五枚目 光明
調査が始まって少し経ったある日の夜、自分は自分の目が死んでいることに気づいた。毎晩、虫眼鏡を片手に、写真で撮られた文章を読み解こうと悪戦苦闘していたが、ほとんど理解できなかった。
まるで暗号である。
旧字体の漢字や、今では使われていないような漢字が次々と現れ、自分の頭は混乱の渦に巻き込まれていった。
おそらく、あの旧校舎の二階に置かれている資料なのだろう。一度、自分は関口さんに提案してみた。「旧校舎に忍び込んで、資料を持ってきてはどうだろう?」しかし、関口さんは首を振り、「やっぱり黙って持ってくるのはまずいよ。」と答えた。彼は自分の肩を叩きながら、「すまないが、頑張ってくれ」と笑顔で言い残し、自分に拷問を強いてきたのだった。
そのおかげで、毎晩目が疲れ果て、朝日がまぶしく感じる。まるでドラキュラの気持ちが少し分かったような気がしていた。今晩もその作業をやらなければならないかと思うと気が滅入る。
そんな時、自分の部屋に幽子が入ってきた。
いつものように自分の家で夕食を終え、満足そうにお茶をすすった後、彼女は帰宅ついでに、自分の本棚にある漫画をあさりに来たらしい。
幽子は漫画を手に取りながら、ふとこちらに目を向け、「ところで、例の調査の方は進んでるのか?」と尋ねてきた。自分は少し肩をすくめ、「あんまり進んでないよぉ」と愚痴をこぼし、現状を説明した。
彼女はその言葉に対して、まるで他人事のように「アハハハ、それは大変だなぁ。」と笑いながら、漫画のページをペラペラとめくっていく。その無邪気な態度に、少しイラッとした自分は、嫌味を込めて「幽子は余裕みたいじゃん、幽子の方はどうなんだよ。調査してるの?」と問いかけた。
幽子は一瞬こちらを見つめ、そして真剣な表情に変わった。「私の方はそれなりに進んでいるぞ。星野さんにも手伝ってもらってな、やはり旧校舎の回りには結界みたいな物があったよ。」と、彼女の声には確かな手応えが感じられた。
その言葉に、「へぇー、星野さんが?」と聞くと幽子は「あぁ、星野さんミステリーみたいな物が好きみたいでな。話をしたら『私も調べてみたい』と言ってくれて今二人で調べている最中なんだ。いっそ彼女もオカルト部に入ったら良いのにな。」と答えた。
自分は「それは良い提案だなぁ!」と心の中で思いながら「それで『結界』が見つかったって?」と話の本題を聞いてみた。
幽子は少し考え込みながら、意味深な前置きを置いた。「それがちょっと奇妙なんだ…」と彼女は言った。自分は「なに?なに?」と興味深く耳を傾ける。
幽子は続けて、「どうも、古い物みたいだけど、近年、治された形跡があるんだ。ただ、その一部がイタズラなのか、知らず知らずなのか、移動されていてね、結界がだいぶ緩くなってたんだよ。」と語った。
「近年治された」というワードが気になりつつも、自分はその後の「移動された」という言葉の方が引っかかり、「それは治せるの?」と聞き直すが、彼女はすぐに首を横に振った。
「あれはちょっと特殊な結界でな。場所を戻したくらいでは元には戻らないと思うぞ。そもそも結界とはそんなに単純じゃないから、強い結界ほど一度壊れると元には戻らないものなんだよ。」と幽子は言った。
さらに彼女は続けた。「一応元には戻しておいたが、あれはもう一度ちゃんと儀式を行わないと機能しないと思う。ただ、あんな結界を元に戻すとなると、この界隈ではおばあちゃんしか心当たりがなくて、もしかしたらあの結界を張り治したのもおばあちゃんが関わってるんじゃないかと、私は思っているんだ。」
自分は「確かにあり得るねぇ。」と幽子の考察に感心しながら聞いていた。「じゃあ、月静さんに少し話を聞けないの?」と尋ねると、彼女は再び首を横に振った。
「ほら!この前も言ったが、おばあちゃんからは『近づくな!』と言われているからな。私がこの件を調べていることはおばあちゃんには内緒にしておきたいんだ。だからこの件は後回しにして、今は星野さんとあの化け物について調べているよ。」と彼女は言った。
自分は「それで、そっち方は何か分かったの?」と聞いてみると、幽子は考えるポーズを取りながら「こっちは全くだな。」と答えた。
「何となくこれかな?という呪術はあるんだが、どれも私のイメージと違くて……、それで今は図書館に行って旧校舎の、学校の土地に何か関係あるんじゃないかと思って調べているんだが、今のところ何も出てこないんだ。」と告げた。
「意外とちゃんと調べているんだなぁ。」と心の中で感心しながら、「じゃあまた何か分かったら教えてよ。」と答えて作業に戻ろうとしたとき、幽子は「しんいち、今日は辞めといたらどうだ。」と提案してきた。
「きみ、最近酷い顔しているぞ。疲れていると言うのか、食事の時もボーとしてたし、今日くらい休んでも問題ないだろう?とにかく休みたまえ。」と彼女なりの気遣いをみせてきた。
その言葉に自分は「はぁ!そうだなぁ。今日は辞めるかぁ」と言って今日の作業はサボる事を決めた。
☆☆
そして次の日、難航する調査に一筋の光をもたらす者が現れた。
授業が終わると、自分はいつものように部室へ向かった。中にはすでに作業を始めている何人かの部員と、椿ちゃんの姿があった。彼女は一枚の写真を手に取り、まるで食い入るようにその写真を見つめていた。
「お疲れ、なに見てるの?」と声をかけると、椿ちゃんは不意打ちを食らったかのように驚き、「わぁ!し、しんいちくん、お、お疲れ。」と、いつものようにたどたどしく答えた。
驚かせてしまったことを謝りながら、再度何を見ていたのか尋ねると、彼女は一枚の写真を自分に見せてきた。それは「高畑 龍之介」と思われる男性の写真だった。
「何か気になるところでも見付けたの?」と聞くと、椿ちゃんは「う、うん。しんいちくんは気付かない」とクイズのように問いかけてきた。
もう一度、写真に写るその人物をじっくりと見てみる。白黒写真で、年齢は40歳くらいだろう。細身で丸メガネをかけ、笑顔で写っている。服装は普段のものか、他の写真に比べてラフな印象を受けるが、それ以上はよく分からなかった。
「うーん」と首を傾げていると、椿ちゃんは「人物じゃなくて背景を見て欲しいんだけど…」と言ってきた。
その言葉に促され、背景を見てみる。どこかのお屋敷、いや、洋館であろう。少なくともあの旧校舎で写したものではないことが分かった。
「洋館みたく見えるね。服装からするとプライベート写真ぽいよね。」と答えると、椿ちゃんはコクりと頷き、「私、その洋館見たことある気がするんだけど、しんいちくんは分からない?」と聞いてきた。
「えっ!」と驚き、もう一度その背景を見てみる。ただ、全体像が写っているわけではなく、写っているのはほんの一部分。見たことがあると言われればそんな気もするが……と考えていると、部室のドアが開き、「みんなお疲れ!」と一人の男性が入ってきた。
その人物は、ミステリー研究部の顧問である「最木 導」先生だった。最木先生はめったに部活には顔を見せない。見た目はちょっとインテリっぽいが、割と優しくて面白い先生である。
自分たちが何か調べ物をしていると聞きつけたのか、アイスを持って労いに来たようだ。
二年生の先輩たちのところに行き、「何を熱心に調べているんだい?」と尋ねていた。話を聞いた最木先生は「君たちも好きだねぇ」とまるで幽子と同じようなことを言い、自分は少し苦笑いを浮かべた。
最木先生は、自分たちの方に近づいてきた。「君らは何を調べていたんだい?」と、柔らかな声で尋ねる。
自分は、手に持っていた写真を差し出しながら、「この写真なんですが……」と軽く説明を始めた。そして、半ばダメ元で「先生、この場所分かりませんか?」と尋ねてみた。
最木先生は、写真をじっと見つめる。そして、はっと思い出したかのように「あぁ!これ、あそこだよ。」と、記憶を呼び起こすかのように言った。
その予想外の答えに、自分と椿ちゃんは驚きの声を上げた。「えっ!先生、知ってるんですか?どこなんですか?」と、詰め寄るように問いかける。
最木先生は、少し考え込むように眉をひそめ、「白黒だし、確かかどうかは分からないけど…町中にあるあの洋館じゃないかなぁ?」と、慎重に言葉を選ぶ。「君たちの方が詳しいだろ、あのお化け屋敷って言われてる洋館だよ。」
その言葉に、自分たちの心は一瞬にして高鳴った。あの不気味な洋館、町の片隅にひっそりと佇むその姿が、自分たちの記憶の中で鮮明に蘇ってきた。




