十四幕目 お祓い
「しんいち!」と、静まり返った教室に月静さんの声が響き渡った。彼女の呼びかけに、僕は驚いて反応できなかった。
再び、月静さんが、「しんいち!しっかりしな。」その言葉に、ようやく我に返り、「は、はい!」と慌てて返事をした。
月静さんは優しい笑顔を浮かべ、僕に向かって言った。「今からセイラのお祓いをするから、しんいちは、セイラが暴れないように後ろから支えてあげな。怖くないから頑張るんだよ。」
その言葉に、僕は心の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。「はい!分かりました。」と、覚悟を決めてしっかりと答えた。月静さんの言葉が、まるで僕を後押しするかのように響いていた。
「これでセイラが元に戻る!」その思いだけで、勇気が湧いてきた。月静さんは、ゆっくりと僕とセイラがいる方向へと歩みを進めてきた。
その瞬間、セイラは近づいてくる月静さんを見て、怯えるように後ずさった。教室の空気が一変し、何か希望の光が差し込んできている気がした。
月静さんは、セイラの前に立ち、まるで威嚇するかのように彼女を睨みつけていた。その視線に、セイラは恐れを抱き、命乞いをするかのように叫んだ。
「やめてよ!私はこの子に頼まれただけなんだから!」
そのヒステリックな声が教室に響くが、月静さんはお構いなしに、セイラの両手を掴み、力強く「グイッ」と引っ張った。
僕は慌ててセイラの後ろに回り、彼女の肩を両手で掴んだ。しかし、セイラは最後の足掻きのように「離せ!離せ!離せ!」と暴れ続けた。僕は「セイラ!元に戻って!元に戻って!」と力いっぱい肩を掴むが、それでもセイラの抵抗は強く、上手く抑えられなかった。
そんな時、背後から大人の手が僕の手を包み込むように、セイラをガッシリと掴んできた。その手の主は温子先生だった。彼女は、逃げることなく、真剣な表情で僕を見つめていた。
「しんいちくん、頑張って!セイラちゃんを救ってあげて。」
その言葉は、僕の心に勇気を与えた。
温子先生の励ましを受けて、僕は今度はセイラを羽交い締めにするように抑え、「セイラ、戻ってこい。戻ってこい。」と叫んだ。温子先生もその声に応えるように、セイラをガッシリと掴み、ついに彼女を抑えることができた。
そのやり取りを見ていた月静さんは、ニコリと笑い、そして「じゃあ、やるよ。」と僕と温子先生に向かって告げた。教室の空気が一瞬緊張感を帯びる中、月静さんがスッと目を閉じた。
その瞬間、場の空気が一変したのを感じた。
静かな緊張感が周囲を包み込み、まるで静かな湖面を見つめているかのような、神聖なものに触れているような感覚が僕を襲った。思わず息を飲み込む。
心臓の音がドキドキと脈打ち、喉の奥で「ゴクリ」と生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。張り詰めた雰囲気の中、セイラの抵抗はいつの間にか消え去っていた。
1分経ち、2分経ち、3分、4分経ったであろう時、突然セイラは「ガクッ」と僕の腕の中で力なく倒れ込んできた。心配になり、彼女の様子を伺う。息はしている。まるで眠っているかのように穏やかな表情を浮かべていた。
その時、月静さんが目を開き、「もう大丈夫だよ。」と僕と温子先生に告げた。その言葉に安心したのか、緊張から解き放たれたのか、僕は「ハーァ、フーーゥ」と大きく息を吐いた。
ゆっくりとセイラを床に寝かせ、彼女が起きるのを待つが、なかなか目を覚まさない。そんな時、月静さんがセイラの耳元で「こら!セイラ、早く起きな。」と大声で叫んだ。
すると、セイラは驚いたかのように目を開け、月静さんに向かって「お、おばあちゃん、何でいるの?」と、すっとんきょうな声を上げて驚きの声を発した。
彼女の表情には、混乱と驚きが交錯していた。周囲の緊張感が和らぎ、僕は、セイラが無事であることに心から安堵した。
「良かったーぁ!」
僕の声が思わず漏れた。その瞬間、肩の重荷が一気にとれたかのように、力が抜けていくのを感じた。温子先生も安堵の表情を浮かべ、少し涙ぐんでいるようだった。
その声に気付いたセイラが、僕の方に目を向けた。「し、しんいち、どうしたんだ。えっ、先生まで何でいるの?」彼女の声には混乱している気持ちが写し出されていた。
呆れた僕は、思わず言葉を返した。「セイラ、今の状況分かってる?大変だったんだから。」
すると、セイラは「はぁ?」と訝しげに僕を見つめてきたが、次第に彼女の顔色が変わっていくのがわかった。
自分の仕出かしたことに気付き始めた彼女の顔は、みるみるうちに真っ青になっていった。
そして、その視線はゆっくり月静さんに移っていった。月静さんは、まるで般若のような表情を浮かべ、明らかに怒っていた。
その場の空気が一瞬凍りつく。何が起こったのか、セイラは理解しつつあるのだろうか。彼女の表情は、恐れと焦りが滲み出ていた。
「セイラァ!まっったく……。あんたは一体全体なにをしたんだい。」、月静の怒声が教室内に響き渡った。セイラもようやく教室の異変に気付き、状況を飲み込もうとしていた。
「いやー、あのー」と、セイラは月静から目を反らし、しどろもどろな受け答えをする。そんな彼女に、月静はさらに追い討ちをかけるかのように言った。「人様に迷惑かけて、あんたしばらくご飯抜きだからね!」その言葉は、まるで止めの一撃のようだった。
食べることが好きなセイラにとって、それは死刑宣告と同じだった。彼女は「エーーぇ」と悲鳴のような叫び声を上げた。
そのやり取りの最中、一人の女性が濡れたハンカチを持って姿を現した。彼女は、僕の母だった。
母は血だらけのセイラの顔を優しく拭きながら、月静に向かって言った。「まぁ!まぁ!月静先生。セイラちゃん、怪我しているみたいだから、取りあえずは怪我を見てもらってからにしましょうよ。」その言葉に、温子先生も頷きながら言った。「確かに、いまはセイラさんの怪我が心配ですし、直ぐに保健室に運びましょう。」
流石に二人になだめられたのか、月静は深いため息をつきながら、「はーぁ……。まぁ!仕方ないねぇ、じゃあ先生、セイラのことよろしくお願いいたします。私も直ぐに行きますので。」と、申し訳なさそうに頭を下げていた。
セイラは、先生に付き添われてしょんぼりとした表情で教室を後にした。彼女の背中は、まるで重い荷物を背負っているかのように丸まっていた。
その時、月静が僕の頭を優しく撫でて「しんいち!あんた凄いね。あの状況で良く逃げなかったね。セイラは本当に良い友達が出来たんだね。ありがとうね!」とお礼を言われた。
僕は少し照れくさくなり、頬が赤くなるのを感じながら、笑顔で応えた。「いえ、そんなことないです!」心の中では、月静の言葉が嬉しくてたまらなかった。
そんなやり取りを見ていた母は、急かすように言った。「先生!月静先生!セイラちゃんのあとを追いますよ。しんいち、あんたカッコ良かったよ。」その言葉は、まるで僕の心に小さな花を咲かせるようだった。母は微笑みを浮かべながら、月静さんを連れて、セイラの後を追っていった。
教室には、僕一人だけが取り残されていた。廊下の方から聞こえる喧騒の中、教室の時間はまるで止まったかのように感じられた。周囲のざわめきが遠くに感じ、静寂が心の中に広がっていく。
数人いたはずの保護者もいつの間にか消え、静かな教室にポツンと座っていると、疲れがドッと押し寄せてきた。思わず僕は教室の床に大の字に寝転んだ。冷たい床が心地よく、少しだけリラックスできる瞬間だった。
教室の天井を見上げながら、「はーぁ!疲れた……」と呟くと、その声は空気に溶けていくようだった。何も考えたくない、ただこの静けさに身を委ねたい。そんな思いが心の中で渦巻いていた。
その時、廊下の方から「しんいち!しんいち!」と僕を呼ぶ声が聞こえた。驚いて声の方向に振り向くと、クラスメイトの数人が廊下から教室を覗いていた。彼らの顔には、興味と不安が混ざった表情が浮かんでいる。僕は思わず笑みを浮かべ、手を振った。「おう!」と問いかけると、彼らは一斉に教室に入ってきた。




