は無造作にポケットに手を突っ込み、淡々と頷いた。


「了解」


 指を軽く鳴らすと、作戦マップの上に無数の小さな光点が生まれる。SH-1・0(六成翼)無人攻撃ヘリ――その内部には、彼の現在物象プレゼントマターが転移された弾薬と装甲が、際限なく補充される仕組みで組み込まれていく。既存の物質を書き換えることはできない。それでも、空間から「新たに生み出す」だけで、十分に戦況を変えられた。

 芳樹の背後から、明るい声が飛ぶ。


「お兄ちゃん、顔が怖いよ。大丈夫、あたしたちが前に出るから!」


 生物系能力者・佐藤芳美が、白衣の裾を翻して笑う。背中から伸びた鋼鉄の翼が、会議室の光をきらりと弾いた。


「この身体、細胞一つ残ってれば再生できるんだよ? だから――絶対に、誰も死なせない」


 対面では、西園寺奈保美が腕を組み、透明なスクリーンに指先で式を書き込んでいた。


「私の未物原子は常識外。六成翼の装甲にあり得ない物質を一層まぶしておいたわ。魔法だろうがビームだろうが、触れた瞬間、物理法則ごとねじ曲げてあげる」


 浜原優希奈は端末を叩きながら、フードの奥で目を光らせる。


「通信ライン、全部こっちの監視下。魔法同盟国がどんな詠唱プロトコル使ってきても、パケット単位で盗み見してやるから」


 その頃、遥か彼方の魔法教会では、魔法同盟国の戦議が進んでいた。

 会議卓に杖を立てたリン・トレールが、静かに決意を固める。


「姉として、もう故郷みたいな焼け野原は見たくない。……だからこそ、先に撃つ。理工学都市の心臓部を止めれば、被害は最小で済むはず」


 隣で妹のリオが、魔導銃を肩に担ぎ上げる。


「リン姉、背中は任せて。あたしたちは家族のために戦う。それだけは、科学の連中だって同じでしょ」


 後方には、奇襲部隊の魔女ルキ=ローライとローラー=サンクティスが控える。剣に魔力をまとわせたルキが笑う。


「さ、六成翼とかいうオモチャ、どれほどのものか試してみようか」


 ローラーは大きな魔法陣を展開しながら、囁くように呟いた。


「……攻撃も治癒も、全部終わった後でいい。まずは、この戦争を少しだけ優しい形に変えたいの」


 こうして、空には科学の六成翼の編隊が飛び立ち、対するは魔法同盟国の奇襲部隊。

 誰もが国のためと同時に、自分の家族や友を守るために武器を取っていた。

 その祈りにも似た覚悟が、やがて世界規模の戦火を、より激しく、より複雑なものへと押し広げていくことを、まだ誰も知らないまま。

 会議室を出て、芳樹たちは未来都市本部ビルの屋上庭園へと出た。

 夜の帳が降りはじめ、ガラスの壁越しに見える都市の光が、まるで星空をひっくり返したように瞬いている。


「……ふぅ。やっぱり、長時間座りっぱなしの会議は性に合わねぇな」


 手すりにもたれながら、芳樹が小さく息を吐く。

 足元から胸のあたりへ、わずかに重い鼓動が伝わってくるのを感じて、彼は胸ポケットを指でとんとんと叩いた。


「無理してない?」


 隣に立つ芳美が、わざとらしく覗き込むように顔を寄せる。


「お兄ちゃん、さっきからちょっと顔色悪いよ?」


「駄目だこりゃぁ、ってほどじゃねぇよ」


 と、口癖の一つをわざとらしく言ってみせてから、


「心配性だな、お前は。長距離走るよりマシだ」


 と肩をすくめる。


「走らせたら五十メートルで顔真っ青になるくせに」


 西園寺がくすりと笑い、紙コップのホットココアを差し出した。


「糖分とカフェイン。物理的にも精神的にも、ちょっとはマシになるでしょ?」


「お、サンキュー。……って、自分で作らなかったのか?」


「私の未物原子、飲み物にはまだ使いたくないのよね。存在しないココアって、なんか怖くない?」


 冗談めかした声に、三人から同時に笑いが洩れる。

 その笑い声を、ひときわ強いビルの風がさらっていった。


「それで――どうするつもり?」


 笑いがおさまったところで、西園寺が真顔に戻る。

 科学連合国と魔法同盟国の会議、そして先ほどの軍常任理事会での決定が、まだ彼女の頭の中で渦巻いていた。


「魔法側、あからさまに準戦時体制よ。あれは抑止力じゃなくて、いつでも撃てるって見せつけたい配置」


「分かってるさ」


 芳樹は、ゆっくりとココアを一口飲んでから、視線を夜空に向ける。


「だからこそ、こっちもやれること全部ってわけにはいかねぇ。バカじゃ俺は倒せない、って言ってやりたいが……」


「……心臓がね」


 と、先に言葉を継いだのは芳美だった。


「お兄ちゃん、さっきの会議で鷹司元帥も言ってたじゃない。お前の体は替えが利かん。現場に出るなら、必要最小限の時間に留めろって」


「元帥の命令には逆らえない、って顔してたよねー」


 芳美がニヤニヤしながら肘でつつく。


「あの人はこの国のトップだ。そりゃ立場は俺より上だろ」


 芳樹は苦笑しつつも、その言葉にはほんの少し敬意が滲んでいた。

 鷹司正文――科学連合国軍の元帥。

 穏やかな話し方とは裏腹に、その決断一つで世界の温度が一度は変わるとまで言われる男。

 先ほどの会議でも、魔法同盟国への全面報復を叫ぶ強硬派を、一言二言で黙らせていた。


「でもさ」


 芳樹は、指を軽く鳴らす。

 彼の足元に、何もない空間から薄い光の板のようなものがすっと現れ、すぐに霧のように消えていく。


「全部やらないのと、何もしないのは違うだろ。俺は俺の現在物象で、できる範囲のことだけやる。既にあるものを別物に変えるなんて器用なマネはできねぇけど――生み出すことと、消すことと、動かすことくらいは、まだ得意だ」


「十分バケモノだと思うけどね、それ」


 西園寺が肩を竦める。

 彼の能力がどれほど理不尽な防御力と攻撃力を兼ね備えているか――

 それを一番よく知っているのは、研究仲間であり友人である彼女たちだった。

 その時、屋上庭園の扉が勢いよく開いた。


「――ここにいたか、トップランカー三人組」


 白衣の裾を翻しながら現れたのは、浜原優希奈だった。

 彼女の肩からは、まだ静電気がぱちぱちと音を立てているような気配がある。


「今度は何、落雷実験の失敗?」


「失敗じゃない。成功率八十七パーセントまで上がったわよ」


 浜原はむっとしながらも、それなりに自慢げだ。


「で、本題は?」


「鷹司元帥からの伝言。東雲先輩と南雲先輩の解析が終わったって。これを見てもなお、動かないと決めるなら、それでも構わんってさ」


「……ずいぶん挑発的な言い方するじゃない、元帥」


 西園寺が苦笑する。


「解析って、あの魔法同盟国の予備攻撃パターンのやつ?」


 芳美が首をかしげる。


「そう。確率確定と感覚確定のダブルチェック。近未来予測と嫌な予感の一致って、あの二人くらいじゃないとできない芸当よ」


 東雲真夕――確率確定(PCディサイド)。

 南雲愛理――感覚確定(センスディサイド)

 科学連合国が誇る、情報戦の切り札二人。

 その二人が同時に「最悪のタイミング」を指し示したという意味を、

 この場にいる全員が理解していた。


「わかった。行こう」


 芳樹が、残りのココアを一気に飲み干して紙コップを潰す。

 その仕草一つで、場の空気がぴんと張り詰めた。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫?」


「冗談言える程度には元気だよ」


 そう言って、彼は妹の額を軽く指で弾いた。


「いってぇ」


 と言いつつも、その声にはどこか安心が混じっている。


「じゃ、トップ三人+ハッカー女王で、元帥のお呼びに応じますか」


 西園寺が立ち上がり、白衣の裾を払う。

 風がまた強く吹き、夜景が一瞬だけ滲んで見えた。

 それが――近づきつつある嵐の前触れであるかのように。

 科学連合国軍本部・戦略解析室。

 巨大な立体スクリーンの上で、地図が幾重もの光の層となって浮かび上がっていた。

 青は科学連合国の防衛線、赤は魔法同盟国の軍事拠点。

 そして今、新たに現れた薄紫の点滅が、一同の視線を釘付けにする。


「……これが、東雲と南雲の出した結論か」


 スクリーンの前で腕を組んでいた鷹司正文元帥が、低く呟いた。

 その声は驚くほど静かで、それでいて部屋の隅々までしっかりと届く。


「第四境界線、座標E-17からH-23にかけて。魔法同盟国が試し撃ちをしてくる確率は――九十八パーセント」


 そう告げたのは、東雲真夕自身だった。

 彼女は横に並ぶ南雲と視線を交わし、わずかに頷き合う。


「外したことは一度もないんだろ?」


 入室してきた芳樹が、半ば確認するように問う。


「嫌な確認の仕方をするね、君は」


 東雲は苦笑を浮かべる。


「でも、その通りだよ。この確率を見てなお、何もしないって選択を選ぶのは――確率の専門家としては、正直おすすめしない」


「第六感的にも、これ以上ないくらいに臭う」


 南雲が鼻先を押さえながら肩をすくめる。


「できれば外れてほしいけど、たぶん当たる。最悪のタイミングで、最悪の場所に」


「というわけだ、佐藤芳樹」


 鷹司元帥が、ゆっくりと振り返る。

 その視線は穏やかだが、決意の色は硬い。


「お前に求めるのはただ一つ。防ぐことだ。撃ち返す必要はない。反撃計画は別の部隊に任せる。お前は、その身と、その能力で――この国の都市と、人々を守れ」


 短く、しかし重い命令。

 芳樹は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 そして、ゆっくりと開き、いつものように口の端を上げる。


「了解しました、元帥殿。この程度で科学連合国が穴だらけになると思ってるなら――」


 彼は、指をぱちんと鳴らした。


「駄目だこりゃぁ、って思い知らせてやりますよ」


 彼の背後で、芳美、西園寺、浜原が同時に頷く。

 それぞれがそれぞれのやり方で、彼を支える覚悟を新たにしていた。

 世界の均衡が、かすかに傾きはじめた瞬間だった。


 ――科学連合国・未来都市中央タワー。


 人類が積み上げてきた科学文明と、数十年先の技術が凝縮されたガラスの塔は、夜になってもなお白い光を放っていた。

 最高評議会の重苦しい会議室を出たところで、佐藤芳樹は足を止め、胸の奥に走る微かな痛みに眉をひそめた。

 科学都市と未来都市の双方で第1位に君臨する最強の超能力者――理化学系能力、現在物象の保持者。


 (……また、少し使いすぎたか)


 能力で腕にまとわせていた見えない「ベクトルの鎧」を解きながら、芳樹はゆっくりと深呼吸をする。

 彼の現在物象は、この世に存在するものを生み出し、消し去り、その運動量や熱量、電荷といったベクトルやスカラーを自在に操る力だ。

 だが、既に存在する物質そのものを別の物質へと変えることだけはできない。鉄は鉄のまま、銃弾は銃弾のまま――止めることも、消すこともできるが、砂や花弁に変わったりはしない。

 それは、彼が自分自身に課した「制限」でもあった。

 指を鳴らすだけで世界のルールを書き換えられる、そんな存在には絶対にならないための。


「――おい、まだ廊下で立ち止まっているのか、芳樹」


 低く響く声に振り向くと、白と紺を基調とした礼装軍服をまとった男が姿を現した。

 科学連合国元帥・鷹司正文。

 この国の軍事力を統べる頂点にして、先ほどまで会議卓の最上席に座っていた人物だ。


「鷹司元帥。お疲れさまです」


「元帥は会議室を出た瞬間からも働きづめだ。休む暇もない」


 冗談めかして笑いながらも、鷹司の瞳は鋭い。

 廊下の両脇に控える将校たちが、一斉に踵を鳴らして敬礼する。彼らの背筋が自然と伸びるのは、階級章の数でも威圧でもなく、これまで戦場を渡り歩いてきた男の気配がそうさせるからだ。


「さっきの決定、納得しているか?」


「……魔法側の前線基地を同時多発的に叩いて、交渉のテーブルに引きずり出すって話ですか」


「そうだ。科学連合国が主導権を握る。そのための戦略だ」


 鷹司は歩き出し、芳樹も隣に並ぶ。

 ガラス張りの廊下の向こうには、夜の未来都市が広がっていた。立体交差する高速輸送レーンの光跡が、星のように流れていく。


「お前の現在物象は、その要――だが、勘違いするなよ」


「勘違い、ですか?」


「この戦争を勝たせるのは、決して一人の最強ではない。お前を頂点とする中立科学連携ちゅうりつかがくれんけい、その全体だ」


 鷹司はそこで足を止め、窓の外ではなく、芳樹を真正面から見た。


「だからこそ、命令系統は守る。最終決定は元帥であるこの私が行い、その上でお前たちに最適な戦場を用意する。――最強の駒をただ盤面に投げ出すだけの戦争はしない」


 その言葉には、自分が上に立つ者だという揺るぎない自覚と、同時に部下を道具としてだけ見ない矜持があった。


「了解しました、鷹司元帥」


「それとな」


 鷹司はふっと視線を下げ、芳樹の胸元を一瞥する。


「胸の痛みは、まだ完全には治っていないのだろう?」


「……バレてましたか」


「第三次世界大戦をやるというのに、心臓に爆弾を抱えたまま前線に出すわけにはいかん。お前は動かずに勝つ戦い方を徹底しろ。走り回るのは、せいぜい若い連中に任せておけ」


 皮肉を込めた笑みに、芳樹も肩をすくめて応じる。


「心配なく。僕は元々、動き回るのは得意じゃないので」


「知っている。だからこそ、お前に賭けられる」


 そう言い残し、鷹司は部下の将校たちを引き連れてエレベーターへと向かっていった。

 扉が閉じる瞬間、彼は振り返りもせずに一言だけ投げる。


「――中立科学連携の準備を整えておけ。二十四時間後だ」


 夜風が吹き抜ける屋上庭園に出ると、人工芝の上に寝転がる誰かの姿が目に入った。


「……こんなところで寝てると、風邪ひくぞ」


「ひかないもん」


 むくりと起き上がった少女――佐藤芳美は、兄の顔を見るなりぱぁっと笑顔を弾けさせる。


「おかえり、お兄ちゃん! 会議、長かったね」


「ただいま。……お前、またレーダー立てっぱなしにしてただろ」


 芳樹が指摘すると、芳美の頭頂からぴょこんと立っている一本の髪――生命反応を探るためのアホ毛レーダーが、びくっと震えた。


「えへへ、未来都市の鼓動を感じてただけだよ。戦争前って、街全体の空気がちょっとピリピリしてるからさ」


「……そうだな」


 夜空には、人工衛星用のランディング・ライトが幾筋も走っている。

 高層ビルのガラス窓の一つひとつに、誰かの生活の光が灯っているのが見えた。


「ねぇ、お兄ちゃん」


「なんだ」


「明日、出撃なんでしょ? 鷹司元帥に呼ばれてたんでしょ?」


 芳樹は一瞬だけ目を細め、それから頷いた。


「ああ。中立科学連携を、第一波に据えるそうだ」


「ふーん……じゃあ、副リーダー兼、協定リーダーの私も大忙しだね」


 芳美はわざとらしく胸を張ってみせる。その胸板の下には、どれほど損傷しても再生してしまう異常な再生能力と、砲丸を握り潰す握力、百メートルを三秒で駆け抜ける脚力が眠っている。


「お前まで前に出る必要は――」


「あるよ」


 言いかけた兄の言葉を、妹はきっぱりと遮った。

 いつもの柔らかな笑みを引っ込めて、まっすぐに兄を見上げる。


「お兄ちゃん一人に、全部今を背負わせる気なんてないもん。現在物象がどんなにすごくても、そこに届く手や足がなきゃ、世界なんて守れない」


「……口が達者になったな」


「えへへ、伊達に中立科学連携の副リーダーやってないからね」


 軽口を叩き合いながらも、どちらも笑いはすぐには戻らなかった。

 戦争が近いことを、互いの能力が誰よりもよく知っている。

 沈黙を破ったのは、屋上庭園に設置された緊急ホログラム・モニターだった。


 ――全施設に通達。至急、警戒態勢レベル2へ移行。


 科学都市外縁軌道上にて、魔法文明圏所属と思しき偵察ユニットを観測。

 詳細は――

 途中で音声がノイズにかき消される。

 だが二人には、それだけで十分だった。


「……来たね」


「ああ。予定よりも、少し早い」


 芳樹は指を鳴らした。

 彼の足元に、目には見えない「ベクトルの陣」が展開される。重力加速度をほんのわずかにいじり、自身の身体への負担を減らす補助だ。


「芳美」


「なぁに?」


「――二十四時間後じゃなくて、今すぐ現在を動かすことになるかもしれない。覚悟はいいか」


「とっくにできてるよ」


 妹はにっと笑い、背中から銀色の翼を広げた。

 人工灯に照らされたその翼は、まるで夜空に浮かぶ一対の衛星のように、静かに震えている。


「じゃあ、行こっか。中立科学連携の初動を見せてやろうよ」


「――ああ」


 科学連合国の夜が、静かに戦時色へと塗り替わっていく。

 その中心で、兄妹は並んで歩き出した。次の「現在」を、世界に提示するために。

 作戦会議室の空気は、冷房の温度とは別の意味で張り詰めていた。

 未来都市上層、科学連合国軍本部第零会議室。

 湾曲したガラスの壁の向こうには、青白いネオンの街並みと、空を走る輸送路が蜘蛛の巣のように絡み合っている。

 その中心の円卓の一番奥――。


「以上が、魔術教会による前線基地奇襲の詳細だ」


 低く通る声とともに、ホログラムの地図がゆっくりと消えた。

 鷹司正文元帥。科学連合国軍の最高司令官にして、すべての作戦の最終決裁権を握る男だ。

 銀糸のような髪をきっちりと撫でつけ、軍服の胸元にはいくつもの勲章。

 しかし、その眼差しは飾り気とは無縁で、ただ状況だけを正確に測ろうとする冷たい光を宿している。


「……正面からの砲撃も、電子戦も一切の前兆なし。気づいたときには、基地の中枢だけが抜かれていた、というわけですか」


 佐藤芳樹は、ホログラムが消えた空間を見つめながら、小さく息を吐いた。

 科学都市と未来都市、両方を通して第1位に君臨する最強の超能力者。


「内部転移か、座標ハッキングか……。魔法側、また妙なこと考えたわね」


 西園寺奈保美が、顎に指を当てて呟く。

 淡いクリーム色の白衣に、実験室からそのまま出てきたような姿。だが瞳は鋭く、好奇心と警戒心が複雑に揺れていた。

 芳樹は椅子から軽く腰を浮かせ、鷹司に視線を向ける。


「元帥。被害状況の詳細を、もう一度データで見せてもらえますか。文字情報だけじゃ、どうにもイメージが掴みにくい」


「構わん。――表示」


 鷹司の一言で、円卓の中央に再び光が集まり、今度は基地内部の立体模型が浮かび上がった。

 通路、エネルギー炉、指令室、居住区。ほとんど損傷はない。

 ただひとつ、コアとなる演算中枢だけが、ぽっかりと穴を開けたように消失している。


「物理的な破壊痕ゼロ、熱源異常もなし。残留エネルギーは……うわ、気持ち悪」


 浜原が、端末を撫でるようにスクロールしながら顔をしかめた。


「電磁スペクトル的には、完全にノイズよ。波形が乱れすぎてて、逆に人工的って感じ。あたしの電子操作でも、元の信号を逆算できないレベル」


「ハッキングできないものなんて、この世に存在しないと思ってましたけど?」


 神宮寺浩太が、半ば冗談めかして肩を竦める。

 その横で、宮原優希は眉根を寄せたまま、黙ってデータを追っていた。


「……この残留波形、少しだけ感情に似ていますね。誰かの強い意思が、空間そのものに焼き付いたみたいな」


「物理でも、魔法でも、精神でも説明がつかない。いやーな話ね」


 西園寺が舌打ち交じりに笑う。


「で、芳樹。お前なら、どう見る」


 鷹司が、正面から芳樹を射抜くように見た。

 会議室内の空気が、そこで一段階重くなる。

 芳樹は、ほんの一瞬だけ視線を宙にさまよわせ、それから小さく指を鳴らした。

 パチン――。

 乾いた音と同時に、彼の手元の空間に、透明な「板」のようなものが現れる。

 空気中のベクトルを捻じ曲げ、運動量と圧力を一点に押し固めた、即席の解析スクリーン。

 既存の物質を別の物質に変えることはできない。だからこそ、何もないところに「新しく」作り出す。これが、現在物象のルールだ。


「……このノイズ、ベクトルとスカラーを個別に分解すれば、少なくとも何をしたのかくらいは見えてくるはずなんだけどな」


 高速で走る数式が、板の上を流星群のように駆け抜けていく。

 常人の目にはただの光の線にしか見えないが、芳樹にとっては「計算途中の落書き」程度のものだ。


「どうだ」


「駄目だこりゃぁ」


 即答だった。


「運動量、エネルギー、電荷、どれも整合性が取れない。信じられるか? 効果だけが残ってて、原因がごっそり抜け落ちてる。まるで、結果だけを後から世界に貼り付けたみたいな……」


「そんなこと、科学的にはありえないだろ」


 神宮寺が言うと、芳樹は肩をすくめた。


「だから言ってるだろ。科学的にはって。でも、現に起きてんだよ。結果が先で、過程が後付け――もしくは、過程そのものが別の法則で書き換えられてる」


「魔法側の仕業、ってことよね?」


 芳美が、隣の席から身を乗り出す。

 兄と同じ瞳の色で、しかしずっと率直な不安を浮かべていた。


「お兄ちゃん、これ……さすがに笑って済ませられる規模じゃないよ」


「そうだな」


 芳樹は、妹の視線を真正面から受け止めると、再び円卓全体に向き直った。


「元帥。これは、奇襲なんかじゃない。魔術教会は、科学連合国の防衛網そのものが通用するかどうかを試したんだ。実際、正面戦力には一切手を出さず、演算中枢だけを狙っている。完全に実験だ」


「……まったく、気に入らない分析だが、否定材料もないな」


 鷹司は、腕を組んで目を閉じた。

 会議室の天井に埋め込まれたラインライトが、彼の輪郭だけを鋭く切り取る。


「もし、やつらが結果だけを貼り付ける術を完璧にものにしたらどうなる?」


「戦線の一部が、何の前触れもなく消える。こちらの攻撃が、原因不明のまま無効になる。……そういう世界だな」


 芳樹は、淡々と言った。


「バカじゃ俺は倒せない。けど――」


 そこまで言って、ふと口元だけで笑う。


「科学連合国は、そう簡単に倒れてもらっちゃ困る」


「当然だ」


 鷹司が静かに頷く。


「ゆえに、ここからが本題だ。この状況を踏まえ――中立科学連携の発足を、正式に提案する」


 会議室がざわめいた。

 その単語は、既にいくつかの案として水面下でささやかれていたが、軍最高司令官の口から、こうして正式に提示されたのは初めてだった。


「中立科学連携……?」


 芳美が首をかしげる。

 代わりに答えたのは西園寺だった。


「簡単に言えば、科学側の中立機関ってところね。科学連合国軍でも、各都市評議会でもない、第三の科学勢力。魔法やその他の勢力に対しても、純粋に科学そのものとして交渉・分析・介入する集団」


「魔法と正面から殴り合う戦争部隊じゃなくて、法則と法則の境界線を扱う専門チーム、ってところかしら」


「境界線、ね……」


 芳樹は、さっきまで自分が出していた数式の残滓を思い返した。

 原因と結果の間に、本来あるはずの線が抜け落ちた現象。

 それを補完する新しい法則を、科学側から提示できれば――少なくとも、この世界は一方的な改変を許さない。


「そして、そのリーダーに――」


 鷹司は、迷いのない動きで右手を上げ、芳樹のほうを指し示した。


「佐藤芳樹。お前を指名する」


 一瞬、時間が止まったような錯覚が会議室を包む。

 芳美が息を呑み、浜原と神宮寺が顔を見合わせる。

 西園寺は、予想していたとでも言いたげに、ふっと笑った。


「……元帥。本気ですか?」


「冗談を言う場面に見えるか?」


「見えませんね」


 芳樹は、あえて軽口で返しながらも、視線だけはそらさない。


「ただ、俺は軍人じゃない。書類上は高校生で、どっちかと言えば研究者とハッカーの延長線上みたいなもんですよ」


「だからこそだ」


 鷹司は言い切った。


「軍も、評議会も、しがらみだらけだ。だが、お前は違う。科学という結果さえ正しければ、過程は問わない。そういう歪んだ合理性を、今は必要としている」


「褒められてる気が全然しないんですが」


「事実を述べただけだ」


 会議室に、かすかな笑いが漏れる。

 重苦しかった空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

 芳樹は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 胸の奥の手術痕が、じんわりと熱を帯びるような感覚。

 長期戦には向かない身体。

 だからこそ、一撃の重さだけは誰にも負けてはいけない。


「……わかりました」


 彼は立ち上がり、円卓越しに鷹司を見据えた。


「中立科学連携――受けて立ちます。ただし、条件がひとつ」


「聞こう」


「科学連合国の一部じゃなく、科学そのものの代表として動かせてください。軍のメンツも、評議会の都合も、戦争の形すらも、状況によっては切り捨てるかもしれない」


 会議室のざわめきが一段階大きくなる。

 だが、鷹司は微動だにしなかった。


「……よかろう」


「元帥!」


 周囲の将校たちが一斉に声を上げるが、鷹司は片手を軽く上げて黙らせる。


「条件を飲む。ただし、これは俺の責任においてだ。お前が世界の法則に殴り込みをかけるというなら、俺は背中を預かる役を買って出よう」


「頼もしいですね、元帥」


 芳樹は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「じゃあ――始めましょうか。結果だけを貼り付けてくるあいつらに、原因ごと殴り返す科学ってやつを」


 パチン――。

 再び指が鳴る。

 会議室の天井に、無数の数式とベクトルの線が走り、光の網となって広がっていく。

 それは、科学と魔法の世界大戦において、


「中立科学連携」と呼ばれる新たな勢力が産声を上げた瞬間だった。


 そして同時に――

 原因と結果のあいだに横たわる見えない線をめぐる、

 誰にも予測できない戦いの始まりでもあった。

 礼拝堂のステンドグラスに、荒れた海からの光がゆらぎながら差し込んでいた。

 リン・トレールは、握りしめた杖の感触を確かめるように、もう一度だけ問いを繰り返す。


「……本当に、リオは――生きているんですね」


 老魔導師は、深く刻まれた皺の奥で静かに頷いた。


「火刑台にかけられたのは事実だ。だが、炎が上がる直前に誰かが座標をねじ曲げた。科学側の実験施設に移送された、という報告が来ている」


「科学側に……!」


 リンの魔法陣が、一瞬だけ暴走しかける。背後で控えていたリトが慌てて袖を引いた。


「リン、落ち着いて! ここで暴れたら、教会ごと吹き飛ばしちゃうよ!」


 リンは奥歯を噛みしめ、魔力を無理やり押し殺す。


「じゃあ、私が撃ってきた科学者たちの中に……リオを運んだ連中もいたかもしれないってことですか」


「その可能性は高い。だが勘違いするな、リン」


 老魔導師の声が、厳しくも柔らかく響く。


「科学連合国のすべてが、お前たちを殺そうとしているわけではない。彼らの中にも家族を守るために魔女狩りに加わった者がいる。その矛盾が、今の世界を成り立たせているのだ」


 リンは唇を噛む。

 科学も魔法も、本来は「誰かを救うための力」だと信じていた。

 だが妹を奪われかけた事実は、信念を何度も折ろうとしてくる。


「……なら、私はその矛盾ごと撃ち抜くしかない」


 彼女は顔を上げた。その瞳には、迷いと、なお消えない希望の両方が宿っている。


「リオを取り戻す。それが叶うなら、科学とも魔法とも、ちゃんと話をしたい。でも、妹の命を踏みつけたままの正義には、銃口を向けます」


「それでいい」


 老魔導師は、小さく笑った。


「テル・アルスも、ワシリーサも、そして中立科学連携の少年――佐藤芳樹も。皆、自分の誰かを守ろうとしているだけだ」


 窓の外、雲間を裂くように、一基の科学連合国軍偵察機が高速で通り過ぎる。

 そのデータは、やがて未来都市へ、そして中立科学連携本部へと送られていく。


「……魔法教会奇襲部隊の軌跡、だんだん一本の線になってきたな」


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