第0章プロローグ「異邦の村」
初めまして。からめると申します。
物語りの核となるプロローグになります!
陽の光が、やけに赤く感じた。
地平の向こうに沈みかけた夕陽が、村の建物を橙色に染めていた。藁葺き屋根の家々が整然と並ぶその光景は、どこか――嘘みたいに整いすぎていた。
「レン、ちょっと! そんなとこ走っちゃだめ!」
「うわ、イタッ……」
声の主は、ひとつ年下の妹。元気な口調でそう言いながら、兄の手を引っ張る。
家々の隙間から、夕方の風が吹き抜けた。どこからともなく焚き火の煙の匂いが漂ってくる。
だが、そんな穏やかな光景の裏で、少年はなにかしらの“違和感”を感じ取っていた。
(……この村、やっぱり、どこか変だ)
旅の最中、母がどうしても調査したいと言って立ち寄った村だった。地図にもほとんど載っておらず、周囲からの評判も曖昧で、辿り着くのもひと苦労だった。
それでも――母は言った。
『この土地には、なにかある。気配が違うのよ。地質、空気、そして……“流れ”が』
研究者であり薬師でもある母にとって、それは非常に意味のある直感だった。
「お兄ちゃん! 早く! 夕ごはんの時間になっちゃうよ!」
「あ、ああ。わかった、今行くよ」
そう答えながらも、レンは村の中央にある“塔のような建物”に目を向けた。
古ぼけた石造りの小塔。何の用途なのか不明で、村人に聞いてもはぐらかされるばかりだ。
だが――
(あの塔、昼間でも近づく人がいない。子どもですら)
気づいた時には、そういう“当たり前”が出来上がっていた。
妹の手を引かれながら、彼は静かに塔から目を逸らした。
(母さん、何を調べてるんだろう……)
頭の奥に、ふと鈍い痛みが走る。
それは、この村に来てからたびたび起きている現象だった。
家に戻ると、母は机に向かっていた。
古びた木製のテーブルいっぱいに、野草や根、乾燥した果皮、そして瓶詰めの液体が所狭しと並べられている。
「おかえり、ふたりとも。ほら、服が濡れてるわ。ちゃんと着替えてきなさい」
その声は穏やかだったが、どこか上の空のようにも聞こえた。
母――リーネ・クロノ。
旅する薬師であり、各地を渡り歩いては、その土地の病や薬草を調査している。
いま滞在しているこの村も、彼女が「どうしても調べたい」と言って決めた場所だった。
「母さん、今日も調べ物?」
「ええ。この村の土壌、水質、それから……この草。これ、見て」
そう言って差し出されたのは、赤茶色の茎をもつ小さな草だった。先端には黒ずんだ粒のようなものが付いている。
「なんか……種?」
「いえ、“胞子”。しかも魔素に似た微細な気配がある」
「まそ?」
「ごめんなさい。まだ知らなくていいわ。……でも、この村には、私たちが知らないものが眠ってる気がする」
母はそう呟くと、指先で草をつまみ、瓶の中へと落とした。レンは黙ってその手元を見つめる。
何かが……おかしい。
母は旅の間ずっと穏やかだった。どんな病を前にしても、動じず、明るく笑っていた。
けれどこの村に来てからというもの、彼女の瞳はずっとどこか張り詰めていた。
「レン、これ飲んで」
「え? ……なにこれ」
「解毒の試薬よ。あなたとルナ(妹)の体内に異常がないか確認したいの」
「……」
シュウは黙って小瓶を受け取ると、くい、と一気に流し込んだ。少しだけ苦い。けれど、すぐに身体が軽くなる感覚がした。
「やっぱり……少し反応がある。無害な範囲だけど、ここの空気、普通じゃない」
「どういうこと……?」
母は答えなかった。ただ、軽く微笑みながらシュウの頭を撫でた。
◇ ◇ ◇
その夜、玄関の戸が叩かれた。
「すみません、ご家族で今晩の“村祭”にいらしていただけないでしょうか」
現れたのは、昼間市場で野菜を売っていた中年の村人だった。笑みを浮かべながら、どこか虚ろな目をしている。
「申し訳ありません、今日は娘が少し熱を出してしまって……」
「でしたら……奥様だけでも構いませんよ。祭は神聖な行事ですので」
母は一瞬、何かを考えるような沈黙を挟み――
「……ええ、では、娘を寝かしつけてから」
そう応じた。
ドアが閉まる。
その瞬間、母の顔から“笑み”がすっと消えた。
「レン」
「……なに?」
「もし、夜中に私が戻らなかったら。お父さんとルナを連れて……この村を出なさい」
その声は、今まで聞いたことがないほど低く、冷たかった。
夜が来た。
空は濁ったような深い青で、星ひとつ見えない。村の灯火はすでにすべて消えており、あたりは不気味な静けさに包まれていた。
「……母さん、遅いな」
部屋の中で、レンはつぶやいた。
妹のルナは布団にくるまって、うとうとしている。だが、完全には眠れていないようで、時折ピクッと肩を揺らす。
家の外は、まるで何かが息を潜めているかのようだった。
虫の声すら、しない。
「お兄ちゃん……母さん、帰ってくるよね?」
「もちろん。心配しなくても大丈夫だよ」
そう答えながらも、レンの手はじっとりと汗ばんでいた。
胸の奥に、何かが這い回っているような感覚。
まるで――見えない“何か”が、自分たちの周りを取り囲んでいるような、不気味な予感。
……ドン。
突然、壁の向こうで何かが倒れる音がした。
レンとルナは顔を見合わせた。無言で頷き合い、玄関へと足を運ぶ。
レンは、慎重に扉を開けた。
その瞬間――
「……ッ!」
息が詰まった。
目の前に倒れていたのは、血まみれの――父の亡骸だった。
目を見開き、口を半開きにしたまま、首が信じられない角度で折れている。
腹部には何かで“抉られた”ような穴が空いていた。
「父さん……?」
声が、震えていた。
しかし、それ以上に――寒気がしたのは、
**死体のすぐ横に立っていた“村人たち”**だった。
無言で、こちらを見下ろしている。
明らかに、目が……“生きている”目じゃない。
「レン、逃げ――」
妹の声が、途中で途切れた。
次の瞬間、鼻を突くような匂いが漂い、世界がグラリと揺れた。
何かを嗅がされたような感覚。
視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
「っ……! な、に……これ……っ」
崩れ落ちる意識の中、母の声が遠く聞こえた。
「レン! ルナを、お願い――!」
その声に、手を伸ばそうとするも――闇が全てを覆い尽くしていった。
◇ ◇ ◇
目を覚ましたとき、レンは石造りの円形空間の中央に座らされていた。
両手両足には縄のようなものが巻きつけられており、まるで“拘束された生贄”のような姿だった。
向かい側にはルナ。彼女も同じように縛られ、ぐったりとうつむいている。
そして、二人の中間――
石の祭壇の上には、母が横たわっていた。
白い衣を着せられ、胸元には不気味な模様が刻まれている。すでに意識はなさそうだった。
周囲では、数十人の村人が跪き、何かを唱えている。
「……グラス=エム……ゾ=カエル……イムナ=タス……」
その声は抑揚がなく、死んだように乾いていた。
「おい……やめろ……っ」
レンは叫ぼうとしたが、声が出ない。
口にも布が詰められていた。
その時、目の前で何かが変わった。
祭壇の足元に刻まれた文様が、ぼうっ……と赤く発光しはじめた。
異様な熱気が立ちこめる。
何かが来る。
何かが――“ここに来ようとしている”。
空気が、震えていた。
石床に刻まれた模様が、じわじわと紅く光を放つ。
まるで生き物のように、熱と鼓動を持ち、空間そのものが歪み始めていた。
レンの胸元が、黒く染まっていく。
霧のような“何か”が、彼の身体に侵入しようとしていた。
「……ッ!?」
「……っ……う、うぁぁぁぁ……」
ぞわりと背中に冷たいものが這い上がる。
次の瞬間、全身が焼けるような痛みに包まれる。
脳が、骨が、内臓が、すべて異物に侵されていく感覚。
意識が、削がれる。視界が白く、赤く、黒く――歪む。
「……ふん。やはり、持たぬか」
“それ”はつまらなさそうに、手を引いた。
“それ”は手を引き抜くようにして、黒い霧の一部を身体から解き放つ。
目の前のシュウの体が、ぐらりと傾く。
その視線が、隣の少女へと向く。
「……馴染むな、こちらの方が」
「わしに見合う器よ。ようやく見つけた」
隣で、ルナが呻くように動いた。
だが、いつもとは違う。
彼女の目は――真っ黒だった。
「ルナ……?」
朦朧とした意識の中、レンは拘束されたまま、首を向けた。
少女の口から、明らかに“別人の声”が出た。
低く、冷たく、そして――禍々しいほど滑らかに。
「ここは……人の世界か。やっと来れたか」
「……お、おい、ルナ……何言って……」
「ルナ? ああ、この器の名前か。覚えておこう。“わし”の身体だからな」
“それ”は、片手を挙げて自分の身体を眺めた。
「悪くない。やや幼いが、力は適応できそうだ。――さて」
ゆっくりと立ち上がると、無言で跪いていた村人たちを見渡した。
「わしらと繋げたのは、お前か?」
一人の男――村長が、恍惚とした表情で答える。
「……この時を、待ち続けました……お導き、誠に……」
――バン。
音ではない。“感覚”だった。
“それ”が右手を軽く掲げただけで、村長の頭部が――爆ぜた。
まるで熟れすぎた果実が潰れるように、無残に。
「礼には及ばん。大儀であった」
ポタ、ポタ、と村長の身体から血が滴る。
何も言えなかった。何も考えられなかった。
ただ、目の前で“妹が別の何かになっている”という事実だけが、脳内を支配していた。
「さて――もう一つの器、どうやらお前ではなかったようだな」
「ル……ルナを返せ……」
声にならない声で、そう呟く。
“それ”は、ほんの少しだけ眉を上げて、笑った。
「返す? 残念だがもう無理だ」
そして、伸ばした手でシュウの首根っこを掴む。
“それ”の手が、空間を裂いた。
空間そのものが歪み、黒い渦が生まれる。
その中心には――“底の見えない深淵”があった。
「一瞬でも、わしの器になったのだ。……褒美だ」
そして、闇へと投げ捨てた
その言葉とともに、シュウの身体は闇の中へと放り投げられた。
「ルナ……ッ!」
最後に見た妹の姿は、
“笑っていた”。
それが“誰の笑み”だったのかは――もう、わからなかった。
この日――
地上の世界に、初めて“魔素”が流れ込んだ。
人はその存在を知らず。
気づいた時には、空が赤く、土が病み、
モンスターと呼ばれる異形が大地を歩いていた。
魔素に耐えきれなかった者は命を落とし、
ほんのわずかに適応した者は、“力”を手にした。
それが、後に“異能”や"ルーン魔術"と呼ばれるものの、始まりである――
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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