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伯爵令嬢の婚約・1


 アイザックとカイラの面会が叶ったのは、アイザックがそれを申し出てから十日ほど経ってからだった。

 中に入れるのは、カイラと警備隊からの監視一名のみ。

 それでも、久しぶりに自分への疑念のない視線を受けて、ザックは心底ほっとした。


「母上、お元気でしたか」


「ええ、アイザックこそ。痩せたのではない?」


「どうでしょうね。動いてませんから、体重は増えているかもしれませんよ」


 軽口を叩きながら、ザックはテーブル越しにカイラと向かい合う。警備兵はふたりから一メートルほど離れた位置に立ち、ひと言も聞き漏らさないようにじっと見つめていた。


「今回の件について。母上には信じていただけると思っていますが、俺はやっていません」


「もちろんよ。あなたは王位に執着などしてなかったじゃない」


「最近は兄上ともいい関係になっていたんです。ただ、本当に最近なのでそれを証明してくれる人がいませんが」


「それに関してはナサニエル陛下が。バイロン様が、アイザックのことを褒めていたとおっしゃっていました。協力して陛下の力になれたら……ともおっしゃっていたそうです。身内の証言ですから、そこまでは信用されないでしょうけど」


「本当ですか? 兄上が」


 ザックの頬が緩む。兄に認められてうれしいという感情があったことは、自分でも意外だった。


「ところで、ロ……いえ、イートン伯爵家のみんなはどうしていますか?」


 監視のせいで、具体的な名前は出せない。

 特にロザリーは、今のところ、ノーマークの人材なのだ。

 周囲の認識は、〝イートン伯爵が預かっている田舎の男爵令嬢〟でしかなく、カイラに仕えるようになったのも、イートン伯爵の計らいだと思われている。

 ザックからロザリーを連想する人は今のところおらず、その分、彼女の安全は守られる。ロザリーがザックの弱みだと知られるのは、避けたいところだ。


 一方で、対外的にザックの結婚相手の筆頭候補と思われているのはクロエだ。婚約の話が成り立たなかったという過去はあるが、それは広く知れ渡っているわけではない。

 知らない人間は、間違いなくクロエがザックの相手だと思っているだろう。ザックとイートン伯爵はずっと仲が良いし、レイモンドの料理を広める夜会でも、相手役はクロエだった。


(むしろ、クロエ嬢の身辺警護には力を入れてもらわなければならないんだが。……まあ、そこは言わなくてもケネスがやっているだろうけどな)


 表情に出さないだけで、ケネスもたいがいシスコンだ。学生時代にも美しく気立てのいいクロエに言い寄ろうとする男は多くいたが、たいがいはクロエにたどり着く前に、ケネスによって追っ払われていた。

 そろそろクロエも結婚相手を見つけなければならないだろうにと、心配する伯爵夫人を思い出して、口もとを緩めた。


「アイザック? 聞いているの? みなさん、あなたを心配しています。それとね、私、陛下のお召しに従って、城に戻ってきているの。侍女も連れていています。クロエさんも見習いで侍女になってくださったのよ?」


「……クロエ嬢がですか?」


 それは意外なひと言だった。

 クロエはブラコンで、ケネスと仲の良いザックには当たりが強い。カイラのことだって、平民の妃だとあまり好んでいなかったはずだ。


「ええ。私の毒見係と仲が良いのね。彼女を助けるために来てくれたみたいよ」


(ロザリーのおかげか? あのクロエ嬢とまで仲良くできるとは、凄いな)


「そうなんですか。……彼女にお礼を言っておいてください」


「ええ」


 十分ほど会話したところで、警備兵が「カイラ様そろそろ……」と言い、カイラは腰を上げた。


「私も、あなたを心配するみんなも、無実を信じています。どうか心を強く持って、自分の真実を曲げないようにしてね」


「もちろんです」


「それと……すみませんが警備兵の方」


 カイラは、見張りの兵を振り仰ぐ。


「アイザックに差し入れなどをすることは可能ですか? せめて気晴らしにおいしいものでも食べさせてやりたいのですけど」


「全て警備隊のチェックが入ってからになります。手紙も構いませんが、中は確認させていただきます」


「そう。分かりました」


「あ、母上」


 ザックは咄嗟に立ち上がり、母親の手を握る。カイラは驚いたように目を見開いた。


「抱きしめても構いませんか?」


「どうしたの、アイザック」


「……少し参っているのですかね。母親に甘えたいと思うなんて」


「まあ」


 カイラはクスリと笑い、彼をギュッと抱きしめた。

 両手を回しても背中を覆いきれないほど成長した息子に、ほんの少し感激しながら、カイラは部屋を出て行った。


 残されたザックは、ベッドに寝ころび、考える。

 ずいぶんと状況は変わっているようだ。

 あの母親が、離宮を離れる日が来るとは思わなかったし、クロエがその侍女をやるなんてもっと意外だ。


(ということは、ロザリーも城にいるのか)


 彼女ならば、においの嗅ぎ分けで自分がカイラに触れたことが分かるだろう。

 せめて元気でいることを伝える手段にならないかと、咄嗟に母に匂いを付けた。


「あとはオードリー殿のことだなぁ」


 侯爵が、オードリーの後見を引き受けたのには、絶対に理由があるはずだ。

 ウィストン伯爵が首謀者とされた輝安鉱殺人未遂事件の裏には、やはり侯爵がいるのではないかと思う。

 ウィストン伯爵と繋がっていて、鉱物関係の知識に精通しているオードリーを囲う理由があるとすれば……。


(……毒)


 これまで、ウィストン伯爵を通じて毒を得ていたと仮定すれば、その知識に詳しい人間は欲しいかもしれない。

 もしそうなら、身の安全は保障されるだろう。が、必要なくなった途端に殺される可能性は高い。


「……どうするべきか」


 悩んでみるも、自分の身さえ自由にならないのだ。ザックはため息をついて窓の外を眺めた。



「カイラ様、おかえりなさいませ」


 ザックとの面会を終えて戻ってきたカイラを、ライザとクロエとロザリーが出迎える。

 ロザリーは待ちきれずに、カイラが座る前に問いかけてしまった。


「カイラ様、ザック様は……」


 本来なら不躾なことだが、カイラはそのあたりを気にしない。

 ロザリーを近くに呼び、両手を握りしめて優しく笑う。


「大丈夫。元気そうだったわ。閉じ込められることには辟易していたけれど」


「良かった……」


 ホッとしたのと同時に、ロザリーの鼻をザックのにおいがかすめる。


「あれ」


 鼻をスンスンと鳴らしながら近寄るロザリーに、カイラは不思議そうな顔をする。


「どうしたの?」


「なんか、ザック様のにおいがします」


 真顔になったカイラは、「ああ、そういうこと」とつぶやいて、ギュッとロザリーを抱きしめた。


「えっ、か、カイラ様?」


「あの子が私に抱き着いて来るなんておかしいと思ったのよ。あれは、あなたにそうして欲しいっていう意味だったのね」


 カイラが身に着けている白檀の香木に負けそうになりながらも、たしかに存在するザックの香り。

 ぬくもりも相まって、目をつぶると本当にザックがそこにいるような気になる。

 カイラはロザリーの背中を撫でながら、楽しそうに笑った。


「ふふ、やるわね。母親をダシに使おうだなんて」


「……すみません」


 揶揄されたのは恥ずかしかったが、ザックのにおいはロザリーを予想以上に安心させた。うっすら目尻に浮かんだ涙をこっそりふき取り、笑う。


「ありがとうございました、カイラ様。これで私、いくらでもまた頑張れます!」


「いいえ。私こそ、元気をもらったわ。なにもできないと思っていたけど、自分が役に立つこともあるんだって分かって、嬉しい」


「カイラ様」


「あなたが来てから、私の人生にもう一度色がついたみたい。本当にありがとう。ロザリーさん」


 そこまで言ってもらえるとロザリーとしても僥倖である。


「ああそうだわ。あなたにひとつお願いがあるの」


「なんですか?」


「アイザックにね、差し入れをしてもいいか聞いてみたら、中身の確認はするけれど問題はないと言われたの。あなたの方が、あの子の好みも分かるでしょう? なにか、甘いものでも見繕ってあげてくれないかしら」


「は……はいっ」


 ザックが好きな食べ物といえば、レイモンドの料理だ。ロザリーは早速依頼の手紙を書き、それをクロエに託した。


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