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第2章 炎の決断

― ネフェル視点 ―


月が満ち、光が最も強くなる夜だった。

ネフェルは家の屋根に座り、風に赤い髪をなびかせながら、町を見下ろしていた。


昼の賑わいが嘘のように、静まり返った夜。

それでも、どこかの家からは子どもをあやす歌声が聞こえ、誰かが薪を割る音が遠くに響いていた。


――この町が、好きだった。


誰もが笑い、誰かが困ればみんなで手を貸す。

礼儀とか身分なんてどうでもいい。

誰が作ったかわからないパンの耳だって、子どもたちが奪い合うように笑って食べる。


そんな町が、彼女の「すべて」だった。


「……嫁に行けば、この町は無事で済むのか?」


ぽつりと呟いた言葉が、夜風にさらわれていく。

答えを返す者はいない。


だけど――


「俺なら、お前を行かせたりしねぇな」


低く、けれどどこか頼もしさを感じさせる声が背後から聞こえた。

振り返ると、屋根の縁にラウスが腰を下ろしていた。

彫金職人の青年。無口で不器用な人。

けれど、誰よりも手が優しくて、ものを作るときの眼差しは熱を帯びていた。


「……夜更かしなんて珍しいじゃない、ラウス。明日の修行に寝坊するんじゃない?」


「そっちこそ。屋根の上で何してんだ」


ネフェルは小さく笑って、空を指さした。

「星を見てた。何か答えてくれないかなって思って」


ラウスは空を一瞥し、ふっと息をついた。

「……星は綺麗だけど、何も言っちゃくれねぇよ」


「知ってる。でもね、考えなきゃいけないから。……私が隣国へ行けば、みんなは無事でいられる。」


「誰がそんなこと言った?噂なんて信用するなよ。ただの噂だ。」


「違うの。王子の使者が私に言ったの。そうすれば、この町も豊かにできるって。」


ネフェルの声が少し硬くなった。

ラウスが睨むように、拳を握りしめるのが見えた。


「王子だろうがなんだろうが、どんなヤツか知らねぇけど、力で脅して手に入れようなんざ、盗賊と変わらないじゃないか。そんなヤツのところに行くなんて……」


言いかけて、ラウスは言葉を飲み込んだ。


「……だが、俺には止められねぇ。お前の決めることだ」


ネフェルの瞳が揺れる。

ほんの少し、涙が滲んでいたのを、ラウスは気づかなかったふりをした。


「私ね……怖いの。何が怖いって、自分がどこまで“強くなれるか”が怖いの。私が本当にみんなを守れるかが」


「なら、守るな。」

ラウスがぽつりと言った。


「町のみんなはお前に頼ってばっかりじゃねーよ。みんなお前を守ろうとしている。

……お前はお前自身は笑ってるときが一番強いんだよ。俺はそれしか知らねぇけど、それだけは信じてる」


それは、不器用な告白だった。

言葉にできない想いを、込められるだけ込めた。


ネフェルはその言葉を受け取って、静かに頷いた。


「……ありがとう、ラウス。きっと、ずっと忘れないよ」


それが、彼に向けた最後の笑顔になった。



翌朝、町の広場は張り詰めた空気に包まれていた。

ネフェルは白い衣装をまとい、髪を編み上げ、町の中央に立っていた。


「……おい、ネフェル、本当に行くのか?」

大工のバルドがつぶやく。

子どもたちが縋るように彼女を見上げていた。


「お姉ちゃん、いっちゃいやだ……!」


老人たちも、若者も、誰もが泣いていた。

町の皆が、ネフェルを愛していた。


「行ってきます」

彼女は微笑んだ。

「いつでも帰ってこれるから、待っててくれると嬉しい。」


御者の持つ手綱が引かれ、馬車がゆっくりと走り出す。


後ろには、泣き叫ぶ子どもたち。

拳を握るラウスの姿。

涙を拭くパン屋の夫婦。

……彼女の「町」があった。


馬車の窓から彼らに手を振る。

けれどその心の中では、静かに決意が芽生えていた。


――私は、ただ従うために行くんじゃない。

――この命を使って、守る。町も、人も、記憶も、全部。


そしてもしも、あの男がすべてを奪おうとするなら――

私は、燃やし尽くしてでも抗ってやる。


それが、ネフェルという少女の選んだ「強さ」だった。


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