エピローグ~とある菓子職人のモノローグ~
王都の貴族街にある『切り株のテーブル』は一年前に開店したばかりのお菓子店だ。
小さいながらもイートインスペースがあり、貴族令嬢の間で密かに人気がある。
店主であるクリス・ネルソンは十八歳。
十五歳でグラマースクールを卒業後、王家御用達の菓子店に修行に入り、昨年独立した。
両親は、クリスがグラマースクールに入学するタイミングで故郷アイビーヒルに戻り、父は宿屋・切り株亭を運営し、母は街のファーストスクールの教師をしながらささやかに暮らしている。
クリスは、イートン伯爵の援助を受け、寮住まいをしながら王都のグラマースクールへと通った。
その後も伯爵家の一室に住まわせてもらい修業の日々を送り、現在はこの菓子店の二階に住んでいる。従業員は売り子が二名。いつもはそれなりに賑わっているのだが、今日は特別な日なので開店休業状態となるのが予想できたため、ふたりとも休ませている。
そんな中、店の扉が開く音がして、クリスは厨房から顔を出した。
「やあ、クリス。店を開けていたのかい?」
入ってきた男性を見て、クリスは顔をほころばせる。
「ケネス様こそ、今日は忙しいんじゃないんですか」
輝く金髪に、夏の空のような碧眼。ケネスは初めて会った十三年前とそう変わらない。立ち居振る舞いも、その性格も、外見もだ。
彼はクリスが勧めた椅子に座り、長い脚を軽く組んだ。
「儀式のときに俺は必要ないよ。バイロン様もいらっしゃるしね」
「いいんですか、そんなこと言って。今頃、アイザック様が青くなって探しているかもしれませんよ」
「あいつも三十五だよ。いつまでも俺が必要ってわけでもないだろう」
クリスは話しながらお茶を入れる。
白磁のカップに注がれた綺麗な赤茶色の紅茶を見て、ケネスは満足そうに香りを嗅いだ。
「君は紅茶を入れるのが上手だね」
幼少期にケイティからしっかり教育を受けたせいか、クリスは平民とは思えないほど行儀作法がしっかりしていて、貴族と同じような立ち居振る舞いができる。この店が貴族に人気があるのも、クリスの対応によるところが大きい。
「今日は在位五周年の記念式典だ。店を開けていても人は来ないんじゃないのかい?」
アイザック王子が、王位継承したのは、今から五年前の彼の誕生日だ。
ナサニエルとカイラは、それを機に離宮へと居を移した。現在の王城の主はアイザック陛下とロザリンド王妃で、公爵位を得たバイロンが補佐役に就いている。
「そうですけど、仕込みがあるんです。王妃様から明日のお茶会用の菓子を頼まれているんですよ」
「ああ。ロザリーは君のお菓子が大好きだもんなぁ」
王妃直々に菓子の指名をされるのは光栄なことだ。けれど、内実が伴わなければ評判はがた落ちになる。
ロザリーは最初、小さなお茶会用のお菓子をクリスに依頼した。それからもたびたび注文されるところを見れば、そう悪い味ではなかったのだろう。
幼少期からレイモンドに習い、腕には自信のあるクリスも、さすがに次の注文が来るまでは緊張した。
「で、ご用件は? ケネス様」
「ああ、母上が家族を呼んでお茶会をするから、君に菓子を頼みたいって。ついでに君自身にも来てほしいそうだよ」
「私もですか?」
「母上にとっては、君も娘のようなものだからね」
父母が故郷へと帰ってから、クリスを我が子と同じように教育し、気遣ってくれたのはケイティ夫人だ。クリス自身も、第二の母と思って慕っている。
「それは楽しみです」
「俺は憂鬱だけどね。結婚しろとうるさいからな。母上もいい加減諦めればいいのに」
「そりゃ、ケネス様はイートン伯爵家の後継ぎですもの」
なんだかんだ言ってもしっかりしている彼だからこそ、頃合いを見て必ず結婚するだろうという甘い憶測を誰もが抱いていた。まさか三十五歳になるまで結婚しないとは誰も思わなかっただろう。
「俺の後はクロエの息子のひとりを養子にもらえばいい。俺は正直、貴族の令嬢というものに魅力を感じないんだよね。優雅に毅然としているのが美徳なのは分かるけれど、面白味がなくてね」
ケネスとの縁談が不作に終わったという令嬢を、クリスは何人も見たし、話したこともある。
皆、文句のつけようのないご令嬢だっただけに、一体どんな人なら納得するのだろうと思ったものだ。
中には、かなり本気のご令嬢もいて、しくしくと泣かれたときにはクリスも一緒に泣きたくなった。
叶わないならせめて、さっさと結婚して諦めさせて欲しいという彼女の気持ちは、クリスに重なるところがあったのだ。
「そうですか、では、職業婦人はどうですか?」
「悪くないけど、相手が嫌がるだろう。伯爵家に入れば、どうしても社交を迫られる。仕事をしながらでは難しいからね」
ケネスは楽しそうに答える。
本気で、職業婦人が自分に恋をするなど、思っていないのだ。
だが、クリスは思う。
いつまでも――あなたの思う通りにはならない。
「できますよ。私、いつも自分でお菓子をサーブしながら、ご令嬢たちとお話しますもの」
「……は?」
ケネスが動きを止め、ぎょっとしたようにクリスを見上げてくる。
いつも悠然としている彼の、驚いた顔が見られるのは楽しい。
この十三年間、ケネスは常に、クリスを家族のように扱ってくれた。レイモンドたちが故郷に帰ってからはとくに、なにかにつけては心配し、伯爵家にも呼んでくれた。店を持ちたい、と相談したときも、まずは修業をしなさいと、菓子店を紹介してくれた。
ほのかに募った憧れは、クリスの成長とともに恋情に変わった。年の差を受け入れてもらえるかは賭けだが、こうなったからには押してみるのも悪くない。
クリスだって、散々悩んだのだ。その間にケネスが身を固めてくれれば、こんな無謀なことはしなかった。
だから、クリスは自分が悪いわけじゃないと思う。ここまで結婚しないでいたケネスが悪いのだ。
「どう思います、ケネス様。私とか」
ぐいぐいと押してみる。
どうせこのまま、なあなあと身内のような関係を続けていたら、ケネスから結婚相手の斡旋を受けるという最悪の事態がやってくるに違いない。それより前に、自分の気持ちは主張しなければ。
「クリスは可愛いよ。もちろん。だけどほら、……君、俺を幾つだと思ってるんだい」
「三十五歳でしょう。アイザック様と同い年。私とは、十七歳差ですね」
「もう犯罪だろう」
「二年前ならそうですけど。私もう十八です」
困ったように見上げられる。怯むな、とクリスは自分に言い聞かせた。
動揺は悟られる。そうしたら彼の手のひらに乗せられる。
それでは駄目なのだ。隣を歩く女性になるには。
「大人と言われる年です。ロザリンド王妃はこの年には結婚していたじゃないですか」
ダメ押しにひと言。
「最初は子供の憧れだったかもしれませんが、ここまで続いた感情はすでに恋に育っていると思うんですけど、……どう思います?」
ケネスはまじまじとクリスを見る。そして困ったように微笑むと、お茶を一口含んだ。
「うまいね」
ゆっくりとカップをティソーサーに戻し、散々悩んだ末につぶやいたのはこうだ。
「……レイモンドに怒られそうだなぁ」
「私が説得します。それならいいですか? 私のこと、大人として見てくれますか?」
「とっくに、……子供だとは思ってないけど。いやでも、さすがに。……それじゃ君がかわいそうだ」
「かわいそうってなんなんですか。私の気持ちは私が決めます」
「……ああ、そう言い返してくる辺りはたしかに大人か」
クシャリと髪をかきあげて、これまで見たことのない、少年のようなはにかんだ笑みを見せる。
少しばかりの手ごたえを感じて、クリスはぐっと意気込んだ。
何年かかっても構わない。時間はたっぷりあるのだ。
この国は今、穏健派の国王と王妃のもと、これまでになく平和な時代を迎えているのだから。
【Fin.】




