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第4章 帰還

― ネフェル視点 ―


森の空気は、冷たく、湿っていた。

静寂に包まれた道の途中、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてくる。


――まだ町を出て、一日も経っていない。


王子の迎えの馬車に乗ったのは朝だった。

だがその夜、突如として馬が暴れ、御者は叫びながら森の奥へ駆けていった。


ネフェルはひとり、取り残された。

空を見上げれば、星も雲に隠れ、ただ月だけが、冷たく照らしている。


「……町に戻ろう」


そう決めたのは、迷いではなかった。

ただ、戻りたかった。

ほんの一晩だけでも、もう一度、皆の顔を見たかった。


「また明日、あの馬車に乗ればいい」

「今はまだ……まだ間に合う」


そう言い聞かせ、ネフェルは草を分け、森の道を駆け出した。



町までは、馬車で半日。

人の足では、丸一日かかる距離。

けれど彼女の足取りは、軽かった。


胸が高鳴っていた。

明かりの灯ったパン屋の窓。

騒がしく笑う子どもたち。

あの石畳を踏みしめる音――

そのすべてが、すぐそこにある気がして。


「ラウス……」


彼の顔が、何度も頭に浮かぶ。

今度こそ、あの言葉の続きを聞かせてほしかった。

あの時、胸に浮かんだ言葉の意味を、ちゃんと伝えたかった。


そして。


朝日が昇り始める頃、ネフェルは町の入り口にたどり着いた。


……だが。


目に飛び込んできたのは――

彼女の想い描いていた風景とは、あまりにも違っていた。


「……なに、これ……?」


赤く燃え上がる町の屋根。

崩れた鐘楼。

十字架に吊るされた、人影の黒い残骸。


鼻を突く、焼け焦げた肉と木の匂い。

目を凝らせば、焼け落ちた家々の間で、身を寄せ合う人々の姿はどこにもなかった。


風が吹き抜ける。

誰の声も聞こえない。


それはまるで――

町そのものが、死んでいた。


ネフェルは叫んだ。

「誰かッ! 誰かいないの!? お願い……応えてッ!!」


返ってくるのは、燃え残った家の崩れる音だけ。

震える手で、かつて噴水があった広場へ向かう。


焼け落ちた柱。

ひび割れた石畳。

その中央で、うずくまる影がひとつ――


「……!」


ネフェルは駆け寄った。


それは、ラウスだった。

髪も衣服も焼け焦げ、手足には火傷の痕。

だが、まだわずかに息をしていた。


「……ネフェル…」

かすれる声で、彼は彼女の名を呼んだ。


「喋らないで。すぐ水を……!」

必死で水場を探そうとしたとき、ラウスの手が彼女の袖を掴んだ。


「守ろうとしたんだ…でも、俺ではダメだった…」


ネフェルの心臓が、張り裂けそうに痛んだ。


「そんな……」


ラウスの眼には涙が浮かんでいた。

少し焼けた唇が、震えながら言葉を紡ぐ。


「ずっと……好きだったんだ。ほんとはあの夜…伝えたくて行くなって」


その言葉を最後に、青年はふっと目を閉じた。


ネフェルの膝の上で、少年の身体は静かに動かなくなった。


「……あぁ……あ……ッ」


涙がこぼれる。

嗚咽が止まらない。

喉の奥から、叫びがせり上がる。


「――あ……あああああああああああああああああッ!!!!」


空に向かって、雷鳴のような怒声が響き渡った。


その瞬間だった。


雲が裂け、空から雨が降り注いだ。

まるで空そのものが彼女の叫びに応えたように。


雨は激しく、容赦なく町を濡らし、

炎は音を立てて沈んでいく。


ネフェルの髪が濡れ、身体が濡れていく。

けれど彼女の瞳は、燃え盛るように輝いていた。


「絶対に……許さない」

「私の町を……私の人たちを……私の大切なすべてを……奪ったことを」


赤髪が濡れて黒く光る。

その瞳に、緑の閃光が走る。


雨の中で、ネフェルの背に――

光の羽が、金色に輝いていた。


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