五話目 霊視
「だいたいの話は、喜美枝から聞いている。あなたが怪我をしたという動画も見せてもらったよ。」
幽子はそう言って、静かにエリカさんへ視線を送る。その声音は、淡々としながらも優しく気遣いを感じさせるように落ち着いている。
「それと……体調を崩しているそうじゃないか? その辺り、詳しく聞かせてほしい。」
幽子に促されるようにして、エリカさんは少し身じろぎをした。目を伏せ、何かを迷うようにしてから、ようやく重い口を開く。
「……あのあと、怪我はしてないの。でも……あの後から体が、重くて。風邪って感じじゃないんだけど……怠くて、眠れなくて……そんな日が続いてるの。」
エリカさんの言葉は、まるで靄の中を手探りするようだった。どこか確信が持てない、そんな曖昧さが混じっている。
「でもさ、あんなことが立て続けに起こったじゃない? それで、ほら、トンネルのこと……みんなが『呪われたんじゃないか』って言うから、不安になってるだけかなって思ってたの。」
そう言いかけて、エリカさんはふとカナさんの方を見やった。
その視線の動きにすぐさま反応し、幽子も静かにカナさんへ顔を向けた。
「喜美枝から、君のことも少し聞いている。何か隠しているのではないかと、彼女も心配していた。もし、話せるのなら、聞かせてもらえないか?」
その言葉に、カナさんはわずかに肩をすくめ、視線をエリカさんと、喜美ちゃんの間で彷徨わせた。言いづらそうに唇を噛んで、そしてぽつりぽつりと語り出す。
「わ、私は……エリちゃんみたいに体調を崩したりはしてないんです。でも、最近よく金縛りに遭うようになって……。今までそんなこと、一度もなかったのに……」
カナさんの手が、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「金縛りの間……誰かが、私の周りを歩いてるみたいなんです。姿は見えないのに、フローリングを擦る『スッ、スッ』って音が……。すごく怖くて、『ごめんなさい、ごめんなさい』って、何度も謝ってると……いつの間にか眠ってるんです」
その声は震えていた。夢なのか、現実なのか、自分でも分からないという。
「しかも……金縛りにあったあと、悪夢を見るんです」
「悪夢?」と、自分が思わず口にすると、カナさんはこくりと頷いた。
「うん……内容はあまり覚えてないけど、何かに追いかけられてる、そんな夢で……。怖くなって、エリちゃんにも聞いちゃったんです。
『そんなこと、起きてない?』って。
でも……今思えば、あんな怖い目に遭ったエリちゃんに、そんなこと聞くなんて、余計に不安にさせただけだったかもしれないって……すごく反省してます。」
カナさんは目を伏せ、すまなそうに肩を落とした。
「なるほどな……。それで、他には? どんな些細なことでも構わない。何か思い当たることがあれば、話してくれないか。」
幽子が指先を顎に添え、ゆっくりと擦る仕草をしながら問いかける。
カナさんは少しだけ顔を上げ、ためらいがちに言葉をつむぐ。
「……あのね、私もキミちゃんと同じで、誰かに見られてるような気がする時があるの。嫌な視線っていうのかな……。一人の時が多いけど、授業中とか、この前みんなで動画を撮ってる時にも感じたんです。」
一瞬、空気が張り詰めた。
「だから私……お祓いとか、ちゃんと受けた方がいいんじゃないかって思って、みんなに話したんです。でも、調べてみたらけっこうお金かかるし……。それで、『誰か霊感のある人いないの?』ってなって……」
そこで、カナさんは一瞬、喜美ちゃんに目をやり、小さく笑って続けた。
「……キミちゃんが、『一人、心当たりがいる』って」
「視線、か……」
自分はそう呟いて幽子にアイコンタクトを送ると、彼女も無言で小さく頷いた。
それは、あの心霊写真と繋がっているような、背中に冷たいものが走る感覚だった。
話を聞き終えた幽子は、腕を組んだまま二人を静かに見つめていた。
「うーん……」と低く唸るようにして幽子は思考を巡らしていく。
やがて、幽子は小さく頷くと口を開いた。
「まあいい……これは『視て』みれば分かるはずだ。」
その言葉は呟くようでありながら、室内の空気を鋭く断ち切る力を持っていた。
幽子の視線がぴたりとエリカに向けられる。
「先にあなたを視せてもらおうか。エリカさん。」
幽子に突然名を呼ばれたエリカさん、は、ビクリと肩を震わせた。
「な、なに……?視るって何のこと……?」
警戒心を隠せず、エリカさんは目を細めて幽子を見返す。
「霊視だよ。必要ならそのまま祓いも施せる。ただ、何も痛いことはしないよ。手のひらを、こう……上に向けて私に差し出してくれればいい。それだけだ。」
幽子の声音はあくまで穏やかだった。だが、その奥底にある何かが、どこか冷たい。
「無理にとは言わない。嫌なら、それでも構わない。選ぶのはあなたの意志だ。」
その語り口はやさしく見えて、奇妙に強引だった。
自分は隣で話を聞きながら、無意識に顎に手をやっていた。
……何だろう、この違和感。
優しく語りかけているようで、まるで逃げ道を封じるような、そんな印象を受ける。
エリカさんは困惑したようにカナさんと喜美ちゃんに目を向けた。
「視てもらいなよ」とカナさんが肩を叩き、喜美ちゃんは笑って「試すだけでも損ないって」と言う。
促されるままに、エリカさんは観念したように頷き、幽子に向き直る。
「……こ、こう?」
恐る恐る差し出したその手は、僅かに震えていた。
幽子は静かに「ありがとう。それで充分だ!」と答えると、自らの手のひらをそっと重ねた。
「力を抜いて、軽く目を閉じてくれ。……うん、それでいい。」
そう告げると、幽子自身もゆっくりと瞳を閉じた。
次の瞬間だった。
空気が変わった。
まるで室内の時だけが停滞し始めたように、場の雰囲気が凍りつく。
見えない水面に一滴の雫が落ちるような、微かな揺らぎと波紋。
神聖で、そして異様。説明のつかない、異次元の気配が室内を満たしていく。
誰もが息を呑んだ。
静寂が、重くのしかかる。話すことも、咳をすることすらためらわれるほどだった。
カナさんと喜美ちゃんの顔から、さっきまでの好奇心に満ちた表情がすっかり消えていた。
ただただ、強張った顔で幽子の“儀式”を見つめている。
一分。
二分。
時間の感覚が曖昧になりかけた頃……
幽子が静かに目を開いた。
その瞳は何かを見透かしたように深く、澄んでいた。
そして、静かに言った。
「……視えたよ。君の中の真実が。」
その言葉に、エリカさんはハッとしたように目を開けた。
幽子は微笑んで、だが決して優しいとは言えない表情で、彼女の手を強く握った。
そして、確信を込めて言い放つ。
「やっぱり……お前か。この呪いの正体は。」