六件目 人形の秘密
事件は、まだ終わっていない。
……そんな確信めいた思いが胸の奥に燻っていた。
「やっぱり……分かってたんだな?」
幽子は肩をすくめ、悪びれた様子もなくにやりと笑った。
「そりゃ分かるさ。いつもの『あのオーラ』が出てなかったし。まさか……適当に霊視っぽいこと言って、ちゃっかり報酬だけいただいたんじゃないだろうな?」
冗談めかして言ったつもりだったが、我ながら目が鋭くなっていた。わざとらしく疑いの視線を向けると、幽子は焦ったように、少しだけ顔を引きつらせた。
「なっ……そ、そんなわけないだろっ!」
と、声を張り上げたその瞬間だった。
「お待たせいたしました」
タイミングを計ったように、店員の女性がふわりと現れた。手には木製のトレー、その上には鮮やかなタルトと紅茶が乗っている。
「こちらは当店オリジナルの『森の恵みのタルト』になります。フルーツはメロンにブルーベリー、それから……」
にこやかに説明を始める店員の声に、自分と幽子は一瞬、互いの言葉をのみ込んだまま、姿勢を正した。
まるで先ほどまでのやりとりなどなかったかのように、店内にはゆったりとした空気が流れ始めていた。
事件は、まだ終わっていない。
そして幽子は、まだ全てを語っていない。
甘いタルトの香りがテーブルに広がるのを感じながら、自分は幽子の瞳の奥に隠された真実を読み取ろうと、静かにその時を待っていた。
店員が席を離れると、幽子は待ちきれなかったように早速タルトを切り分け、一切れをフォークでつまんで口に運んだ。
「……いや〜、このケーキも最高だなぁ」
頬を緩ませ、幸せそうに呟く彼女を見て、自分は思わずツッコミを入れた。
「おい!」
呼びかけに、幽子はまるで至福の時間を邪魔されたかのように眉をひそめ、小さく舌打ちをした。
「ちっ……分かったよ。今から説明してやるよ」
そう言ってフォークを皿の上に置くと、ようやく真面目な顔つきになった。
「まぁな、全部が嘘ってわけじゃない。あの二人に話した対応は、ちゃんと筋を通したつもりだ。お祓いよりも供養が妥当だと思ってるし、そこは間違ってない」
幽子の目線が、一瞬だけ二人が座っていた席の方へと動いた。
「……ただな。前半の話、あれは完全に芝居だった。あの人形が……とか言ってたろ?あれは演出だ」
「……は?」
思わず声を潜めると、幽子は少し声のトーンを落として続けた。
「つまりだ。あの女の正体、私は正確には分かっていない。霊視したが……あいつは、ほとんど何も語らなかった。問いかけても無言を貫いていた。だからこれから話すのは、私の“考察”に過ぎない。あの二人には……このことは伝えない方がいいだろうな」
言葉の端々に、いつもの自信めいたものがなかった。
「……考察って、なにを?」
「まずは人形のことから話そうか」
幽子は姿勢を正し、こちらを見据えながら話し始めた。
「前にも話したと思うけど、私の霊感には『内視』と『外視』ってものがある。手を繋いで相手の中を見るのが『内視』。今日やったみたいに、対象を外から視るのが『外視』だ。今回は、写真と人形に外視を試した」
自分は黙って頷いた。
「で、人形には……何も憑いてなかったんだ」
幽子の言葉に、思わず息を呑む。
「本当に視たのは、あの写真の方。写真には、間違いなく『女』の霊がいた。しかも……かなり強い執着を抱えてる。」
「執着……?」
「そう。あの写真の男にな。霊と接触したけど、名前も由来も話さない。ただ、何度も何度も繰り返しこう言うだけだった」
幽子はまるで、その声をなぞるかのように静かに言葉を重ねた。
『この人は……私の者……』
ゾクリ、と背筋に冷たいものが這い上がってきた。
「……それ、本当に大丈夫なのか?」
自分が思わず問いかけると、幽子は少し間を置いて、口を結んだまま考え込むような素振りを見せた。
「……多分な。あの女は男に執着してるだけで、家族には手を出すような感じじゃない。……たぶん、な。」
不安を隠せない言い方に、自分は再び背中に冷や汗がにじむのを感じた。
「で、でもさ……幽子、人形は関係ないって言ってたのに、なんかやけにじっくり調べてたように見えたんだけど……」
気になっていたことをそっと口にすると、幽子は首を横に振った。動作は小さく、しかしはっきりと否定の意思を示していた。
「違うよ。憑いてはいないって言っただけで、関係ないとは一言も言ってない。」
その言葉に、自分は思わず言葉を詰まらせる。
「お前は、あの人形が写真の女に似ているか判断がつかないって言ってたな。でも、私は違う。私には、はっきりと『似てる』ってわかったんだ。」
幽子はそう言って、まっすぐにこちらを見据えた。
「まるで生き写しだったよ。あの写真に写っていた女と、人形は。まるで、その女自身が人形になったみたいにそっくりだった。」
ドクン、と胸の奥で何かが跳ねた。幽子は目を細め、さらに言葉を続ける。
「おそらくだけど、専門の人形師に頼んで、自分そっくりに作らせたんじゃないかな。あの髪……お前は触ってなかったけど、私はわかった。本物の人毛が使われていた。しかも……あれは写真の女自身の髪だと思う。」
「じ、人毛……?」
思わず震えが背筋を走った。まるで今、自分の手にその人形の重みと髪の感触が蘇った気がして、肩がぴくりと跳ねた。
そんな自分を気にも留めず、幽子はあっさりと言い放った。
「まあ、人毛を使った人形ってのは珍しい話じゃないんだ。リアルな質感が出るし、舞台用やコレクションなんかでも時々ある。でも……」
言葉を一度切ってから、彼女はわずかに眉をひそめた。
「自分に似せて、自分の髪を使った人形なんて、滅多に聞かない。よほど強い想いが込められているはずだよ。あれはただの飾りじゃない。……何かを宿そうとして作られた、『人形』だ。」
店の空気が一瞬、重たくなった気がした。 人形に込められた執念めいた何かが、ひたりと背中に張りついているような錯覚に襲われた。
幽子は目の前のカップに視線を落とすと、少しだけ冷めてしまった紅茶を静かに口に運んだ。
ゆっくりと一口、喉を潤す。
その動作は、まるで自分の中で何かを確かめるための『間』のようでもあった。
そして、カップをソーサーに戻した幽子は、穏やかながらも鋭い視線でこちらを見た。
「しんいち……これが何を意味してるか、分かるか?」
少しだけ声を落としたその問いには、核心へと導くヒントが込められていた。
「自分に似せた人形。しかも、あの人形は婚礼衣装……白無垢を着せられていた。そして、その人形を受け取って、ずっと大切にしていたあの男性……。その関係性が、何を示しているのか。」
幽子の言葉が落ち着いていながらも、まるで探偵が推理を促すかのようだった。
一瞬、思考が白くなったが……次の瞬間、パズルのピースが一気に嵌まっていく感覚が走る。
「ああ……なるほど、そういうことか……!」
自分は思わず声を漏らした。
幽子はにこりと微笑んだ。まるで、正解に辿り着くのを待っていたかのように。
「幽子が言いたい事って、たぶん……、あの二人は……不倫の関係だったって事じゃないか?もしくは、あのおばあさんと結婚する前に、将来を誓い合っていた……そんな仲だったんじゃないか。」
「うん、私もそう考えたよ。」
幽子は頷くと、ほんのわずかに目を伏せる。
「白無垢の人形は、単なる贈り物じゃない。あれは『花嫁としての自分』を託したもの。彼女は、自分の髪を使い、自分の姿に似せた人形を作らせ、あの男性に手渡した。つまり……あの人形は『誓いの象徴』だったんだ。」
その瞬間、空気がひやりと冷たく感じられた。
愛と執着。未練と記憶。
人形に込められたそれらの想いが、ただの物では済まされない何かを語り始めていた。




