私が産まれた宇宙では、今日もどこかで象が死ぬ
私が産まれた宇宙では、今日もどこかで象が死ぬ。でも、私がいる宇宙とは別の宇宙では、象が死なないで済む宇宙や、そもそも象なんていない宇宙もあるらしい。
私が産まれた宇宙にはこんな言い伝えがある。この宇宙を作った神様はちょっと変わり者だったらしく、遠い遠い昔、私たち人間のご先祖様に対してこんな風に尋ねた。
γ銀河系のとある恒星が一周するたび、この宇宙のどこかに存在する象が何匹か死ぬことにしてもいいだろうか?
それに対して、人間である私たちのご先祖さまは大丈夫ですと答えた。そしたら、神様はこう言った。
「まあ、そりゃそうだよね。君たち人間にとっては他人事だから」
正直私は、これは単なる御伽噺だと思ってる。
この広い宇宙には他にもたくさん知的生命体がいるのに、どうして私たち人間に対して神様が尋ねるんだろう。それに神様だったら別に人間なんかにお伺い立てる必要はないし、人間の傲慢さというか自惚さえも感じてしまう。
それでも、この宇宙では、今日もどこかで象が死ぬ。事故とか老衰とか、他の獣に襲われたとかではなく、本当に何の前触れもなく、毎日一定数の象が死んでいる。科学技術が発達した現代でも、その象たちの死因はわかっていない。だからかわからないけど、私たち人間、というかこのお話を子供の頃から聞かされて育った人たちは、象に対して罪悪感みたいなものを持っている。
でも、どんなに象を大事にしても、象は私たちにありがとうと言うわけでもないし、気にしないでと言ってくれるわけではない。そして、今日もどこかで象が死ぬ。象たちはなぜ自分たちが死ななければならないのか、多分、知らない。
こういう事情があって、この世界には象を崇める宗教が沢山存在している。私は一度、そんな宗教の集まりに参加したことがある。その集まりでは、この言い伝えがやや誇張気味に装飾されていて、象は私たち人間を守り、救うために自ら犠牲になったのですと私は教えられた。象に救われる前の人間がいかに罪深かったのか、そしてどれだけ象が私たち人間のために犠牲になっているのかが語られ、それから象への鎮魂歌を歌わされる。
歌の最後には、教壇の中に、比較的身体の小さな種の象が連れてこられる。象は華美な刺繍が施された服を着させられ、身体中にはたくさんの鈴がつけられて、歩くたびに派手な音が鳴った。みんなが歌を歌う中、象は教団の一番高い場所まで歩いていく。象は大勢の人間を前にしても決して動じることなく、大きな瞳で誰もいない方向を見つめ続けていた。
「それではみなさん。人類を代表して、謝罪の言葉を彼に」
そして、教主と名乗った人が象の前で膝をつき、それからひたいを床につけて叫ぶ。
「すみませんでした!」
会場に集まっていた他の信者もその場で同じポーズをとり、壇上にいる象に向かって謝罪する。
「「すみませんでした!!」」
他の信者に合わせて額を床につけながら、私は思う。すみませんより、ごめんなさいの方がふさわしいんじゃないかと。
私が産まれた宇宙では、今日もどこかで象が死ぬ。神様から不条理に殺されているからということもあり、この社会では象を殺すことはとても重たい犯罪だとみなされている。事故であっても、よほどの事情がないと実刑はつくし、殺意を持って沢山の象を殺した場合には、無期懲役になるケースだってある。
大学時代に授業の一環で、象殺しの裁判を傍聴しに行ったことがある。被告は動物園の園長で、象に毒を盛って殺した罪を問われていた。動物園で象を飼育する場合、他の動物とは違ってかなり細かい飼育のガイドラインが決められていて、経営が苦しい動物園にはそれがかなりの負担になっていたりする。被告は苦しい経営の中、重くのしかかっていた飼育負担をなくすために、事故に見せかけて象を殺したらしい。裁判では情状酌量の余地が争われたけど、結局計画的な殺害だったということで、被告には実刑が言い渡された。うなだれたまま法廷の外へと連れて行かれた被告の姿が、なぜか今でも妙に印象に残っている。
象を殺す罪は重い。でも、だからといって、同じ人間を殺した時よりも重い罪になることはない。愚かなご先祖さまと同じように、私たちもまた、何だかんだ人間の方が可愛いから。
私は別に信心深い方じゃないし、象への態度だって、それが社会常識だから仕方なくそうしているだけに過ぎない。私の人生において象という存在は大きな意味を持っていない。大学を出たら、普通の会社に勤めて、危ないことも法を破るようなこともしないで、それなりの人生を過ごす。そう思っていた。
それなのにどうして、進路を決める大事な時期に、私は象の夢を見てしまったんだろう。夢の中で象は大きな瞳で私をじっと見つめ、何かを訴えかけているみたいだった。私はその瞳に妙な罪悪感が湧き上がってきて、文句があるなら言ってくれとまるで問い詰められた小学生のような口調で言い放った。だけど、象は何も言わなかった。夢の中なんだから、人間の言葉を話すことだって、テレパシーで私に自分が考えていることを伝えることだってできるはず。それでも、象は何も言わずに、私を見つめるだけ。そして、理不尽な神様がいないその夢の中でも、象は私の眼の前で死んでいった。
そこで私は目が覚める。わけもわからず濡れた瞳を擦りながら、見慣れた天井をじーっと見つめ続けた。夢の余韻は消えることがなくて、夢の中の光景が、明確な輪郭を保ったまま、まるで私の脳みそに直接刻みつけられていた。そして、気がつけば私は、就職のお世話になっていた教授にメールを送り、象の保護活動を行なっている団体で求人を行なっている団体を知らないかを尋ねていた。
この世界には他にも沢山宇宙が存在していて、その宇宙の中には、象が死なないで済む宇宙や、そもそも象なんていない宇宙もあるらしい。
神様のいたずらで死んでしまう象の死因を研究するNPO団体に就職し、象が生息するジャングルで働くことになった私は、職場の先輩からそんな話を聞いた。宇宙が複数存在しているということは何となく知っていたし、一番最初に聞いた時も、そうなんですねと適当な相槌しかしなかったような気がする。でも、先輩が話してくれたその話は、妙に私の記憶に残った。研究室へと運ぶために死んだ象に縄にくくりつける度、この象も違う宇宙に生まれていれば、こんなふうに死なずに済んだのかなと思ったりした。
ジャングルの中で見つける象の死骸はいつだって、ため息が出るくらいに綺麗だった。他の動物の死骸であれば、離れた場所からでもわかるくらいの悪臭がして、死体の上には蝿がたかり、導火線のような蟻の行列が長く長く続いている。だけど、象の死体、それも神様の気まぐれで死んでしまった象の死体は全く違っていた。目は半開きになり、灰色のシワはくちゃくちゃで、長いまつ毛は力なく垂れ下がっている。だけど、死体は腐ることもなく、また死肉を求めて飛び回る蝿の姿もない。あるのは静寂だけで、木の隙間から注ぐ光に照らされたその死体は一つのオブジェのようだった。
「虫や鳥、動物にも宗教っていう概念はあると思う?」
ある時、私と同じチームに所属していた研究者が象の死体を優しく触りながら私に聞いてきたことがある。
「宗教とか信仰には、自己認識と抽象的な概念を理解する力が必要だって聞いたことがあります。動物にはそんな認知能力がないと聞いたことがあるので、そういった概念は持てないんじゃないですかね?」
「私もね、この仕事に就く前まではそう思ってたの」
そして、彼女は穏やかな微笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「でも、こういう不思議な光景を目にするとさ、今まで自分が信じていた色んな考えが吹っ飛んじゃうよね」
この仕事を始めたのは、一時の気の迷い。そんなふうに私の周りも、私自身も思っていたけれど、気がつけばジャングルでの仕事は一年、二年と続いていき、気がつけば三年が経とうとしていた。私が研究団体で働き出してからも、象の死因に関する研究は三歩進んで三歩戻るの繰り返しで、少なくとも私が生きているうちには、神話の謎はわかりそうはなかった。
信心深いわけではない私にとって、あの神話は御伽話だし、宗教の集まりだって、あれ以来一度も行ってない。私は人間で、象ではないから、象がどこかで死ぬことは、どこまでいっても他人事。私が産まれた宇宙では、今日もどこかで象が死ぬ。明日も、明後日も、少なくとも私が生きているうちは、多分それは変わらない。
でも、それと同じように、私は今日も明日も来年も、多分このジャングルで象のために働いている。神話みたいに大袈裟なものじゃないけど、そう決められている、そんな気がする。