第二頁 『キャンパス』
「本当にいいの?」
「うん、協力するよ」
「・・・・・・ありがとう」
「全然、大丈夫」
彼女は嬉しそうに顔を手で覆った。
でも、髪の毛の分け目から覗く彼女の瞳、それは少し恥ずかしそうで、悲しそうだった。
他人の恋を本気で応援する。
それが彼女に皆が惹かれる理由の一つでもあるんだろうな。
そう、俺は思った。
俺自身、そうであるように。
「それで、具体的には何をするの?」
「私達は脇役、まずはお互いの身辺調査からかな」
「そ、そこから・・・・・・」
「うん、友達とは一概に言っても深くは知らないからね」
「うん」
「私の友達の網野 麻衣ちゃん。そして意中の相手の久石 念君」
「網野さんと、久石君ね。確か2人とも同じクラスだよね」
「うん」
「2人の今の仲って?」
「私、第三者から見たら良い感じなんだけど、本人、麻衣ちゃんからしたら上手くいっていないって」
「そうなんだ・・・・・・」
実際、恋愛を経験したことない俺はどこのラインが上手くいっているかいっていないか、全くもって分からない。
今更であるが、頼む人を間違えてないか。
こうなってしまっては、もう引き返せないのだが。
でも真剣な恋をしている人、応援したい気持ちは分かる。
でも────。
「実際、俺達ができることって限られてくるんじゃないのかな」
「うん、少ないと思う」
「ふふっ」
「?」
「いや、面白いなって」
自分自身なんで笑ってしまったのか、分からなかった。
退屈から開放された愉悦故の笑いか、無理難題に挑む挑戦者の武者震いに似た笑いか。
聞くと、網野さんは中学校から久石君に恋心を抱いていたという。
しかし時間が経つにつれ、『好き』という言葉が心の中で固まってしまって喉から出ず、時間だけが経っていくばかりらしい。
相手が自分のことが好きかどうか、怖い。
単純で厄介な問題。
遊園地のアトラクション、ジェットコースターのように乗ってしまえばスっと、あとは流れに乗るだけで自動的に終わるもの。
その乗るまでが長い。
恐怖心、────もしこうなってしまったら。
最悪のケースが頭をよぎったら、それが足枷となって次の1歩が踏み出しづらくなる。
分かっている。
俺も、そうだったから。
相手に嫌われたらどうしようという恐怖心、それで何回の恋を手放してきたか。
「じゃあ、明日から敵情視察ってことで俺が久石君に近づけばいいの?」
「うん」
「ちなみに2人の部活って何?」
「麻衣ちゃんと久石君は同じ部活で、2人とも美術部」
「美術部・・・・・・」
「うん、美術部」
「美術部って夏季休暇中、学校で活動してるの?」
「夏の展示会に向けて作品を学校で作ってるらしいの」
「そうかぁ」
活動しているのは良いが、美術に疎く関係も一切ない俺が出向いたところで不審に思われるだけだろう。
何か妙案は無いものか。
「そういえば。今、陸上部出禁になってるんだっけ?」
「まぁ、そうだけど」
「丁度いいじゃん、美術部に兼部しなよ」
「えぇ?」
「卒業までの時間、元々やりたかった美術部で過ごしたいですって顧問の先生に頼んでみたら?」
「やりたかったって・・・・・・」
「だって、小詰君絵描くの好きでしょ?小学校の頃、写生大会で金賞取ってたじゃん」
「いや、何年前の話・・・・・・」
意外にも、俺の事を知っていたんだなと少し感心する。
確かに絵を描くのは好きだった、小学校からずっと暇な時間は絵を描いていた。
テストの時間、答案用紙の裏に絵を描いて怒られたっけ。
でも美術部、文化部に入ることを俺の両親は許してくれなかった。
それで、絵を描くことの楽しさは風化していったのだ。
あの頃は大人になってもきっと、絵を描いているんだろうって真剣に思っていた。
懐かしい。
「・・・・・・うん、まぁ出来なくもない、けど」
「じゃあ、決定」
「えぇ・・・・・・」
「私も一緒に行ってあげるから」
「それは心強いね」
「任せなさい」
彼女はウインクをしてガッツポーズをした、白い歯がニッと出て笑う。
可愛らしいエネルギッシュな小動物のような、それでいてフレッシュな子だ。
まぁ本心、成績上位者で元生徒会長の佐藤様が同伴してくれるなら、本当に心強い。
「今からでも行ってみる?」
「どこに・・・・・・」
「美術部の部室」
「それじゃあ2人に出くわすんじゃ・・・・・・」
「今の時間は帰ってるはずだよ。今は顧問の竹内先生だけ」
「よく、知ってるね」
「うん、よく見てたから」
佐藤さんの調査能力の高さが伺える。
女子高生探偵としてやっていけるのではないか。
思い立ったが吉日とは言えど、今日の今日で兼部の申請とはスピーディな。
────取り敢えず、行ってみるだけ行ってみるか。
「じゃあ、行こ」
「うん」
「ここの校舎の裏に少し小さい小屋があるんだ」
「へぇ・・・・・・」
意外にも駐輪場からちかかった、その小屋兼部室。
名前を知らない植物の蔦が壁を張っている、薄汚れた壁。
近くに設置されている、錆びた蛇口達。
いかにも趣がある。
木製の扉を開いて、俺と佐藤さんは顧問の竹内先生が居るであろう部屋へと向かう。
小屋の中は2階まであり、様々な部屋があった。
木彫りの木くずが散らばった部屋、デッサン用の石膏が並ぶ部屋。
見ているだけで、楽しいかもしれない。
そして立ち止まった、とある部屋の前。
1階にある、1番左奥の部屋。
「失礼しまぁす」
「・・・・・・失礼します」
「佐藤さんと小詰君、どうしたんだ?何か用かい?」
そこに佇んでいたのは初老の男性。
白髪で、髭を生やした優しい目をした先生だった。
声も低く落ち着いていて、聞いているこちらが心地よい。
「実は、この小詰君が兼部をしたいということで、その話をしに来ました」
「ほぅ・・・・・・兼部と」
竹内先生は俺の方をじっと見つめ、少しばかり考えた。
やはりこの時期に兼部はまずかったか。
「・・・・・・良いですよ」
「え!良いんですか!?」
「・・・・・・でもなんで」
俺は心の内が口から漏れてしまった。
なんで俺みたいな端くれの兼部を許可してくれたのだろうか。
不思議に思った。
「手」
「手?俺の手がどうして・・・・・・」
「タコが出来ている、少し昔のものだけど沢山の絵を描いていた証拠だ」
「あっ・・・・・・」
俺は俺の掌の先を見つめた。
────ペンだこ、残ってたんだ。
「絵が好きな人を私は拒まんよ」
「あ、ありがとうございます」
俺は感謝の意を、頭を垂れて伝えた。
少し、嬉しかった。
俺の好きなものをストレートに肯定されたのは久しぶりだから。
さっき、佐藤さんにも褒められたが。
「竹内先生、じゃあこれで兼部OKってことで大丈夫ですか?」
「そうだね、小詰君は少し残っていきなさい」
「・・・・・・?はい」
「じゃあ私、先に帰ってるね。良かったね、兼部出来て」
「うん、ありがとう。佐藤さん」
悪意のない善意100%の満面の笑みを零す彼女に、俺は感謝の言葉を伝えた。
そして彼女は軽やかな足取りで美術部の部室を後にした。
「先生、なんで俺だけ残したんですか?」
「少しばかり、君の描く絵を見せてもらいたくてね」
「しばらくの間、描いてないですよ」
「いいんですよ、描きたいように描いて」
「はぁ」
そう言って先生は俺を真っ白なキャンパスの前に座らせた。
あぁ、懐かしい。
この瞬間が好きだったなぁ、と昔を思い出す。
真っ白な世界に自分の思い描く世界を写す。
誰にも邪魔されない、唯一の時間。
そして俺は約5年振りに、絵筆を握った。
何を描こうか、高揚を抑えて。