経験してみて感じたこと(選挙ポスター貼り)
なかなか貴重な経験でした。
意外と楽しかったことは事実ですが、とはいえ文中にある通り、廃止を希望します。
昨年の都知事選などで問題となっていた選挙の掲示板のポスター貼り。私自身「あんな問題が起きるのであれば、そもそもスマホで候補者が分かる時代だし、もう廃止してしまえは良いのに」と思っていました。
今回の参議院選挙において、ひょんな関係性のつながりと、少しの興味から掲示板のポスター貼りというものを初めてしてみましたので、そこから感じたことをここに残します。
最初に私の結論を言いますが、やはり選挙のポスターを貼る掲示板は完全に無くした方がいいと思います。一説によると、今回の参議院選挙でのポスター掲示板の設置費用は、全国の合計で50億円ぐらいになるとか。もちろん国の歳出額から見れば50億なんて微々たるものでしょう。とはいえ減らせるには越したことない、というか減らしていい、少しでもその分減税してくれと思っています。そう思うぐらい正直、意味がないと思います。以下にその理由を記載します。
その1 何でこんなところに掲示板があるのか?と首をかしげざるを得ないところが多かった
交通量の多い道路の道路脇(歩道は無し)。交通量が多いから歩行者もほとんど歩かないし、交通量が多いから車だって掲示板を見るために脇見運転なんかしたら危ないしで、何のためにその場所に設置しているのか意味不明な場所が多々ありました。割り当てに沿って、少し離れたところに車を停めて、歩いてポスターを貼りましたが、正直、疑問しか湧かなかったです。ポスターを貼った後に、再度、自分自身、車で通ってみたりしても印象としては同じ。
「これが気になって、脇見運転なんかしてたら危ないだろうなと。」
その2 過疎地域の設置場所も多すぎ
人口減少が明らかに著しい過疎地域の設置場所もかなり多かったです。私自身の割り当てはほとんどが都市部でしたが、掲示板の全リストを見ると、その付近に人が数十人も住んでいないだろうと思われる場所も多々ありました。
その3 設置費用がかかるよね
この理由は、ポスター貼る前から分かっていたことですが、実際に作業に携わることで、より実感として持てました。
その1やその2の理由だけを抽出すると、掲示板の設置場所を絞ればいいという意見も出てくるかと思いますが、そうなったらそうなったで公平性とかいろいろ難しいので、もうこの際、一気にやめてしまってもよいと思うのです。投票所にだけ設置なんていう意見もありますが、もう思い切って全部やめてしまおうよ!スマホで立候補者が見えるんだからさ。
と思っています。
ネットにアクセスできない高齢者のためとか、いろいろな理由を挙げられる人もいますが、私は、正直無くていいと思います。
【理想と現実】
【理想】
選挙情報はスマホで完結。
【現実】
ただ、ある程度若い人でも、選挙ポスターが貼られていないことでその党の候補者が選挙区に立候補していないのだなと錯覚してしまう方がいることも分かりました。だから、そういう人の存在を重く考えすぎてしまうと、いつまでも無くせなくなるおそれがあります(候補者のポスターだけでなく、そもそも掲示板すら無ければ選挙の存在に気付かないおそれ=投票率が下がるおそれ)。
本エッセイのメインテーマからは少し外れますが投票率について。私としては正直、投票率の向上には興味がありません。投票に行かないのは個人の勝手。選挙のたびに流れる有名人を使った選挙広報とか、紙で配布される選挙公報とか、投票率の維持向上に興味のない私にとっては全て税金の無駄だと考えており、無くしてほしいと思っています。
少し脱線し、繰り返しとなりますが私としては選挙ポスター掲示板がないと選挙を認識できない方々のことはどうでもよいと思っているので税金の使途も考えて、掲示板を無くしてほしいところですが、まー理想と現実と言いますか。ポスター掲示板が無くなるまでは、もう少し時間がかかりますかね・・・!?
早く無くなってほしいですけど!!
【選挙の投票先】
読者様
「豚化萌えさんはどの党に投票するのですか?投票日の前日までならネットで呼びかけても違法じゃないんですよ。」
豚化萌え
「それは秘密ですし、私は投票先を人に勧めたりはしません。今回、ひょんなことからポスター貼りという面白い経験をさせてもらったので、ポスターの候補者には投票しようと思っていますが、他の方は自分の信念に沿って投票してもらえればと思います。もちろん、興味が向かないから投票には行かないとか今回はパスしますとか、そういう選択でも全然良いと思っている派ですので、自由に考えてもらえればと思います。」
何事も変える時には、思い切って変えてみるというのが大事です。
なかなか思い切ってって、難しいですけどね。
そろそろ思い切って、選挙ポスターの掲示板を廃止しても良い時代ではないかとも思うのです。