六話目 追及
「はあ?……何を言ってるの、あんた。」
エリカさんの声は一瞬で場の空気を切り裂いた。怒りと困惑が入り混じったその声は、静まり返った空間に鋭く響く。
「私が呪いをかけたって言うの?冗談じゃないわ。あんたたちも見たんでしょう、異変が起き始めたのは、あのトンネルに行ってからよ!」
彼女は幽子の手を乱暴に振り払うと、鋭い視線を突き刺すように言い放った。
「怪我をしたのはこの『わ・た・し』よ?……それとも、何?私が自分に呪いをかけたって言いたいの?バカバカしい!」
怒声とは裏腹に、どこか追いつめられたような声音だった。喜美ちゃんとカナさんの表情には、驚愕と戸惑いが色濃く浮かぶ。だが、それでも幽子の口元に浮かぶのは、薄く冷たい笑みだった。
「いや、間違いなく……お前が犯人だ。」
幽子は顎に手を当て、静かに、しかし確信を込めて告げた。
「証拠でもあるわけ?」
エリカさんが強がるように言い返したその言葉に、自分は思わず喉の奥で笑いを噛み殺した。まるで推理小説のクライマックスのような場面。あのセリフ、本当に言う人がいるのか、と。
だが、幽子はそれを鼻で笑いエリカさんに冷ややかに告げる。
「証拠なんて必要ない。私は『視た』んだ。お前の内側……その深くに潜り、すべてをな。」
そう言って、幽子は自らの目を指差した。まるでそれが真実を照らす『証拠』だとでも言うように。
エリカさんの表情が強張る。張り詰めていた感情の糸が、ぴんと軋む音を立てたようだった。
「……う、嘘よ。そんなの、あるはずないじゃない……霊感なんてあるわけないじゃない。」
声が震え、視線は無意識に喜美ちゃんとカナさんを求めて彷徨う。しかし、二人の眼差しに浮かぶのは……信頼ではなく、疑念だった。
幽子は静かに息を吸い、まるで終止符を打つように口を開いた。
「……お前、自分に何が起きてるのか、まだ分かってないようだな。」
静かな声だった。だが、その響きには確かな怒気が宿っていた。
幽子の言葉に、エリカさんはわずかに肩を揺らした。
「な、なによ……それ……」
震える声。先ほどまでの強気な態度は消え、隠しきれない不安が滲んでいる。
「お前の身に起きているのは……『呪い返し』だ。」
その言葉が放たれた瞬間、エリカさんの顔から血の気が引いた。
表情が急速に青ざめ、視線は定まらず泳ぎ出す。その動揺ぶりは、まるで自ら罪を認めたかのようだった。
言葉こそ発しないが、その沈黙こそが『無言の自白』に他ならなかった。
だが幽子は容赦なく追及の言葉を、さらに重ねていく。
「呪いというのはな、一方通行じゃない。使えば、その代償は必ず払わされるものだ。『人を呪わば穴二つ』、聞いたことがあるだろ?」
静かに語られるその『ことわざ』の意味を、エリカさんは今、痛感しているだろう。
「それにな、お前の呪いはそれだけじゃない。喜美枝には、私が渡したお守りがあった。あれはな、悪霊だけじゃない、呪いすらも弾く結界の護符だ。」
幽子の目が細く鋭く光る。彼女はゆっくりと、確信に満ちた声でとどめを刺した。
「つまり、お前の放った呪いは、跳ね返されてお前自身に降りかかった。そしてその力は倍になってな。
呪いの業と自身の呪い……その相乗効果で、これから先、お前はもっと酷い目に遭うことになるだろうよ。」
薄く笑みを浮かべる幽子の表情は、エリカさんを絶望へと追い込んでいく。
「……まあ、私にはお前を助ける義理なんてない。友人に呪いをかけた人間の末路なんて、知ったことではないさ。
さあ、どうした。帰って呪いに使った物でも燃やしたらどうだ。……命だけは、助かるかもしれないぞ?」
嘲るようなその一言が、決定打だった。
エリカさんは何も言えず、震える手で荷物を掴むと、道場から飛び出すように走り去っていった。
扉の向こうへと消える直前、彼女は一瞬だけ振り返った。
その表情には、怯えと後悔、そして涙がにじんでいた。犯した罪をようやく自覚した者の顔だった。
エリカさんが姿を消したあと、道場には一瞬、張りつめたような静寂が訪れた。
誰もが言葉を失い、空気だけが重く流れているようだった。
だがその空気を破るように、自分はふっと笑いを漏らしながら幽子に問いかけた。
「フフフ……幽子、お前さ、嘘ついたろ?」
その言葉に、幽子は感心したように目を細めると、素直に答えた。
「おぉ、よく分かったな。」
「だってさ、喜美ちゃんのお守りって、この前『効果切れてる』って自分で言ってたじゃん? それに、今のやり方……幽子が人を追い詰める時によくやる手口だろ。すぐピンときたよ。」
自分がそう言うと、喜美ちゃんとカナさんは「えっ? えっ?」と、わけが分からない様子で困惑した表情を浮かべていた。
だが幽子は、そんなふたりの様子など気にも留めず、腕を組みながら語り出した。
「お守りはな、正確には効果が切れたんじゃなくて『賞味期限が過ぎてただけ』なんだよ。まあ一応、喜美枝を護る程度の力は残ってたはずだ。呪いを完全に弾いたかどうかまでは分からんけどな。」
幽子は唸るように言いながら、しばし考え込んでいたが……
そのとき、ふいに喜美ちゃんが声を上げた。
「ねぇ幽子ちゃん、もう分かんないよ……。どこまでが本当で、どこからが嘘なの?ちゃんと説明してよ。」
真剣な声に、幽子はあっけらかんと答える。
「ん、まぁ説明するとこうだ……
あのエリカってやつが、お前たちに呪いをかけてたのは本当さ。で、アイツ自身が怪我したのも、紛れもなく『呪い返し』によるものだ。」
幽子は少し肩をすくめながら、続けた。
「だけどな、アイツの呪いそのものは大したもんじゃない。多分、本かネットで見たような『おまじない』レベルのもんだよ。命まで取られるようなもんじゃないし、呪いに使ったアイテムをちゃんと燃やせば、もうこれ以上何かが起きることもないだろう。」
そして幽子はニヤッと笑った。
「流石にあれだけ脅かしてやったんだ。もう二度と呪いなんて使おうとは思わないさ。アハハハッ」
……アハハハ、って、エリカさん、泣いてたじゃん。
自分は軽くツッコミを入れつつ、それでもどこか納得していた。人を呪うという行為は、それほどまでに危険なのだ。
これからしばらくは、自身の呪いに怯えて暮らすことになるのかもしれない。
だが、それも呪いの『業』なのだと思う。
幽子の説明を聞き終えた喜美ちゃんは、少しだけ安心したように肩を落とした。
それは自分にかけられていた呪いが解けたことへの安堵か。それとも、エリカさんを思いやる気持ちからくるものか……
きっと、その両方なのだろう、自分はそう思った。
そのとき、今度はカナさんが口を開いた。
「じゃあ……つまり、全部エリカがやったことで、あのトンネルの霊とか、そういうのは関係なかったんですか?」
幽子はその問いに、静かに頷いた。
「私が視た限り、悪霊らしきものは見えなかったな。まあ偶然ってのはよくあるもんでな。いくつかの出来事が重なると、つい何かのせいにしたくなるんだよ。
もし不安なら、『視て』やってもいいが……どうする?」
カナさんは少しだけ考えたが、すぐに小さく首を振った。
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございました。」
「そうか。それなら何かあったら、また喜美枝を通じて連絡してくれ。とりあえず、これで一件落着ってことでいいかな。でも……お前たち、これからどうするんだ?あの動画、まだ続けるつもりか?」
幽子の問いに、喜美ちゃんとカナさんは顔を見合わせて、同時に小さく溜め息を吐いた。
その表情には、複雑な想いが浮かんでいる。一緒に活動してきた仲間に裏切られた……そんな痛みが滲んでいた。
「……うん、また今度、二人でゆっくり話し合ってみるよ。今は、ちょっと気持ちの整理がつかないし……ね?」
「……うん……」
喜美ちゃんの言葉に、カナさんは力なく頷いた。
事件は無事に解決したものの、どこか後味の悪い幕引きだった。
空気にまだ微かに緊張の名残が漂う中、喜美ちゃんとカナさんは静かに帰り支度をしていた。
そのときだった。
帰り支度を進めていた幽子が喜美ちゃんに声をかけてきた。
「……喜美枝。今回の報酬の件で、ちょっと話がある。このあと、少し時間くれるか?」
唐突な声掛けに、喜美ちゃんはぱっと顔を上げ、すぐに笑顔を見せた。
「ああ、あの前に言ってたやつね!わかった。カナを玄関まで送ったら、すぐ戻るよ。」
そう言い残して、彼女はカナさんと並んで道場を後にした。
自分は不穏な空気を感じ帰り支度の手を休める。
そして戸を開けて、足音も軽やかに戻ってきた喜美ちゃんが、幽子に向かって声をかけた。
「幽子ちゃん、あの報酬って……ケーキのことだよね?」
期待を込めた声音だったが、幽子は静かに首を横に振る。
「違う。喜美枝に、ちゃんと話しておきたいことがある。」
その言葉と共に、幽子は真っすぐに喜美ちゃんを見つめた。
ふざけた口調はそこにはなく、目には揺るぎない意志が宿っていた。
それは、冗談でもおしゃべりでもない。本当に「伝えたいこと」がある時の、あの幽子の目だった。




