三話目 こちらを見る視線
「二人に、ちょっと見てほしい動画があるの」
そう言って、喜美ちゃんは鞄の中からスマートフォンを取り出し、器用に指先で画面を操った。
彼女の真剣な顔つきに、自分と幽子は彼女のスマートフォンに注視した。
画面には、動画のサムネイルが表示されていた。喜美ちゃんはそれをタップしながら説明を加える。
「これ、自転車にスマホを固定する器具を買って、試し撮りした時の動画なの。じゃあ、再生するね。」
軽やかなタップ音とともに、動画が静かに始まった。
画面の中には、二人の女の子が並んで「カナ!そこをネジで止めるんだって」と説明書を見ながら、器具の設置を手伝ってる動画が映し出されている。
「このショートカットの子が『エリカ』。それと、背の小さい子が『カナ』だよ。カナは普段メガネしてないんだけど、なんかキャラ立ちするからってわざわざかけてるの。」
喜美ちゃんはくすりと笑いながら、画面に映る二人の女の子を紹介した。
「ちなみに私は、この時カメラ担当ね。」
エリカと呼ばれた女の子は、なかなかの美少女だった。
自分と幽子の共通の友人、『星野さん』もショートカットでかわいい子だが、エリカさんはまた違った雰囲気を纏っている。
背がスラリと高く、年相応のあどけなさを残しながらもどこか大人びた表情をしている。
笑うと頬にえくぼが浮かび、それが彼女の魅力を一層引き立てていた。
一方のカナさんは、エリカさんとは対照的だった。
小柄で、少し幼い印象を受ける。最近流行りの大ぶりなメガネをかけ、素朴で親しみやすい顔立ち。
まるで妹キャラそのものといった雰囲気で、無邪気な笑顔が印象的だった。
しばらくは微笑ましい映像が続いていたが、突然、喜美ちゃんの声が緊張を帯びた。
「ここから……エリカの様子、よく見てて。」
喜美ちゃんの声が、静かに空気を引き締めた。
自分たちは促されるようにスマートフォンの画面へと視線を向けた。そこに映っていたのは、自転車のハンドル部分に固定具を取り付け終えた直後の映像だった。
「これ、実際に自転車乗って試し撮りしたんだけど……」
喜美ちゃんの声がかすかに重なる。映像の中では、彼女たちがスマートフォンの位置を微調整しながら、自分たちがしっかり映るアングルを探している最中だった。だが……。
「ガシャン!」、「痛っ!」
唐突に、エリカさんが自転車ごと横に倒れた。
「エリカ、大丈夫!?」
叫ぶ声と同時に映像はそこで終わった。
しばらく沈黙があった。自分と幽子は顔を見合わせ、それから無言でうなずいた。
「見た……?」喜美ちゃんの声はどこか怯えている。
「うん……」自分は小さく応えた。
あの倒れ方……確かに妙だった。まるで誰かに横から突き飛ばされたか、あるいは服を強引に引っ張られたように見えた。バランスを崩したわけでも、わざと倒れたようにも見えない。とにかく自然じゃなかった。
もう一度見せてもらっても、その印象は変わらなかった。どうしても、見えない何かの『力』が働いたとしか思えないのだ。
幽子が顎に手を当てたまま、繰り返し映像を再生しながら呟く。「確かに変だな……」
自分は頷いた。そんな偶然にしては、あまりに動きがはっきりしていた。
自分は気になって、転倒時の詳しい様子や怪我の程度について、喜美ちゃんに聞いてみた。
「怪我は……擦りむいたくらいで、あとはちょっと打っただけ。幸い、大したことなかったよ。でもね……」
喜美ちゃんは声を潜めるように言葉を続けた。
「エリカ、こう言ってたの。『突然服を引っぱられた』って……」
自分は息を呑んだ。やはり、そうなのか……。
それは、まさに自分たちが映像から受けた印象そのままだった。
「それで……他には?何か、変なこととか……」
恐る恐る尋ねると、喜美ちゃんは一度うつむき、そして小さく「うん……」と呟いた。
そして、彼女は震える声で続きを語り始めた。
「……あとね、この動画も……見て欲しいの。」
どこか震える声でそう呟くと、喜美ちゃんは再びスマートフォンを操作し、新たな動画を表示した。
「これは?」
自分の問いに、彼女は目を伏せながら静かに答えた。
「……あの転倒事件のあと、別の日に撮ったの。
エリカの家でね、100均で買った化粧道具を試す予定でね、割とこういう動画人気なんだ……」
再生された画面には、エリカさんと喜美ちゃんが、机の上に並べたお化粧道具を前に笑い合っている姿が映っていた。どこにでもある、微笑ましい光景。しかし……その明るさは、不意に凍りついた。
「この日はカナがカメラ回してたの。」
そう言った直後、喜美ちゃんの顔に翳りが差す。
「……このあとよ!」
その瞬間……
「ドンッ!」
乾いた衝撃音が部屋に響いた。画面の中の二人がピクリと動きを止め、音のした方向へと顔を向けた。カメラもそちらを向ける……その途端、
「パリンッ!」「キャアアッ!」
ガラスが砕け散る鋭い音と、短く切り裂かれたような悲鳴。
「ちょっと、エリカ、血が出てるよ……!?カナ、ティッシュ取って」
喜美ちゃんの叫びが虚空に響き、画面が慌ただしく乱れそして唐突に動画が終わった。
映像はそこで終わっていたが、喜美ちゃんが言うには、このとき、テーブルの上に置いてあった鏡が、まるで内部から破裂して、その破片を浴びたエリカさんが手を切ったのだという。
「外からじゃなく……鏡の内側から割られたみたいに飛んできたの……」
その言葉に、自分と幽子は顔を見合わせた。
あり得ない……いや、あってはならない出来事だった。
「なあ…、喜美枝……。二回ともエリカって子が怪我をしていたが、お前とカナって子には何も起こってないのか?」
幽子が低い声で問いかける。
「……うん。カナは『大丈夫』って言ってたけど……あの子、何か隠してる顔してた……。それに、私……私も直接何かされたわけじゃないけど、ずっと誰かに見られてる感じがしてるの。
特に……一人のとき。
お風呂で髪洗ってるときも、ずっと背中に視線を感じたり……、ここに来る時も誰もいないのに、誰かにずっと見張られている感じがするんだ。それでね……」
喜美枝は言葉を詰まらせ、そして最後に一枚の写真を取り出すようにスマートフォンの画面を切り替えた。
「これ、見て欲しいの……」
写真にはエリカさんとカナさんが写っていた。よくある女子同士の楽しげなスナップ。だが、その背後……
画面の右上から、エリカさんの肩へ向かって赤い光の帯のようなものが伸びていた。
まるで目に見えぬ『手』が、獲物を逃すまいと捕らえようとしているような……そんな、ぞわりとする不吉な痕跡だった。
そしてもう一か所、違和感を感じる場所がある……
「喜美ちゃん……これ……」
自分が言いかけたとき、彼女は無言で頷いた。そして、問題の部分を拡大する。
そこには確かに……存在していた。
ふたりの肩口、そのすぐ背後に、もう一つの顔。半分だけ写り込んだそれは、女のようにも、男のようにも見えたが、性別などどうでもいい……その『目』に自分は全身に悪寒が走った。
それは悪意がこもった強烈な視線……。
怒りと嫉妬が混ざり合った、誰が目にしても『ヤバい』と感じるそんな視線だった。
それがまっすぐにこちらを睨んでいる。画面越しだというのに、背筋を氷で撫でられたような感覚。
そんな中、幽子がずっと喜美枝の顔を凝視していた。不安げな瞳。言葉に出さず、何かを確かめるように。
「幽子ちゃん……? どうしたの……?」
喜美ちゃんの問いに、幽子はわずかに眉をひそめ、しばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「……喜美枝、お前……もう『呪われてる』ぞ。」