第58話「在過の罪と鎖 5」
何時間経過しただろうか。祖母ちゃんが友理奈を病院に連れていき、一人部屋の窓から駐車場を眺めていた。1時間、2時間、3時間と時間が進んでも戻ってこない。
もしかしたら、予想以上に深刻な状態なのかもしれない。妹を蹴り殴った感触がずっと残り、息苦しい呼吸だけが続く。窓の外から見える景色はすでに暗く、近隣の窓から漏れる光がより恐怖を引き立てる。
「あ」
呆然と駐車場を見つめていると、車が戻ってきた。シルバー色の軽自動車が、バックしながら玄関前の駐車場に入ってくる。エンジン音が消えると、車の中から妹二人と祖母ちゃんが降りてくる。
妹二人が小さな人形をもって笑っている姿と、戻ってきたことに緊張と不安が和らぐ。しかし、大丈夫だったからと言って、話しかけられるものでもない。
「在過! すぐにご飯にするから、下りてきなさい!」
罪悪感がいっぱいの在過だが、階段を下りてダイニングルームへ向かう。椅子に座った妹達は、いつものように人形でおままごとをして楽しんでいる。先ほどのことが夢で、嘘っぱちで、なにもなかったような雰囲気。
「さっきは、わるかった」
緊張しながらも謝罪をした。
当然と言えばそうかもしればいが、返事はなく無視されているのは表情から明らかだ。えりかが戸惑いの視線を在過に向けているが、お人形遊びをやめることなく続けている。
それから30分ほど、椅子に座ってテレビを眺めていると晩御飯ができる。目の前に用意された温かい食事は、忙しく働いている時間の中で、子供たちの為に時間を作り温かい食事を作ってくれているありがたみを、年齢を重ねた後で実感するのだった。
「ふぅ~」
タバコの灰が地面に落ち、ポケット灰皿に吸殻を入れる。シャワーを浴びた後に外にいることもあり、寒さを感じながらもう一本煙草に火をつける。呆然とベンチに座って、タバコを吸って吐き出すだけの行為が、落ち着く時間。
「やっぱ、洗脳できるとか言っちゃう両親はヤバいよなぁ」
神鳴の両親との話し合いの中で、いろんな不快感や疑念と不快感の中で、もっとも気になったのはたった一言。
『私はね、二度と君に会わせないようにもできるんだ。明日までに、君と二度と会わないと言う洗脳することだって簡単にできるんだよ』
自分の娘がいる前で【洗脳ができる】と言う発言は、頭の中身がぐにゃぐにゃに搔きまわされる気持ち悪い感情がドロドロっとした感触の感覚が襲った。正義感かもしれないし、このまま両親と一緒にいると彼女が可哀想と思う自己満足。
神鳴の母親が異常なほどに娘を保護していることは感じていたが、父親も同じようなものだったことにも落胆させられる。神鳴を中心とした周りの大人達や友人は、想像以上に根が深い宗教心が強い人ばかりで、すでに『私たちの言うことが絶対』と言う暗示でもしているんだろうか?と錯覚させられていた。
宗教を否定するわけでも、好きでも嫌いでもない。それこそ、在過の祖母ちゃんも確定的に仏教に関する宗教に加入していただろうし、間接的に祖母ちゃんが加入していたであろう宗教に入っていたことになるのではないだろうか。
小説や物語が好きな在過は、仏教にもキリストにも興味もないが、新約聖書も旧約聖書も読んで把握している。言ってしまえば『本当にそんな神のような存在がいるなら、俺の人生には神という存在を作らなった』だけのこと。
それでも、常に娘のスマホでline通話を繋げて話を聞かせ。
どんな行動もすべて母親の言いなりで、なにかトラブルが起きると母親が介入。
母親・父親・幼馴染の言葉は絶対であり、正しい。
まさに洗脳されていると言っても、10人中7人くらいは賛同してくれるはずだ。そんな中心部にある謎の宗教団体。聞いたこともない名前だったが、それもそのはずだった。
在過がそのことを知るのはもっと先の話であるが、その宗教団体は歴代から続く、完全なる身内だけで構成された団体だった。
『幸福のサラ』