細工師と白龍、王都に至る
夕飯を済ませて宿に戻ると、浴場で身体を流し、それから備え付けの薬液で口をすすいだ後に歯磨きをこなしていざ就寝。
……何をするにもベルが着いてきていたのは、中々に落ち着かなかったけど。
一応、そこまでしなくてもいいと言ったらやめてくれはしたが(すっごくしょげた顔と共に)。
「それじゃあベル、お休み」
「おやすみなさい、主様」
各々ベッドに寝る。
身体を横にした途端に、今日一日で溜まった疲れが全て落ちていくような気がする。
俺が眠りにつくまで、それほど時間はかからなかった。
◇◇◇
翌朝。
穏やかな日差しが窓から入る。
小鳥の囀りや、廊下を行き来する宿屋の人々の足音が軽快な音楽のように聴こえて来るのを合図にして、俺はがベッドから身を起こす。
「んん、っと……はー、いい朝だな」
頗る爽やかで清々しい気分だ。こんなにいい目覚めは久しぶりかもしれない。
そう思っていると、隣で寝ていたベルもどうやら起きたらしかった。
「ん……おはようございます、主様」
何度かぱちぱちと瞼をやったあと強めに目を閉じ、ぱっ、と開く。
すっかり彼女の中の眠気は失せたらしかった。そもそも、睡眠が無くても動けるものだったりするんだろうか。
「ちゃんと寝られたか?」
「勿論、快眠させていただきました。かの様な素晴らしい寝台の整備をして下さった宿の方には感謝が尽きませんね」
相変わらずと言おうか、生真面目というかなんというか。そこがまた好きだったりするんだけど。
「では主様、朝食を頂きに参りましょう」
「ああ……楽しみだったりするのか?」
「いえ、特段そういう訳では。私は食事をせずとも生きていけますから、これは形式的な物です。ですが市井の人々に邪推されてはいけません故、頂きに参るのです」
そう言いながらも彼女の目は、まるで綺麗に掘り出された宝石のようにキラキラとしていた。
「(好きなんだな、食べるのが)」
硬いところはあるが、いい子だ。それは疑いようのない事実だろうと思った。
◇◇◇
大半の二階建て以上の宿は一階が食堂になっており、宿泊客でなくとも食事をすることが可能だ。労力の節約にもなるので、実は昨晩もここで摂ることを考えたのだが……
ベルの強烈なサンドイッチアピールに押し負けて、夜市へ出ることになった次第である。
そいでもって今度は宿で朝食にしたいと言うものだから、何というか主従関係なのにこちらが振り回されている気がする。
だがそれもひとえにベルの食事好きによるものだから、あまり嫌な気はしない。
「主様、早く早く」
「わかったわかった」
……などと急かされながら卓につかされて、半ば強引に食事をさせられたのも嫌な気はしない…………ということにしておこう。
朝食を済ませてお腹と身体を休めた後、数刻としないうちにネアズを出発することにした。
昨日のようなギリギリの時間になってしまわないうちに、少しでも王都に近付きたかったからだ。
◇◇◇
昨日に引き続いてすっかり澄み切った綺麗な青空の元、俺達はネオズを発ってしばらく進んでいた。
やはりカロウルよりは王都に近いが、それでも中々に道が遠いことに変わりはない。
「あとどれだけすりゃあ王都に着けるんだろうなぁ……」
ネオズの時点で既にミュルダー領に入ってはいるのだが、この辺りは言ってしまえば地方の辺境。堅牢な城郭が聳え立ち、王城が目を引くような王都からは程遠い草原。近く見えるのは森林、たまにある小山。
遠目に件の王城が見えているのがせめてもの心の救いだ。
「私が飛べば三十分で済みますが」
「あー飛ぶのね、それなら…………飛ぶ!?」
「むっ、これでもドラゴンですからね」
少しむすっ、とした顔をして頭の角を撫でてみせるベル。
「その姿で……じゃないよな」
「無論です、龍の姿に変わって主様を乗せて飛びます」
「だよな……」
と簡単に言ってくれるが……正直、この状態から龍の姿になるのがまるで想像できない。こんな可愛らしい女の子が、大きな龍に…………?
「……想像できんな」
「むっ、ではお見せしましょう!このフィルファーベルの力を……よいしょ、っと」
ベルは片膝立ちの姿勢に屈むと、バンッ、と両の手を地面に着いた。
「──、──」
人の声ではない、何か神々しい獣が威嚇をするような声がする。彼女の目は蒼く美しく、それでいて何処か恐ろしさのような気迫を湛えている。
「──!」
青碧の瞳が見開かれると同時に、ベルの身体が青白い光に包まれ、やがて眩いまでに強くなって辺りに満ちる。
「うっ……まぶしっ……」
何となく、ベルを生み出した時の光の感覚と似ているが、これは不思議とまだ目視ができる位の光量で、まだ目を開けていられる。
見ると、片膝で屈むような姿勢になっていたベルの光に包まれシルエットとして見える身体が、段階を踏むように大きく、ゴツゴツとした線を帯びて変化していく。
最初は狼などの動物くらいに。次第に小屋や民家程になり────
「──、────」
────王城程の大きさまでになる、荘厳な角と翼を広げる白い龍がそこに悠然と君臨していた。
「おぉ…………」
先程までの半信半疑じみた心は何処へやら、そんな感嘆の声が俺の口からするりと出てきた。
『如何です、主様』
天使様の時と似た、頭の中に直に聞こえてくるタイプの意思の伝え方だ。
「あぁ……こう、なんていうんだ……凄く格好いいし、綺麗」
『そうでしょうそうでしょう、そうに決まってます』
得意気な声色と共にふふん、と息を吐くベル。
龍の姿ながら、彼女の顔が容易に思い浮かぶ。
「それで……本当に乗っていいのか?」
配下で魔物の一種とはいえ、あの姿を見て過ごした直後。
女の子の背中に乗るというのはなんと言うか……大変に申し訳無い気持ちになる。
『構いません。何のための主従関係なのですか。さあ、さあ、ほら早く』
「わかった、わかったけど……乗ってる途中で振り落とすなよ?」
『フリかそうでないか教えて頂けますか』
「フリじゃない、マジだ」
『わかりました、おとなしくしています』
などという一連の流れを経て、後ろ脚の方に足をかけてよじ登ると、なるほど背の方は鱗が角張ったりゴツゴツしているなんてことは無く座り心地はいい具合だ。
『もう少し首に近い方に行って下さいますか?あまり後ろですと風を受けて飛ばされるといけませんし』
「ああ、わかった」
『ではしっかりと掴まっていてください。私も留意は致しますが、くれぐれもご注意を』
言われた通り少し前へ移動すると、そう注意が入る。
できる限りしっかりと掴まっているつもりだが、如何せんドラゴンに乗るなんてのは初めての経験だ。
失礼して足を開かせてもらって、っと。
「よし、頼むぞベル」
『仰せのままに』
首を上げて一声鳴き、翼をばさばさとはためかせ、後ろ足で地を蹴り上げる。
ずずっ、とした振動と共に、目に映る景色が高くなっていく。
数段階にわたって上昇した後、ベルは前に真っ直ぐに飛行し始めた。
「おおっ、すっげぇ……」
首の後ろで正面からの風を避け、下を見下ろす。人々が行き交って草原に出来た道がくっきり見えるくらいに高い。
前や周りを見ると高いが故に、王都が近くに感じられてしまう。
すると、僅か空いた腰付けのポーチから、パサパサ音を立ててバンダナが風に煽られていた。
「おっとと……危ないな」
若干慌て気味になりながら掴み、ポーチの中へ押し込む。
こんな高さで物なんて落としたら危ないし、見つけられない。一生物の紛失になりそうだ。
『主様、酔ったりしておりませんか』
顔は正面に向けたまま、ベルが聞いてくる。
「大丈夫、今のところ問題は無いよ」
『左様でございますか。向こうおおよそ三十分は私のその上の予定でございますので、お加減が優れなければ直ぐにお教え下さい』
「わかった、無理はしないよ」
ベルの飛び方が上手いのか、それとも自分の身体が酔いに強かったりするタイプなのか……何れにしても、今のところ気分が優れないなんてことは無い。
これから三十分、ゆっくり空の旅を楽しませてもらおうじゃないか。
◇◇◇
『時に主様』
「ん、どうかした?」
ベルの背に揺られてしばらく、不意に問いを投げられる。
『ハーネットに着いたらどうなさるつもりでしょう?』
「そりゃあ…………どうしよう」
『…………主様、割と無計画な所ありますよね』
「いやあ、どうもよく決め切れなくてな……とりあえず国王様に報告くらいは入れておこうかと思ってたけど」
『それはお仕事です。私達の当面の暮らしはどうする気だったんですか』
「さ、流石にそれは考えてたぞ?」
『どうするおつもりですか』
「彫刻とか細工の仕事受けて……」
『お店もないのに?』
「…………」
『主様』
「…………なんだ」
『食事ができないなら私拗ねますからね』
「……善処します」
己の無計画を恥じなくてはならない、と強く肝に銘じた。
◇◇◇
王都がすぐそことなり、心地よく快適な空の旅も終わりが近づいてくる。
人々を驚かせてしまうし、何なら敵が襲い来たと誤解されかねないので、流石に王都の中に入る訳にはいかない。
ということで、王都に入る為の門の付近、門番の目が届かないようなところで龍の姿を解いてもらう。
俺とベルはそこから少し歩き、門番の元で冒険者の証であるギルドパスをの照会を経て、王都へ入った。
パスのないベルはどうすればいいのか……と思ったが、どうやら旅先で連れ立ってやってくる傭兵や商人、それから恋人などといった人間は、後々の段になり王都に定住したり、国の要所には寄り付かない等の条件を満たせば滞在可能とのこと。
少し手続きが長引いたが、しっかり暮らしていくためには仕方がない。
大通りに出ると、やはりと言うべきかネアズとは比べ物にならないような活気と賑わいだ。
さて、まずは……
「王城、だな」
「ええ、分かっております」