細工師、命を落とす
ライから魔鉱石を受け取った後、俺は宿の店主達に礼を言って、すぐに宿を出た。
理由は単純、ルーネア達に出くわす前に行動を済ませておきたかったから。
「いーい天気だねえ……」
すっきりと晴れた爽やかな空。朝の陽が登り始め、段々と青くなっていく空に、少し出た雲がまた綺麗なことと言ったらない。
俺の気分もこのくらい爽やかだったらいいんだけど……。
「あーダメだダメだ!気分を入れ替えるんだ……」
そうだ、もう彼奴らとは縁を切った身だ。
あんな奴らのことはさっぱり忘れて、俺は俺にとって良い方を選ぶことにしよう。その方がいいに決まってる。これからの道筋を見ても、俺の精神衛生を見ても。
……ただ、一つ心に引っかかるものもある。
「……ライ……」
どこからどう考えても、ローライ・リッドは彼奴らには勿体無い、勿体無さ過ぎる人材だ。
上位職の天命を持ちながらも、人に対する接し方は常に優しさを忘れておらず、どんな職業の人間だろうと、どんな階級の人間だろうと対等に接する。
才能と、人徳。それら二つを持ち合わせた様はさしづめ超人とでも言えばいいだろうか。
「まぁ、俺が心配しても仕方ねぇやな」
ライはライ本人の意思と考えがあって、パーティから脱退せずに残留することを決めた。そこに俺の意思があっても仕方ない。
「そうだそうだ、俺が何言っても仕方ないんだ」
こんなことを考えている時間も惜しい。早く行動を起こしてしまおう。新しい人生の第一歩、よい舵切りの為に。
まずは何処に向かうか、だが……
「…………何処行けばいいんだ?」
全くの無策だった。
パーティに所属していた時ならば、自然と魔王征伐に向かうのが筋というものだが……パーティを離れた単身、フリーの冒険者ではそうもいかない。
そもそもパーティを組むのは個人では危険が伴うような敵を協力することで挑めるレベルまで戦力を上げる為だ。
つまり、この時点で俺が魔王征伐に向かうのは無理がある。
となれば、必然的というか消去法でというか、普通の冒険者稼業か、そうでなくてはライに話したような【細工師】本来の仕事を細々とやって暮らしていくかしかないが……
「カロウル付近は魔王軍じゃなくても強い魔物が居るが……直に彼奴ら以外の冒険者パーティがここに来るだろう。そうするとその魔物征伐は軒並みそいつらのオイシイ資金源にされちまうな……」
そいつらに占有されなかったとしても、俺一人ではまず日が暮れるまで魔物に付きっきりになってしまうだろう。
加えて、カロウルほど禁域に近くなれば、付近の王国からもたらされる品々を輸送するのに掛かる費用が大きい。
ひいては、この街の物価は故郷のミュルダーよりも高い。
さっき言った通り、日がな一日、一体の魔物に付きっきりになるであろう俺が、その日その日の収入で満足な生活が出来るとも限らない。
戦闘で負傷すれば依頼は受けられないし、病になれば医者にかかることになる。それによって依頼をこなせない日が出来れば、その分だけ生活を切り詰めなくてはならなくなる。
「一日一日がギリギリなんじゃ、現実的じゃねぇな……」
これならまだガラス細工や彫像作りの方がいい収入になりそうなくらい、あまりにもあまりにもな生活設計だ。
やはり、ミュルダーかその近辺の国辺りに腰を下ろした方が良いだろう。
「よし……道は厳しいだろうが、なんとか国まで帰ろう」
目的が決まればあとは行動を起こすのみ。
幸いにも今はまだ朝。ここから一日動けば、それなりの距離を行けるはず。ミュルダーまで行くのが難しくとも、人里には辿り着けるだろう。
それに、運良くどこかの国の旅団に会えたら、荷物持ちでも請け負ってそいつらの国にまで同行させてもらうのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は足を進め始めた。
あのような事になると分かっていたら、無理をしてでもカロウルにいたはずだろうに。
◇◇◇
朝頃にカロウルの街を出立して、早六時間余り。
陽はすっかりと真上に登り、強い陽射しを放っている。
「結構歩いたな……」
ふぅ、と息をついて辺りを見回す。
視界の一面に広がる穏やかな草原と山々。
心地の良い風が吹き、なんとものどかで平穏なことだ。
街道を見ると、数人の行商が歩いて来ているのが見えた。
「しかし、この辺りに……」
「こんなことはそうそう無いが……」
最初はなんということのない会話をしているのかと思ったが、どうやらそうでは無いようだ。
どことなく、不安そうな表情が見える。
「すみません、そこの行商の方」
「ん、なんだい冒険者さん」
「いやぁ、盗み聞きするつもりじゃなかったんですが……先程、何やら不安げなお話が聞こえてきたもので。何を話してらしたんです?」
すると、少し困ったような顔をして行商の一人が言った。
「それがなあ、この辺りに滅多に出ない凶暴な魔物が出たって話なんだよ。カロウルの辺りじゃあ分かるけどよ?こーんな平和な街道に出たとあっちゃあ俺たち商売もできたもんじゃねえ」
「そんなことが……なるほど」
「あんちゃんも気ぃつけな、冒険者は身体が資本だからな」
「気をつけます。ありがとうございます」
「達者でなー」
快活に笑って、行商の男たちは去っていった。
「……しかし魔物か、計画を練り直すか……?」
俺は歩きながら考えを巡らせる。
「少し遠くに目をやると街があるな……あの辺で今日はもう休むか……」
日が暮れるまで時間はたっぷりあるが、何せ一人で太刀打ち出来るかどうかわからない魔物と来た。慎重になるべきかもしれない。
しかし、生活を考えれば一刻も早く都市部に行きたいという気持ちも勿論ある。
「(自分の身の安全を取って一度休むか……進めるところまで進んで安全を確保するか……)」
かなり難しい天秤にかけている気がする。何方も今の俺にとって重要なことだ。
と、俺はふとある事を思った。
「この辺りで出たとして……もし彼奴らが魔物を討伐したとしたら、あの街で報告するかもしれねぇな」
とすれば、折角時間をかけてここまで来た足労が無駄になる。
可能性はかなり低そうだが……万が一という事がある。念には念を入れておこう。
……つまるところ、俺の結論は。
「進もう、行けるところまででいい」
一つ頷いて、俺はまた足を進めた。
◇◇◇
──時はそれから、更に過ぎ。
陽が落ちて来る程になった頃。俺は、自分の軽率さを後悔することになった。
「はあっ……はあっ……」
息を荒らげながら街道を駆ける俺の身体には、大きな雨粒が矢のように降りしきっていた。
街道を進み続けていたは良いものの、午後も半ばに差し掛かったあたりから、あれほど快く澄み切っていた空が曇り始め、それから数刻もすれば雨が降り始め、それが段々と勢いを増し……ご覧の有り様だ。
冒険者稼業をやってきた手前、雨風には多少慣れていると思っているが、ここまで酷い雨はなかなか無い。嵐の部類にも入るくらいの勢いだ。
井戸桶をひっくり返したような強い雨に体温が奪われ、拭っても拭っても視界が悪くなる。
「街までの辛抱だ……」
そう言い聞かせているのがやっとだ。寧ろ言い聞かせるのを止めてしまえば、その時点で力が入らなくなるくらいの状態だった。
「こんなことなら……っ、大人しく向こうで泊まっとくんだった……!」
楽観視し過ぎていたせいか、午前と比べると足の進みが悪い。ともすれば、先刻の街からさほど離れていないかもしれない、と思ってしまうくらいには進みは悪く、足も重たかった。
何とか急な坂を登り、やや高くなった道を進もうとしていた時だった。
「うわあっ!?」
ズシィン、という地鳴りのような音と大きな衝撃が起こり、思わずバランスを崩しそうになる。
慌てて体勢を立て直し、当たりを見渡すと──
「…………なんだ、あれ」
「グオオォォ……」
身体の色は紫がかった白、背丈は俺の五倍はあろう大柄、大きな牙に、人と似つかわしくない鋭く恐ろしい目付き、身体の所々から生えた刃を持った人型の魔物。
「魔人族……か……?でかい部類だ……」
魔人族。名の通り魔物の中でもとりわけ人間に近しい人型の姿をしていることが特徴的。
聞くところによれば、魔王やその側近も人に近しい見た目をしているらしいが……気をつけなくてはならないのが、その種族が示す範囲だ。
人と変わらない背丈のものが居れば……今、目の前にいるこの個体の如く、巨大なものもいる。
そしてその力は──
「グガアァッ!」
奴が俺を視界に捉え、俺目掛けて拳を振り上げる。
「危ねぇっ!」
咄嗟の判断で地を蹴って飛び上がり、その隙に抜き放ったダガーでお返しに腕を斬りつけてやる。
「ググッ……!」
ハナから険しい表情は変わらないが……恐らくは苦々しい顔をしていることが想像にかたくない声を出す。
「(こんなデカブツ相手、力じゃ押せねえ)」
雨で濡れた地面に着地しながら、次の一手を考える。
武器のダガーは短剣としてはそれなりに長めの刃渡りをしている。突き立てればやつの腕もギリギリのところだが貫通はさせられるはず。
「(どうにか腕の一本でも切り落として……上手く逃げおおせるか)」
ハナから勝てるなんざ思っちゃいない。
当然だろう、冒険者には向かない天命と技術の人間なんだから。
……だが、そこから脱却する為に鍛えて来た訳だ。伊達に上位の冒険者パーティに居たわけじゃない。
「そうと決まればっ、とぉ!」
「グオォオッ!」
今度は蹴り。さっきの拳と比べればかわすのは簡単だ。
左サイドへとさっと身をかわし……
「失礼しまーす」
「グッ!?」
そのまま足の甲に乗り、更にまたジャンプ。空中でぐるりと体勢を整え、
「ウェポンアップ」
……武器強化魔法によって切れ味の増したダガーを、奴の右腕へと思い切り振り下ろす!
ズジュッ、と肉を裂く感覚。入った。
「グゴゴォッ……!」
そのまま落下する勢いに加え……思い切り、ダガーの刃を蹴落とす。
ゴギュッ……ズバァン!
「っし……」
「グゴッ……グググググゥゥッ!!」
奴の右腕は、物の見事に斬り落ちた。怒りにも慟哭にも似た叫び声を奴が上げる。
「そいじゃ、トンズラこかせて貰うぜ」
そう言って立ち上がり、その場を去ろうとした時だった。
「……なんで子供がここに?」
小高い足場の少し下、丁度岩陰辺りに子供がいる。
「(どうしてだ?こんな嵐の中で?)」
そんなことを考えるあまり、足を止めてしまっていた俺の背後から、奴の呻き声と……ボコボコ、と何かが沸き立つような音がする。
「なんだ……っ!?」
見れば、先程斬り落とした腕の根元から、新たに腕が再生してきている。
「なんだとっ……こんな短時間で回復しやがるのか!?ま、まずい……!」
さっきは単調な攻撃ばかりだった為に、反撃に腕を落とすなど造作も無かった。
しかし、相手はこれ程の再生能力を持つ魔人。一度打った手など、二度も通用するような相手では無いだろう。
「野郎っ……!」
ダガーを構え、慌てるように駆け出す。
「グガゥッ!!」
奴の掌から、ほぼ瞬時に大ぶりな魔力弾が放たれる。攻撃を視認し切るのが精一杯、防御を回すことなど不可能に近いような瞬時。
「!?やばっ、い……うぐああぁぁぁっ!!」
反応する暇もなく、俺の腹へと魔力弾がぶち当たる。当たった刹那、圧縮された魔力が弾け、俺の身体に焼け焦げるような痛みが駆け巡る。
そのまま後方へと吹き飛ばされ、奇しくも件の子供の近くへ飛ばされる。
「ググゥ……」
「っあ……まずい、おいっ、坊主……逃げろ!」
子供に気づいたであろう奴が近付いてくる。俺は喉がイカれそうになるのも構わずに叫ぶ。が、声が届かないのか聞こえていないのか、子供は逃げる素振りも見せない。
「くっそ……行かせるか……!」
満身創痍という言葉が合致するようなふらついた身体を押して、奴の前へと立ち塞がる。
奴は俺に向けて拳を振りかざし……
「ググゥ……グゴォッ!」
「っふ、は、ぁ………」
そのまま一直線に、俺の胸を貫いた。
「かっ……ひゅ……」
「ググ……グゴゴォ…!」
奴はそのまま俺の頭を掴むと、パッと足場の下へと落とした。ドサリ、と俺の身体は力なく地に伏す。
「(俺……死ぬ……のか…………)」
どくりどくりと血の出が止まらない。意識も次第に黒いもやがかかって来ているような感覚だ。身体を打つ雨も、濡れた冷たさも何も感じない。
意識が遠のく。
「(人生……これまで……かな)」
俺の意識は、闇へと転がり落ちた。