四件目 白無垢の人形
幽子を伴って再び二人の女性の元へ戻ると、自分は軽く会釈しながら、さっそく彼女たちに紹介の言葉を口にした。
「こちら、自分の同級生の幽子です。ちょっと不思議な力を持っていて、『霊視』とか『お祓い』とか……そういうのができるんです。彼女のおばあさん、月静さんって言うんですけど、この辺じゃちょっとした有名な占い師でして。
で、幽子もその血を引いていて、負けず劣らずの力を持ってるんですよ。」
できるだけ柔らかい口調で、自分は幽子の力を伝えつつ、二人の不安を和らげるように努めた。
二人の女性は顔を見合わせ、まだどこか疑わしげな様子を残していたものの、やがて立ち上がり、幽子に向かって小さく頭を下げる。
「……よろしくお願いします。」
その丁寧な挨拶に対し、幽子はというと。少しだけ気怠げな表情を浮かべながら、軽く会釈を返しただけだった。そんな彼女に思わず苦笑いが漏れる。
彼女はそのまま空いていた席に腰を下ろし、自分も隣に座る。店内の静けさが、次に交わす言葉の重みを増すような気がした。
「……それでね、幽子。さっき、二人からこんな話を聞いたんだ——」
自分は静かに、しかし順を追って丁寧に、先ほど二人から聞き取った不可思議な出来事を幽子へと語り始めた。
幽子は説明を聞きながら、静かに遺影の入った紙袋へと手を伸ばした。袋の口を広げ、中を覗き込んでも、彼女の表情には動揺の色はなかった。ただ一言、ぽつりと呟く。
「……なかなかに面白い写真だな」
その声音には、驚きや恐怖ではなく、まるで美術品でも鑑賞するように遺影を見つめる。
さらに幽子は遺影を袋から取り出すと、念入りに隅々まで視線を這わせ、何かを探るようにゆっくりと目を動かしていた。
自分が一通りの説明を終えると、幽子は「ふーん、なるほど……」と気のない調子で返し、写真を元の袋へと戻した。
一瞬、何か考え込むように視線を落とした彼女だったが、すぐに顔を上げ、もう一つの紙袋へと視線を移す。
「それで……その紙袋は、なんなんだ?見たところ、人形のようだが」
視線は自分と、向かいに座る二人の女性へと向けられる。
自分は、その人形について何も聞かされていなかった。視線を彷徨わせながら、若い女性の方を見ると、彼女が口を開いた。
「この人形ですか……。実はこれも見て欲しいんですけど。由来については私も詳しくは知らないんです。
ただ……おばあちゃんの話だと、生前、おじいちゃんがとても大事にしてたものらしくて……。誰かから預かったか、貰ったものだって……。
ねえ、おばあちゃん?」
若い女性が隣の高齢の女性へと目を向けると、彼女はゆっくりと頷いた。
「はい……。私も、主人から詳しいことは聞かされていません。ただ『大切な友人から貰ったものだ』とだけ……。でも、ひとつだけ、気になることがあるのです。」
「気になること?」
自分は思わず前のめりになり、続きを促すように視線を向けた。
若い女性が小さく頷くと、紙袋に手を入れ、慎重にその中から一体の人形を取り出した。
「これ……見ていただきたいんですけど。」
そう言って差し出したその人形を見た瞬間、空気が静まり返った。
「この人形……あの心霊写真の女の人に、似てませんか?」
若い女性の不安げな声が、店内の静寂をかすかに震わせた。
まるで空気そのものがざわめいたように、場の雰囲気が微かに変わった気がした。
その言葉を受け、自分と幽子はそっと視線を人形へと移す
薄暗いオレンジ色の照明に写し出されたその人形は、純白の婚礼衣装を纏っていた。
だが、和式の婚礼によく見られる角隠しはなく、長い髪は乱れることなく滑るように垂れていた。
幽子は無言で人形に手を伸ばす。
細く白い指が、髪を撫で、着物の袖をめくり、襟元をつまむように細かいところまで探っていく。
見た目だけなら、確かに似ている……かもしれない。
写真の顔立ちはよく分からない。だが、白無垢のような着物と長い黒髪……それらが写真の女の姿を思い起こさせるには十分だった。
「……幽子、どう思う?」
自分が確信を持てずに尋ねると、彼女は返事をせず、ただ「うーん……」と低く唸った。
その声音には、警戒と、答えを口に出すことへのためらいが滲んでいた。
「自分的には……正直、どちらとも言えない印象ですね。でも、何か……たとえば声が聞こえるとか、視線を感じるとか、何か動いたとか……そういうことはなかったんですか?」
恐る恐る尋ねると、若い女性は少し考え込み、やがて唇を震わせながら語り始めた。
「……そういう怖いことは、特には……。でも、生きていた頃の祖父が、この人形に……よく話しかけてたそうなんです。ブツブツと、誰もいない部屋で。」
その言葉に、幽子の指がピタリと止まった。
女性は続ける。
「でも、それも……『取り憑かれてた』とか、そういうんじゃないと思うんです」
若い女性は言いかけて、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「私も昔、おばあちゃんの家に泊まりに行った時に見たことがあって……。『おはよう』とか、『おやすみ』とか、私が見たのは普通の挨拶でした。
そのときは、なんとも思わなかったんです。……けど、今になって考えると……あれは、やっぱり……」
そこまで言って、彼女は口を噤んだ。視線は、人形のつぶらな目に吸い寄せられるように落ちていく。
まるで思い出の断片をたぐり寄せるように……、その表情はどこか不安げで、ほんの少し、寂しさもにじんでいた。
たしかに、人形に語りかけるのは奇妙に映るかもしれない。
だが、もしそれが、贈ってくれた人への想いから来る行動だとしたら……それほど異様なことでもない。
愛着というものは、ときに常識の枠を超えて、静かに心に根を下ろすのだ。
幽子も黙ったまま、人形とにらめっこをしていた。首を小さく傾げながら、何かを探っているようだ。
店内に漂う仄かなコーヒーの香りが鼻をくすぐる。しばらく考え込んでいた幽子が、ふいに顔を上げた。
「ま、取りあえず視てみるか。」
そう言ったかと思うと、幽子は突然、両手を合わせて深く息を吐き、
次の瞬間……
「パンッ!」
澄んだ柏手の音が、静まり返った店内に鋭く響き渡った。
その瞬間、カップを傾けていた中年のカップルと店員の女性が一斉にこちらを振り返る。
唐突な音に驚いたのだろう。視線が矢のように自分たちへと突き刺さってくる。
「……ちょ、幽子!」
止める暇などなかった。
彼女が霊感を開く合図であることは分かっていたが、まさかこんな場所でやるとは。
自分は苦笑いを浮かべながら、ぺこぺこと頭を下げる羽目になった。
「すみません、すみません……」
目の前の二人も、目を丸くして幽子を見ていた。
その視線にも彼女は一切動じることなく、むしろ得意げな笑みを浮かべている。
「もう……幽子、静かにやってよ……」
小声で文句を言うが、彼女は鼻で笑って一言。
「別にいいだろ。さて……私の本気を見せてやろうじゃないか」
その言葉とともに、幽子の瞳が鋭さを帯びて細くなった。
臨戦態勢に入ったように、彼女の気配が、ピリリとした緊張感をまといはじめる。
そしてその眼差しは、人形へとまっすぐに向けられた。