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最終話:勇気のない男

 俺はひたすら逃げた。

 森の中に逃げ込み、どこに行くのかもわからず、貴族の兵士たちに怯えながら、とにかく何日もただひたすら逃げた。

 自分がどこにいるのかさえわからなくなった。


 右腕に刺さった矢は引き抜いたが、ひどい出血でめまいがしてきた。

 朦朧としてついに倒れてしまった。


 気が付くとベッドに寝かされていた。

 部屋の中に神父が入って来る。


「ここは……どこですか」

「教会の地下室ですよ。森の中で発見されたのを修道士が見つけたんです。ひょっとするとあなたは農民反乱の関係者ですか」


 今さら嘘をついても仕方がないと俺は思った。

「そうです」

「ずいぶん遠くまで逃げることが出来ましたね」

 その神父さんは感心した表情を見せた。


 腕の傷が悪化して高熱が出たが、なんとか助かった。

 この教会にも貴族の兵士が農民狩りにやって来たが神父さんが追い返した。

 俺を匿っていることがわかれば相当な罰を受けると思ったのだが、なかなか豪胆な人だなと思った。

「なんで助けてくれたんですか」

「困っている人を助けるのが教会の仕事ですよ」

 神父さんは穏やかな表情で答えた。

 

 神父さんから聞いた情報によると、突撃してきた騎士に農民軍の頭目であるアンナは一瞬で殺されたようだ。

 反乱軍もほとんど殺されたらしい。

 アンナの死体はヴァロワ城に運ばれて晒された。

 黒死病の死体を放り込んで大勢被害者が出たので相当恨まれていたようだ。


「俺を匿っていて迷惑になりませんか」

「教会の本部からは農民反乱軍の関係者を匿ってはいけない、見つけた場合は当局にすぐ連絡するようにと言われているんですよ」

「なんで通報しないんですか」


「前々から貴族たちが農民を大切にしていないことに私は危惧を覚えていたんです。税金も高すぎるし。いずれこんな事件が起きるかもしれないと思っていた。貴族たちは反省すべきだと思います。ただ、今は農民狩りに狂奔している有様なんですよ。何の関係のない村を襲って村人たちを全員殺害した事件も起こっている。それに反発を覚えましてね」

「そんなひどいこともあったんですか」

 無関係の村を全滅させるなんて、ジャックリーたちよりひどいと俺は思った。


「今回の事件は貴族側、農民側併せて全体で十万人も死んだらしいです」

「十万人。そんなに犠牲者が出たんですか」

「ただ、農民側が反乱を起こしたこともいつかは認められる日も来るんじゃないかと私は思っていますけどね」

 

 アンナは、今は晒し者にされた極悪人だがいつの日か農民解放運動の女闘士として祭り上げられるかもしれないな。

 そして、俺はアンナを見捨てて逃げたろくでなしとなるのか。


 俺は右腕がうまく動かなくなり、弓を引くことができなくなった。

 もう狩猟はできない。

 そこで教会の清掃人として働くことになり、その代わり食事をいただくことになった。

 その後も何度かこの教会に貴族の兵士が調べに来たが全部神父さんが追い返してくれた。


 ある日、神父さんに頼まれた。

「農民狩りを行っている兵士があなたの人相にそっくりの人物を探しているようです。どうも、あなたはかなり重要な地位にいたようですね。詳しく聞きたいんですよ。今回の反乱事件を記録として残しておきたくてね。もちろんあなたのことを書いたりはしませんよ」


 俺は知っていることを神父に全部話した。

 この人は信用できると思ったからだ。

 しかし、アンナから告白されたことは言わなかった。

 あくまで、傭兵に家族を殺され正義に目覚めたってことにした。

 女の嫉妬が原因で大勢の人たちを死に追い込んだなんて酷い話だもんなあ。


「題名はどうするつもりなんですか」

「題名は『ヴァロワ地方の農民暴動』とする予定だけど、ちょっと地味ですかな。なにか他にいい題名がありますか」

「うーん、そうですねえ。『山猫娘の乱』ってのはどうでしょう」

「山猫娘とは何ですか」


 俺はアンナが昔、木の枝から「シャー!」と叫んで山猫のように俺の目の前に飛び降りてきたことを話した。

「ああ、それは面白い。その題名を採用して、『ヴァロワ地方の農民暴動』は副題として付けることにしますか」


 あの頃のアンナは陽気でいつも楽しそうだったけどなあ。

 何もかも懐かしい。

 神父さんにはついでに、例の弟が屁をこいて貴族が落馬したことも教えた。

 今となっては滑稽な事件だと思ったからだ。


「なんか笑えますよね。それが発端で事件がどんどん大きくなっていったんですから。これも記録に残しますか」

 俺は自虐的に言ったが、神父さんは難しい顔をしている。


「どうしたんですか」

「うーん、その時、弟さんはすぐに領主側に知らせようとしたんですよね。それにヴァロワ卿という人物も割とまともな人に思えるのですが」

「……そうですね」

「けど、あなたは逃げたわけだ。無理矢理、弟さんを連れて」

「ええ、まあ」

「つまり、あなたにちょっと勇気があったら、もしかしたら大勢の人が死ぬことはなかったかなあと思いまして。まあ、約束通りあなたのことは書かないと約束したんで、記録には残しません」

 

 今まで何度も考えたが、やはりすぐにヴァロワ卿のとこへ報告に行くべきだったのか。

 つまり俺のせいで十万人が死んだのか。

 すっかり落ち込んだ。

 もう、神も救ってくれないんじゃないのか。


 その後、死んだような日々を送った。

 ただ、毎日教会を掃除して食事をもらって寝るだけ。

 俺は勇気のないダメ人間だ。


 その後も教会の中に引きこもった。

 貴族が執拗に行っている農民狩りに遭うのを避けるためだったが、そのうち外に出るのが億劫になった。

 掃除して、後はただ地下の小さい部屋に引きこもるだけの生活。

 神父さん以外とは喋ることもない。


 気が付けば全く外に出ないまま十年が経っていた。

 来年は三十才になる。

 貴族たちの農民狩りもとっくの昔に終わった。しかし、もう外に出る気力を失った。

 俺はこのまま死んでいくんだろうな。


 ある日、掃除が終わった後、地下の自室で小さい箪笥に入っているナイフを取り出してみた。

 柄の部分に彫刻がしてある。

 ジャンヌに贈った髪飾りと一緒の模様。

 他にもジャンヌが俺のために作っていた靴下。

 あの頃は村に行ってはジャンヌと喋っていた。

 楽しかったなあと思い出にひたっていると、部屋にエミールが入って来た。


「あ、兄貴。か、顔色が悪い、と僕は思うんだ」

「しょうがないよ。外に全然出てないしな。太陽の光をほとんど浴びていない。けど、それでいいのさ。ガストンはアンナをかばって死んだ。アンナは騎士たちに突撃して死んだ。お前は俺を矢の雨から守って死んだ。みんな勇敢だった。それにくらべておれは勇気のない男だよ。このままずっとこの教会に引きこもって死ぬのさ」


「そ、そんなことないよ。あ、兄貴は子供の頃、父さんが僕を殴るのを止めてくれた。あ、兄貴は勇敢だったよ。そ、それに兄貴は僕に暴力を振るったことは一度もなかった。いつも助けてくれた」

「ずいぶんと昔の話だな。けど、俺にもう少し勇気があればみんな死ぬことはなかったんだ」

「い、いくら考えても、し、仕方がない。先のことはわからない、と僕は思うんだ」

「そうだよな。しかし、俺はもう終わってるよ」


「ぼ、僕はもう死んでいるけど、あ、兄貴は生きているんだな。まだ先は長いよ。良いことがあるのか悪いことがあるのかわからないけど。とにかくここに引きこもっていてはダメだ、と僕は思うんだ」

「……それもそうかな。しかし、お前に説教されるとは思わなかったよ。人生、もう少し頑張ってみるかな」

「そ、それがいいよ。そうだ、兄貴のシチュー美味しかったよ」

 そう言って、エミールは消えた。


 俺は久しぶりに教会の外に出ることにした。

 今は初夏だ。

 太陽の光が眩しい。


 付近を散歩する。

 果樹園があった。

 教会の清掃も立派な仕事ではあるが、ここでも働かせてもらおうかな。


 あんずの木があった。

 農家の娘さんが一生懸命に収穫している。

 アンナに似ているなあ。もちろん、片目じゃないけど。

 俺に気付いたその娘さんが、少しはにかみながらあんずをひとつ俺に差し出すと言った。


「おひとつどうぞ」


(終)

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