二話目 動画配信
自分と幽子、そして喜美ちゃんの三人は、大石先生のご厚意に甘え、稽古の終わった後の道場をそのまま借りることができた。
「私は自宅にいるから、終わったら声かけてくれるかい。ゆっくりしていっていいよ」
そう言って、大石先生はいつものように穏やかな笑みを浮かべて道場を後にした。自分たちは頭を下げ、先生に礼を言う。少しして静けさが戻った道場の片隅に腰を下ろし、三人だけの時間が始まった。
本当ならすぐにでも本題に入りたかった。だが、そう簡単にはいかない。自分の隣では、幽子があからさまに眉をひそめ、不機嫌そうな顔をしている。話を進めるには、まずその空気をやわらげなければならないと思った。
それに何より、久しぶりに会った喜美ちゃんのことを、少しくらい聞いておくのも悪くはない。
「そういえば、高校どこに通ってるんだ?」
自分の問いに、喜美ちゃんは少し首を傾げながら、柔らかく微笑んだ。
「黒気味町の黒西女子高に通ってるよ。わりと普通の学校だけど、ここの制服かわいいでしょ!」
なるほど、確かに彼女が通う女子高の制服は、どこかデザインにこだわりを感じさせる可愛らしさがあった。
そして彼女は「実はね……」と少し照れくさそうに前置きして、ある話を切り出した。
「高校の友達と三人で、動画配信やってるの」
「えっ、YouTuberなの?」
思わず口に出た自分の言葉に、喜美ちゃんは慌てたように手を振った。
「ううん、違う違う。YouTubeじゃなくて『ビジョンキャスト (VisionCast)』ってサイト。ここ数年で流行ってるやつ。」
聞けばそのサイトは、登録が簡単なうえに、ユーザーが定額で投げ銭を送れる仕組みが売りらしい。最低額は50円からという手軽さもあって、若い世代を中心にじわじわと広まっているという。
「私たち、『JKの放課後あるあるノート』っていうコンテンツで活動してるんだ」
そのタイトルは、いかにも彼女らしく、微笑ましい響きを持っていた。
自分と幽子は顔を見合わせた。幽子は相変わらず無表情だが、ほんの少しだけ、口元が緩んだようにも見えた。
自分は幽子の表情に、ほんの一瞬だけ浮かんだ変化を見逃さなかった。
……今だ。
そう確信した自分は、ここぞとばかりに喜美ちゃんの話をさらに掘り下げることにした。いまなら、幽子の険しい空気も幾分やわらいでいる。この好機を逃すわけにはいかない。
「で、その動画ってどんなことやってるの?」
促すように尋ねると、喜美ちゃんは少し照れたように笑いながら答えた。
「えっとね、私と友達の『エリカ』と『カナ』、それと私が『キミ』って名前でやってるの。内容は……放課後の女子トークとか、ちょっとしたお買い物の様子とか、あと、高校生なりのメイクの仕方とかが多いかな!」
その語り口は楽しそうで、どこか誇らしげだった。自分も思わず興味を引かれて身を乗り出す。
「へぇ~、青春って感じだな。」
「そうそう、それで最近ちょっとだけ人気出たのが、『人生ゲーム』の配信なんだ。あれを三人でワイワイやってるだけなんだけど……気づいたら、始めて一ヶ月くらいで登録者が九百人近くになってて……」
「え、九百人も!? すごいじゃん!」
自分は感心して顎に手を当てた。素直にすごいと思ったし、それだけの共感を呼ぶコンテンツを作っていることに敬意すら感じた。
そんなやり取りの傍らで、幽子もぽつりとつぶやいた。
「へぇ……お化粧か……」
その言葉に、思わず自分は心の中で突っ込んだ。
(お前、絶対化粧なんかしたことないだろ!)
だが、そう思いつつも、その声音にはどこか柔らかい響きがあった。いつもの無表情で不機嫌そうな幽子ではない。緊張がほぐれた証拠だ。
自分はその空気の変化を逃さず、すぐに話の舵を切る。
「ところで、喜美ちゃん。そのぉ……、自分達に話って言うのは?」
ついに本題へと踏み込む瞬間が来た。
「うん……、それがね……」
喜美ちゃんの声がふいに小さくなった。どこか言い淀むように、震える息が言葉の隙間から漏れる。普段の明るい調子とはまるで違っていて、自分も思わず背筋を伸ばす。
彼女の話では、配信を始めて間もない頃、仲間のエリカとカナと一緒に、心霊スポットで動画を撮影したことがあったという。
「ほら……あの廃病院があるトンネルで……」
「ああ、あそこ行ったのか!」
思わず声が上ずる。喜美ちゃんの言う「トンネル」とは、黒気味町の外れにある古びたコンクリート製の廃トンネルのことだ。いまでは通行止めとなり、町の人間でもわざわざ近づこうとはしない。
そのすぐ先にある『山の廃病院』は、地元で最も有名な心霊スポットだが、実のところ、このトンネルもまた並ぶほどの曰くつきの場所だった。人影のない昼間ですら、空気が淀み、背中をぞわりと這うような不気味さがある。
「流石に病院までは怖くて行けなかったし、夜もちょっと……だから昼間に三人で行ったんだ。軽い肝試しのつもりで。」
そう語る喜美ちゃんの表情には、当時の軽率さへの後悔のような影が浮かんでいた。
正直なところ、自分はオカルトには興味があるが、心霊スポットそのものにはあまり近づかない。怪談の類いは腐るほど読んできた。
だが、そこに出てくる『本当にあった話』のなかには、心霊スポットでの体験から精神を壊しただの、失踪しただの、最悪の場合亡くなっただのというものまである。
聞き慣れてしまったそれらの話は、いつの間にか深く脳裏に焼きついていた。
……だから自分は、極力そういう場所は避けるようにしている。
とはいえ、地元に住んでいれば、嫌でも関わることはある。あのトンネルにも過去に友達と二度だけ行ったことがあるが、もちろんどちらも昼間だった。夜にあんな場所に足を踏み入れる勇気など、到底持ち合わせてはいない。
思い返せば、あのトンネルはただならぬ空気を纏っていた。
外観は古びて蔦に覆われ、内部の照明はすでに壊れているのか一つも点いてはいない。長さは五十メートルほど、決して長いわけではない。それでも、数歩入っただけで背筋に重いものがのしかかる。空気が一変し、ひんやりとした空気が肌を震わす。
そんな場所に、彼女たちは、高校生の女の子三人で、カメラを持って足を踏み入れたのだ。
「配信者って、やっぱり大変なんだな……」
自分の中にそんな感想が浮かぶ。だが、喜美ちゃんの話は、そこでは終わらなかった。
「撮影自体は、無事に終わったの。でもね……問題は、そのあとだったの……」
彼女の声に、ほんの僅かな震えが混じる。
「動画を編集してたらね……撮影中にはなかったはずの『ノイズ』が、ところどころに入ってたの。
なんか混線したような『ブツ、ブツブツ』て感じで……。
それで、トンネルの中央あたりに差しかかったところで、はっきり変な『声』が入ってたの。」
自分と幽子は、無言のまま息をのんだ。喜美ちゃんは唇を震わせながら、続きを絞り出すように話す。
「丁度、トンネルにあったお線香の燃え跡を撮影してたときだったんだ。何を言ってるのかは聞き取れなかった。でも……ゴニョゴニョって、何かをつぶやく声があって……そのあと、『フフフ……』って、女の笑い声が……」
道場の空気がすっと冷えた気がした。畳の匂いもどこか遠のいて、静寂が耳を満たす。
「でも……その時は、私、思っちゃったんだ。『やった!』って」
言いながら、彼女は顔を伏せ、膝の上で両手をギュッと握りしめた。
「ほら、心霊現象が撮れたら話題になるでしょ? 登録者も増えるかもって……エリカもカナも怖がってたけど、私、笑って『やったね』なんて言っちゃったの……」
その声は、罪悪感と恐怖がないまぜになっていた。
「でも……それからなの。私たちの周りで……おかしなことが、起き始めたの」