十九箱目 車の中で
その後、ようやく蔵の外に出ることになった。梅雨特有の湿り気を帯びた空気が頬を撫でるたびに、「生きてる」と実感し、心の奥に安心感が広がっていく。
当初、静馬さんは自分と幽子の怪我を見て、「すぐに病院に行こう」と提案してくれた。しかし、用意してくれたお昼ご飯の香りにお腹が鳴り、思わず「食べてからで大丈夫です」と言って、先に食事を取ることにした。
ブルーシートに座り、お茶を飲んでいると、「しんいちくん、はい!」と椿ちゃんが笑顔で紙皿に盛ったご飯を持ってきてくれた。彼女の優しさに心が温かくなる。
きっと助けてくれたお礼なのだろが、先ほどからいろいろとしてくれる彼女に申し訳なく思い、「ごめん、ありがとう」と声をかけた。
彼女は少し照れくさそうにうつむきながら「全然、全然、だ。大丈夫だから!」と返しながら、彼女は小走りで自身の食事を取りにいっていた。彼女のその仕草に、自分は思わず心がキュンとなった。
「椿ちゃんってやっぱり可愛いなぁ。気も利くし、彼氏ができたらきっと尽くすタイプなんだろうな」と、彼女の横にいる顔の見えない男性に、なぜか嫉妬心が芽生えてしまった。
外で食べる食事は、やっぱり格別に美味しい。梅雨の時期特有の曇り空ではあったが、外の解放感と、みんなでワイワイと食べる楽しさは、まるで遠足に来ているかのようで、怪我の痛みを忘れさせてくれる。
そんな中、ふと目に入ったのは、気が抜けて項垂れている幽子の姿だった。「どうした?」と声をかけると、彼女は小さくため息をつきながら、「刀、やっぱりダメだって……、危ないし、銃刀法とか言われた…」と落ち込んでいた。
心の中で「そりゃそうだよ」と突っ込みを入れつつも、優しく声をかける。「他にもいろいろありそうだし、ほかの物をもらえばいいじゃん。」すると、幽子は「もうお宝探しは懲り懲りだ。こんな大変な目にあって……」と、ブツブツ独り言を言いながら、御飯をモリモリと食べ続けていた。
その姿を見て、どこか気の毒に思えて、自分はそっと彼女のそばにいることにした。
御飯を食べ終わった幽子と椿ちゃん、そして自分は午後の作業には参加せず、静馬さんの知り合いの病院で診てもらえることになった。椿ちゃんは一見、怪我がないように見えたが、白いドレスの女に吹き飛ばされた際に、少しアザになっている部分があるとのことで、念のために診察を受けることになったのだ。
静馬さんの運転で病院に向かう事になったのだが、自分が車のドアを開け、助手席に座ろうとした瞬間、幽子が「私は前の席が良いんだ、君は後ろに乗りたまえ。」と突如割り込んできたのだ。
自分は「えっ!」と戸惑いながらも、仕方なく椿ちゃんと一緒に後部座席に座ることにした。「女子二人で後ろに座れよぉ」と心の中でつぶやきながら、窓の外を眺めた。
車が静かに走り出すと、病院へ向かう道すがら、自然と屋根裏部屋での出来事について話が始まった。
やはり気になるのはあの教会についてだった。
静馬さんに尋ねてみたが、彼もまた「分からない」と首を振るばかりだった。「始めて知った」との言葉が、彼の口から漏れた。
「うちの家は仏教だし、キリスト教と関係があったとか、隠れキリシタンと関係があったなんて、聞いたことないんだよねぇ。」と語る、静馬さんもあの教会についてはかなり困惑しているようだった
静馬さんは続けた。「今思うと、昔、まだあのお屋敷に住んでいた時、親父や爺ちゃんがやたらと『あの蔵には入るな』と言ってたんだよねぇ。
家を引っ越してからも、父さんと母さんは一緒に度々お屋敷の方に行ってたみたいで、一度『何してるの?』と聞いた時、『蔵の掃除してるんだ。』と、やけにあの蔵を大事にしてたんだよなぁ。
蔵を壊す話の時も、もの凄く反対されてねぇ。
でも、あれが見つかっちゃったら、反対していた理由ってやっぱりあの教会が原因なのかなぁと思っちゃうよねぇ。」
彼の言葉に耳を傾けながら、自分は「へぇ~」と声を漏らした。しかし、その瞬間、逆に謎が増えたような気がして、心の中はモヤモヤとした感情で満たされていった。
そんな時、静馬さんが口を開いた。「蔵の解体なんだけどねぇ、さっき弟と話して、一旦中止にすることにしたんだよ。」
「教会の件でですか?」自分は思わず尋ねた。
静馬さんはうなずき、「取りあえずは掃除はあそこまで進んでいるからこのままやるんだけど、解体はねぇ……。
そういえば君たち、智哉くんと同じ部活に入っているんだよねぇ?なら分かるかなぁ?
よく神棚や仏壇って壊す時に魂抜きするじゃないかぁ。教会も同じようにした方が良いのかなぁ?」
その言葉に、自分たちは皆「うーん」と唸ってしまった。静馬さんの言う通り、神棚や仏壇の話は耳にしたことがあったが、教会となると全く知識をもっていなかった。
その時、幽子が口を開いた。「私も詳しくは分からないけど、やっぱり教会関係の人に相談した方が良いんじゃないかな?箱のこともあるし……。おじさんの知り合いに教会の人がいないなら、おばあちゃんに聞いてみるよ。おばあちゃんなら、そういうの詳しいし。」
その言葉を聞いた静馬さんは少し驚いた様子で、「月静先生にかい?それは助かるよ。」と嬉しそうに応じていた。
そして話は教会にあった不気味な箱へと移っていった。魔術に詳しい椿ちゃんがいるため、自然とその箱について話を聞いてみた。
自分が「やっぱり気になるのは、箱の中身、あの『虫の足』だよね。椿ちゃんはあんな物を使う魔術とか知らないの?」と尋ねてみたが、彼女は首を横に振り、「分からないです……」と答えた。
椿ちゃんは続けて言った。「虫を使う黒魔術だと『インプの黒魔術』とかにも似てるけど、少し違うんですよねぇ?
ただ、どの魔術も願いや願望を箱に込めるという点では共通しているんです。
恐らくあの箱にも、あの白いドレスの女性の願いや願望が込められていたことは確かだと思いますね。」
オカルトの知識を語る彼女の姿はどこか楽しそうで生き生きしているようだ。
自分は「願いごとか~ぁ……、あの女の願いごとって何だったんだろうね?」と呟くと、幽子があっさりとした口調で自分の疑問に答えてきた。
「あぁ!あれが本当にマリーアントワネットなら、答えは簡単だよ。彼女の願いは、フランス国民への呪詛だよ。」
幽子の冷めたような口調で語られた恐ろしい答えに、自分と椿ちゃんはドキッとした思いと共に息を飲んだ。自分は恐る恐る、「どういうこと?」と尋ねると、幽子はその理由を淡々と語り始めた。
「マリーアントワネットは14歳の若さでフランスに嫁ぎにきたのだが、来た当初は不安や期待もあったのだろう、でも実際は王宮の貴族に陰口やいじめにあったと聞くし。しかも当時はフランスとオーストリアは仲も悪いようでな、国民からも相当に嫌われていたそうだ。
しかも結婚相手のルイ16世は凡庸で冴えない男だったと聞くしな。
そんな彼女の最後は革命で幽閉された挙げ句、子供とも引き離されて斬首刑だ。そりゃ恨むだろ。」と、彼女は苦虫を噛み潰したように語る。
さらに幽子は「私たちが見たあの幽霊の姿は、彼女の最後に着ていた姿と酷似してるからなぁ。恐らく彼女は死刑が決まった辺りから、藤原さんが言っていた箱の呪いでもしたのだろう。もちろん呪う相手は革命に関わった者、そして彼女を嫌ったフランス国民に違いなよ。」と答えた。
そんな話を聞かされ、自分は「考えられる話だよなぁ」と思いを巡らせていた。王妃と言えども所詮は人間である。最後を迎える時が迫ってそんな思いにさせられた可能性は充分あると思った。
そんな話をしている時だった、静馬さんが「幽子ちゃん、やけにフランス革命に詳しいね。勉強でもしたの?」と感心深げに聞いてきた。
そんな静馬さんの問いかけに幽子は「もちろんだ!私は『ベルサイユのばら』が大好きでな、フランス革命についてはかなり詳しいんだよ。」と言ってきた。
その言葉に椿ちゃんは「えっ、ベルサイユのばらって、あの宝塚のやつですよねぇ?幽子さん意外なものが好きなんですね。」と聞いてきた。
そんな彼女の言葉に幽子は「藤原さんは知らないかも知れないけど、ベルサイユのばらは元々は漫画やアニメで有名でな。私はベルばらを愛読してたんだよ。面白いから藤原さんも読んでみたまえ。名作だぞ!」と椿ちゃんに熱く答えていた。
幽子の思わぬ一面に、静馬さんも少し驚いたようで「へぇ~!意外だねぇ。」と、みんな笑っていた。自分もみんなに合わせて笑っていたのだが、実は……、自分は幽子が「ベルサイユのばら」を好きな事を知っていた。
それは幽子から聞いたのではなく、幽子の母親から聞いていたのだった。
そして幽子の独特の喋り方はベルばらの主人公「オスカル.フロンソワ.ド.ジャルジェ」からきていることも……。
でもその話を聞いたことは幽子の母親から口止めされていた。それは幽子が関わったある事件と深く関係性があったからだった。
その話は……、またいずれ話そうと思う。
そんな会話が続いていると、静馬さんが幽子に「そうそう!あの刀なんだけどね。すぐにって分けではないんだけど、そんなに気に入っているなら幽子ちゃんにプレゼントしようと思っているんだよ」と言ってきた。
幽子は驚いた顔をして、「えーーぇ」と大はしゃぎだ。
静馬さんは笑顔を浮かべながら落ち着くように促して、「一応鑑定してからになるんだけど、それほど高価じゃなかったらちゃんと直して幽子ちゃんに上げたいと思っているんだ。怪我までして頑張ってくれたみたいだし。それにあの刀…、私も良くは分からないけど何か特殊というのか?力を感じると言うのか?上手く説明出来ないのだけれど、何か君に持っていて欲しいんだよね。」と言ってきた。
幽子は「叔父さん!流石に気前が良いなぁ。良い人だと思っていたぞ。叔父さん良く見ればカッコ良い顔だちしてるじゃないかぁ……」と、調子が良いことを言っていた。
自分はどうでも良い話に「あーーァ」と一つ大きなあくびをした。疲れとお昼の満腹感が重なり、まるで体が鉛のように重く感じられ、少し眠たくなってきていた。窓の外には流れる景色がぼんやりと映り、心地よい揺れがまるで自分を眠りへと誘うようだった。
そんな自分の様子に気づいた椿ちゃんが、優しい声で声をかけてくれた。「もう少しで着くみたいだけれど、疲れたでしょ?私、着いたら起こしてあげるから少し寝たら。」その言葉は、まるで温かい毛布に包まれるような心地よさを感じさせた。
自分は彼女の言葉に甘えるように「うん!そうするよ。ありがとう。」と微笑みながら答え、目をつぶった。目を閉じた瞬間、周囲の音が遠くなり、心地よい静寂が広がった。すぐに意識がうとうとし始め、夢の世界へと足を踏み入れようとしていた。
その時、前の席から幽子の声が響いた。
「なんだ!しんいち寝たのか?」
その声に横にいる椿ちゃんが「疲れてたみたいだから寝かせて上げてください。」と、優しく言ってるのが微かに聞こえる。そんな彼女に幽子は「藤原さん!こいつはやめておけ。」
「えっ!」と椿ちゃんの驚いた声が聞こえ、椿ちゃんはすぐに「ち、違いますよ!」と反論し、幽子は「藤原さんは分かりやすいなぁ」と笑いながら言った。まるで二人の間に小さな火花が散っているようではあったが、眠たい自分とって二人の会話は子守唄のように聞こえ、内容がいまいち入ってこない。
そして幽子が、「だいたいコイツはいつも、いつも……」と、自分についての悪口が耳に入ってくる。心の中で「コノヤロー」と反発しながらも、意識は再び遠くへと流れていった。




