第十二話:ヴァロワ軍との戦い
黒い眼帯を左目に斜め掛けしたアンナが乾いた血まみれのスカート姿に茶色のベルトを締めて、古びた剣を腰に差し先頭を歩く。俺から借りた狩猟用のナイフも同様にベルトに差している。ボサボサの茶色の髪の毛や顔面にも血がこびりついているが本人は気にしていないようだ。小柄なんで剣をおさめている鞘の先が地面を引きずっている。眼帯はこの前なぶり殺しにした傭兵たちの一人から奪ったらしい。
俺は弓矢、ガストンは斧を森の中の小屋から持ってきた。
農民たちがのろのろと後に続く。
参加しない奴は殺すとアンナが明言したから仕方なくついてきたみたいだ。
例の傭兵たちを殺戮した連中も頭が冷えたようだ。
貴族の軍隊が来るので怯えている。
どうも戦意がない。
やる気があるのはアンナだけのようだ。
草原に着くとはるか前方にヴァロワ軍が陣をかまえているのが見えた。
俺たちを指差して笑ってやがる。
笑われても仕方がないか。俺は弓矢、ガストンは斧を持っているが、ほとんどの農民は武器が農具だからな。干し草用のフォークを持っているのはマシなほうで、木の棒や中には素手の奴もいる。
「ったく、馬鹿にしやがって」
怒る俺にガストンが言った。
「いや、相手も歩兵とかはたいしたことないぞ」
「そうなのか」
「無理矢理徴兵してきた農民も混じっているのが普通だよ。そういう連中はやる気がないんだよ」
だいぶ敵と離れたところで俺たちは進軍を止めた。
アンナが農民たちを鼓舞する。
「これは私たち正義の農民軍の戦いよ。さあ、みんな勝利するわよ!」
しかし、みなシーンと静まっている。
「やい、もっと大きな声を出しなさい! 出さないと殺す!」
アンナの脅しに農民たちはやる気のない声で「おー!」と唱和。
それを見ていた敵の連中がまたドッと笑う。
これから殺し合いするってのに緊張感がないな。
ガストンはじっと腕を組んで敵軍を見ている。
「これでいいのかよ、ガストン」
「いや、悪くない。ヴァロワ軍は完全に油断していると思う」
しばらくして敵の前方にいた弓兵たちが左右に分かれて後退した。徒歩の一般兵たちも同じように後退している。
その様子を見てガストンが言った。
「お、これは俺の予想が当たるかもしれないぞ」
馬に乗った騎士たちが敵の最前線に現れた。
五十騎全員が大声をあげて、いっせいにこちらへ向かってくる。
「よし、撤退!」とガストンが叫んだ。
しかし、俺が後ろを振り向くと、とっくの昔に農民たちは逃げてやがった。
「逃げたら殺すって言ってあったのに、あいつら」
アンナが怒っている。
「命令する前に逃げるな、この野郎!」
アンナは物凄い速さで走っていく。
そのまま、いつの間にか先頭に立って逃げて行った。
俺がこちらに迫って来る騎士たちの方を見ると、歩兵や弓兵たちは元の場所にいて、中には地面にあぐらをかいて談笑してる奴らも見えた。持ってきた投石器やらも置いたままだ。
馬に乗った騎士たちだけで突っ込んでくる。
こりゃ、本当に俺たちをなめてやがる。
みな、騎士たちに追いつかれそうなところを必死になってなんとか坂道を走って上る。
やっと別荘前まで戻ったところで、いつのまにか先頭になっていたアンナが合図を出した。
農民たちが崖の上に仕掛けておいた罠の縄を切る。
丸太や岩が坂道を上がって来た騎士たちめがけて落ちていった。
しかし、それらがぶち当たって落馬する騎士もいたが、すぐに立ち上がった。よけたりはねのけてそのまま走って来る騎士のほうが多い。けっこうデカい岩が当たっても平然としてやがる。騎士ってのは、皆、大柄で体格も良く俺たち貧相な農民とは違う種類の生き物のようだ。食い物の違いだな。
泥のぬかるみをものともせずに坂道を上って来る。
こりゃ失敗か。
「あ、兄貴。逃げよう、と僕は思うんだ」
エミールがすっかり逃げ腰だ。
その様子を見たアンナが怒り出した。
「逃げんじゃねーよ、この木偶の棒。お前が先頭で戦えよ!」
アンナがエミールの尻をナイフで刺した。
「痛い、痛い、やめてください。殺す気ですか、アンナさん」
逃げるエミールをアンナが追いかけまわす。
「ほんのちょっと尻を刺されたくらいでギャーギャーわめくな、このボンクラ! あたしのこの顔見てよ、目の玉ほじくられたのよ。ものすごく痛かったんだから」
「そ、それは傭兵がやったことでこっちとは関係ないんだな、と僕は思うんだ」
「だから、その僕は思うんだってのがむかつくんだよ、イライラする。この無能が。早く騎士と戦ってこい!」
「こ、これは口癖なんだな、と僕は思うんだ」
「言い訳すんな、このごくつぶし! 口癖だろうがなんだろうが、あたしの知ったことか、お前、本当に殺すぞ!」
逃げ回っていたエミールがすっ転ぶ。
倒れたエミールに馬乗りになり、その頭をアンナがつかんで地面に何度も叩きつけた。
「さっさと戦えって言ってんだよ、バカたれ。いつもあたしの妨害しやがって。お前があんず食べんな、このグズ野郎」
「ア、アンナさんが、の、乗っていると戦えないんだな、と僕は思うんだ」
「うるせーよ、わかってるよ、そんなこと。それを乗り越えて戦えって言ってんだ、このバカタレ!」
もうわけのわからないことを叫びながら執拗にエミールの顔面を地面に叩きつけるアンナ。
もうメチャクチャだぞ、この狂人女。
こんな状況なのにエミールを虐めるアンナに俺は呆れた。
「おい、アンナ! なにエミールとドタバタやってんだよ。もう目の前に騎士たちが迫ってるぞ!」
「くそー、だったらあたしが行くわ。みんな続け!」
しかし、農民たちは動かない。別荘の中に逃げ込む奴もいれば、観念したのかボーっと突っ立てる奴もいる。
「なにやってんのよ!」
剣を振り回して農民たちにわめき散らすアンナ。
こりゃ絶望的だなと俺が思っていた、その時、突然地響きがした。
何事かと見ると片方の崖がくずれ始めた。
動揺する騎士たちめがけて俺たちが仕掛けていた丸太や岩なんかとはくらべものにならない量の土砂が騎士たちを襲った。凄い土砂崩れだ。
騎士たちが悲鳴を上げて逃げようとするが間に合わない。
すごい砂ぼこりだ。どうなってるのかよく見えない。
しばらくしてほこりが晴れると、騎士たちは全員生き埋めになっていた。
「すごい、ガストン。あんた、天才じゃない。騎士たちが全滅よ」
アンナが飛び跳ねて喜んでいる。
しかし、ガストンは冷静に現場を見ている。
「うーん、偶然、地盤が緩んでたのが崩れただけじゃないかなあ」
「どうでもいいわ、とにかく勝利よ」
「いや、まずい」
「なんでまずいのよ」
「さっき言っただろ。騎士を生け捕りにして交渉に使うって。全員死んだら意味がない」
ガストンが皆に言って、生きている騎士がいないか探した。
「ひとりいました」との報告にガストンが近づく。
農民たちに指示して土砂から掘り出した。すっかり戦意喪失している。
「あんたの名前は」
「……オーギュスト・ヴァロワ」
「もしかして、ヴァロワ家の長男で現当主か。これは大物を捕まえたぞ」
ガストンが現当主とかいうオーギュスト・ヴァロワって騎士に話しかけた。
「あんたの命は助ける。その代わりにヴァロワ家と和平交渉したいんだが。元々、発端は傭兵たちが勝手に暴走してプレミエール村を焼き討ちにしたのが原因なんだ。本来、戦争なんてすることはなかったんだよ。なあ、交渉に応じてくれないか」
「……ああ、わかったよ」
「よし、この人を手当してやれ」
ガストンがオーギュストを引っ張って立ち上がらせた。
オーギュストはフラフラしながらも、少しほっとした表情を見せた。
農民に指示を出しながらガストンが嬉しそうにしている。
「しかし、なんで当主が自ら突撃してくるんだ」
「まあ、当主として勇敢なところを見せたかったんじゃないか。それに農民なんてたいしたことないと思ったんだろう」
「けど、これで戦争は終わるのか」
「それは交渉がうまくいくかどうかだな」
俺とガストンが話していると後ろから悲鳴があがった。
何が起こったのかと振り向くと、立っていたはずのオーギュスト・ヴァロワの首がない。
「は?」
何が起きたのか理解できない俺の前にオーギュストの首無し死体が倒れこんだ。
その後ろにさらに血まみれになったアンナが剣を持ってニヤニヤと笑っている。
「この剣、古い割りにけっこう切れ味いいじゃない」
こいつがオーギュストの首を刎ねたのか。
あまりの事態にさすがのガストンも激怒した。
「なんてことすんだよ、お前は! この騎士はヴァロワ家の現当主だぞ。もう戦争を終わりに出来なくなったじゃないか」
「あんた甘いわね。貴族があたしら農民の言うことなんて聞くわけないじゃん。交渉とかしても騙されて終わりよ」
アンナは地上に転がっているオーギュストの首を、死んだ騎士が使っていたであろう槍で刺した。
槍を持ち上げて生首を掲げると俺たちに近づいてくる。
オーギュストの返り血を浴びて顔面血まみれだ。
「おい、木偶の棒。こっちに来い」
「ひい、ア、アンナさん。お願いですから、こ、殺さないで下さい」
エミールが俺の後ろに隠れる。
アンナがちょっとしらっとした顔をした。
「殺さないわよ。あんたはこれを持ってなさい」
アンナが農民たちに向かって叫ぶ。
「騎士たちは全滅したわ。もう怖いものはない。もうあたしらは勝利したのよ!」
戻って来た農民たちも意外な勝利に興奮している。
「さあ、騎士たちは全滅したし、後は雑魚よ。みんな突撃! やい、木偶の棒、お前もだよ」
剣を振り回しながらアンナは草原へと走っていく。なぜかゲラゲラ笑っている。騎士を倒したのがそんなに嬉しいのか。エミールもしかたなく生首が刺さっている槍を持って走った。農民たちも続いた。
俺とガストンはアンナたちにはついていかなかった。
敵はまだたくさんいるからな。
「おい、ガストン。アンナたち大丈夫かよ」
「弓兵にやられてまた戻って来るんじゃないの。俺はもう知らないよ」
草原まで行くとアンナは敵に向かって怒鳴った。
「やい、聞け! 騎士たちは全滅したわよ。この首を見ろ、あんたたちの大将も討ち取った。ウヒャヒャヒャ! 生かすといって喜んでる奴を騙して殺すの最高! あんたらも死にたかったらかかってこい。皆殺しにしてやる、死ね! お前ら死ね! みんな死ね! 死んじまえ! ついでにあたしも死んじゃえ!」
意外にも敵方の弓兵や歩兵がさっさと撤退していく。
持ってきた道具や武器もほったらかしだ。
「あれ、どうなってんだ」
「うーん、戦争は人数じゃなく勢いで勝敗が決まるって聞いたことがあるなあ」
ガストンが首をかしげている。
まあ、全身血まみれの片目の女がゲラゲラと笑いながら剣をムチャクチャに振り回して迫って来たわけだ。そして、その横には図体だけはデカいエミールがヴァロワ家当主の生首を刺した槍を持っていて、その後ろを農民たちが興奮して奇声をあげながら走って来る。
薄気味悪かったんだろうな。
「大勝利よ!」
草原の真ん中で剣を振り回すアンナ。農民たちも興奮して大声をあげている。
その中で、エミールはいつもどおりボーっと突っ立っていた。
生首が刺さった槍を持って。
「これからどうなるんだ」
「知らん」
ガストンは俺の問いに憮然として答えた。
草原では、アンナが大声でわめいている。
「次はヴァロワ城へ進撃よ! 貴族は皆殺し!」