十三幕目 月静
そこにいたのはセイラではなかった。
彼女の瞳は赤く充血したかのように白目の部分は真っ赤に染まり、目はつり上がっていた。
口元はうっすらと笑みをたたえ、不気味……、いや、邪悪と言う表情をしていた。
見た目は確かにセイラではあるが、僕の本能がこれはセイラでないと訴えていた。
舞台の異様な気配が漂う中、保護者たちの間に動揺が広がっていった。舞台にいる僕たちも「どうしよう?」、「どうするの?」と不安に駆られ、心がざわついていた。
その時、セイラが観客の方に首を向け、突然「バン!バン!バン!」と叫んだ。するとそれに呼応するかのように「バン!バン!バン!バン!」教室の窓ガラスが外から激しく叩かれる音が響き始めた。
唖然とした保護者たちの視線をよそに、セイラはなおも「バン!バン!バン!」と叫び続ける。
その声に反応するかのように「バン!バン!バン!バン!」と。なおも窓ガラスが叩かれる。窓ガラスの振動が教室中に伝わり、教室を揺らしているようだった。
その異様な状況に気づいた一人の保護者が、荷物を抱えて教室を飛び出していく。瞬く間に、その行動が伝染し、「キャー」、「なんなのこれーぇ」と叫び声が上がり、パニックが広がっていった。
幽霊役のメンバーもその波に飲まれ、「ワーーァ」と叫び声を上げて舞台から飛び出していく。舞台に残されたのは、僕と秀之だけだった。周囲の混乱が増す中、二人はただ呆然と立ち尽くしていた。
秀之は恐怖とパニックに包まれ、全身が震えて動けなくなっていた。彼の目からは大量の涙がこぼれ落ち、鼻からは鼻水が流れ出ている。怯えきった彼は、震える体を抱えながら、助けを求めるように僕に視線を合わせていた。
一方、僕はセイラと秀之を助けようという思いだけで、何とかその場に立ち尽くしていた。しかし、足はまるで重い鉛のように動かず、震え続けていた。僕の意思とは裏腹に、足は震え、一歩も前に出すことができなかった。
助けを求めるように廊下に目を移すと、温子先生が教室の入り口で立ち尽くしていた。彼女もまた、何が起きているのか把握できず、混乱した教室を見つめてオロオロと周囲を見渡す事しか出来ていなかった。
セイラは満足そうに不気味な微笑みを浮かべ、再び僕と秀之の方へ視線を向けた。彼女の視線は僕を通り過ぎ、一番近くにいた秀之へと移っていく。秀之もその動きに気づいたのか、恐る恐るセイラと目を合わせた。彼の目には恐怖が浮かび、心臓が高鳴る音が耳に響くようだった。
彼の口からは「アァアァアッ」と小さな悲鳴のような声が漏れ出ていた。そんな秀之に対し、セイラはゆっくりと手を上げ、まるで獲物を狙う猫のように、そして突然、秀之の肩を「ガシッ」と掴んだ。
「ギヤーァーァー」と秀之の悲鳴が教室に響き渡る。彼は完全にパニックに陥り、目はうろたえ、必死にセイラの手を振り払おうと「離せ!離せ!離せ!離せ!」と叫びながらもがいていた。
しかし、セイラは彼が必死にもがいているにも関わらず、微動だにせず、むしろその様子を楽しむかのように笑っていた。まるで小動物をもてあそんでいるかのように、彼女の笑みは冷酷で、心の奥に潜む邪悪さを感じさせた。
その時、秀之の声がひときわ大きく響いた。「はーなーせーぇ!」彼は手に持っていた木の棒をセイラの頭に向けて打ち下ろした。
「バキーッ!」
という鈍い音が教室に響き渡る。衝撃が走り、セイラはその瞬間、ようやく秀之から手を離した。
彼女は少しうつむいたが、すぐに顔を上げた。彼女の頭から血が滴り落ち、真っ赤に染まった顔は秀之を見て不気味にニタリと笑った。
秀之は再び木の棒を振り上げた。彼の手は震え、目は恐怖で見開かれていた。
「辞めろ秀之、落ち着け!」
僕の足は勝手に前に進み、彼を止めようとした。咄嗟に秀之の手を取り、合気道の投げを繰り出して彼を制圧した。
それでも暴れる秀之に「落ち着け!落ち着けって!」と大声を出すが、彼は泣き叫び、「お母さん、お母さん、助けてよぉ」と叫びながら廊下の方へ這うように逃げていった。
舞台の上には僕とセイラだけが残された。鮮血に染まったセイラは、今度は僕の方に不気味な微笑みを浮かべてきた。赤黒い邪悪な瞳に見つめられ、僕は全身の毛穴が総毛立った。心臓が早鐘のように打ち、冷たい汗が背中を流れ落ちる。
セイラを助けたい……でも、どうしたら良いの?誰か助けてよ、誰でも良いから助けてよ。心の中で叫び続けていたその瞬間、教室に怒声が響いた。
「セイラ!あんた、まっっったく何をやっているんだ!!」
声の主は月静さんだった。彼女の声は、まるで嵐のように教室を揺らし、セイラの不気味な微笑みを一瞬で消し去った。
教室の中には、もはや数人の大人と、僕、セイラ、そして月静さんしかいなくなっていた。静まり返った空間に、緊張感が漂っている。セイラは月静さんの方に視線を向け、少し迷惑そうな表情を浮かべた。
「誰?おばさん。邪魔なんだけど。」
その声はセイラのものではなかった。少女の声ではあるが、明らかにセイラの声とは異なり、所々でボイスチェンジャーを使っているかのように音程が不安定だった。まるで、彼女の中に別の存在が潜んでいるかのように感じられた。
月静さんは、その言葉に対して冷静に反応した。「はぁ!そういうあんたこそ誰なんだい?」と、セイラに向けて問いかける。
「わ、私?私は『幽子』よ。この子に頼まれて、お芝居をしているの。向こうに行ってくれるかしら。お、ば、さ、ん。」彼女は挑発的に月静さんを睨みつけながら言った。その目は、まるで獲物を狙う猛禽類のように鋭く、僕の心に恐怖を植え付けた。
その光景を見つめる僕は、恐怖で足がすくんでいた。まるでホラー映画のワンシーンを見ているかのように、固唾を飲んで二人のやり取りを注視していた。心臓が高鳴り、冷や汗が背中を流れる。
セイラの挑発に対し、月静さんは不敵な笑みを浮かべて言った。「全く……、ガキが。イタズラが過ぎたようだね。じゃあさっさと祓ってしまおうかねぇ。」その言葉は、教室の静寂を破るように響き渡り、僕の心臓はさらに早鐘を打った。二人の間に漂う緊張感に押し潰されそうだった。
セイラは月静さんに不気味な微笑みを向けた。しかし、その笑みはすぐに警戒の色へと変わっていった。心の奥底に潜む不安が、彼女の表情を硬くさせたのだ。
月静さんはその変化を見逃さず、冷ややかな笑顔をセイラに向けて言ってきた。
「あら!どうしたんだい?何か悪さでもしようかと思ったのかい?」
彼女の言葉は冷たく、まるでセイラの心の動揺をさらに揺さぶっているようだった。
その挑発に、セイラは「何をしたの?」という怯えが漂う言葉を投げ掛けた。彼女は一瞬のうちに、警戒心が薄れ、真剣な恐怖に変わっていった。
月静さんの目がその瞬間、冷酷に光った。
「諦めな!もうこの中では悪さはできないよ。あんたが子供たちにイタズラしている隙に、この教室に結界をはらしてもらったんだよ。じゃあ、ゆっくりと消してやろうかねぇ。」彼女の声は甘い響きを持ち、まるで口にした言葉が魔法のようにセイラを捕らえた。
その冷たい視線を受け止めることができず、セイラは後退する。彼女の背後には、教室の壁が迫り、逃げ場を失ったかのように見えた。月静さんの冷酷な笑みは、まるで彼女がセイラの恐怖を楽しんでいるかのように映った。
そして、月静さんは、「しんいち!」と僕の名前を叫んできたのだった。




