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十六軒目 布石

「お願いします」


陽介の決意の言葉が静かな空間に響くと、幽子はその言葉に応えるように頷いた。「分かった!じゃあ早速説明するよ」と、少し沈んでいた彼女の眼に光が戻ってきていた。陽介の真剣な表情を見て、彼女の心も少しずつ明るくなっていくのが感じられた。


その様子を見守っていた自分も、思わず「ふんっ」と一息気合いを入れた。そんな自分の姿を見た幽子は、いつものような柔らかな笑顔を浮かべていた。彼女の笑顔は、周囲の空気を一瞬で和ませる魔法のようだった。


しかし、次の瞬間、幽子の動きがピタリと止まった。彼女はキョロキョロと周囲を見回し、何かに迷っているようだった。「どうしたの?」と、思わず声をかけると、彼女は少し困ったような表情で、「どっからやろうか?やることが一杯で迷うな」と、気が抜けたような口調で頭を搔いている。


その言葉に、場の空気は一気に和らいだ。陽介が落ち着いた声で「順番で良いんじゃないですか?ゆっくりやりましょう。今日はまだ時間ありますから!」と提案する。彼の言葉には不思議と安心感があった。


「じゃあ!妹さんから片付けるか!」と、幽子は元気よく宣言する。彼女の声には、どこか楽しさが混ざって弾んでいるようにも聞こえた。


「まずはお風呂を入れてくれないか?悪いものは水溶性だから、洗い流してお風呂に浸けてやれば、綺麗サッパリと流れていくからな」と、彼女はいつもの変な持論を展開している。


そして彼女は少し顔をしかめながら、「それに、女の子があれでは酷すぎるし…」と、彼女は小さくため息をつく。彼女の心配りは、妹に対する優しさから来ているのだろう。陽介もその言葉に頷き、彼女の意図を理解した。


幽子の言葉は、ただの指示ではなく、陽介たちを思う気持ちが込められているようだ。陽介はその姿を見て、彼女の決意に心を打たれたようだった。二人の間に流れる温かな絆が、これからの行動を後押しするように感じられた。


そして幽子は続けて指示を出してきた。「私が彼女をお風呂に入れている間に、君たちは彼女の部屋の片付けを頼むよ。悪い場所には悪いモノが溜まるからな。それに、換気も十分にして、空気も入れ替えておいて欲しい」


その言葉に、思わず自分は口を開いた。「えっ!幽子一人で、大丈夫なの?」と。日向ちゃんが軽いとはいえ、女性一人でお風呂に入れるのは大変ではないかという自然な疑問だった。


幽子はその問いに対して、冗談交じりに不適な笑みを浮かべ「じゃあ、しんいちが手伝うか?」


その瞬間、思春期真っ只中の自分の心が揺さぶられた。彼女の言葉に、思わず一瞬隙を見せてしまい、想像が頭をよぎった。それが良くなかった……。


幽子はその隙を見逃さず、一言「変態!」と罵ってきた。焦った自分は言い訳をしようとしたが、時すでに遅し。幽子の軽蔑の眼差しが自分に向けられ、「全く…、友人の妹さん相手に何を考えているんだ。もしかして私の……ことも……」とブツブツ言いながら文句を言っていた。


完全なる敗北だった。


陽介は少し苦笑いを浮かべていたが、その態度にはどこか冷たさが感じられた。自分の心の中で、恥ずかしさと悔しさが交錯する。


二人がテキパキと作業を進めて行くなかで自分は、幽子の言葉が耳に残り、心の中で反響し、しばらくの間、虚ろなゾンビのように作業をする羽目になってしまった。


そんな中お風呂の準備が整い、幽子と陽介が日向ちゃんを抱えるように連れてお風呂に向かっていった。自分は1人日向ちゃんの部屋に待つこととなった。


日向ちゃんの部屋は、まるで時間が止まったかのようだった。静寂が部屋を包み込む。自分は一人、ゴミ袋を手に持ちながら、改めてその空間を見回した。


薄暗い部屋の中、床には散乱した物が無造作に置かれ、その上にはうっすらと埃が積もっていた。机の上や洋服タンスの上にも、同じように埃が静かに息を潜めている。ほんの少し動いただけで、埃の粒が日の光に照らされ、まるで粉雪のように舞い上がるのが見えた。


「どれだけ彼女はこの部屋で過ごしていたのだろう」と、思わず立ち尽くす。そんな時、陽介が戻ってきた。彼の顔を見た瞬間、「始めるか!」と声をかけると、陽介も頷いた。


その後、二人は特に会話もなく、黙々と片付けを始めた。決して気まずい空気ではなく、ただただ作業に集中していた。埃を払い、物を整理しながら、この状況が少しでも良くなる事を自分は強く念じていた。


幸いにも、部屋の中は物が散乱していたが、ゴミ自体は思ったよりも少なく、作業は順調に進んでいた。物が片付いていく中、自分が細かい箇所を拭いていると、幽子が「終わったよ」と部屋に戻ってきた。


幽子は、サッパリとした様子で艶やかに輝いており、シャンプーの良い香りが漂っていた。どうやら、ちゃっかりとお風呂に入ったらしい。自分が呆れた顔をしていると、彼女はそれに気づいたのか、「ついでだから良いだろ」と言い訳をしていた。


陽介は「アハハハ」と笑いながら、幽子と一緒に日向ちゃんを迎えに行った。残された自分は、日向ちゃんの部屋を見回す。先ほどとは見違えた彼女の部屋に、何とも言えない安心感を覚えていた。


しばらくすると、階段を登る音が聞こえ、廊下に出て三人の到着を待った。現れた日向ちゃんは、まだ虚ろな表情を浮かべていたが、陽介に連れられて自分の足で歩いていた。


髪は幽子が整えたのか、綺麗にブラッシングされて艶やかな輝きを放っている。見違えた彼女の姿を見た自分は、心の中に高揚感が湧き上がってくるのを感じていた。日向ちゃんの変化は、まるで新たな希望の光のように、自分の心を明るく照らしていた。


日向ちゃんを取りあえずは陽介の部屋に寝かして、自分たちは日向ちゃんの部屋に戻りまだ少し残っていた片付けをしながら次の作戦について話すことになった。


陽介と自分が片付けをしている間、幽子は布団のないベッドに座り、まるで何も気にしていないかのようにリラックスしていた。外は晴れ渡り、布団は庭で干され、シーツは洗濯機の中でくるくると踊っている。そんな彼女を見て「少しは手伝えよ。」と思っている自分を尻目に、幽子は持参したペットボトルの紅茶で喉を潤した。


一息ついた幽子は、少し難しい表情を浮かべながら口を開いた。「次のことなんだけど…」彼女の声には、何か重要なことを伝えようとする響きが感じられた。


「これが終わったら、次は御札を片付けよう。私としんいちで二階の御札を全部外すから、君はお母さんのところに行って説明しておいてくれ。お母さんが張った御札だから、もしかしたら不安に駆られて反対されるか、何か抵抗されるかもしれない。だから、落ち着いてあの人を説得してほしい。」


幽子は陽介の方を見て、まるで「頼んだよ」と言うように軽く頷いた。陽介はその視線を受け止め、「分かりました。」と一つ言葉を返した。


部屋の片付けが終わり、幽子は立ち上がって「うーん」と伸びをし、明るい声で「さて、始めるか!」と自分たちに告げた。その合図を受けて、陽介は軽く片手を上げ、「じゃあ、俺、母さんのところに行ってくるから、二階よろしくお願いします。」と言い残し、一階へと降りて行った。


陽介の背中を見送りながら、幽子と一緒に二階の御札探しを始めた。自分は少し陽介のことが心配になり、「大丈夫かなぁ?」と幽子に尋ねると、彼女はあっけらかんと「大丈夫じゃないかぁ、アイツ目が座ってたし」と返した。


その言い方に、心の中で「言い方、言い方」と突っ込みを入れつつ、自分は苦笑いを浮かべた。二階を回ってみると、思いのほか御札が見つかった。日向ちゃんの部屋、陽介の部屋、そしておそらく昇太君の部屋だった場所からも御札が出てきた。予想はしていたものの、実際に目の前に現れると、思わず唖然としてしまう。


幽子も呆れたように「ここにもあるぞ」と言いながら、剥がしていった。彼女の手際の良さに、自分は少し安心しつつも、次々と出てくる御札に驚きを隠せなかった。


そんな中、階段を上がる音が響き、廊下の方を見ると陽介の姿が見えた。「早かったね、どうだった?」と自分が尋ねると、陽介は少し首を傾げながら「うん……」と答えた。「話してみたら意外とあっさりしててさぁ、『御札?あぁ、もう良いわよ。もう必要ないし』って言ってたんだ。何か雰囲気変だったんだよなぁ」と、彼は考え込むように続けた。


幽子もその言葉に少し考え込んでいる様子だったが、やがて「少し気にはなるけど、外して良いなら問題ないだろう。まずは全部剥がしてしまおう」と答えた。


それから、自分たちは手分けして一階にある御札を全て剥がしていった。剥がした御札は一ヵ所に集められ、次第にその量が増えていく。なかなかの枚数がそこに積み上げられ、目の前に広がる光景は、どこか不気味さを感じさせていった。


幽子は全ての御札を剥がし終え、静かな部屋の中で一息ついた。彼女の口から漏れたのは、予想外の言葉だった。「では、使える御札と使えない御札を選別するかぁ。」


その言葉に、自分たちは思わず不審な視線を交わした。幽子はその視線に気づいたのか、少し肩をすくめて続けた。「一から作り直すとなかなか大変だろ?取りあえず選別して、それでも足りないなら作った方が早いじゃないか。」彼女の口調は、どこか物臭さを漂わせていた。


心の中に少し不満が残ったが、時間もかなり使ってしまったため、そこは大目に見ることにしる。幽子は御札を一つ一つ確認しながら、選別を始めた。時折、「何だ!この御札はー」とブツブツと文句を言いながら、彼女の手は忙しなく動いていた。


選別が終わると、幽子は新たに御札を貼り直していく。彼女の指示に従い、慎重に貼られていく御札。自分たちには見えない何かを、幽子は感じ取っているのだろう。彼女の手は的確に動き、まるで見えない力に導かれているかのようだった。


「最後の仕上げといこうか。」幽子が言ったその瞬間、彼女は日向ちゃんと陽介の部屋にも御札を貼りに向かった。全ての作業が終わる頃には、外の空は少しずつ陰りを帯びていた。夕暮れの静けさが、部屋の中に広がっていく。幽子の真剣な表情と、貼られた御札たちが、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。


全ての作業を終えた私たちは、一旦陽介の部屋へと集まった。陽介のベッドの上では、日向ちゃんがスヤスヤと眠っていた。彼女の安らかな寝顔に気を使いながら、私たちはそっと腰を下ろし、「ふーう」と疲れた息を漏らした。


陽介は自分たちに向かって、感謝の言葉を口にした。「今日は本当にありがとう。父とは後で連絡をとって話してみるつもりだよ。上手く説明できるか分からないけど……」その言葉には、彼の不安が滲んでいた。こればかりは陽介にかかっているので、自分は何も言わずに頷くしかなかった。幽子は一言だけ、「頑張れ」と短い声援を贈った。


陽介は「はい!」と静かに返事をし、一瞬の沈黙が部屋を包んだ。その静けさを破るように、陽介が明るく尋ねた。「今日はこのあと二人はどうするの?時間あればご飯でも作ろうか?」


「陽介のご飯かぁ!久しぶりに食べたいなぁ」と心の中で思っていると、幽子が時計を見て慌て始めた。「しんいち!こんな時間じゃないかぁ、私たち寄るところがあるからもう帰るよ。早く支度しろ!」


急な出来事に戸惑いながらも、幽子に手を引かれていた。幽子は「また来週に来るよ。その時にでもご馳走してくれ」と陽介に告げた。幽子に引きずられて行く自分も「またね!連絡するよ」言い残し、陽介はそんな自分を笑顔で見送ってくれた。


玄関を急いで出ると、早足の幽子に追いつき、「何?用事って、どこに行くのさぁ。」と尋ねると、彼女は不満そうに言った。「もう忘れたのか!朝寄るって言っていただろ。私の目的の物がなくなってしまうじゃないか。」


幽子が向かった先は、老舗洋菓子店の「SAKURAI」だった。彼女の目は、まるで甘いものを求める子供のように輝いていた。急ぎ足で向かうその姿に、自分は思わず笑みを浮かべた。どんなケーキを選ぶのか、少し楽しみになってきた。



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