十三箱目 箱の正体
いよいよ箱の蓋を開ける時がきた。
幽子は緊張した面持ちで、ゆっくりと箱に手をかけた。まるで周囲の期待を焦らすかのように、一瞬の静寂を作り出し、「では開けるぞ!」と宣言した。
その瞬間、場の空気が一変した。緊張の糸が張り詰め、全員が息をのむ。心臓の鼓動が耳に響くようで、まるで時間が止まったかのようだった。
「カチャッ」
蓋がゆっくりと開く音が響く。箱の中身が見えた瞬間、全員の動きが凍りついた。何が入っているのか、一瞬理解できず、思考が混乱してしまったのだ。
そして、幽子の悲鳴が響き渡る。「ワァー、な、なんだこれは?」その声と共に、時間が再び動き出した。自分は思わず声を上げた。「うぁ!なにこれ。気持ち悪るっ!」隣にいた椿ちゃんは、恐怖に駆られて「キャーァ」と叫び、自分の背中に隠れてしまった。
関口さんは目を背けながら、震える声で言った。「えっ!こ、これなんだ?虫の足に見えるんだけど……」
その言葉が、まさに真実を突いていた。箱から出てきた物は、まさに「虫の足」だった。
黒く干からびたように鈍い光を反射するそれは、確かに虫の足に見えた。所々に昆虫のような毛が生えており、足先には鋭い爪のようなものが確認できる。しかし、明らかに昆虫の足とは異なるのは、その異常な大きさだった。
曲がった状態でも、20cmか30cmはあろうかという、昆虫にしては異常なほど超大型の足がそこにあったのだ。
自分はあまりの気持ち悪さに直視がなかなかできず、心臓がドキドキしていた。「いや、これ…、作りものじゃないんですか?」と、恐る恐る2人に問いかけた。
関口さんは眉をひそめながら、「う~ん、多分……。ちょっと異常すぎるよねぇ、この大きさ。さすがに触って確認したくはないなぁ。椿くんは何か分からないのかい?」と、考え込むように言った。
「え~ぇ、こんなの分かりませんよ。虫を使った魔術は聞いたことありますが、こんなの聞いたことありませんよぉ」と、椿ちゃんは自分の背中越しに箱の中を覗き込み、目を大きく見開いて答えた。
「そうだよねぇ?でも『虫』と言えばベルゼバブって悪魔がいたよねぇ?あれって確か『蝿の王』とかいわれてなかったっけ?」と、関口さんはさらに考察を深めていく。自分たちがその事について考えを巡らせて話をしてる中、幽子だけはその輪に参加していなかった。
実は、彼女は箱を開けた瞬間、驚愕の叫び声を上げて尻餅をつき、そのままの状態で後方に大きく後退りしていたのだ。彼女の顔は青ざめ、目は恐怖で見開かれていた。
そんな彼女を尻目に自分たちが箱を囲み、あーでもない、こーでもないと話し合っていると、幽子は震える声で「き、君たちそれが気持ち悪くないのか?な、なんでそんなモノの近くで話し合っているんだ」と叫び声を上げた。
そんな彼女に思わぬ方向からカウンターが飛んできた。「えっ!だって、ゆ、幽子さんが開けようって言ったじゃないですかぁ」と、椿ちゃんが無邪気に返してきたのだ。
恐らく幽子に突っ込みを入れてやろうといった言葉ではなく、彼女にとっては、ただの素直な意見だったのだろうが、幽子にとってはまさに致命傷的な一撃だった。彼女の顔は一瞬で真っ青になり、目が大きく見開かれた。
それに止めをさすかのように関口さんも、「確かに椿くんの言う通りだ!幽子くんが開けようと持ちかけたんじゃないか」と言い放った。彼の声は、優しい言葉とは裏腹に、明らかなヒネリが含まれていた。彼の強すぎる突っ込みは、幽子をさらに追い詰めるために用意された言葉のようだった。
そして三人の視線が自分に集中してきた。幽子の心の声が耳元で響いた。「しんいちは私の味方だよなぁ」。その言葉は、まるで長年の友情にすがるように聞こえる。一方で、関口さんと椿ちゃんの心の声も同時に聞こえてきた。「しんいちはどっちに付くんだ!」、「しんいちくんは私たちに付くよねぇ」。二人の声は、まるで自分を取り囲むように迫ってきた。
一瞬、心が揺れた。長年の友人である幽子に付くべきか、それとも流れに乗って二人に付くべきか……。葛藤が胸の中で渦巻く。自分の心の中で、友情か流れか揺れ動く感情が交錯していた。
そして自分が出した結論は……、
「ずっと幽子が開けようって言ったじゃん。」
もちろん椿ちゃんと関口さん側についたのだ。
時に、政治とは非情である。長年の友情も、流れに逆らっては生きていけない。自分は心の中で「すまん!幽子」と謝罪しつつも、二人の側に立つことを選んだ。
幽子は四つん這いの状態でうなだれ、敗北の重みを噛み締めていた。彼女の姿は、まさに「欲は身を滅ぼす」を体現しているようだった。彼女の項垂れた姿をみて思わず笑い……、いや、同情の気 持ちが湧き涙がこぼれそうになった。
身を滅ぼして灰のように白くなった幽子を放っておいて、自分たちは少し見慣れた箱の中身を観察しながら、考察に花を咲かせていた。周囲の静寂の中で自分たちの楽しげな会話がこだましていた。そんな時、関口さんが目を細め小さく声を上げた。
「しんいち、椿くん、ここを見てくれないか?箱の裏に何か書いてあるんだけど。」
その言葉に、自分と椿ちゃんは視線を箱の裏側に移した。そこには、古びた赤茶けた一枚の紙が貼り付けられていた。現在の紙質とは違うような雰囲気があり、紙の劣化の状態から相当に古い物だと推察できた。
「これ、この箱の持ち主の名前ですかねぇ?」と自分が言うと、二人は少し悩んだ表情を浮かべた。紙に書かれた文字は、かなり綺麗な筆跡だったが、かすれている部分もあり、達筆な英文に日本人の自分たちは戸惑いを隠せなかった。
「マリエ……アント……ネトゥ?」と、何とか声に出してみるが、やはり良く分からない。言葉が口の中で踊るように響くが、意味は掴めない。
「しんいちスマホで読み取ってみようか?」と関口さんはポケットからスマホを取り出し、箱に書かれた文字を読み取ろうと提案してきた。
「分かりますかねぇ?」と自分が尋ねると、関口さんは少し考え込むように眉をひそめ、「うーん、どうかなぁ?だいぶかすれているからねぇ?試すだけやってみようか」と言いながら、スマホをその紙に向けた。
その瞬間、自分の心臓が高鳴っていく。何かが明らかになるかもしれないという期待感が、胸の奥で膨らんでいった。関口さんの手が震えるように見えた。彼の指先がスマホの画面をタップするたびに、自分たちの心も一緒に動いているようだった。
「これが何を意味するのか、知りたいですね。」と椿ちゃんが笑顔で呟く。そんな彼女の笑顔を見て「椿ちゃんも相当のオカルト好きだなぁ」と思いつつ、自分も関口さんのスマホに注目していた。
その時、静寂を破るように「ピコッ」と関口さんの持つスマホから音が鳴った。
「どうでした?分かりましたか?」と自分か尋ねる。椿ちゃんも目を輝かせ、関口さんの答えを待っている。しかし、関口さんの表情は明らかに動揺していた。彼は何度もスマホの画面を確認し、まるでそこに何か恐ろしいものが映し出されているかのように目を動かしていた。
「関口さん!どうしたんですか?分かったんですか?」と、自分は再度問いかけた。心の奥で、何か嫌な予感が渦巻いていた。
「わ、分かったんだけど……、ちょっと信じられない言葉が出てきたんだよ。」関口さんは、真剣な目考えるように画面を見つめ続けている。
自分の第六感が「聞くな」と警告していた。しかし、ここまで来て聞かない訳にはいかない。椿ちゃんも不安そうにソワソワし始め、彼女の瞳には緊張が宿っていた。自分はもう一度「関口さん!」と叫ぶと、彼は「ゴメン!ゴメン!じゃあ言うよ」と、ようやく口を開いた。
自分と椿ちゃんは、思わず「ゴクリ」と息を呑んだ。
そして、関口さんは「マリーアントワネット」と答えた。
その瞬間、屋根裏部屋の入り口が「キーーィ、バッタン!」と物凄い大きな音を立てて独りでに閉まった。まるで何かがその扉の向こう側から私たちを拒絶するかのように。冷たい空気が一瞬にして部屋を包み込み、背筋が凍るような恐怖が自分たちを襲った。
「えっ!なんで閉まったんですか?」椿ちゃんが震える声で呟く。自分たちの心臓は、恐怖の鼓動に合わせて高鳴り、逃げ場のないこの空間で、何が起こるのかをただ待つしかなかった。暗闇の中から、何かが目を覚まそうとしている気配が、じわじわと迫ってくる。




