一緒にいたい、好きだから・1
国の実権を握っていたアンスバッハ侯爵の逮捕は、すぐに王都中に広がった。同時に、マデリンとナサニエルの離縁が発表される。彼女は実家に戻され、ふたりの息子に関わることを禁じられた。
ナサニエルは、マデリンの不貞を理由として公表することはなかったが、マデリン付きの侍女たちが、辞職すると同時に言いふらしはじめたため、王都に住む貴族の中で知らぬものはいないような状態となっていた。
バイロン王子が、アンスバッハ侯爵から毒を盛られていたこと、そのために死んだと公表し身を隠していたことも伝えられ、戻ってきたバイロン王子は温かく迎えられた。
そこで彼は、自分がアンスバッハ侯爵の甥であることを理由に王位継承権を放棄する。コンラッド王子もそれに習ったため。ナサニエル陛下の後を継ぐ王太子は、アイザック第二王子となり、彼の王子への復権も広く周知された。
アンスバッハ侯爵家は爵位返上を言い渡され、マデリンは没落の一途を辿る屋敷で、悲鳴をあげているという。
アンスバッハ侯爵は今後法で裁かれ、特に輝安鉱の輸出に関しては、隣国ネオロスの高官から密売人の引き渡しを求められているため、こちらでの裁判の結果を受けたのち、ネオロスでも裁かれることが決まっている。
それから一週間。
王都は徐々に平和を取り戻しつつある。議会改革は、貴族院と平民院の二院制を採用することが決まり、現在は仕組み作りに伴う調査が行われている。
改革には膨大な資料とそれをまとめ上げる人材が必要である。
アイザックは兄のベッド傍に座り、新しく採用する議員制度について、他国から取り寄せた資料などに目を通し、必要か否かの選別をしている。奥にある書き物机にはコンラッドがいて、バイロンはザックがより分けた資料にチェックを入れている。
今後は兄弟三人で執務を手伝うようにと国王に言われそれを実行し、始めた三人である。
バイロンが、まだ長時間起きていられないので、彼の部屋に集まるのが日常化してきている。
「……兄上が継げばよろしいでしょうに」
アイザックは思い出したように不満を漏らす。彼は今でも、次期王には兄の方がふさわしいと思っているのだ。
バイロンはまたか、というように目を眇め、書類の続きに目を向ける。
「医者によれば、私は完全な健康体には戻れないそうだよ。短命の可能性のある次期王よりは、健康体のお前の方がいいだろう。それに、私がいつまでも王位継承権を持っていると、伯父上を支持していた貴族たちが変な動きをするきっかけとなってしまう」
「しかし、俺は自分で言うのもなんですが短慮ですからね」
「そこは否定しないが……。そのためにお前のブレーンになってやろうと言っているんだ。なに、お前にはケネスもいる。表に立った時だけちゃんとしていろ」
「はあ……」
ザックは頭を掻きながら、ちらりとコンラッドを見る。
コンラッドは、あれから、まるで人が変わったようにおとなしい。一緒に執務をするにあたり、バイロンもアイザックも容赦なく間違いを指摘するが、癇癪を起こすこともない。
この一連の騒ぎで、コンラッドが受けた処分は、王位継承権のはく奪とクロエ嬢との婚約解消だ。
侯爵に比べ処分が軽いのは本人も意外だったようだが、それを決めたナサニエルの談は辛辣だった。
「お前は操られてしかいないのだろう。自分で判断できる器量はないだろうからな」
優しさというよりは見限られての判断だと知り、コンラッドにも思うところがあったのだろう。
それ以来、立場に傲るような発言はせず、勉学にも仕事にも真面目に取り組んでいる。
そして彼は時々、ちらりちらりとアイザックを窺うような態度を示した。
隠しているつもりがあるのか分からないくらいの強い視線にアイザックは辟易してきた。
「なんなんだ。コンラッド。なにか言いたいことがあるのならはっきり言え」
「いえ、別に」
「なにもないなら、こっちをチラチラ見るのはやめてくれないか」
コンラッドは口ごもると、「では……」とおずおずと語りだす。
「アイザック兄上は、クロエ嬢と結婚するのですか?」
それは予想もしていない問いかけで、アイザックは目を点にする。堪えられなくなったのか、ぶはっと吹き出したのがバイロンだ。
「コンラッド。お前、まだアイザックとクロエ嬢が懇意だと誤解していたのか? アイザックにはべたぼれの女性がいるんだぞ」
「兄上!」
「なん……、じゃあ、クロエ嬢はどうなるんですか! 自身を犠牲にする覚悟で兄上を守っていたのに」
真っ赤になって首を締め上げてくるコンラッドを、アイザックはなんとかなだめる。
「落ち着けコンラッド。クロエ嬢は俺じゃなくてケネスを守っていただけだ。俺は昔からクロエ嬢には目の敵にされてるんだぞ?」
「本当ですか?」
ものすごい疑いのまなざしにたじろぐ。クロエの演技がうまかったのかもしれないが、コンラッドも思い込みが激し過ぎる。
「本当だ。嫌われた覚えならいくらでもあるが、好かれた記憶はひとつもない。それに、俺はロザリーが好きなんだ。変な噂が立ったら困る。勘弁してくれ」
「ロザリーとは?」
「母上の毒見係だよ!」
「ああ、あの……」
人物が思い当たったのか、コンラッドはぱっと手を離し、その後で深いため息をつく。
「……まあそう言っても、俺には全くチャンスはないんですけどね」
すっかり消沈した様子に、バイロンが笑った。
「おもしろいな。内情はどうあれ、弟がふたりも婚約破棄された令嬢とは。逆に興味が湧いてくる」
楽しそうなバイロンに、アイザックとコンラッドは顔を見あわせる。興味を持つのは構わないが、相手は難物である。権力で押そうが同情で押そうがたじろがない令嬢だ。
「俺はおススメしませんよ」
「俺も。ここで兄上に持っていかれては立つ瀬がありません」
辟易しているアイザックと、落ち込むコンラッドがおもしろく、バイロンは久しぶりに声を上げて笑った。
「まあいい。それより、お前とロザリンド嬢はどうするんだ。相思相愛なわけだし、婚約くらいはしておけばいいのでは?」
「俺もそうしたいんですけどね。父上も母上もその前に準備があると言って譲らないのです。どうも、ロザリーをバーナード侯爵かイートン伯爵のどちらかと養子縁組させてからと思っているようでして。ルイス男爵との調整やら……いろいろ考えると一年は先ですね」
「はは。ご愁傷様」
「兄上、ひどくないですか?」
「お前も少し苦労すればいい」
王子の婚約など一朝一夕で決められるものではない。アイザックは落ち込んでいるが、一年ならば早いほうだろう。何よりも、男爵令嬢程度ではダメだと反対されているわけではない。十分幸せ者だと言える。
軽口を言い合うふたりを見て、コンラッドも思わず笑う。
「兄上たちは、思っていたより仲が良いんですね」
アイザックとバイロンは顔を見合わせ、笑いあう。
「最近だよ、なぁ、アイザック」
「ええ。親の関係に縛られるのはやめたんだ。だから、お前とも仲良くしていきたいと思っている。コンラッド」
それは意外、というようにコンラッドは苦笑する。
「俺は、父上や兄上に許されたことが、まだ信じられません」
コンラッドは目を伏せ、戸惑うように目を伏せた。
「……おまえはまだ未成年だ。そこも考慮されたのだろう。それに、生かしておいて争いの火種になるというのならば、手元に置いておいた方がいいと踏んだのだろう。何せ、後を継ぐのはアイザックだ」
「俺だとなんでそうなるんですか」
「お前は、自分の権力を誇るタイプの男ではないからな。助力を得るとか、協調するとか、悪く言えば人に心配させることに長けている。おまえを放っておけないという人間が周りに集まり、おまえは素直にそれに感謝するだろう。王というよりは共同体をつくるのに向いている性格なんだ。だからコンラッドも仲間に引き入れたほうがいいと思ったんだろう。だがな、コンラッド自身に反省の色が無ければ、父上だってそんなことはおっしゃらない。お前の態度も良かったんだよ」
「……それは、ありがとうございます」
コンラッドが殊勝に頭を下げ、ザックはバイロンのなかなか鋭い分析に頷く。すると、バイロンは苦笑しながら続けた。
「アイザックも褒められているばかりではないのだぞ。お前は貴族への対応が下手だと父上は嘆いておられた。俺にそこをサポートするようにとおっしゃられていたぞ」
「ああ。反論できないですね。細かい交渉事は苦手です」
「ほらこれだ。コンラッドもこき使われるぞ。覚悟しておいた方がいい」
バイロンの口元が緩む。
コンラッドも自然とほほ笑んでいた。昔は、実兄ともこんな風に話すことはなかった。誰もがコンラッドを腫れもののように扱い、必要とされることなどなかったのだ。
クロエの言葉が蘇る。
自分が何をしたいのか、何ができるのか――
いつになく、コンラッドはワクワクしていた。それは、全て私に任せておけと伯父に言われたあのときとは違う高揚感だった。




