第5話 魂だけでも、帰れるなら
「俺はヨソ者だからよ」
そう笑っていた男が、
最後まで手放せなかった言葉がある。
――帰りたい。
それが、
元の世界だったのか。
それとも、別の場所だったのか。
異界渡り監察課CORGIのギールは、町外れの小高い丘から、その光景を見下ろしていた。
界が違っても、似た景色はある。
様々な形の標が立つその場所は、町外れの一角に作られているケースがよく見かけられる。
探知探索班から知らされたシグナルは、すでにかなり弱くなっている。弱くなっているが、消えていない。
消えてはいない。
けれど、生体反応がない。
新たに建てられたその標の周りに、年齢も外見もばらばらに見える人たちが集まっている。
一番近いところに立っているのが、おそらく喪主なのだろう。壮年をわずかばかり過ぎた様子のその男は、比較的大柄で、年齢からすればがっしりとした体格をしている。
弔いの謳を読み上げ、集まった人々共に頭を垂れて祈りを捧げる。
そうして。
そばにいた男に差し出された一本の瓶を受け取ると、改めてラベルを眺め、ふと、口元を緩ませた。
「好きだっただろ。餞別だ」
そう言葉にしながら封を切り、真新しい標にとくとぷと中身を煽らせた。
やがて、人々の群れがちらりほらりと散り始め、誰も居なくなった。
町の冒険者ギルドからほど近い場所に、その宿はあった。
冒険者向けのその宿は、一階には食堂兼酒場として機能していた。元冒険者だという宿の主人の人柄か、若い駆け出しからベテランまで、年齢層も経験も幅広い冒険者たちで、宿の方もいつも七割がた部屋がうまっているような状態だった。
いつもなら、カウンターの向こうにあるはずの宿の主人の姿はない。
けれども。
食堂兼酒場は人であふれている。
ギールは途中で調達した外套を羽織り隠蔽を施し、そっとその中に入りこむと壁際に立って様子を眺めることにした。
追悼式という名の飲み会になっているそこには、幾ばくかの重苦しさはあるが、悲嘆に沈む雰囲気はない。
テーブルの周りのイスが足りなくて、立ったままの人たちも幾人もいる。彼らが、その男の生き方を物語っていた。
そんな中で、宿の主人のいないカウンター席だけが、椅子を余らせていた。
「あいつらしいっちゃあ、あいつらしいな」
テーブルの上には料理が三皿ほど並び、彼らの手にはグラスが握られている。
「そうだな」
静かに応えたのは、弔いの謳を読み上げていた男だ。
さっきは分からなかったけれど、手には年季の入った剣胼胝がみえる。この町の冒険者ギルドを仕切るギルド長の立場にいるのがこの男だった。
元は腕利きの冒険者だったらしい。
冒険者向けの宿を切り盛りし、町の情報の集積点も担っていた。
若いころは、パーティを組んで無茶な討伐なんかも受けていたらしい。
あちこちから漏れ聞こえる情報を集めると、そんなところらしい。
さらに聞こえてきたのは、身寄りのない冒険者及び元冒険者がなくなった時には、この町ではギルド長が喪主となって葬儀を取り仕切ってくれる、と。
彼の葬儀の喪主をギルド長が取り仕切っていたということは、そういうことなのだろう。
「おやっさんらしい、最期だったな」
テーブル席の方からそんな言葉が響いてきた。
「ほんとだよ。スタンピードだって聞いたら、真っ先に剣持ってさ」
「だよな」
「引退した年寄り働かせてんじゃなぇって言いながら、どんどん前に出るんだから」
「ふだん、俺らが年寄り扱いしたら、拳で黙らせにくるくせにな」
笑い混じりの声ではあるが、軽く扱っているわけではないことが声音から伝わってくる。
「……。駆け出しの若いのを、庇ったんだよな……」
「俺さぁ。今も冒険者やってられんのは、おやっさんのおかげなんだよ……」
「駆け出しの頃、助けられたんだよなぁ、俺」
「俺もだ」
武勇伝が語られる。
過去の戦い。
失敗と成功。
そして、必ず最後に付け足される一言。
「そういやぁさ、あの人、『俺はヨソ者だからよ』っていつも言ってたな」
「何かあるとそれ言ってたよな」
「『そもそも、俺はココの“出身”じゃねーんだ』」
「出た出た、マスターの口癖」
「ネタだろ? あれ」
笑いが起きる。
「冗談だと思ってたけどさ……」
一人が、酒を煽って続けた。
「一度だけ、本気の顔を見ちまったんだよ」
テーブルまわりの場が静まる。
「すげー寂しそうな、でもどっか諦観した目をしててさ。俺が見ちまったの気づいたんだろな。そのあとすぐ茶化してたけどよ。あれ見たときさ、与太話じゃないのかもなって」
それぞれのテーブルからは、似たような話が繰り広げられていた。
そんな話を聞くと話に聞きながら、ギルド長が漏らした。
「……口癖、な」
「よく言ってたな」
「あいつがメモ魔だったのは知ってるだろ」
「ああ、魔物の特徴からその地域の特性やなんやかんや、なんでも書いてたな。宿を引き継いでからは、部屋割りだとか仕入れだとか、なんでも帳みたいになってたあれだろ」
手の中のグラスを揺らしながら、ギルド長は言葉を探すように、しばらく黙った。
「あの手帳な……」
からんと、グラスの中で氷が音を立てる。
「見ちまったことがあるんだ」
ぽつりと漏らしたその程度の音量だった。
なのに。
しん、と。
それなりの広さの、それなり以上の人数のいるそこが、静まり返った。
「帰りたい、って書いてあった」
静かに響く。
「最初はな、『絶対に帰る』って」
静かに。
「……それがよ、だんだん変わっていくんだ」
からんと、グラスの中で氷が音を立てた音が部屋の隅まで響く。
「『帰れるかな』になって、 『帰れたらいいな』になって……」
とくとくとく、と。
ギルド長は手の中のグラスに酒を注ぎ足しながら、小さく笑った。
「……『いつか、帰ることがあれば』ってな」
誰も、茶化さなかった。
「こうなっちまったら、真実は分からねぇ。手帳とともにやつの胸の裡だ」
そう呟き、注いだばかりの酒をぐっと煽った。
彼に倣うように、同年代に見える男もグラスの中の薄くなった酒を喉の奥に流し込む。
「それでも、あいつの“帰る場所”ってのは、ここだったって。俺にはそう思えるけどな」
その口調はわずかに寂しそうに聞こえた。
◇◇ ◇
酔いつぶれて動かなくなる者。
宿の部屋へと引き上げていく者。
人の密度が下がり、半分を割り込んできたあたりで、ギールは改めて探知をかけた。
確定した対象者は、もうすでに亡い。
なのに、わずかなシグナルが消えずに残っている。
わずかなシグナルをたどり、気配も足音も立てることなく移動した先は、一階の奥にある一室。
そっと忍び込むと、誰かの、おそらくは対象者の私室の様だった。
肉体の活動は停止している。それを人は亡くなったと称する。
けれど。
そこに彼は居た。
ぽわり、と。
子供でもひとかかえにできるくらいの大きさの、柔らかな光をまとう球体。
「触ってもいい?」
ギールがたずねると、ゆらゆらと球体が揺れる。
手を伸ばしてもその場にとどまっていたから、肯定の意味だったのだろう。
指先が触れたとともに、流れ込んでくる。
彼は、生前、冒険者だった。
妻も子もいない。
加齢と怪我を理由に引退するタイミングで、先代の主人からそろそろ隠居暮らしをしたいからと、半ば押し付けられるようにこの宿を引き継ぎ、冒険者たちの『帰る場所』を作った。
“帰れる場所”。
それが、彼にとっての願いであり救いだった。
若いころにパーティを組んでいた相棒がギルド長に収まった時に、若いころに稼いだ有り金をはたいてある制度を作ってもらった。
ほかの冒険者ギルドでは、見かけたことがない制度だった。
身寄りのない冒険者や元冒険者が亡くなった時に、ギルド長が喪主をつとめて葬儀を出す。
生きて帰ってくる場所だけでなく、命を落としたとしても帰ってくる場所があること。
いつしか、この町ではそのやり方が定着して、ギルドでは寄付金でそのシステムが運用されるようになっていた。
そして。
そのシステムは、起案者である彼に、こうしてもたらされた。
ギールの耳がへにょりと垂れる。
けれど、確認しないわけにはいかない。
「……帰りたい?」
言葉は帰ってこない。
かわりに、さっきと同じようにゆらゆらと球体が揺れた。
言葉にできない、感情の名残。
それだけで、十分だった。
「……了解。魂だけでも、帰すね。遅くてごめんね」
肉体はない。時間も戻らない。
それでも、“帰る”という選択をした彼を。
ここではない、帰りたかったところへと帰した。
◇◇ ◇
ギールが異界渡り監察課CORGI執務室に戻ると、当然のように課長が居た。
すでに帰還申請とそれに対する許可、帰還報告については、端末から送られてきているから、結果だけは知っている。
「……間に合わなかった、か」
ギールは肯定も否定もせず、立っている。
「けれど、」
課長は続けた。
「“帰りたかった”という痕跡は、拾えた」
慰めにも評価にもならない、ただの事実だ。
「……でも、遅かった」
「それでも、だ。帰りたかった場所に、帰すことができた」
「……」
「帰れたんだよ。彼は」
何かを考えるようにじっと課長を見つめ、小さく呟く。
「帰れてよかったって、思ってるよ……」
「帰れた。それだけで充分だ」
しおしおと耳が下がる。
それも数秒のこと。
顔をあげ、両手でぱんっと自分の頬を打つ。
「報告書、書かなきゃね」
「そうだな。むこうでどんなことがあったのか、記録に残せるのもCORGIだけだからな」
課長の言葉にこくりと頷き、ギールは報告書を書くべくデスクヘと向かい、ぽち、ぽち、と、キーボードを弾き始めた。




