第1章「残光の誓い」
からめるです!
今回はシエルが一歩する成長する場面がメインになると思います。
楽しく読んで頂けますと幸いです。
任務初日。澄んだ青空とは裏腹に、シエルの胸には重たい緊張が渦巻いていた。
「ま、気楽にいこうぜ。な?」
前を歩くガンツは、陽気に口笛を吹きながら鼻歌交じり。武器らしいものは一切持っていない。腰には袋すら見当たらず、まるで“拳”ひとつで全てを片付けるつもりのようだった。近所に散歩でも出かけるかのような軽快さとは裏腹に、その背中には不思議な威圧感があった。
(ほんとに大丈夫なの……このおじいちゃん……)
不安を飲み込みながら、シエルは黙ってその背中を追う。
両脇には緩やかな丘が続き、野花の香りが風に乗って運ばれてくる。鳥のさえずりも心地よく、目の前の任務がなければ、ただの旅路としてさえ感じられそうな風景だった。
けれど、心はざわついていた。
出発前、ヴォルドが残した一言が、何度も頭の中をよぎる。
「まずは現場を見て感じてこい。そして――“ガンツをよく見ろ”」
(……見ろって、なにを?)
歩きながらも、シエルはガンツの後ろ姿を何度も観察した。背筋は意外なほどまっすぐで、歩幅は一定。力みも抜けもない。まるで呼吸するように自然に、野道を踏みしめている。
シエルがガンツに問う。
「ガンツはなんで、革命軍に入ったの?」
ガンツはふむ、と顎に手を当てて考えるふりをしたあと、空を見上げた。
「強いやつと戦いたいからだな。……面白そうだったからだ」
「そんな理由で……?」
「理由なんてシンプルが一番だ。ゴチャついてるやつほどすぐに折れる」
軽口のように言いながらも、その声には年季が滲んでいた。
ガンツはそのまま、少しだけ顔を崩して笑う。
さらに数十分、森の小道を抜け、川を越え、小高い丘を登ると、空気がじっとりと重くなってくる。
「……嬢ちゃん、感じるか?」
「え?」
「風がねえ。鳥の鳴き声もしない」
言われて初めて、シエルはあたりの異変に気づいた。確かに、さっきまで響いていた自然の音が、ぴたりと止んでいる。
「…なんか…不気味……」
その言葉の直後、ようやく「シェルナ村」が視界に入る。
しかし、村は想像していた以上に沈んでいた。
畑には人の気配がなく、犬の鳴き声ひとつしない。家々の扉や窓は閉ざされ、誰も表に出てこようとしない。
「……あんまり、元気そうじゃないな」
ガンツがつぶやくと、ようやく一人の子どもが顔をのぞかせた。その後ろから、年老いた村長らしき人物が現れ、二人を迎え入れる。
「来てくださったんですね、ガンツさん……」
村長の口調には、安堵と同じくらいの不安が混じっていた。
案内されたのは、古びた石造りの屋敷。長年の湿気で黒ずんだ梁には、蜘蛛の巣がかかっている。部屋の中央に置かれた粗末な木の椅子に座ると、湯気の立つハーブ茶が差し出された。
「……村の命綱は“魔石鉱山”です。ですが、ここ数週間――様子がまるで変わってしまいました」
「というと?」
村長は少し間を置き、恐る恐る言葉を継いだ。
「見たことのない“何か”が、棲みついたのです。鉱山の作業員たちは、一人も戻ってきません……」
ガンツが茶碗を置き、目を細めた。
「で? その“何か”は村まで出てきてるのか?」
「はい……。村周辺の動物、家畜が消え、畑の作物も枯れはじめ……。残されていたのは、粘つく痕跡だけ。まるで……酸で溶かされたように……」
(何、それ……?)
シエルは身震いしそうになるのをこらえた。
「もう一つ。鉱山と村の境界に設置していた“封印ルーン”が……裂けていたのです」
「裂けた?」
「まるで内側から破られたように、です」
沈黙が落ちる。ガンツの表情から、陽気さがすっと消えていた。
そのとき、扉の隙間から子どもの顔がひょっこり覗いた。
「おじーちゃん……また、冒険の人?」
村長が小さく頷くと、少年はぽつりと呟いた。
「前に来た人たち……帰ってこなかったよ」
言葉の重さに、シエルの喉が詰まる。
ガンツが椅子から立ち上がり、腕を軽く回した。
「なるほど、状況は分かった。後は任せときな」
軽く言いながらも、拳からにじむ気配は、ただ者ではなかった。
「……どうか、くれぐれもご無事で」
村長は深々と頭を下げた。
その夜、二人は村はずれの空き家に泊まり、翌朝、問題の鉱山へと向かうことになる――。
夜が明ける頃、シエルは目を覚ました。
宿代わりに借りた空き家は、埃っぽく、隙間風のせいで肌寒かった。けれど、それ以上に胸の奥に重たく張りついた不安が、彼女をしっかりと現実に引き戻していた。
(今日、戦うことになる――)
隣の部屋からは、すでに準備を終えたガンツの足音が聞こえる。気負いのないその歩調は、これから命を懸ける任務に向かう者とは思えなかった。
村の外れにある鉱山までは、森を抜けた先にあるという。
最小限の装備を背負い、ふたりは朝霧の中を歩き出す。
低く垂れ込めた霧が足元を這い、空気は妙に重たかった。鳥の声はひとつも聞こえず、ただ木々が風に揺れる音だけが世界に残っている。
「空気が……ピリピリしてる」
シエルが思わず漏らした言葉に、額を伝う汗が冷たい。
「そんなに緊張すんな、嬢ちゃん」
前を歩くガンツが振り返りもせずに言う。
「力を抜いて、呼吸を意識しろ。それだけで身体の反応が変わる」
言われるままに、シエルは深く息を吸い込んだ。肺の奥まで冷たい空気が流れこみ、次第に張り詰めていた神経がほどけていく。
「……さすがだ」
振り返ったガンツがにやりと笑った。老獪なその表情には、どこか安心感すらあった。
歩を進めるごとに、森の様相が明らかに変わっていく。
葉はくすみ、苔には黒ずんだ斑点が浮かび、風に乗って漂う匂いもどこか酸っぱい。自然の腐敗とは異なる、“何か”がこの土地を蝕んでいる気配があった。
やがて木々の切れ間を抜け、視界が開ける。
そこに広がっていたのは、瘴気を孕んだ“口”だった。
かつて宝を掘り出していた鉱山の入口は、いまや異界へと通じる穴そのものだった。崩れた柵、焼け焦げた魔法陣の残骸、そして土に染みついた焦げたような臭気。
(……あれが、壊れたルーン)
地面に焼き付いた防御陣は、無残なまでに砕け、もう何も守れはしない。
ガンツがふと立ち止まり、背後を振り返った。
「引き返すなら、今だぞ」
それは冗談ではなかった。彼の目は静かで、本気だった。
シエルは、短く息を吐く。
「行く。逃げたら、ずっと後悔するから」
その声に迷いはなかった。たとえ怯えていても、立ち向かうと決めたのは自分だ。
ガンツがわずかに口元を緩める。
「いい目だ。……なら、行こうか」
ふたりは鉱山の前に並び立つ。
そして、一歩。
その先に待つのは、異形。常識も理屈も通じない、“異常”の世界だった。
◇ ◇ ◇
鉱山の入口をくぐった瞬間、空気が一変した。
外の湿った朝霧とは違う、どこか鉄と腐臭が混じったような匂いが鼻をつく。空気は重く、ぬめりのような感触が肌にまとわりつく。
「……くっ……」
シエルは思わず立ち止まった。足元に落ちていた石が、かすかに“ぬるり”と滑った。
ガンツは相変わらず軽快な足取りで進むが、一切の隙がない。
鉱山内部は想像以上に広かった。かつて鉱夫たちが掘った坑道は複数に枝分かれしており、今は崩落や苔、黒い染みのような汚れで荒れ果てている。
「……血か?」
シエルが指先で壁の染みをなぞると、黒い液体が指に絡みついた。粘り気があり、まるで墨と腐肉を混ぜたような臭いが漂う。
そのときだった。
――ゴッ……ゴグルル……
遠く、坑道の奥から低く濁った音が響いた。
足音ではない。声とも違う。骨の奥に届くような、獣とも虫ともつかない異音だった。
「来るぞ。気ぃ抜くな」
ガンツの声は低く、短い。
と、暗闇の先から“それ”は現れた。
――その“何か”は、鉱山の奥、沈黙を裂いて闇から滲み出す
ぬらり、ぬらりと。
粘液を滴らせながら、異様な気配を纏ってゆっくりと近づいてくる。
人の姿に、どこか“見覚え”があった。
「……え……」
シエルは、目を見開いた。
片側だけが異様に膨れ上がったその身体は、左半身が人間のように見える。だが、右半身は見るも無惨な変異に侵されていた。皮膚は黒く爛れ、獣のような筋肉が隆起し、骨格が歪んでいる。顔も半分は崩れ、そこに――かつての仲間“ミナ”の最後の姿に似ていた。
(……ウソ、でしょ……)
口らしき裂け目が横に広がり、そこからは人間ではない、異常に長くねじれた舌が“ずるり”と地面をなぞるように伸びた。
頭の上には人間の髪がまだわずかに残っていた。だが、その頭部には目が複数、無秩序に浮かんでいた。人の瞳とも獣のそれとも違う、“作られた視線”が、這うようにシエルを捉えている。
「まさか……あの貴族たちの……」
シエルが呟いた。声には怒りと、わずかな悲哀が滲んでいた。
「こいつは――混ざってやがる。人間と、モンスターが……」
混ざっている。縫い合わされたのではない。遺伝子、肉体、魂――そのすべてを強引に“融合”させたような、おぞましい存在だった。
異常な鼓動が、空気を震わせる。
「嬢ちゃん……覚悟しろ。そいつは、かつて“人間”だった可能性がある」
知っている、シエルの一番辛い記憶の一つ
ミナの記憶が、頭をよぎる。明るく笑っていた、あの声。あの温もり。だが――
目の前の“キメラ”は、忌まわしいほど異様な咆哮を上げた。
「ギィィ……ギィアアアッ!!」
それはもう、言葉ではなかった。
人としての理性も、記憶も、すべてが塗り潰された、混ざりきった“化け物”の声だった。
「嬢ちゃん、来るぞ。全力でやれ」
ガンツが横で構えることもなく立つ。
シエルは震える手で双剣を抜いた。足元がふらつく。だが、それでも前に出た。
(これはミナじゃない…これはミナじゃない!)
(ここで、下がったら……一生、前に進めなくなる)
「――いく!」
剣が走る。鋭い一閃が、空気を裂いた。
“ズバッ!”
斬った。確かに肉を裂いた感触があった。だが――
「……っ!?」
盛り上がる肉塊。刃が通ったはずの部分がぐずぐずと動き、あっという間に再生を始める。
(回復が早すぎる……!)
「嬢ちゃん、下がれ!」
ガンツの声が飛ぶより早く、異形が舌のような腕を鞭のごとくしならせ――
「くっ……!」
シエルは反応が一瞬遅れ、体ごと地面に叩きつけられた。肺が潰れ、視界が揺れる。
(まだ……まだぁ!)
痛みを堪え、壁を蹴って一気に跳躍。反動を利用し、背後へ回り込む。
「はぁっ!!」
背後から双剣を交互に振るい、キメラの肉体を斬り刻んだ。切断された部位が飛び、粘液が飛び散る。
しかし――
“ヌチ……ヌチヌチ……”
肉が寄り集まり、またもや再生を始めた。
「そんな……!」
(何度斬ってもキリがない……!)
そして――
「――!?」
キメラが低く咆哮し、体表からどろりと溶けるような液体を噴き出した。
「溶液……っ!」
直感で跳びのく。その直後、液体が触れた壁が“ジュッ”と音を立てて溶けた。
だが――避けきれなかった。
爆ぜた液の一部が右腕をかすめ、服と皮膚を一気に焼いた。
「ッ……ああああっ!!」
火傷の痛みに歯を食いしばる。視界がにじみ、意識が遠のきかけた。
「ふぅぅっ……」
深く、長く息を吐く。炎のように荒ぶる心を、刃に沈めるように。
両手の双剣が、脈動を刻むように赤く光り出す。
「これで……終わらせる……!」
全神経が刃に注がれる。
その瞬間、構えは極限へと収束し――
「万象理式・双剣《双焔穿》ッ!!」
連撃が閃光のように迸る。キメラの肉体が斬り裂かれ、血飛沫が舞う――だが。
「っ……!」
再び、再生。
斬った端から、肉はぬめりをまといながら再構築されていく。
(これでもだめなの!?……なら……!)
《限界解放》――発動。
瞬間、シエルの全身から光が弾けた。
「さらに――《幻装展開》……!」
光の粒子が剣を包み、ねじれ、再構成される。
キィィン――
鋼が軋む音とともに、双剣が消え、代わりに巨大な大剣がその手に出現した。
「……!」
「……想定の、遥か上だな」
ガンツの低い声も、どこか嬉しそうに響く。
キメラが咆哮し、四肢を広げて突進してくる。
「……遅い」
その瞬間、シエルの姿が掻き消える。
ドゴォォォン!!
爆発的な衝撃が鳴り響いた。視界が砂塵に包まれる。
――見えたのは、壁に吹き飛ばされるキメラの肉塊。そして、黒煙の中、静かに大剣を構えた少女の影。
「終わりよ」
シエルは地を蹴った。大剣の刃が紅蓮のごとく光を放つ。
「万象理式・大剣……《轟破顕》ッ!!」
振り下ろされた一撃は、まるで裁きの雷のようだった。
キメラの肉体が音もなく砕け、地を抉り、爆風が坑道の奥まで届いた。
ドガァァァァァン!!!
耳をつんざく轟音。重く、湿った音が遅れて響く。
静寂。
「はぁ……はぁ……」
その背後、爆煙の中心にあったのは、肉片と化し、蠢くことすらできなくなったキメラの残骸だった。
すでに“それ”に、再生する意思も力も、残されてはいなかった。
その背後、爆煙の中心にあったのは、肉片と化し、蠢くことすらできなくなったキメラの残骸だった。
すでに“それ”に、再生する意思も力も、残されてはいなかった。
「……終わった……」
シエルは大剣に身を預け、膝から崩れ落ちた。
全身に刻まれた痛みが、今になって一気にのしかかってくる。
息を吐き、目を閉じようとした、そのとき――
「ギィィ……ギアアアッ!!」
「グゥゥ……グルルル……!!」
――洞窟の奥から、複数の咆哮が重なり響いた。
それは先ほどの個体よりも明らかに数が多く、異質な気配を孕んでいた。
「……嘘……まだ、いるの……?」
シエルの顔から血の気が引く。
剣を振るう力は、もう残っていない。呼吸すら、ままならない。
だが。
(ここで……倒れるわけにはいかない……)
拳を握る。歯を食いしばる。
まだ、終われない――。
シエルがぐらつく身体を奮い立たせ、再び立ち上がったその瞬間。
「……十分だ、嬢ちゃん」
ガンツがふわりと前へ出た。
その動きは、まるで“重さ”がない。重力という概念から切り離されたように、ただ静かに、自然に前へ。
その先、洞窟の奥から“それら”は姿を現した。
――無数の足音。うねる肉音。複数の影が、咆哮とともに闇の奥から這い出してくる。
キメラ。
さっきの一体と同じ、いや、それ以上に歪んだ姿が、三体、四体……次々に姿を晒し、異臭と殺意を放ちながら、ガンツのもとへと迫っていく。
その瞬間、彼は静かに構えた。
両足を少しだけ開き、右拳を腰に添え、左手を前に。全身から気配が消え、まるで“構図”のように、完成された武の型をとる。
(……美しい……)
思わず、シエルは息を呑んだ。
その構えには無駄も誇張もない。ただ、ただ静謐で、完璧だった。
キメラが咆哮を上げ、同時に跳躍する。
狙うはガンツの頭部。歯を剥き出しにした獣のような顎が迫る――
そのとき、シエルが瞬きをした。
パンっ!!
――破裂音。
気づけば、飛びかかっていたキメラの姿は“霧散”していた。
壁に赤黒い液体を残し、ただの肉塊と化している。
(え……何が……今、何が起きたの?)
思考が追いつかない。理解が追いつかない。
目の前で確かに、何かが“消えた”のに、何が起きたのか、何ひとつ見えていない。
ガンツは静かに構え直す。
次のキメラが突進してくる。
瞬間――
パンっ!!
また一体、爆ぜるように消えた。
続けて、三体目、四体目――次々とキメラが近づくたびに、爆裂音と肉の残骸だけを残して消えていく。
(……これが、ガンツ……)
そのとき、ふと脳裏に浮かんだ。
任務に出る前、ヴォルドが呟いていた言葉。
――「ガンツをよく見ろ。」
(ちゃんと見る……でも、何も見えない……)
焦燥がこみ上げる。
まるで目の前で**“別の次元の戦闘”**が繰り広げられているような錯覚。
(もしかして――)
残された力を振り絞り、シエルは《限界解放》を発動する。
視界が赤く脈打ち、五感が鋭敏になっていく。
ガンツの姿を、再び、見た。
その動きは――見えた。
ほんの僅かに、空間が歪む。空気が震える。
そしてガンツの拳が、極限まで絞り込まれた動作で、キメラの急所を――
「……殴ってる……?」
ただ、それだけだった。
ガンツは何の武器も持たず、何の魔法も使わず。
ただ、拳を振るっていた。
しかしその拳は、斬撃より鋭く、雷より速く、爆弾よりも破壊的だった。
(あれが……素手……?)
シエルはただ、呆然とその姿を見つめていた。
しばらくして――
静寂が戻った。
蠢く気配は、もうない。キメラの肉片が岩肌に張り付き、地に染み込みながら、ひたすらに朽ちていく。
ガンツは拳を下ろし、深く息をついた。
「……ふぅ」
その音が、どこまでも静かな洞窟に吸い込まれていく。
振り返った先には、限界解放で全身から湯気が立つほど発熱したシエルがいた。呼吸は荒く、身体も限界だった。それでも――その瞳は、確かに“何か”を掴もうとしていた。
「……あなた、何者なの?」
自然な問いだった。
あれほどの戦いをたった一人で成立させる者など、彼女は今まで見たことがない。
ガンツは鼻の頭をぽりぽりと掻き、肩をすくめる。
「ただのむっつり紳士だよ」
「茶化さないで!!」
「ハハ、悪い悪い。だが、今は流暢に喋ってる暇もねぇ」
その目に、鋭さが戻る。
「嬢ちゃん――ここからが本番だ」
「えっ……?」
「ここの地層の奥に、まだ“何か”がいる。」
ガンツの声音が低くなる。
「戻るか?」
そう問いかけられたシエルは、一拍置いて首を横に振った。
「私は行く。ちゃんと見届けてあげないと」
そう言って、ガンツは懐から古びた布を取り出し、地面に広げ始めた。
それは、手描きの粗雑な地図だった。
「さぁて、嬢ちゃん。準備はいいか?」
「……うん。絶対に、」
暗い洞窟の先に広がるのは、未知と恐怖と、そして――真実。
だがその先にしか、前へ進む道はない。
シエルは改めて大剣を構えた。
ガンツは静かに立ち上がり、肩を回す。
再びふたりは、闇の奥へと歩み出した。
◇ ◇ ◇
最深部は静かだった。
今までの咆哮も蠢きも、嘘のように消えている。ただ、異様な静寂が鉱山の奥に張り詰めていた。
ガンツが立ち止まる。
「……気をつけろ。ここが“芯”だ」
シエルは小さく頷き、大剣の柄を握り直した。
そのとき――
“ギィィ……グ、ギィィ……”
濁った音が、静寂を切り裂いた。
ゆっくりと、影が現れる。暗がりの中から、ひときわ異質な存在が這い出てくる。
他のキメラとは違う。
それは、形が“整っていた”。
頭部、四肢、胴体――どれも歪んではいるが、人の輪郭を保っている。
だが、その顔を見た瞬間――シエルの胸が凍りついた。
「……っ……!」
その姿は、もはや“人”とは呼べなかった。
皮膚はどす黒くただれ、左腕は肥大化し爪が変形している。顔の半分は崩れ、右目には瘴気のような光が宿っていた。骨が浮き出た背中には、何かが蠢いているような不気味な膨らみ。
「っ……リュウ……?」
シエルは思わず声を漏らした。
見るも耐えない姿だった。だが、その中に――確かに“かつての”リュウの面影が残っていた。
込み上げてくるのは、とてつもない悲しみ。そして、怒り。あの貴族たちが、こんなことを――あの優しくて、真っ直ぐだったリュウを……。
「……うっ……!」
喉の奥がぎゅっと締まり、胃が捩れるような吐き気が込み上げてきた。シエルは口元を押さえて、なんとかこらえる。
そのときだった。
「……し、シ……える……」
崩れかけた口から、かすれた声が漏れた。
「っ……!」
瞳が見開かれる。
「リュウ……! あなた、なの……!? 覚えてるの……!?」
喜びが一瞬、胸を満たした。
だが――次の瞬間。
「ギィアアアアアアアアアアアアア!!」
獣のような咆哮が洞窟を震わせる。リュウの肉体が一気に跳躍し、鋭利な爪を振りかざして、シエルに襲いかかる。
「くっ――!」
咄嗟に避けたものの、体力の限界は近く、受け身が取れずに岩壁を転がった。
「がはっ……!」
咳き込みながらも、シエルは立ち上がる。まだ希望はあると信じていた。
「……リュウ……やめて……! わたしよ、シエルよ! 覚えてるでしょ!? ねぇ、お願い……っ!」
その声は、届かない。
再び襲いかかるリュウ。まるで言葉など耳に入っていないかのように、獰猛な獣のように。
それでもシエルは諦めない。
「リュウ!! 聞いてる!? 私たち、ずっと一緒にいたじゃない! あの時の約束、覚えてるでしょ……? ミナと三人で、王都に行こうって――!!」
しかし返ってきたのは、再び響く咆哮だった。
「ガァァアアアアッ!!!」
後ろから、ガンツが静かに口を開いた。
「……無理だ、嬢ちゃん。もう言葉は届かねぇよ」
「……無駄じゃない!!」
シエルが叫ぶ。涙を溜めた瞳で、それでもリュウを見つめていた。
そのとき、リュウの身体が一瞬ぴくりと止まった。
「……シエル……み……ナ……は……まモル……」
言葉ともつかない、かすれた声。
シエルの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「リュウ……!」
ガンツはそれを見て、ふっと表情を曇らせる。そして、覚悟を決めたように言葉を吐いた。
「……若いのに立派だよ。そんな姿になっても……最後まで、誰かを守ろうとするなんてな」
ゆっくりと、構える。その動作はいつになく重たかった。
だが――
「……これは、私がやらなきゃいけない」
ガンツの前に、シエルが歩み出る。
涙を拭い、大剣を握り直し、目を見開いたままの“リュウ”を正面から見据えた。
「……リュウ、ありがとう。もう……楽にしてあげる」
彼女の声は震えていた。それでも、足取りは一歩も揺らがない。
皮膚の裂け目から血がにじみ、視界も霞んでいた。限界解放の余波で筋肉は焼けつき、呼吸はひゅうひゅうと喉を軋ませる。
それでも、歩を止める理由はなかった。
――リュウを、苦しみのままにしておけるわけがない。
「っ……はぁ、はぁ……!」
リュウの咆哮が、空気を震わせた。
その声は、怒りでも、殺意でもなかった。
痛みと、混濁と、消えかけた“記憶”の、叫びだった。
「……っ!」
リュウが迫る。咆哮と共にその巨体がシエルにのしかかる。
シエルは横へ跳び、地面を転がる。転がるたびに骨が軋み、呼吸が肺の奥で千切れる――それでも、剣を離さず立ち上がる姿は、執念そのものだった。
「……リュウ……ごめん……!」
シエルの声が、今度は震えていた。
「……私が……私が王都なんて……言わなきゃ……!」
立ち上がったシエルの顔に、後悔と罪悪感がにじむ。
「……あのまま、あのみんなで村にいれば……こんな目に……!」
リュウは、何も返さない。ただ呻き、目の焦点が定まらないまま、再び地を踏み鳴らす。
それでも彼女は言葉を吐く。
「あのとき、もっとちゃんと考えていれば…」
リュウが再び突進する。
シエルは必死にかわすが、受け身も取れずに岩に激突する。血がにじむ。視界が霞む。
だが、立ち上がる。
「……こんな結末で、“冒険の終わり”なんて……耐えられない……!」
シエルの目から、悔し涙が溢れた。
「リュウ、私のせいで……あなたは……!」
胸の奥から吐き出すように、叫ぶ。
「ごめん……っ! 本当に……ごめんねッ!!」
その瞬間。
キメラの動きが、一瞬だけ止まった。
「……シ、え、ル……?」
ぐちゃぐちゃに歪んだ声。
それでも、確かに――リュウだった。
「リュウ……!」
その瞳に、かすかに光が宿る。
ほんの一瞬、彼の魂が、深い淵の底から浮かび上がってきたかのようだった。
「……しエル……おレ……ずっと……」
声がかすれ、濁っている。それでも、その言葉は、届いた。
「……すき、ダっ、た……」
シエルの瞳が、大きく見開かれる。
「……リュウ……!」
その瞬間、咆哮が洞窟を満たす。
「ミ、な……まモ、る。しえ……マ、モル……!!」
それは、壊れかけた彼の魂が、最後に掴んだ言葉だった。
シエルの肩が小さく震える。
「……そうだよね。ずっと……私たちを守ろうとしてたんだよね」
顔を伏せて、嗚咽をこらえる。
「なのに……私が……全部壊した……」
その声を背に、ガンツがわずかに目を細める。
「……十分、言ったな。あとは……覚悟、決めるだけだ…」
シエルが、ゆっくりと顔を上げる。
瞳の奥には、涙と――覚悟。
「……うん。せめて最後くらい……私がやらなきゃいけない」
再び、大剣を構える。
全身の痛みを押し殺し、炎のような意志で体を奮い立たせる。
「リュウ……もう、楽にしてあげる」
光が大剣に集まり、爆ぜるように輝き出す。
《限界解放》――発動。
「万象理式・大剣《轟破顕》」
すべての想いと共に、彼女は最後の一撃へ――踏み込んだ。
時間が、止まったようだった。
振り下ろされた刃が、悲しみを裂き、苦しみを断ち、静けさの中に未来を拓く。
そして、シエルはそっと目を伏せ、囁くように言った。
「……リュウ、ありがとう。またね。」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回の話では、シエルの【2つ目の異能】が登場しました!
少しわかりにくいかもしれませんので、以下に簡単にまとめさせていただきます。
⸻
【シエルの能力まとめ】
◆ 異能①《限界突破》
効果:身体能力・五感・直感など、あらゆる能力を短時間だけ極限まで引き上げる。
◆ 異能②《幻装展開》
効果:自分の“幻の装備”を具現化し、自在に使いこなすことができる。
⸻
【シエルの戦闘スタイル】
◆ 流派《万象理式》
特徴:あらゆる武器を“達人級”に使いこなす武術流派。
剣・槍・大剣……すべての武器を自在に扱えることが最大の強み。
⸻
今後もさらに深まっていくバトルや、仲間との絆にもぜひ注目してください!
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