ユイの言葉、リオナの沈黙
放課後の教室に、夕陽が差し込んでいた。
カーテンがゆるやかに揺れて、窓際の空気だけがやわらかく色づいている。
その日、リオナはユイに誘われて、二人だけで帰ることになった。
いつもよりも歩く速度は遅く、話す声も静かだった。
「ねえ……」
交差点を渡る直前、ユイがぽつりと口を開いた。
「もし、私が、引っ越すことになったら──どうする?」
リオナは、立ち止まった。
「……え?」
「もしかしたらだけどさ。お母さんの仕事、うまくいってなくて、親戚のいるところに行く話がちょっと出てて」
信号が青に変わっても、すぐには歩き出せなかった。
言葉が浮かんでこなくて、ただ、黙ってしまった。
ユイは笑っていた。でも、その目は少しだけにじんでいた。
「うちはさ……いつもどこかバラバラで、ちゃんと話せばいいのにって思うこともあるけど……お母さんも、きっと一生懸命なんだよね」
ふいに、リオナの胸の奥が、ぎゅうっとつかまれたように痛くなった。
(なにか言わなきゃ)
でも、どんな言葉を選んでも、いまのユイを本当に支えられるような気がしなかった。
「……」
沈黙だけが、空気を満たしていた。
その沈黙に、ユイは気づいて、でも、それを責めるようなことは言わなかった。
しばらく歩いたあと、小さな公園の前で足を止めた。
ベンチに並んで座ると、ユイは、落ちた葉っぱをつまんで、くるくると指でまわした。
「……言葉って、ないよりあった方がいいと思う」
リオナは顔を向けた。
「でもね、なくても──近くにいてくれるのも、うれしいよ」
その言葉に、リオナは何かがほどける音を聴いた気がした。
(……言えなかった。でも、いま、ここにいる)
何も言えなかった自分を、少しだけ許せた。
そして、自分が「ことばを持っていない」時間にさえ、意味があるのだと、ユイの言葉が教えてくれた。
リオナは、ベンチに座るユイのそばに、少しだけ身体を寄せた。
風がやさしく吹いて、ユイの髪を揺らした。
言葉にできなかった想いが、そっとそこに残った。
──
帰り道、空は少しだけ赤く染まっていた。
リオナは、今日のことを、ノートに書こうと思った。
言えなかったことも、聞けたことも、全部。
それは「うまく話すこと」とはちがって、「向き合うこと」なのだと、今日すこしだけわかったから。
──
その夜、机の前でペンを持ちながら、リオナは考える。
「言葉がなくても、そばにいること」は、どんな絵になるだろう?
紙の上に浮かび上がるのは、隣同士に並ぶ二つの影。沈黙の中、ほんの少しだけ重なる肩の輪郭。
それが、今日の「自分の答え」だった。




