第1章「帰還と制裁」
からめるです!
残念ですが、ガンツは間に合わなかったです…
楽しく読んで頂けると幸いです。
アジトの門が見えてきた。
ようやく戻ってきた、という実感が、砂埃とともに胸へと押し寄せる。ボロボロの外套。傷だらけの身体。そして、消えない痛み――だが、シエルの瞳はどこか晴れやかだった。
その門の前に、ひとりの少年が立っていた。
「二人とも……おかえり」
穏やかで優しい声。どこかほっとする響きだった。
「……ただいま!」
シエルは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔に、シュウの目が一瞬だけ見開かれる。
(……吹っ切れたな)
何も聞かずに、彼はそっと微笑む。そして、ほんのわずかに頬を赤らめたのは、誰にも気づかれない程度の些細な変化だった。
「ねぇ、ヴォルドは? 今いる?」
「いや、任務で不在だよ。たぶん今夜遅くまで戻らないと思う」
「ちぇ〜、せっかく修行をつけてもらおうと思ったのに〜!」
シエルは子供のように頬を膨らませてみせた。
そして隣にいたガンツの方をくるりと向く。
「じゃあ、ガンツが修行つけてよ!」
「……すまんな、嬢ちゃん。俺はちょいと、大事な用がある」
珍しく真剣な声音に、シエルは驚く。ガンツが“こんな顔”をするのを、初めて見た。
(……ガンツでも、真剣になることあるんだ)
「……わかった。今回はありがとう、ガンツ」
どこか名残惜しそうに、でもちゃんと感謝を込めて言う。
ガンツは無言で頷いたあと、背を向けて歩き出す――その瞬間、ほんの一瞬だけ、シュウと目を合わせ、軽く頷いた。
そして、去り際に背中越しに声をかける。
「また、一緒に任務行こうね!」
シエルはその背中を、しばらく見つめていた。
「じゃあ、シュウ。修行、お願いしてもいい?」
「えっ、ちょっと待って。任務明けでしょ? 今は休むのが先だよ」
「でも――」
「休むのも、修行の一つだよ」
そう言われて、シエルは渋々納得する。
「まぁ、確かにそうだけど……。じゃあ今日は湯にでも浸かって、休むかな」
⸻
アジトの広い風呂場。湯気が立ちのぼる中、シエルが両腕を広げて湯に沈んだ。
「……あぁ~~っ、最高……。お風呂広いし、景色も綺麗だし……もう一生ここにいたい……」
まるで子供のように頬を緩めていると、誰かの足音がした。
シエルはギョッとその方向を見る。
「失礼しますね」
湯けむりの中から、エリィが現れた。
「び、びっくりしたぁ……!」
「驚かせてごめんなさい。お隣、よろしいかしら?」
「もちろんです!」
エリィは微笑んで、静かに隣へ座る。その所作はどこまでも優雅で、入浴中ですら絵になる。
(……お風呂中でも、上品だなぁ)
自然とそんな感想が漏れた。
エリィは、少し笑みを深めてから、口を開く。
「初任務、お疲れさまでした。……いかがでしたか?」
「ありがとうございます。とても……大変でした」
シエルは、ふとリュウの顔を思い出し、切ない表情を浮かべた。
だがすぐに笑顔を作る。
「でも……行ってよかったです。ちゃんと、見届けられたから」
エリィは頷いたあと、ぽつりと呟く。
「……実はね、あなたと、二人で話してみたかったの」
「えっ、私と?」
「えぇ。年の近い女の子が久しぶりですし……何より、あなたはとても“まとも”な方なので」
「まとも?」
ガンツ、シュウ、エリィ……アジトのメンツが頭をよぎる。
「あ〜……なるほど」
二人でくすりと笑った。
会話はそのまま軽い雑談へと移り、時間がゆるやかに過ぎていく。
そんなとき――エリィが、ぽつりと笑顔で言った。
「……思ったより、早かったですね」
「えっ?」
その直後。
遠く、森の奥から――爆発音。そして、誰かが何かに捕まったような叫び声。
「な、なにっ……!?」
湯から飛び出しそうになるシエルに、エリィは静かに言った。
「残念ですが……楽しい時間はここまでのようです。またご一緒しましょう」
微笑を浮かべたまま、エリィは立ち上がらず、そばにあった車椅子にそっと腰を落とす。
「さあ、着替えて向かいましょうか?」
──その数分後。
森へと向かう夜道、シエルがエリィの車椅子を後ろから押していた。
ゴトリ、ゴトリと小さく響く車輪の音。薄暗い夜の森は、風の音さえも不気味な囁きに変えていた。
「こ、ここ……思ってたよりホラー……」
「ふふ、怖いですか? 頼りになりますね、シエルさん」
「からかわないでくださいよ〜……!」
軽口を交わしつつ進んだ先――木々の間、奇妙な光景が現れる。
網に包まれ、木に吊るされているガンツとシュウの姿だった。
「……えぇ!? ガンツ!? シュウ!? どうしたの!?大丈夫?」
シエルは慌てて駆け寄ろうとするが、その肩にエリィの手がそっと添えられた。
「シエルさん、足元を見てください」
指差された先には――壊れた望遠鏡。
「……望遠鏡? これ……って」
シエルが怪訝な顔をしていると、ガンツとシュウは顔をそらし、ひたすら沈黙。
「え、ちょっと……何、これ、どういう……?」
困惑するシエルに、エリィが柔らかな声で言う。
「シエルさん、あの木の上からアジトの方角を覗いてみてくださいな」
言われるがまま、よじ登ったシエル。
そして――
「っっっっっっつ!!!??」
凄まじい勢いで顔を真っ赤にし、バッと木から降りてきた。
「さいっっっってい!!!」
怒りの形相で、吊るされた二人を睨みつける。
「ち、違うんだ!」「誤解だよ! 何も見てないって!」
二人は焦りながら懸命に弁明するが、シエルの表情は変わらない。
「……行きましょうか、シエルさん」
エリィは微笑んだまま、車椅子の車輪に手を添えると、静かに前へと進み出した。
「あ、ちょ、ちょっと待ってよぉ!!」と叫ぶシュウ。
エリィは少し進んだところで、ふと止まる。
「そうそう……申し遅れましたが、あの爆薬、少々お腹に響く成分を仕込んでおきましたの。……うっかり、失念しておりましたわ」
その瞬間、吊るされた二人の腹が――ギュルルルルル。
「あっ……やば……!」
シュウとガンツは互いに顔を見合わせ、顔色を青ざめさせる。
「それと……今日からヴォルドさんが任務中で、アジトの家事当番が不在…」
「……はいはい! 俺たちがやります、やらせていただきます!」
「ノイルも王都へ買い出しに行ってま……」
「もちろん、ノイルの分も! 全力で働かせていただきます!!」
エリィは優雅に微笑みながら、シエルに振り向いた。
「シエルさんは、明日から何をされるおつもりですか?」
「うーん、修行かなぁ」
「残念ですわね。ヴォルドさんの帰還は三、四日後になるかと……」
――無言になるガンツとシュウ。
「では、まずは夕食に行きましょうか」
エリィはそう言うと、車椅子の肘掛けにそっと手を添え、シエルに目配せする。
その合図を受け取ったシエルが、車椅子の取っ手に手をかけ、静かに押し始める。
それを見送ったシュウが、すかさず言う。
「そ、そういえば、ちょうど明日、俺たち予定のなくなったな! シエルの修行、付き合うよ!」
「な、ガンツ?」
「……お、おう。もちろんだ」
ガンツも腹を押さえながら、無理やり笑顔を作る。
そのときだった。車椅子の動きがふと止まる。
エリィが穏やかな笑みを浮かべたまま、ポーチから小瓶を取り出して見せた。
「……あら、こんなところに解毒剤が」
二人の網が揺れる。
「置いておきますね」
そう言って、地面にそっと置かれる小瓶。
「……え?」
二人は呆然と声を漏らす。
エリィはくるりと振り向き、シエルに微笑んだ。
「さぁ、シエルさん。明日からヴォルドさんが戻るまで、シュウさんとガンツ様が修行に付き合ってくださるみたいで、よかったですね」
「……はい、ものすごく助かります」
シエルは一連のやりとりを見届け、心に誓った。
――この人を、絶対に敵に回さないようにしよう、と。
背後から、叫び声が響く。
「腹ぁあああ!」「解毒剤は!? それちょうだいぃいい!!」
だが、二人はその声を無視して、スタスタとアジトへの道を進んでいった。
翌日、朝の空気はまだ冷たく、アジトの前に立つガンツの背中を撫でていた。
彼は遠い目をして、空を仰いでいた。
「……昨日のこと、かな」
そう思ったが、シエルはあえて触れなかった。
「おはよう、ガンツ」
「嬢ちゃん、来たか。おはよう」
短い挨拶のあと、ガンツは手を叩いて言った。
「さっそくだが、始めるぞ。今日は“呼吸”だ」
「呼吸、ですか?」
「そうだ。戦闘中の呼吸は、命を分ける要になる」
それからのガンツは、珍しく熱弁をふるった。
「力を出すのも、冷静になるのも、タイミングを計るのも、全部呼吸次第だ。むしろ呼吸で相手の攻撃を読むことすらできる」
「呼吸って、そこまで……」
ガンツは姿勢を正し、シエルに見せるようにゆっくりと深く息を吸い込み、吐き出した。
「腹の底から吸って、全身に回すんだ。肩じゃなく、腹で呼吸しろ」
見よう見まねでシエルも試す。
だが――
「む、難しい……ただ呼吸するだけなのに」
「“だけ”じゃねぇ。だからこそ難しいんだ。戦いながらやるとなおさらな」
息の吸い方、吐き方、リズムの取り方。最初は上手くいかず、肩に力が入りすぎては失敗し、息が浅くなっては咳き込む。何度もやり直し、何度もガンツに姿勢を直される。
気がつけば、空はゆっくりと白みを帯びた朝焼けから、少しずつ陽の高さを増していた。
「ふぅ……うまく、できたかも」
「……うん、悪くねぇ。だが、それでもまだ甘い。よし、次は――実戦だ」
ガンツの声に、シエルの背筋が伸びる。
午前の最後には木刀を手に、軽い実戦が始まった。
(呼吸……呼吸……)
意識しすぎて、動きがギクシャクし、まるで踊っているようだった。
目の前から放たれた一撃――軽く開いた手のひらが、鋭くシエルの肩口を叩いた。
「うぅ……ダメだ……」
「気にすんな。最初は誰だってそうだ。お前はよくやった」
ガンツの温かい言葉に、シエルはほんの少しだけ、自信を取り戻すのだった。
午後。場所はアジト裏の林道。
すでにシュウが待っており、手には折りたたまれた布。
「これ、着替えてきて」
「うん……って、重っ!?」
渡された上下の服は、驚くほど重く、思わず手を滑らせそうになる。
「特注の修行用装備さ。俺も着てるよ」
見ると、確かに同じ装備を着たシュウがにっこり親指を立てていた。
「じゃ、説明するね。今日の課題は――“俺についてくること”」
「……それだけ?」
「もちろん異能はナシ。で、これも」
「……また何かあるの?」
「目隠し」
「…………」
シュウはすでに自分も目隠しをしており、仕方なくシエルもつけた。
「準備いい?」
「大丈夫!」
その瞬間、風が止んだように気配が消える。
「え……? はやっ!」
だがなんとか方向だけは掴み、重たい装備を引きずりながら走り出す。
途中、何かにぶつかり、体が吹っ飛ぶ。
「いったぁ……今の……丸太?」
ぶんぶんと風を切る音。完全にトラップの類だと気づく。
「……なにこれ……修行……だよね?」
その後も次々と罠に引っかかり、転び、顔から土に突っ込む。
(くっそぉ、やってやる……!)
ボロボロになりながら、シエルは前に進み続けた。
やがて、息も絶え絶えに歩いていたその耳に、声が届く。
「はい、今日はここまで」
目隠しを取ると、辺りはすっかり夕暮れだった。
「え……あんまり進んでない……」
「最後は、実戦」
「………………マジで?」
地面に大の字で倒れるシエル。
呼吸は荒く、瞼は重い。
「はぁ、はぁ……もう……無理……」
そして、静かに気絶した――
その日から――ヴォルドが戻るまでの数日間、地獄のような修行が続いた。
午前はガンツと、呼吸法を意識した格闘訓練。
午後はシュウと、重装備と目隠し状態での追跡&トラップ地獄。
毎日、倒れては気絶し、起きては鍛えられるの繰り返し。
それでも、最終日には確かな変化が現れた。
「……ふっ、はっ」
シエルの呼吸は、すでにぎこちなさを感じさせない。
リズムよく、無駄のない空気の取り込み。
だが、ガンツとの実戦では――やはり、一方的に叩き伏せられていた。
「ぐっ……くぅ……!」
「まだまだだな」
ガンツは口元をゆるめて、軽くウインクを送った。
一方、午後の修行では――
目隠し姿のシエルが、障害物の間を駆け抜ける。
罠に足を取られながらも、確実にゴールへと近づいていた。
「っしゃあ! 今日は行けた……!」
木の陰でそれを見ていたシュウが、軽く親指を立てる。
「……成長したな」
そしてその夜。
アジトの門が開く音とともに、久しぶりの声が響いた。
「ただいま」
振り返ったシエルの顔が、ぱっと輝く。
「ヴォルド! おかえりっ!」
駆け寄る彼女の顔を見たヴォルドは、ふと目を細めた。
その表情。その声色。その姿勢。
ほんの数日で、ずいぶん“強く”なった気がした。
(……いい顔になったな)
「ただいま」
優しい目でそう言いながら、ヴォルドは一言だけ――
「来週、次の任務だ」
「……!」
自然と背筋が伸びるシエル。
だが、次の一言に、思わず表情が曇った。
「ペアは、リィナだ」
「……リィナ、と?」
その名前を聞いた瞬間、シエルの口元が引き結ばれる。
表情には、緊張とわずかな不安が滲んでいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
次はリィナとの任務になります。
何もないといいですね!
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