第3話 帰らない、という選択
CORGIの仕事は、
選択肢を提示すること。
帰れると伝えたとき、彼は、笑った。
その笑顔が意味するものを、
このときの俺は、まだ知らなかった。
「……ただいま」
しゅんと、小さく滑らかな音を立てて異界渡り監察課CORGI執務室のドアが開いた。任務から戻ったばかりのユールだった。
「このバカ犬―!」
彼の姿を見るなり、すっ飛んでいったのは妖精型バディシステム:エリフ。その勢いを殺すことなくユールの頬に拳骨を喰らわせる。
「言ったよな!? 出て行く時に言ったよな!? 長くなりそうなら連絡しろって! このデカ耳はダテか!? 飾りなのか!?」
流れる様に頭の上に乗り、耳先を引っ張り上げて鼓膜に叩きつけるように耳孔に顔を突っ込む勢いで声を張り上げる。ユールが面倒くさそうにぶるぶるっと頭を振るが、その程度でふりはらわれる様なバディではない。
彼らのやり取りにシャールが苦笑し、課長は微笑ましそうに眺めている。
「なのに、結局、連絡してきたのは……」
エリフがみなまで言い切るより先に、ユールは支給されているベストを脱ぎ、腰から外した剣帯と一緒に差し出してぐいぐいと押し付け、自分の席につく。
「抜いてないから」
「もーッッ! バカ犬!」
「犬じゃないし」
「犬型だろ! 犬で充分だし!」
コーギーと妖精さんの戯れは大変によろしい。
……よろしいものではあるのだが。
コツコツ、と。
課長の指が机上をたたいた。
ユールの視線が向けられると、彼は一言口にした。
「……で?」
「……報告、上げる」
ユールが視線をPCの画面へ流す。予測していたのだろう、再度促される。
「どうだった」
ユールは一瞬押し黙り、小さく息を吐き出してからやはりぽつりと口にした。
「……帰還者、なし」
「……」
ユールの答えにシャールはなにも言わず、わずかに目を伏せた。
「二十年以上たってた」
「……二十年以上、か」
どこか居心地の悪い空気が漂う。
「二十年以上なぁ……。分からないんだよなぁ……」
同じ言葉を繰り返す課長の声は、わずかに諦観を感じさせた。
「……行った時点じゃ、“遅い”とも“早い”とも、分からない」
PC画面から視線を外すことなく零すユールに、シャールが静かに肯定する。声色は同感の色が濃い。
「そうだな。……シグナルが入った時点では、“今”かどうかは、誰にも分からない」
「それでも、さ……」
ユールが自分に言い聞かせるようにつぶやいた。その先に続く言葉を飲み込んで。
「……最初は、どんな反応だった」
「……普通だった」
シャールが話の矛先を少しだけそらすと、ユールもそれに乗りかかる。
「“帰れる”って言ったら、笑った」
——そう、笑ったんだ。
◇◇ ◇
ぎし、と。
古い木造の床が、わずかに鳴った。
見える範囲で確認できることは、壁に外套がかけられているが屋根の一部が崩れ、人が住まなくなって随分と経っていることが分かる廃屋だということ。
窓の向こうには、好き放題に雑草が茂っているのが見える。
移転先の座標は、町の外れのようだった。
――ズレてる。
ユールは、心の中だけで独り言ちた。
探知探索班のシグナル探索は正確だ。
巻き込まれ召喚者が存在する界を特定するという点においては、その精度を疑う余地などない。
だが、到着してみなければ分からないこともある。
たとえば、時間。
ぎしり。
一歩ごとに軋んだ音を立てる床を踏み廃屋を出ると、なだらかな道の先に町が見えた。
探知をかければ、その方向からわずかにシグナルを感じる。
「……町、か。少し長くなるかもな」
ぽつりと呟いた声には、わずかに苦い色がにじんでいた。
◇◇ ◇
この界について、転送前に聞かされた情報を脳裏に浮かべながら町へと向かう。
廃屋から拝借してきた外套をまとい、そのうえで認識阻害を発生させておけば、まず気付かれることはない。もし気付かれたとしても、頭まですっぽり外套をかぶる不審人物と捉えられるだけで、不用意にCORGIの姿を見られることもない。とりあえず、今のところはその程度で十分だ。
20分も歩けば町の中心部に随分と近づいたようで、人の姿も多くなってきた。これまでに見た感じでは、少なくとも荒廃した感じはないし、治安的にも悪くはなさそうだ。
探知をかければシグナルもわずかながらに強くなっているから、対象者がこの町にいるのは確定だろう。
人の往来。
話し声。
生活の音。
それらに気を配りながら、町の様子を、人の様子を観察する。
中心部にはまだ辿りついていないようだが、縦横に走る大通りの交差する場所では食べ物や雑貨などの露店が店先を広げている。
ふいに。
ふわんと漂ってきた香りを鼻先がとらえ、出所へたどれば通りを挟んだ向こう側にある屋台からのようだった。
見れば、軽食を提供しているようで、串焼き肉や、その肉を串から外してをピタパンの様なものに挟んで出している。
じゅわりと、口の中に涎が湧いてくる。そういえば、昼食を食べ損ねていたこと思い出した。
ユールの腹の虫が鳴き始めるが、残念なことにまだこの界のこの国の通貨を入手していない。
同じ食べるなら出来るだけ美味しいものがいいし、美味しいもののためなら頑張る派を自称するユール。
自分の行為を正当化して言い訳のように心の中で呟く。
“とりあえず、しばらくはかかるだろうし……”
ベストの隠しポケットには、長期滞在案件にそなえて換金性の高い貴石がしのばされている。行き先となる界に合わせて、バディが用意してくれているのだ。
“ここの通貨に換えに行こう”
そのためには、貴石を買い取ってくれる店を探さなければいけない。ここまでの道すがらに見てきた屋台や路面店では見かけられなかったけれど、もう少し街の中心部に行けばあるだろう。
ユールは腹の虫の苦情を聞きながら、足を速めた。
大きな通りの辻をいくつか過ぎ、ずいぶんと建物や人の密度が高くなってきた先に市場が見えてきた。
肉や魚、乳製品。
毛皮。
野菜や果物。
香辛料。
雑貨や日用品。
様々な店が立ち並んでいて、売る側も買う側も活気に満ちている。
ふ、と。
ユールの目が一人の男を捉えた。
年の頃なら、三十をいくらか過ぎているだろう。
ユールの勘が告げている。
人の流れから離れた、けれども市場の様子を見ることができる路地に入りこむと、改めて探知をかけなおす。
「ビンゴ」
シグナルは彼から出ていた。
様子を伺っていると、彼は客としてではなく、売る側としてそこにいるようだった。
扱っているのは果物を中心に野菜類のようで、それらが丁寧に並べられている。
傷んだ葉を外し、残ったものの向きをそろえ、根元を結わえて束ねる。
大きさをそろえて籠に盛る。
売れて空いたスペースを同じ作業を繰り返して埋めていく。
商品を扱う手先の動きの慣れと丁寧さから、仕入れて売るタイプではなく、作ったものを売りに来ているのだろうことが察せられる。
客とのやり取り。
話し方。
呼ばれ方。
しばらく観察して分かったことは、彼が「よそ者」ではないということだった。
店は常連を持ち、買い物をすることがなくとも声をかける人も多い。
“――間に合った”
彼を見つけたその時には、そう思った。
飛ばされた座標こそ対象者のすぐそばではなかったが、それでも一時間としないうちに見つけることができたから。
けれど、これは……。
ユールは、静かに彼の観察を続けた。
その後、日が暮れ始めるにはまだ早い時間から店じまいを始めた彼は、慣れた手つきですっかり支度を済ませると軽くなった荷車を引いて歩き出す。
その後を、姿を隠したままそっとついて行った。
彼の家は、町の外れにあった。
石造りで、手入れは行き届いているが、豪奢ではない。中からは、人の気配を複数感じ取れた。
周囲を確認すると、裏手には家庭菜園というには随分と大きく、一人で面倒を見るにも随分と手に余る規模の畑があり、その向こうに果樹園が広がっているのが見える。
土の匂いが、強い。
――ここで暮らしてる。長い間。
ユールは胸の奥で、小さく息を整える。
対象者を発見したなら、接触のタイミングは早い方がいい。
そんなことは分かっている。
ユールはそっと踵を返した。
確認して、選択肢を提示する。
それがCORGIの仕事だ。
たとえ――
その選択肢が、もう形だけのものだったとしても。
◇◇ ◇
それから数日、ユールは彼の観察を続けた。
朝早くから起き出して、畑と果樹園の手入れする。収穫した野菜や果物を積み込むと、30分以上かかる道のりを一人で荷車を引いていく。
場所は固定なのだろう、市場の中で同じ場所で露店の準備を整える。
昼過ぎには大半以上の商品が売れ、残りは随分と少なくなる。売れ残った商品は、帰宅するにはすこし遠回りになるが、孤児院を併設する教会に立ち寄り寄付しているようだった。
そうして。
CORGIは任務を遂行する。
その日は客の流れが速く、いつもよりもかなり早くにすべて売り切れてしまった。おかげで随分と早い時間から店じまいを始めた彼に、ユールは歩み寄った。
「……少し、いいか?」
頭まですっぽりフードをかぶるユールの姿に、彼は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐにそれを打ち消して向きなおした。
「すまないな、今日はもう売り切れちまったんだ」
「そうじゃない」
その言葉に、彼の眉間にわずかに皺が寄った。
「あんた、ココの人じゃないよな」
声音に意味を含ませれば、彼の纏う空気が変わった。
「……は? ここにはもう20年以上住んでるんだが?」
「それ以前は?」
彼の口から出た言葉を、半ばオウム返しにすれば、ヒュッっと息をのむ音が聞こえた。
互いに言葉を発しないまま静かに時間だけが流れ、やがて、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……おまえさん、なにを知ってる」
それだけで、十分だった。
シグナルは彼を示している。
彼自身の言葉がそれを肯定した。
仕事だ。
選択肢を提示する。
それがCORGIの仕事だ。
ユールは深く息を吸い、口にした。
「ソコに帰れると言ったら、あんた、帰りたいか?」
男は一瞬だけ目を見開き、それから――笑った。
◇◇ ◇
がたがたと、空の荷車を引く。
いつもなら早く動く足は、いつになくゆっくり。
いつもなら一人の帰路に、頭まで外套をかぶった小柄な人物がともにある。
市場を離れ、人の姿もまばらになり始めたあたりから、ユールは彼に説明をした。
ここへ来て彼に接触した理由。
違法召喚について。
元の界に帰ることができること。
それらの言葉を、彼は黙って聞いていた。
ひとしきりに説明が終わったところで、沈黙が二人の間を流れた。
「……帰れる、か」
彼の口からはぽろりと言葉が零れ落ちた。責める声音でも、縋る声でもない。
「条件はあるけど、帰ることはできる。」
ユールは事実だけを告げる。
「時間は巻き戻らない。この世界で過ごした年月も、そのままだ。…………それでも、元の世界に戻ることはできる」
彼は、少しだけ笑った。
「だよな」
ちらりと、ユールの方へと、けれどすぐに視線を逸らした。
「……もっと早く来てくれてたらさ」
その声は、後悔よりも……。
「若い頃だったら、迷わなかったと思うぜ。帰してくれって、言ってた」
がたごとと、二人の間に荷車が土を踏む音だけが響き続ける。
「……13の時だった」
彼が、ゆっくりと口を開いた。
「果樹園の次男でな、チビの頃からずっと木を見て育った。っていうか、家業が果樹園だからな、木しかなかった。それでも、木を見るのが好きだった。大人になって兄貴が継いだ後も、木の世話しながら過ごせればいいと思うくらいにはな」
笑う。
穏やかで、静かな笑みだ。
「それがよ、ある日突然、全部無くなった。どこだかわからねぇ、言葉は通じねぇし、字も読めねぇ。運良く司祭のじーさんに拾われたけど、最初の何年かは、ほんとに地獄だったよ」
ユールは、何も言わない。
言えない。
「でもな。木は、嘘つかねぇんだ」
彼の視線の先に、ぽつりと石造りの家が映る。見ているのはその奥に広がる果樹園だろう。
「水が足りねぇとか、土が痩せてるとか、見りゃ分かる。触りゃ分かる。向こうでやってたことが、覚えたことが、ここでも通じた。拾われた先の教会の敷地に畑を作って、木を植えた。木が実をつけて、野菜が生るにはどうすりゃいいのか、じーさんだけじゃなくほかの連中にも教えてやった」
ゆっくりと、石造りの家が大きくなってくる。
まだ明るい時間だからだろう、家の周りで子供が走り、女性が洗濯物を取り込んでいる姿が見えた。
「床磨きに、荷運び、厩番、いろいろやったさ。いろいろやって、気が付いたら八百屋をやってた」
彼の姿に気づいたのだろう、子供がこちらを見て手を振っている。
「名前も、信用も、全部ここで積み上げた」
小さく手をあげて振りかえし、彼はユールへと視線を向けた。
「でもよ」
彼の視線が前に向きなおす。
「見えるだろ? 妻と子供だ」
拳を、ぎゅっと握ったのは彼だったかユールだったか……。
「この時間を、なかったことになんてできねぇ。選べねぇし、……選びたくねぇ」
がたごと……がたん。
「俺は、ここで生きてく」
それが、彼の選択だった。
ユールは、形式通りに確認する。
「……“帰らない”でいいんだな」
「ああ」
彼は迷わず頷いた。
「さっき、できるって言ってたよな」
少しだけ、声が揺れる。
「元の世界で俺を知ってる連中から、俺の記憶を消してくれないか」
ユールの喉が、詰まる。
「事故だったってことにしてくれ。行方不明でも、死んだでもいい」
彼は、真っ直ぐに言った。
「それから、俺をこの世界に定着させてくれ。二度と、こんな“事故”に巻き込まれねぇように」
それが、彼なりの「帰り方」だった。
ユールにできたことは、頷くことだけで。
「……了解した」
それ以上、言葉は出なかった。
選択は、尊重される。
それが、CORGIの規則だ。
ユールは端末を起動する。
——-帰らないと選んだ者を、
——-帰す代わりに、守る。
それが、CORGIの仕事だ。
◇◇ ◇
「……そうか」
課長の声が静かに響いた。
執務室内に漂い空気は、どこか重い。
シャールが端末から視線を上げるかわりに、短く息を吐く音が耳に届いた。
ややあって、課長が口にした。
「“帰らない”を選んだ、か」
確認だった。
責める響きはない。
「本人の意思だ」
課長はそれ以上、掘り下げなかった。代わりに静かに続けた。
「間に合わなかった、とは言わない。俺たちは、“間に合う場所”には行った」
ユールの視線が、わずかに動く。
「それでも選ばれなかったなら――。それが、その人の人生だ」
それはユールもシャールも十分に理解している。
課長は椅子に深く背を預け、目を閉じる。
「……苦いな」
ぽつりとこぼした言葉に、複雑な色がにじんでいた。
「とはいえ、」
口調を改め、椅子から立ち上がる。
「——それは仕事として、正しい」
そう、理解はしているのだ。
課長の目が、ユールへと向く。
「よくやったよ」
理解はしていても、心に残る。




