十二軒目 落胆
陽介の部屋に足を踏み入れると、幽子が静かに口を開いた。「君に頼んでいたこの家の正確な間取り図のコピーを見せてくれないか?」その声には、少しの緊張感が滲み出ていた。
陽介は机の引き出しを引き、間取り図を取り出した。「これで大丈夫ですか?」と、彼は幽子に向けて差し出した。
彼女はそれを受け取り、じっくりと目を通す。やがて、彼女の口元に微笑みが浮かび、「ありがとう」と一言、感謝の言葉を返した。
しかし、幽子の視線はまだ彼女の手元に留まっていた。「しんいちの方はここの航空写真を見せてくれ」と、次の要求が続く。自分は頷き、愛用のボディーバックから写真を取り出し、「これで良いの?」と、彼女に確認をとった。
幽子はその写真をじっと見つめ、少し考えているようだった。やがて、幽子は顔を上げ、「ありがとう」と、再び感謝の言葉を口にした。
幽子は静かな室内で、間取り図に向かって真剣な表情を浮かべていた。
彼女の手元には、陽介から受け取った間取り図が広がっている。彼女はそこに、先ほどのダウジングで反応が出た箇所に印をつけていった。
陽介と自分は、その様子を興味深く見守っていた。さらに幽子は定規を借りると、慎重に線を引き始めていく。彼女の手は、まるで何かを導き出すかのように、間取り図の上を滑っていづた。
「これが…こうなって…」幽子は呟きながら、対角線のようなものを二つ、次々と書き足していく。彼女の集中した表情は、何か意味を持つ図形を描いているかのようだった。
しかし、自分にはその線が何を示しているのか、全く理解できない。
やがて、幽子の手が止まり、彼女は一息ついた。完成したと思われるその図を見つめていた瞳が自分達へと向きなおり、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「一応これで準備が整ったのだが……、君には心して聞いてもらいたい。この家のお祓いは無理だと思う。」
その言葉は、まるで冷たい水を浴びせられたように、部屋の空気を一変させた。あまりにもさらっとした口調で、突然の告白に自分は声を失った。陽介も目を見開き、驚きと戸惑いの表情を浮かべている。
陽介の依頼を受けて、幽子に話をした時から難しいことは聞いていたが、実際にその言葉を耳にすると、現実を受け入れるのがこんなにも辛いとは思わなかった。
自分は思わず幽子に「何とか出来ないの?」と尋ねようとした瞬間、陽介が幽子に向かって声を荒げた。
「何でですか?何とかならないんですか?お願いします。何でもしますから!」その言葉は、普段は穏やかな陽介からは想像もつかないほどの切実さを帯びていた。
彼の目には焦燥と絶望が交錯し、自分はその姿に戸惑いを隠せなかった。
陽介の気持ちは痛いほど理解できた。
この家に越してから、彼がどれほどの苦労を重ねてきたのか、想像するだけで胸が締め付けられる。
昇太君の死、美奈子さんや日向ちゃんのあの状態。彼にとって、幽子は唯一の希望の光だった。その光が消えてしまったら、彼は一体どうなってしまうのだろう。
陽介の叫びは、ただの懇願ではなく、彼の心の奥底から湧き上がる絶望の声だった。
自分もまた、彼の気持ちに寄り添いたいと思ったが、どうすることもできない無力感が胸を締め付けてきた。
幽子は陽介に冷静な視線を向けていた。その目は決して冷たくはなく、どこかいたたまれない思いを秘めているように見えた。
彼女は静かな口調で「順番に説明していくから、まずは落ち着いて説明を聞いて欲しい。」と淡々と言った。
陽介はその言葉に反応し、「すいません」と小さく呟いた。彼は幽子の視線を外し、うつむいてしまった。彼の心の中には、焦りと不安が渦巻いていのだろう。
その沈黙を破るように、自分は陽介に代わって尋ねた。「この家に何が起こっているの?原因はなんだったの?」その言葉が空気を変えることを願いながら。
隣でその言葉を聞いた陽介は、深く息を吐き出し、意を決したように再び幽子に視線を向けた。彼の表情には、少し吹っ切れたような決意が感じられる。
幽子の言葉を待つ間、張り詰めた空気が二人の間に漂い、静寂がその場を包み込んでいく。
そんな中、幽子が口を開いた。
「では、順番に説明していくよ」
彼女の口からこの家の真相が語られようとしていた。
「始めに言っておくが、妹さんは間違いなく見える人だよ」と幽子は言った。その声には確信が宿っているようだった。
「霊感があるってことさ。小さい頃から見えていたって話だけど、その後も何かを感じていたはずだよ。」
その言葉に、陽介は静かに頷いた。
幽子の話では、「おそらく日向ちゃんは周囲にはそのことを隠していたと思うよ。」と話し始め、幽子は霊感を持つことが必ずしも良いことではないとも語り、周囲からは気味悪がられることが多いから、彼女の経験上、妹さんの判断は賢明だったと思うと告げた。
「でも、そんな彼女がこの家に来たことで、霊感の感度が良くなりすぎてしまったんじゃないかな?、それで、情緒が不安定になってしまったのかもしれない。」と幽子は続けた。
自分と陽介は、幽子の言葉に耳を傾けながら、静かな緊張感が漂う部屋の中で互いに目を合わせ、心の奥底で「なるほど!」という思いが芽生えた。
そして「さっきも言ったが、彼女には、悪いモノが取り憑いていたが。それは私が祓っておいたからしばらくは大丈夫だと思うよ」と幽子は周囲を安心させるように微笑みを浮かべていた。
自分と陽介が安堵の息を漏らす中、幽子の声が静寂を打ち破るように「ただ…」と低く続いた。その瞬間、彼女の口から発せられた言葉は、霧のように冷たく、重くのしかかるように感じられた。
「……あくまでも取りあえず祓っただけなんだ。あの部屋はあのままでは不味い」と、幽子は言った。彼女の視線が不吉な影を帯び、部屋の空気が重たく変わっていく。
「衛生的にというだけではなく、環境が悪い場所には悪いモノが寄ってくるんだ。廃墟に幽霊が集まるりやすいというのは、そういう理由からでもあるんだ」と続けた彼女の言葉に、背中にゾワッとした感覚が走った。
陽介は眉をひそめ、自分も思わず息を飲む。彼女の言葉は、ただの警告ではなく、暗闇にひしめく恐怖の告知のようだった。
「だから、話が終わった後にあの部屋を片付けてから、彼女に影響が出ないように結界を張らないとまた同じ事の繰り返しになってしまう。その時は手伝ってくれ。」幽子の眼差しはどこか鋭くそして冷静だった。
「もちろん、手伝うよ」と陽介が答えた。その声には決意がともされていた。
彼にとっては少しでも今の状況を変えたい気持ちでいっぱいなのであろう。
自分も頷き、陽介に共感するように心の中で、陽介の家族のために、少しでも力になりたいと言う覚悟が高まってきていた。
幽子は一瞬微笑んだが、彼女の瞳はどこか冴えない光が滲んでいた。
「ありがとう……。では次に君のお母さんについて話そうと思う」と、彼女は陽介の方へ視線を移した。
その瞬間、冷房が効いた室内の温度が少し冷たく感じられた。