八幕目 逆鱗
「セイラが良いと思いま-す。幽霊と仲良いんだからお似合いじゃん。」と、秀之はニヤニヤと笑いながら、セイラを挑発した。
その言葉に、僕は思わず「あのやろう!」と呟いた。彼のしつこさに呆れていた。恐らく、以前セイラに投げ飛ばされたことを、いまだに根に持っているのだろう。いつか仕返しをしてやろうとずっと考えていた姿を想像すると、呆れを通り越して、少し感心してしまう。
温子先生は、そんな秀之に対して厳しい口調で注意をした。「秀之くん!そんな事言っちゃダメでしょ。」しかし、秀之は挑発を辞めては来なかった。「えーぇ、だって、セイラ幽霊見えるんでしょ、幽霊のこと分かるんだからピッタリじゃん。」まるで真っ当な事を言ってはいるが、明らかにセイラを怒らそうとしている。
教室の中では、「クスクス」と声を殺すような笑い声が広がっていく。普段は幽霊やオカルトなんて信じていないと豪語しているくせに、こんな時に限ってまるで幽霊を信じているかのような発言をする秀之に、僕はますます頭にきていた。
そして、彼は決定的な一言を放った。「でもーぉ、どうせセイラ、いつもみたいに逃げるんだから無理だよなーぁ。」その嫌味な言い方に、教室の空気が一瞬凍りつく。
僕はその言葉を聞いて驚きながらも、「チッ!」と、舌打ちをした。この時僕は全てを察したのだ。「アイツあの時の会話聞いていたのかぁ」秀之の執念深さに怖さを感じてしまう。
そんな秀之に、流石の温子先生も怒りを露わにし、「秀之くん!」と彼を強く制した。その声は教室の中に響き渡り、秀之は満足げに「ふんっ!」と鼻で笑いながら、挑発を辞めた。
温子先生は、優しい声でセイラに向かって言った。「セイラちゃん、気にしちゃダメよ。セイラちゃんが出来る役を頑張れば良いんだから。」その言葉には、彼女への温かい気づかいが感じられる。
僕もセイラに声をかけようとしたその時、教室の静寂を破るように、セイラが口を開いた。
「私やります。」
彼女の表情は冷静で、その声は決意に満ちていた。
その瞬間、教室の空気が一変し、周囲の視線がセイラに集中した。彼女の瞳はまるで何かを決意したかのように鋭く、挑発を受けてやろうと言う気迫がこもっていた。
温子先生も驚いた様子で彼女を見つめ、挑発を繰り返した秀之も、かなりビックリした表情に変わりセイラに視線を向けていた。
「あっ!ヤバい」と思った僕は、すぐに横にいたセイラに向かって小声で声をかけた。「あんなヤツの挑発にのらなくて良いよぉ。辞めとけって!」しかし、彼女は僕の言葉を無視するかのように、振り向きもしなかった。
明らかにセイラは怒っていた。表面上は冷静を保ち、いつもと変わらぬ無表情を装っていたが、彼女の瞳を見ればすぐに分かる。怒った時に見せる威圧的な光が宿っていたのだ。
温子先生は心配そうに「セイラちゃん、本当に良いのよ?無理しなくても大丈夫なんだから。」再度問いかけてみたが、セイラは「本当に大丈夫です。私やりますから。」と淡々と答えた。
こうなってはセイラは全く聞く耳を持たない。
僕は心の中で「あーあ、しーらねっ!」と呟きながらも、今後の展開に不安を隠せなかった。
委員長は、セイラの言葉に後押しされるかのように、「じゃ、じゃあセイラさんに任せて良いですか?」と他の生徒にも尋ねるも、セイラの迫力に圧倒されたのか、教室は静まりかえり、誰からも反対意見は出なかった。
委員長は、重い空気の中で言葉を続け、「で、では『幽子役』は、セイラさんお願いします。」
その言葉は、教室に響き渡ったが、恒例の拍手は一つもおきなかった。
これが、セイラのあだ名に関するエピソードだ。
これ以降、セイラは「幽子」と呼ばれることになる……、訳ではない。
これはまだ序章に過ぎない。
ここから、この話の本番へと移っていくことになるのだった。
その後、教室は気を取り直したかのように話し合いは続き、配役が次々と決まっていった。
僕は念願の幽霊C役に選ばれ、「ホッ!」と安堵の息を吐いた。
心の中で小さな勝利を祝う一方で、安心してはいられなかった。セイラのことが心配で仕方なかったのだ。
次のグループの配役決めが始まると、何度かセイラに声をかけようと思った。しかし、彼女はブスッとした表情を浮かべ、まだ怒りが収まっていない様子だった。
彼女の心の中に渦巻く感情が、まるでバリアのように厚く彼女の周囲に張られていてとても話しかける雰囲気ではなかった。
話し合いが終わり、終業のチャイムがなったタイミングで、僕はセイラの顔色を伺いながら思い切って声をかけた。「ねぇ!セイラ」と、少し緊張しながら呼びかけるが、彼女は「なんだ!」と、イライラしたかのように返事をした。その声には、まだ心の中に残る不満が滲んでいたのだった。
僕はその反応に少し怯みながらも「本当に大丈夫なの?今からでも遅くないから、断んなよ。」と提案してみたが、セイラはその言葉を一蹴するかのように、秀之の方を鋭く睨みつけ、「大丈夫だと言っているだろ!アイツ、必ず吠え面かかせてやる。」
初めて見る怒りをあらわにして怒るセイラに、僕は戸惑ってしまった。
完全に変な方向にセイラのやる気のスイッチが入ってしまっている。恐らくは「逃げる」と言われたことが、彼女の心に火をつけたのだろう。彼女の目には、決意と怒りが交錯していた。
推測だが、セイラが「やる」と言った時の、秀之の反応を見ていると、彼もまさかセイラが受けるとは思っていなかったのではないかと感じた。彼の無責任な挑発が、セイラの逆鱗に触れていることに気づかずに。
その瞬間、僕は無性に腹が立ってきた。セイラの性格を理解しもしない上に、あとの事を考えず挑発を続けた秀之に対して、どうしてこんなにも苛立ちを覚えるのだろうか。
その後、結衣ちゃんも「アイツひどくない!」と声を上げ、セイラを説得しようとしたが、彼女は頑としてその言葉を受け入れなかった。彼女の心は、すでに決まっていたのだ。
「あーぁ!もうダメだぁ。神様、どうか無事に学芸会が終わりますように……」と、僕は願掛けをする以外に思いつかず、今のところ結衣ちゃんと一緒にセイラの怒りを静めることに全力を尽くすことになった。彼女の心を少しでも和らげるために、僕たちは必死に言葉を探し続けた。
そしてこのあと、神様は僕の願いをかなえてくれる……、訳はなく。この話はとんでもない方向へと進んで行く事になった。




