十五幕目 クラスメイト
誰もいなくなった教室に、彼らが戻ってきた。
僕は身体を起こし、彼らを出迎えた。彼らの表情には、不安な気持ちが溢れているのが見て取れた。
どうやら、みんな蜘蛛の子を散らすように逃げ出す中、彼らだけは廊下から一部始終を見守っていたらしい。「しんいち、何があったの?」、「セイラさん、大丈夫なの?」と、次々と質問が飛び交っていく。彼らの声は、まるで僕の心の中の動揺を掻き立てるようだった。
その質問の答えに、僕は躊躇していたのだった。頭の中には、セイラの過去を聞いたときの記憶が甦っていた。セイラは前の学校で、一人の生徒のイタズラが発端で、学校にいられなくなり、転校することになった。
あの時の、感情がなく淡々と過去の話をする彼女の顔が、今も鮮明に思い出される。
しかし、今回はイタズラではない。本当に起こった心霊現象なのだ。
彼女の霊感が、またしても彼女を苦しめている。みんなに本当のことを告げたら、セイラのことを、彼女の霊感のことを怖がり、また学校にいられなくなるのではないかという不安が、僕の心の中で渦巻いていた。
でも、隠しておくこともできない。沢山の人が心霊現象を目撃し、体験している。自分が真実を隠していたところで噂は広がって行くだろう。
彼女を守るためには、真実を話さなければならない。
僕は決心した。みんなに話すことにしたのだ。
たとえ、みんなが真実を知ってセイラを無視しようが、嫌がらせをしようが、僕がセイラを守る。絶対に友人を一人にはしないと、心に誓った。
「みんな、聞いてほしいことがあるんだ。」僕の声は、教室の静けさの中で響いた。彼らの視線が一斉に僕に向けられ、緊張感が教室を包み込む。これから話すことが、どんな影響をもたらすのか、僕はまだ分からなかったが、心の奥底で確かな決意が芽生えていた。
僕は、自分が分かる範囲の事をみんなに詳しく説明していった。
劇の直前から少しセイラの様子がおかしかったこと、彼女が「幽子」と名乗る霊に取り憑かれていたこと、そしてセイラの祖母である月静さんがその幽霊を祓ったこと、無事にお祓いが終わり、元に戻ったセイラが先生と一緒に保健室に行ったことを、みんなに告げた。
僕の心臓は激しく打ち鳴らされていた。みんなの反応が怖かった。僕の話を聞いた彼らは、まるで凍りついたように黙り込んでいる。
でも、どんな答えが返ってこようとも、僕の決心は揺るがない自信があった。
その時、結衣ちゃんが静かに質問してきた。「じゃあ、セイラちゃん無事に元に戻ったんだよね。」その声は、まるで薄暗い教室の中で一筋の光が差し込むように感じられた。
僕は「うん!」と軽く頷いた。
すると、結衣ちゃんは「はーぁ!良かったぁ」と笑顔になり、その場の空気が一気に和んでいった。彼女の明るい笑顔が周りを照らすように、周囲にいた者の表情がパッと明るくなっていった
みんな口々に「良かった!」、「セイラさん、怪我してたけど大丈夫かなぁ?」と心配の声を上げていた。その光景を見た僕は、胸の中で熱いものが込み上げてきていた。
みんなセイラの事を心配していたのだった。友達の絆が、目の前で確かに存在していることを実感した瞬間だった。
しかし、結衣ちゃんが続けて言った。「秀之のヤツ、酷くない?怖いからって木の棒で撲るなんてあり得ないよ。」その言葉に周りの女の子たちも同調し、「本当だよ!普段威張り散らしている癖に、女の子を撲るなんて最低だよ。」と口々に非難の声を上げていた。
僕はその言葉を聞いて、複雑な思いに駆られていた。秀之の気持ちも分かる。あの状況はきっと誰でも怖いはずだ、パニックになるのも頷ける。
でも…、セイラを撲ったことは絶対に許す気はない。一歩間違えば大怪我になっていたかも知れない行為だ。
僕が止めようか一瞬悩んでいると、僕の思いに気がついた男子が僕に向かって軽く首を振った。「しんいち辞めとけ。女子を敵に回すなよ。」と言うように警告をしている様だった。
もちろん、僕は彼の警告に従い、女子の様子を苦笑いを浮かべながら見つめていた。
怖い思いは……、しばらくは遠慮したかった。
教室の中は、先ほどの出来事の余韻が残る中、逃げていたクラスメイトたちが徐々に戻ってきた。彼らの顔には、恐怖と興奮が入り混じった表情が浮かんでいた。みんなが口々に、心霊現象のことや、僕が話した内容を伝え合い、話は次第に盛り上がっていった。
「そもそも、劇の練習辺りから変だったよね?」と、誰かが言い出すと、他のクラスメイトたちも頷きながら同意した。「セイラさんに取り憑いた霊って、いつからいたの?」と疑問が飛び交い、教室はまるで探偵たちが事件を解決しようとするかのような熱気に包まれていた。
その中で、ひとりの女子がふと口を開いた。「もしかしたら、セイラさん、あの幽霊に気付いて私たちを守ってくれたのかなぁ?」その言葉に、教室の空気が一瞬静まり返った。
みんなの目がその彼女に移り「もしかしたらそうかも」、「セイラさん意外と優しいし」と小声で話している。
しかし、僕の心の中では、違和感が渦巻いていた。「それはないなぁ…」と、思わず呟きそうになった。幽子と名乗った霊が、不穏な言葉を吐いていたことを思い出していたからだ。
彼女の言葉が、まるで耳の奥で反響しているように感じられた。
「確かアイツ、『セイラに頼まれた』とか言ってたよなぁ?」その瞬間、僕の心に疑念が芽生えた。何か裏があるのではないかという思いが、じわじわと広がっていく。「セイラ、絶対、何かやりやがったな。」と、心の中で呟きながらも、このことは黙っておこうと決めた。
教室の中では、話題が次々と変わり、セイラのことを心配する声が高まっていたが、僕の心の中には、いろいろな想像が膨らんでは、消えていく。
彼女の裏に潜む真実を、果たして誰が知っているのだろうか。周りの賑やかな声が、まるで遠くから聞こえてくるように感じられ、僕は一人、静かに思索にふけっていた。
そして僕たちのクラスの学芸会は、もちろん中止になり、色んな意味で記憶に残る出来事として心に刻まれることとなった。
その日の夕方を過ぎた頃、僕はセイラのところに見舞いに行くことを決めた。セイラの怪我も心配だったし、幽子と名乗った幽霊が言っていた事も気になっていたからだ。
結局、あの後はバタバタとした時間が流れ、他の先生が教室にやって来た。彼の指示のもと、僕たちは急いで教室を片付けることになった。
セイラのことについて詳しい話を聞く暇もなく、温子先生と秀之は教室には戻って来なかった。
セイラの家に着くと、僕は玄関のドアを開けた。相変わらず無用心な家だ。
「こんばんは!」と声を上げるが、誰も出てこない。もう一度「こんばんは!」と叫ぶが、一階は静まり返っていて、反応はなかった。いつもならリビングから月静おばちゃんが顔を出してくるのに、どうやら留守のようだった。
しかし、玄関にはセイラの靴が置かれている。彼女は帰っているに違いないと思い、「お邪魔しまーす。」と小声で呟き、セイラの部屋がある二階へと上がっていった。
セイラの部屋の前に立ち、ノックをして「セイラ!いるぅ」と声をかけるが、返事はない。もう一度ノックしようとした瞬間、「何か用か?」と不機嫌そうなセイラの声が聞こえてきた。
僕はゆっくりと部屋を開け、「セイラ!」と呼びかけながら、部屋の様子を確認した。そこにはセイラがいた。ベッドの上に寄りかかり、頭には包帯が巻かれている。表情は案の定、不機嫌そうだった。
「なんだこんな夜に。女の子の部屋に来るなんて失礼じゃないか。」と彼女は言った。どうやら、月静おばちゃんからこっぴどく怒られたのか、セイラは眉をひそめ、僕を睨みつけてきた。完全に八つ当たりだった。
僕は苦笑いを浮かべながら、「セイラの怪我が心配でさぁ、それとほら、お見舞い持ってきたよ。」と、家から持ってきた饅頭の袋を三つポケットから取り出した。
それを見たセイラは少し機嫌が良くなったのか、黙って饅頭を受け取り、すぐに袋から開けて食べ始めた。「お腹空いてたのか?」と思うほど、彼女はパクパクと三つの饅頭を平らげ、少し満足そうに「ふーぅ」と息を吐いた。
僕はセイラが食べ終わるタイミングを見計らい、「月静おばちゃんいなかったけど。」と軽い質問してみた。
セイラは「あぁ!まだ学校の方にいるかもしれないなぁ。病院から帰った後、また学校に行くって言ってたし。」と答えた。
彼女の口から病院の話が出たので、そのままセイラの怪我について尋ねてみた。セイラの話によれば、左側の頭部の生え際あたりを2針ほど縫ったらしい。お医者さんは、「跡は少し残るけど生え際だから目立たなくなると思うよ」と、言っていたそうだ。
レントゲンも撮ったが、骨には異常はないとのこと。ただ、もし気分が悪くなるようなら、救急車をすぐに呼ぶようにと言われたそうだ。
僕は「取りあえず良かったね。」と安心したが、少し不安が残る言い回しと、跡が残るかもという言葉に、秀之の事を思い出しイラッと来ていた。
そして僕はセイラの目をじっと見つめながら、「ところで、今日の出来事はいったいなんだったの?あの幽霊、『セイラに頼まれた』って言ってたけど、なんのことだよ。」と、核心の質問を投げかけてみた。
セイラは一瞬、驚いたように目を大きく見開いて、すぐに視線を逸らした。
そして「言いたくない……」と、抵抗してきた。
僕は少し怒った表情をして「セイラがトイレから出て来た時から様子が変だったのは分かってたよ。トイレで何かやってたんでしょ!」と、さらに問い詰めてみた。
彼女の表情には迷いが浮かび、何かを言い出すのをためらっている様子が見て取れた。
モジモジとした仕草は、辛いことを言いにくいというよりも、恥ずかしいことを口にするのが怖いという印象を受けた。
僕が無言の圧力をかけていると、「もう、分かったよ。そんなに睨むな。」セイラはついに口を開いた。
彼女は諦めたように、「あーぁ、もーぉ、仕方ない……、君にも迷惑をかけたみたいだから話すよ。でも、他のヤツには絶対に言うなよ。」と念押しし、彼女は深呼吸をしてから、真相を語り始めた。




