十二箱目 契約の箱
「それで『アスタロトの魔術』って言うのは一体どんなものなんだ?」
幽子は冷静な眼差しで箱を見つめながら、椿ちゃんに尋ねた。
椿ちゃんは一瞬驚いたような表情をしたが、「あっ!そうですね。」と元気よく返事を返した。彼女の表情はすぐに明るくなり、知識を披露する準備が整ったようだ。「アスタロトの魔術のやり方なんですが、まずは小さな紙に『DEMON』デーモンという文字をたくさん書いて『りんご』埋め込むんだそうです。」と、彼女は頭の隅にしまっておいた記憶を呼び起こすようにゆっくりと語り始めた。
「りんご?」と自分は心の中で疑問を抱きつつ、椿ちゃんの話に引き込まれていった。椿ちゃんはさらに饒舌に続ける。「そのりんごを箱に入れて、この箱のようにロザリオをぐるぐる巻き付けるんです。」彼女の目は生き生きと輝き、まるでその光景を実際に見ているかのようだった。
椿ちゃんの説明は、目の前にある箱と驚くほど似ている気がしてきた。彼女の声はますます高まっていく。「それで、巻き付けた箱に『アスタロト、我の元に来て、相手を消したまえ』だったかな?そんな呪文を唱えるんです。邪魔な相手や、呪いたい相手を思い浮かべながら、呪いをかけていくっていう方法なんですよ。」彼女は自信に満ちた口調で、まるで魔術師のようにスラスラと説明していった。
周囲の人々はその話に黙って耳を傾けていた。椿ちゃんの説明が終わると、思わず「おーーぉ!」と感嘆の声が上がり、拍手を送りたくなるほどの素晴らしい内容だった。
その反応に椿ちゃんは少し驚き、照れくさそうに「そんなことないですよぉ、なんの役にも立たない知識ですから…」と頭をかきながら下を向いた。
その言葉に関口さんはすかさず反応した。「そんなことはないよ、凄い知識じゃないか!僕も知らないことを知っていて、まだまだ勉強不足だということを実感したよ。」彼の言葉には心からの賛辞が込められていた。
関口さんの言葉に、椿ちゃんは戸惑いながらも、少し微笑んだ。彼女の頬は赤く染まり、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった表情を浮かべていた。関口さんはその微笑みに笑顔で返し、さらに話を続けた。「なるほど!椿くんの話からすると、誰かがアスタロトと契約を結んで、誰かを呪っているってことなのかな?では、このロザリオはその悪魔の力を封印しているという意味なのかな?」
椿ちゃんは少し首をかしげながら、考え込むように言った。「うーん…、部長が言う封印とはちょっと違うかも知れませんね。」その言葉に、関口さんは興味をそそられ、「どういうことかなぁ?」と問いかけた。
彼女は少し戸惑いながらも、真剣な眼差しで続けた。「う、上手く説明出来ないんですが‥…。力を封印してると言うよりは、契約の気持ちを閉じ込めるみたいな感じですかねぇ。」と少し悩みながら答えてきた。
自分は「へーぇ、なにそれ?」と興味を持って問い掛けると、椿ちゃんは緊張した面持ちでさらに話を続けた。
「あのぉ!日本的な感覚だと、あのロザリオって悪いモノを封じ込めるって意味に見えるじゃないですかぁ。で、でも、西洋の黒魔術では自分の願望や、思いを悪魔に言って契約するんですが、その契約の時の気持ちと言うのか…、思いを外に出さないための封印らしいんです。他にもリラの魔術なんかも同じようにロザリオでぐるぐる巻きにするなんて話を聞きますよ。」
彼女の言葉は、まるで古い伝説を語るかのように、神秘的な響きを持っていた。関口さんはその話に引き込まれ、思わず息を飲んだ。
自分も彼女の話に興味を引かれ、「へーぇ、そういう封印の考え方もあるんだねぇ。もしかしたら思いを封印することによって力が増すみたいな効果もあるのかなぁ?」と問いかけた。椿ちゃんは少し考え込んでから、「多分?そういう効果もあったかも知れないですね。」と、少し照れくさそうに答えた。
椿ちゃんの意外な一面、そして彼女の持つオカルト知識に、みんなが感心しているのが伝わってきた。
そんな中、突然彼女が小さな声で「ただ、わ、私……、一つ気になる事があるんです」と呟いた。彼女の言葉に、その場の全員が一斉に彼女の方を向き、次の言葉を待った。
その視線に驚いた椿ちゃんは、いつもの気弱なおどおどした表情に戻り、「いや!あのぉ……、ちょ、ちょっとした事なんですが、アスタロトの魔術をおこなったなら、さ、さっきも言った通り『りんご』を箱に入れるんだけど、その箱にりんごを入れるとしたら少し厚みが足らない気がするんです。そ、それにりんごを1個入れるにしては逆に横幅が広すぎるような気がするんですよねぇ」と、自信なさげに言った。
その言葉に、自分たちの視線は今度は箱の方に移った。椿ちゃんが考察したことを確認するように、みんなが箱をじっと見つめた。「確かに少し違和感ありますね。」「うん!椿くんが言った通り厚みが足らないと言うか、余裕がない感じだねぇ。」「おーぉ凄いじゃないか!藤原さん、よく気づいたな。」と、彼女の推理に納得の声が上がった。
さらに自分が「確かにりんご1個入れるならもっと四角い箱で充分ですよねぇ。この箱じゃ6個くらい入りそうですから。もしかしたら別の何かが入ってるとかあるんですかねぇ。」と冗談ぽく言ったのだが、椿ちゃんが指摘した違和感には、自分も深く共感していた。彼女の真剣な眼差しと、少し赤くなった頬が印象的で、思わず心が温かくなった。
ただ、椿ちゃんの推理に対して少し話してみたのだが、良い答えが見つからないでいると、幽子が恐ろしい提案を口にした。「開けてみれば良いんじゃないか?」と、一番確実で、一番選択したくない意見をさらりと言ってきた。
その言葉に、場の空気が一瞬凍りついた。「いやいや!それはちょっと……」と自分が口を開く。「幽子くん、それは危険じゃないのか?」と関口さんの声が続く。「ゆ、幽子さん、一応それ呪いの道具だよ」と、みんなが一斉に止めに入った。しかし、幽子はその反応を気にせず、「君たちも箱の中身に興味あるんだろ?さっきも言ったが、今のところ変なモノは見えてないし、最悪祓ってやるから大丈夫だ」と、自信満々に言い放つ。
彼女の言葉には、どこか挑発的な響きがあった。自分たちは「どうする?」と顔を見合わせたが、不安は消えない。心の中で葛藤が渦巻いていた。開けるべきか、開けざるべきか。そんな心が揺れている自分たちに、幽子は畳み掛けるように続けた。
「どのみち、この箱そのままって訳にはいかないんだから、開けてしまえば良いじゃないかぁ。どうせこんな物、骨董屋じゃ引き取ってくれないだろうし、何にもなかったら私が引き取って売ってやるよ。今は『呪物コレクター』なんて物好きもいるからな、オークションに出せばけっこう言い値がつくぞ。そうしたらこのメンバーで山分けといこうじゃないか!」
彼女の声には、どこか魅力的な響きがあった。
自分たちの心の中に、好奇心と恐怖が交錯する。幽子の目は輝いていて、その箱の中に何か特別なものが隠されていると信じているかのようだった。彼女の提案に心が揺れ動く一方で、椿ちゃんの不安そうな表情が気になった。彼女の目は不安と恐れで揺れているが、同時に興味も抱いているように見えた。
その時、関口さんが静かに口を開いた。「幽子くんがそこまで言うのなら、開けて確認するのも良いかも知れないね。」彼の声は、冷静な水面のように穏やかだったが、その言葉には確かな好奇心が感じられた。そんな彼が、自分と椿ちゃんに同意を求めるような、ゆっくりとした口調で確認してきたのだ。どうやら関口さんは幽子の語る誘惑に落ちてしまったようだった。
その瞬間、自分の心の中で「えっ!」と驚きの声が上がった。関口さんが賛成するなんて、思いもよらなかった。しかし、同時に自分も箱の中身に興味が湧き始めていた。好奇心が恐怖を少しずつ飲み込んでいく感覚。そんな揺れ動いている時に、関口さんの思わぬ提案が自分の心をさらに揺さぶった。「関口さんが賛成なら、まぁ、自分も特に反対はしないけど……。」と、つい曖昧な答えが口から漏れ出てしまった。
そして、みんなの視線は椿ちゃんに移った。彼女は、まるで自分が選ばれたかのように驚いた表情を浮かべた。「わ、私ですかぁ!私はちょっと恐いから反対なんだけど……、で、でもみんなが賛成なら別に良いですよ。私も少しは興味ありますしぃ……。」と、彼女は渋々ながらも本音を交えた返事をした。少し不安そうに自分と関口さんの方をキョロキョロと見ていたが、根はオカルトマニアである、好奇心には勝てないようであった。
その言葉を待っていたかのように、幽子はニヤリと笑い、不敵に満ちた目を全員に向けて言った。「じゃあ、開けてみようか!」その瞬間、緊張感が一層高まり、自分たちは軽く頷きながら、箱の周りに集まった。
幽子は刀が入った箱を椿ちゃんに託すと、彼女の手が、ロザリオが巻かれた箱に伸びていき彼女は慎重に箱を手に取った。
幽子は、ロザリオをゆっくりと外していく。ロザリオの長さはかなりあり、まるでこの箱を巻くために作られたかのように感じられた。ネックレスとして使われていたのではなく、むしろ悪魔と契約を結んだ箱を守るための装飾のように思えた。
ロザリオが外された箱は、テーブルの上に静かに置かれた。古びた木製の箱は、年月を経た重みを感じさせる。周囲に施された彫刻は、精緻でありながらも力強さを持ち、まるでこの箱が長い歴史を背負っているかのようだった。所々に見える金箔の跡は、かつての栄華を物語っている。まるで貴族の持ち物だったのではないかと思わせるほどの美しさがあった。
その箱を見つめると、心の奥底にある好奇心がさらに膨らんでいく。幽子の目は輝き、椿ちゃんの不安な表情が一瞬和らいだように見えた。しかし、周囲の空気は依然として緊張感に包まれていた。何が待ち受けているのか、誰もが知りたがっていたが、その先にある未知の恐怖もまた、心の中で渦巻いていた。
「さあ、開けよう」と幽子が言った時、自分たちの心臓は高鳴り、期待と恐れが入り混じった感情が胸を締め付けた。




