十三軒目 お守り
「お母さんの件なのだが……」と幽子は、陽介の母、美奈子さんについて静かに語り始めた。
「君のお母さんには特別悪いモノには入られてはいなかったよ」と幽子はきっぱりとした口調で否定をしてきた。
その言葉は、自分にとって一瞬の安堵をもたらしたが、陽介にとっては少し不満だったのか疑念が湧き上がった。
「じゃあ、何故母さんはあんな感じなんですか?足もまだ治っていないじゃないですか」と、陽介は少し声を荒げてきた。
彼の心の中には、母の痛々しい姿が焼き付いていたであろう。幽子の言葉が真実であればあるほど、彼には納得がいかないのであろう。
そんな彼を見つめ静寂の中、幽子はゆっくりと口を開いた。
「お母さんの状態は、ただの身体的なものだけではないかもしれない。心の中……、精神的なものが大きく影響していると思う。」その言葉は、自分と陽介の心に深く突き刺さる。
陽介には、美奈子さんの苦しみが単なる病気ではないことを、どこかで感じていたのであろう。
幽子は続けて言った。「お母さんもかなり大変だったと思うよ。しんいちから弟さんの時に入院したと聞いているし、元々身体も強くないとも聞いているからな。」
彼女の言葉には確かな思いやりが込められていた。
「さらに、君のお母さんは、この家からの影響をだいぶ受けていると思う。」
幽子は言葉を選ぶように一瞬、間を置いた。
「……これは私の推測になってしまうのだが、おそらく君のお母さんも妹さんと同じように霊感がある人だと思うよ。」と陽介に告げる。
その言葉に、自分は一瞬驚いたが、陽介はどこか落ち着いている様子だった。彼には何か心当たりがあったのだろう、冷静に幽子の話を受け止めているようだった。
幽子に「何故そう思うの?」自分は素朴な疑問を投げかけてみた。彼女はその質問の回答を用意してたかのように淡々と話を続けていく。
「しんいちが御札のことを尋ねた時に、この御札はお母さんが貼ったと言っていただろ。それで確信した感じかなぁ。
貼ってあった御札の位置は、私も嫌な感じがするところだったからね。
さすがにあれは見えてるか感じてないとおかしいからな。」
彼女の言葉には、確かな自信と、何かを見透かすような深い光が宿っていた。
説明が一段落したのか幽子は「これはあとで渡そうと思っていたんだが……」と、リュックサックの中から赤い巾着袋を取り出し、巾着袋の中から三つのお守りを取り出した。
自分と陽介はその光景をじっと見つめていた。幽子は一つ目のお守りを指差しながら説明を始めた。
「まずはこのオレンジのお守りだが、これは妹さんに持たせて欲しい。この中の御札は、この場所からの影響を防ぐものと、彼女の霊感を弱めるものが入っている。彼女の霊感は強いから、少しでも弱めておかないと精神的にヤバいからね。」
彼女はいつもの落ち着いた調子で説明していく。
そして、次に幽子は青いお守りを陽介に差し出し、「これは君のだ!」と陽介にスッと瞳を合わせた。
陽介は「えっ!何で?」というような驚きと疑問に満ちた表情をしていた。
「君は気づいていないかもしれないが、君もかなり蝕まれている状態なんだ。
本当ならもっと大変な状態でもおかしくないはずだけど、君の後ろには弟さんが憑いていて、彼が守ってくれていたから気づかずにいたんだよ。でもそれも限界に近い……。
君も家にいる時は必ず持っておいてくれ。」
陽介は幽子の言葉に驚きを隠せず、「えっ!」と声を漏らした。彼の心臓は一瞬、鼓動を止めたかのように感じられた。
「昇太がですか?」と、彼は思わず尋ねた。
幽子は静かに頷き、彼の疑問に応えた。
「君は弟さんから相当に慕われていたのだろう。
他の家族ではなく君に憑いているのは、君なら家族の事を救えると思っての事なんじゃないかと思うよ。」と、彼女の言葉には、どこか温かい感情が込められていた。
「もしかしたら、弟さんが君を導いて、私と引き合わせたのかもしれないな。ちょっとセンチメンタルだったか?」
その言葉を聞いた陽介は、思わず微笑んだ。彼は少し視線を見上げ、何かを堪えているような表情を浮かべていた。心の奥にある感情が、彼の目に潤いをもたらしていた。
そんな陽介に幽子は微笑みを浮かべ、自分は少し胸が熱くなっていった。
そして幽子はいつもの冷静な表情に戻り、静かに最後のお守りについて語った。
「最後のお守りなんだが…、これにはまだ何も入っていないんだ。」
自分と陽介は同時に「んっ?」と疑問の音を奏でるが、幽子はそのまま話を続ける。
「このお守りは君のお母さん用に持ってきたのだが、状態が良く分からなかったので、まだ中身は入っていないんだ。
これは私が後で御札を書いて入れておくので、お母さんに渡してもらいたい。
取りあえずはこの家からの影響を減らす御札と、精神を安定させる御札を作るつもりだから、しばらくはこれで様子を見ててくれ。」
彼女の言葉は、まるで医師が処方箋を手渡すかのようだった
陽介はその言葉に満面の笑顔を浮かべ一言……
「ありがとう」
と素直に感謝の意を表した。
幽子はその反応に微笑みを返し、
「では、今度はトイレについて話を進めよう。」と、話題を切り換えていった。
彼女は手を伸ばし「まず、この間取り図を見て欲しい」と言って間取り図を指差した。
先ほど、幽子は定規を使って丁寧に描いていたその線は、一階部分の詳細を示していた。その図の中には、対角線が引かれ、家の中心を指し示している。
自分と陽介はその対角線が引かれた図を見つめるのだが、家の中心を示している事以外、特に見当がつかなかった。
自分たちが首を傾げていると、幽子が自分に視線を向け、「しんいちに質問なのだが、北はどちらか分かるか?」と、唐突に尋ねてきた。
その問いはあまりにも簡単で、思わず疑問を抱きながらも、自分は「こっちでしょ、外に出た時に黒気味山も見えてたし」と、北の方角を指差して答えた。
黒気味山とは、自分たちが住む黒気味町から見える小高い山の名前で、北の方角に位置しているため、町の人々にとって方角の指針となっている存在だった。その山の姿は、自分たちの日常に溶け込んでいて、自然と方向感覚を育んでくれた。
幽子はその答えに満足した様子で、「では、この間取り図を北の方向に向けてみてくれ」と言ってきた。彼女の意図が分からなかったが自分は間取り図を動かし、指示に従って北の方角に向けてみた。
「これで良いの?」と言う問いに、幽子は「ありがとう」と言い、少し不敵な笑みを浮かべていた。
そして幽子は「しんいちが示した北はだいたい合っているんだが、実際は少し違うんだ」と、彼女は言ってきた。
自分は少し疑問が浮かび「あれ?間違ってた?」と彼女に尋ねると、幽子は「あぁ!風水や家相と言うものはかなり正確に行われるものなんだよ」と彼女は得意気に答えてきたのだ。
「それで重要になるのがこの間取り図なんだ。本来は正確な間取り図を使って対角線を引いて中心を探り、そこに方位磁石を使って正確な位置を調べていくんだ」
幽子の知識力に感心しながら、自分たちはその先の話が気になって仕方なかった。
彼女はさらに話を続け、「それを踏まえた上で、この間取り図を動かしていくのだけれど、もちろんちゃんと磁石を使っていないから、正確ではないからな。」と前置きを置く。
そして彼女の言葉に従い、間取り図が少しずつ動いていき、間取り図は新たな方向に向きなおっていった。
「黒気味山は確かに北にあるけれど、実際には北よりも少し右に位置しているんだ。さらに、ここは私たちが住んでいる場所よりも少し東側にある。だから、本来の北の位置はこういう感じじゃないかと思うよ。」
幽子が動かした間取り図は、自分が置いた位置よりも右に上がっていた。自分はその動きに目を奪われ、続きが気になって幽子に視線を向けた。
「そうなると、北東方向、風水で言う鬼門にトイレが来ることになるんだ。」幽子は真剣な表情を浮かべながら、彼女の視線は陽介に向けられ、まるで彼に説明するかのようだった。
「しんいちは少し知ってるみたいだけど、鬼門方向に水場を置いてはいけないんだ。ましてやトイレは不浄とされているから、特に置いてはいけないと言われているんだよ。」
陽介はその言葉に少し不安な表情を浮かべていた。幽子はその様子を見て、優しく話を続ける。「まぁ!こういう話はよくあるんだ。最近の考え方では、マンションや分譲物件は風水や家相が意味がないなんて言われているけれど、決してそんなことはない。
君の家のように微妙な位置にある家は、ちゃんと調べないとこういう事になりやすいんだ。
と、おばあちゃんが言っていたんだ。まぁ!おばあちゃんの受け売りなんだけどね」
彼女の言葉には、どこか温かみがあった。
幽子は微笑みながら、まるでおばあちゃんの知恵を伝えるかのように、自分たちにその知識を授けてくれたようだった。
そこまで聞いた自分は「じゃあ、この家の原因はトイレにあるの?」と尋ねると、幽子は即座に首を振った。
自分は、てっきり間取りが問題だと思っていたため、少し拍子抜けした気持ちになった。
「まあ、影響はあるかもしれないけど、お祓いが必要なほどではないよ。あのトイレの違和感の原因もこれだと思うね」と、幽子はさらっと答える。
「あれくらいなら、鬼門封じとか、トイレの模様替えくらいで十分対応できるから、もし君が気になるなら後でやってあげてもいいよ。」陽介に向かってあっさりとした口調で答えていった。
「そうなると残るはあれか?」と自分が考えていると幽子から思いもよらない言葉が返ってきた。
「君の家の一番の原因は……、単刀直入に言うがこの家には『霊道』が通っているんだよ」と彼女は告げた。